その日世界中のマンホールの蓋が全て消えた

久芳 流

第1話 マンホール自殺

「やめときな、坊主」


 歩道沿いの縁石に座ったまま俺は少年にそう忠告した。

 賭けに惨敗し、火のないタバコを咥えたままぼぅと過行く時間も溶かしていた時だった。


 殺伐としたコンクリートの巣が立ち並ぶ都心の道路のど真ん中。

 通行止めで車がない歩行者天国で俺はそいつを見つけた。


 少年は蓋のないマンホールの前に立ちじっとそれを眺めていた。

 忠告をしたのは単なる気まぐれだ。


 少年は俺の声を認識しゆっくりとこっちを振り向いた。

 黒髪のキノコ過ぎない短いキノコヘア。

 年頃の子よりも小柄で痩せているが、目はくりくりと大きく利発そうな顔。

 年季の入ったボロボロの黒のランドセルを背負っている。

 どこにでもいそうないかにもな小学生だった。

 

「僕に言ったの?」


 大きな目を更に見開いて驚いている様子。

 話しかけられるとは思ってもいなかったのだろう。


「あぁ」


 俺はタバコを口から取って頷いた。

 それから口をゆっくりと開くと、


「『マンホール自殺』だろ?」


 決めつけたように少年にそう聞いた。




 ある日、世界中にあるマンホールの蓋が突然消えた。

 それ以来、マンホールを塞ごうとすると塞いだ物が3秒後にパッと消えてしまう現象が起きた。

 マンホールの穴を完全に閉じるように物を置くと、接している物も含めて消えちまう。

 世界中のどの研究機関が調べても原因どころか仕組みもわからない。

 だがその性質を利用したが流行った。


 それが『マンホール自殺』。


 段ボールやブルーシートなどを用意し、それに触れたままマンホールを塞ぐ。

 それだけで地球上からそいつが消えてしまう。


「――苦痛を感じずにお手軽な自殺方法だと一部界隈では騒がれているが、そんなのは嘘だ」


 おもむろに立ち上がり、タバコを投げ捨てて足で踏みしめる。

 少年はじっと俺の話を聞いていた。


「消える瞬間の奴らの顔を見たことはあるか?」


 みんな、恐怖に歪む。

 何か得体の知れないモノを見たかのように、な。

 地球上から消えただけで魂が彼岸に逝くとは限らねえ。

 きっと人間にとって凄惨な地獄がそこにはあるんだろうな。


「だからやめときな。死に楽なんてあるわけない。

 それに見たところ蓋代わりの物も持ってねぇな。

 坊主のちっこい身体だけじゃ消えることもできねぇよ」


 よくて下水道に落下だ、と俺はニヒルな笑みを浮かべる。


 そういう奴らも何人か見てきた。

 蓋代わりを使わず身体でマンホールを塞ごうとする奴ら。

 醜く足掻いてどうにかして塞ごうとするんだが、成功するのはデブくらい。

 終いには何かの拍子でマンホールの中に落ちちまって病院行きというオチだ。

 全くどいつもこいつも死への執念が強いというか何というか。


 とにかく。


 目の前で死なれたり大怪我されたり――ないとは思うが――消えられたりしたら面倒くさいからな。

 このまま少年には諦めてもらうことにしよう。


 だが、少年は俺の話を全て聞き終えると首を横に振った。


「別に自殺しようとは思っていないよ」


「ん? 違うのか?」


「うん。それに僕は坊主じゃないよ。セイタって名前があるんだから」


 そう言ってセイタはまたマンホールを見つめなおす。

 なんだ。勘違いだったのか。


「そいつは悪かったな、セイタ。早とちりだ。死なねぇなら別にいい」


 俺は早合点したことを詫び、


「せいぜい落ちないように気を付けな。あばよ」


 とその場を後にしようとした。


 あ、言っておくが。

 勘違いしたから居づらくなったということではないからな。ただの気まぐれだ。


 だが、後ろを振り返ったあと、


「母さんを待ってるんだ」


 というセイタの声を背中で聞いて足を止めてしまった。


「母ちゃんだぁ?」


「…………」


 少年は何も言わずじっとマンホールを見ていた。

 一瞬正気か。と考えたが、すぐに察した。


「あぁ、もしかしてお前の母ちゃん、自衛隊か医者か官僚か?」


 マンホールから人が消える事件が発生した後。

 お国はすぐに救出作戦本部を設置した。

 世界各地で同時多発的に起きたのも起因するのだろう。

 珍しく早い決断と実行で、自衛隊や医者、官僚などを組み合わせた調査隊を編成し――、


「消えた人を連れ戻すってあっちに行ったんだな」


 難儀なものだ。

 どこに行くかわからない。もしかしたら本当に死ぬかもしれないのに。

 まぁそのためのスペシャルチームらしいが、消えた直後に連絡が一切取れなくなり生死不明。

 おかげで政府には批判が相次いでいるらしい。


 まぁ仕方がない。

 ちょっと詳しく調べとけばわかったのに。

 海外に向けて見栄を張ったが故の結果だ。


「そりゃあ運がなかったな」


 俺は内ポケットからタバコの箱を取り出す。

 だがすぐに火元がないことに気が付いた。

「チッ」と舌打ちをするとポケットに戻し、代わりにため息を吐く。


「あっちに行った奴らはもう戻らない」


「…………」


「この数ヶ月、誰か帰ってきたのを見たか?

 マンホールに消えた奴らはもう死んだも同然」


 だから『マンホール自殺』なんて言うんだ。

 

「それこそ神にでも頼まねぇ限り戻ってこないだろうよ」


 まぁ無理だろうけどな。

 俺は自嘲気味に鼻を鳴らす。


 とにかく。

 セイタがこれ以上、マンホールを見続ける意味なんてない。

 気の毒だが、さっさと諦めてもらおう。


「だからさっさと――」


「でも……」


 さっきまで黙って聞いていたセイタだが、俺の言葉を遮って静かに口を開いた。


「でも待ってるよ。母さんは必ず戻るって言ってたから」


「わからねぇ奴だな。あっちに行ったらもうダメなんだよ。それとも神にでも頼むのか?」


「もしいても神様には頼まないよ」


「あ?」


 セイタは真っ直ぐと俺を見つめる。

 吸い込まれそうな真っ黒い瞳。

 その瞳に俺は一瞬たじろぐ。


「母さんが言ってたんだ。

『地球の危機かもしれないのに全然動かない神様は遊んでばかりの父さん並みに愚図の木偶の棒』」


「…………」


「僕のお父さんと一緒で頼っても意味がないんだって」


 何もかもに失望したような。

 そんな目つきに俺の心臓は握りつぶされたように圧力を感じ、自然と眉間に皺が出来る。


「だから神様には頼らない」


「……そうかよ」


 俺は吐き捨てるように踵を返すと、


「勝手にしろ」


 セイタを置いていく。


 何するつもりかだって?

 帰るんだよ。こいつと話しているとムカついてくる。

 今日まで色々散々だったんだ。帰って糞して寝ることにしよう。


 あーぁ。時間の無駄だった。

 話しかけるんじゃなかったぜ……まったく。

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