第3話 独りの時に現れる

 ――オトケシっていうのはね、人間を襲う化け物のこと。その人が独りになっている時を狙ってね、食べちゃうんだ


 美夜の話は、家に帰っても脳内で反響し続ける。 太郎の話を聞いてウソだと思えたのに、その結論を心のどこかで否定し続けている。


 いつもは真剣に見ているクイズ番組も、今日は全然頭に入らない。

 帰ってしばらくして、美夜の話の不自然な点に気付いた。太郎が言っていた矛盾とは別の部分だ。

 大抵の怪談が肝心な部分を曖昧にしているのに対し、オトケシの話はかなり具体的に示されていた。掲示した事例は実際に起きたもので、かつ捜索が続いているものだ。進展がある可能性があるにも関わらず、美夜は断定的だった。

 フィクションの中に現実に起きた事例を混ぜるとリアリティが上がる、ホラー系の作品で使われる手法だ。美夜はそれを知った上で活用した、と言えばそれまでだが、引っ掛かる。

 その一方、オトケシ自体の情報が少なすぎる。特定の条件で人間の元に現れて食すことと、出現すると音が消えることだけだ。なぜ生まれたのか、どのような人間を襲うのか、どんな見た目か、正体は何者か――全て触れていなかった。まるで足跡だけを残す未確認生物のように、全貌の想像すら付かない。

「花子―! 先にお風呂入っちゃってー!」

 母親の催促が聞こえ、ふとわれに返る。逆らう理由はないので、浴室へと向かった。




 洗面所の引き戸を閉める。

 大きな鏡には、自分だけが映っていた。他にも洗面用具や洗濯機などがあるものの、生きて、動いているものは一人しかいない。

 ごく普通の光景だが、気付いたら足が震えていた。背中の辺りから悪寒がしてくる。

 直前まで考えていたせいだろうか。誰もいないことに恐怖を覚えてしまう。母親は洗い物中で、父親は出張中。さらにリビングのテレビも付けっぱなしだ。

 今、私の身に何か起きた場合、助けてくれる人はいるのだろうか。もしかすると、母親ですら気づいてくれないかもしれない。

 物理的な距離の近さに反して、ちょっとした壁で隔たれるのが怖くて仕方ない。

「あぁ……あ、あぁー、あー」

 声は聞こえる、オトケシは今のところ来ていない。

 だが、もし浴室で対峙してしまったらどうしよう。浴室には窓がなく、出入口は一つだ。正面から相手を振り切り、声が出せる場所――母のいるリビングまで走る必要がある。浴槽につかっていればまずそこから出なくてはいけないし、シャワーを浴びている最中だとオケやイスが邪魔をしてちゃんと走れないだろう。


 ダメだ。どう考えても逃げられる手段がない。かといって力で勝てるわけがない。


 ただでさえ背の順で先頭だし、体力テストでも最下位常連である。オトケシがどういう存在が不明だが、勝てるビジョンは見えない。

 会ったら終わり。どんな抵抗をしても、為す術もなく食べられるに違いない。

 考えていると、だんだん呼吸が荒くなっていく。鏡を見ずとも、自分の顔が深刻になっていることが分かる。表情筋が硬直して、上手く動かせない。

 ダメだ……耐えられない……、ここにいられない……!

「お母さぁ~ん! 一緒にお風呂入りた~い!」

 恐怖に屈した花子は、洗面所から勢い良く飛び出し、母親を求めた。




 母親と一緒に入浴するのは久々だった。オトケシに狙われることはない、と思えるだけで、先ほどの緊張がウソのようにリラックスできた。


 美夜の話はすっかり忘れ、就寝の時刻となった。

 電気を消し、ベッドに入る。普段は目を閉じて数分もしないうちに眠り、気付いたら朝になっているわけだが、今日は違った。

 自分の部屋の静けさがどうも気になった。


 普段は何とも思っていなかったが、自分が音を立てなければ無音である。これ自体はごく普通のことだし、むしろ雑音が常に聞こえる部屋のほうが嫌だろう。

 しかし、今の私は無音故に寝られなかった。オトケシの話を完全に思い出す。

 寝ている間は意識がない。もしオトケシが来たら、気付くこともなく食べられてしまうのだろうか。もし気付いたとしても、寝ぼけた状態で何ができるというのだろうか。

 既に明かりは消しているというのに、心拍数は上がり、頭もどんどんと覚醒に向かっている。

「どうしよう……」

 一度寝てしまえばいいはず。考えまいとすればするほど、考えてしまう。寝られないという焦りも、また睡眠を阻害する。


 朝まであと何時間だろうか。それまでずっと、この恐怖が、まとわりつくのだろうか。




 花子は、またも恐怖に屈してしまった。母親の部屋に出向き、こびるような目つきを見せる。

「お母さぁ~ん! 一緒に……寝てい~い?」

「んんー? いいけどぉ。どうしたの花子。今日は随分甘えん坊さんね」

「うん……ちょっと……」

 オトケシのことを言うべきか迷った。オカルト趣味については母親も認知しているが、そのせいで寝られなくなったと告白するのが怖かった。言葉を濁らせたまま、ベッドに侵入する。人肌の温もりが心を癒やしてくれる。さらに母親を強く抱きしめた。


 温かい……とっても温かい……。


 触れ合うだけで、全ての不安を忘れられる。私は、母親がいる喜びを強く嚙みしめた。






 一晩たつと、だいぶ精神状態は安定を取り戻した。誰かと一緒にいるだけで良いというのは、大きな心の支えとなっていた。


 だが恐怖は発作的にやってくる。周りに人が居ないからといって、常に怖がっているわけではない。一度〈無〉を感じてしまうと、これまでの平常心がひっくり返され、居ても立っても居られなくなってしまう。

 オトケシの話は、旭菱考えないことにした。真偽を考えているだけで、気が狂いそうになるからである。

 いつ恐怖のトリガーが発動するかは分からない。いつまでもおびえていては生活に支障が出てしまう。どうにかして対策したい。

「はぁ……」

 また考えてしまった。考えたら不安が増すばかりだ。

 頬づえをついて外を見る。これまでは窓越しに大きな空を眺められたのだが、今は美夜がいる。

「花、顔色悪いよ?」

 目が合うや否や、美夜は心配そうな顔で尋ねてきた。

「え? そう?」

 心の不安が顔にまで出ているとは思っていなかった。

「うん、昨日よりなんだか……何かあった?」

 美夜は手を伸ばし、私の頬に添える。外は温暖な気候なのにも関わらず、手はひんやりとしていた。

「まぁ……ちょっと……。昨日の美夜の話聞いて、夜怖くなっちゃって」

「オトケシのやつ? それなら心配しなくていいよ。一人でいるからって、寝てる時まで襲うことはないから」

 ひんやりとした感触が、頬から肩、背中へと移動していく。何度かなでられると、そこが少しだけ温かくなった。

「ごめんね」

 美夜の声は、とても悲しそうだった。




 美夜のフォロー通りなら、夜中に怖がる必要はない。けれど、心配はまだ付きまとっていた。

 昼休み、校舎屋上前の踊り場に太郎と次郎を呼んで、昨日の出来事を話した。


「だから……! ウソだろウソ! 何でそこまでビビる必要があるんだ!」

 太郎の顔は鬼気迫るものがあった。シニカルな部分こそあれど、感情的に怒る所を見るのは初めてだ。

「わ、分かってるよ。私もウソだと思ってる……。でもやっぱ……こう、怖く感じちゃうんだよ」

 オトケシに感じる恐怖心は、真偽を超えたところにある気がしている。これを言葉で説明するのは難しい。

「まぁまぁ、怖いってのは理屈じゃないでしょうよ」

 次郎が間に割って入った。

「だからさ……私もこのままじゃ良くないと思ってるし、どうしよっかなって」

 一人では解決策は思い浮かばない。二人を集めたのも相談をするためだ。特に太郎はこういう時に頼りになる。

「要するに、心のどこかじゃまだ信じてるんだ。その化け物がいないことが証明できればいいんだろう?」

 既に太郎は、頭の中で策を講じていたようだった。




 放課後、また例の公園に集まった。木陰のベンチに四人は横一列になって座る。

「早速集会? 今日はどんな用事?」

 事情を一切知らせずに連れてきたせいか、美夜は少し困惑していた。

「何を隠そう、君が昨日話したオトケシについてだ。俺たちも結構興味を持ったからいろいろ聞きたいんだ」

 太郎の目つきは、美夜を試しているかのようだった。

「まず、オトケシはどこに住んでいるんだ? 君が掲示した二件は全く別の場所の出来事だ」

「転々としてるの」

 美夜の目が死んだように黒くなる。昨日と同じ、生気を感じられなくなってしまった。

「今はこの町にいる」

「ええっ……!!」

 背中に悪寒が走る。頭ではウソだと言い聞かせているのに、体の拒絶反応は逃れられない。

「へぇ……じゃあ、どういう所にオトケシは現れるんだい? より具体的に知りたい」

 太郎にとっては、想定の範囲内だったようで、動じる様子はなかった。

「何でそんな尋問みたいな聞き方をするの?」

 その態度が鼻に付いたのか、美夜は顔をしかめる。

「やっぱ太郎は口が悪い、いやぁ~な聞き方するよなぁ」

 悪い流れに進もうとしたところを、次郎が止める。優しくほほ笑んで、場を和ませようとする。

「僕たちは単にさ、オトケシに会ってみたいんだよ。だから会う確率を上げるようにしたいわけ」

 これこそが、太郎の考えたオトケシがいないと証明する作戦である。

 オトケシを出現させるために必要な条件を極力整え、それでも出現しなかったことを確認する。絶対ではないので言い逃れの余地はあるが、滅多に出現しないことを実際に経験することで、私も気にしなくなるだろう、ということらしい。口は悪いが、私のことをなんやかんやで想ってくれる、太郎らしい作戦だと思った。

 若干、不穏な箇所はあったものの、大筋の作戦は順調である。この町にいることまで言質を取れたのは好都合だ。

「会ったら終わりだよ? 絶対に食べられちゃうのに」

「そう。それでも会いたいの」

 口内にたまったツバを飲み込んで、私は言った。

「あのね、オトケシは本当に一人じゃないと現れないの。でも、そういう場所って意外と少ないじゃない? だから意外とオトケシの出る場所は限られるの。人気が無い場所……、絶対に部外者が出ない場所ってない?」

 美夜はこの町に来たばかりだ。だから具体的にと言われても難しいのかもしれない。

「……祭風病院」

 なので、具体例を出してあげることにした。これも想定の範囲内だ。美夜が場所を言えなかった時はこちらから場所を提案しようと、太郎と話し合った結果である。

「結構前に潰れて放置されてる、典型的な廃病院。怖いうわさすら立たないレベルでみんな近寄らない」

 この場所は過去に侵入したことがある。怪現象は起きなかったが、本当に人気がない。

「へぇ……、そこならオトケシが現れる可能性が高いね」


 決まってしまった。


 これで分かる。オトケシの話が真か偽か……。

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