第8話 俺も覚悟ができたよ

「ちょっとソウタさん!」


 俺が殴られた後のことだ。

 大きな音を立てて派手に倒れた。

 そのすぐあと、大家さんが男の名を叫びながらリビングに入ってきた。

 明らかに心配そうな顔だ。

 チラチラとセイタのことも見ていた。


「暴れないって約束でしょ!?」


「息子の緊急事態だ! 大人しくしていられるか!」


 ソウタと呼ばれた男は倒れた俺を睨みつけている。


「父さん! やめて……やめてよ」


 セイタが泣きながらソウタの脚を掴んでいる。

 だが、ソウタは見向きもしない。


「この前、俺の後輩から連絡が来たんだ」


「…………」


「『セイタと知らない男が一緒にいる』って」


「…………」


「『怪しいから後をつけたら一緒にマンションに入った』って? 息子に何をするつもりだ?」


 俺は黙ってソウタの怒鳴りを聞く。

 父親としては真っ当な意見だ。

 自分の息子が知らない怪しい男と一緒にいるなんて聞いたらどんな父親でもそうするだろう。


「それよりよくよく調べてみたらセイタ、お前、今一人で暮らしてるっていうじゃないか」


 俺に怒るのと同時に脚に張り付いているセイタに矛先が向く。


母さんシオリはどうした!?」


「……母さんは……いま出かけているだけだよ」


 セイタの母親――シオリさんというらしいが――は現在、地獄へ行っている。

 マンホールに消えたと知ったら、この男ならもっと激昂するだろう。


「嘘をつきなさい!」


 だがすぐにセイタの嘘はバレてしまう。

 ソウタは俺を指差し、


「だったらこんな怪しい奴、家に入れないだろ!」


 と唾を飛ばし怒鳴りつける。


「それとも……あぁ……浮気か? そういえばよくよく見ればシオリのタイプだな」


「違うよ! このおじさんは僕の……友達……そう! 友達なんだ!

 母さんは関係ない!」


「セイタがこんな薄汚いおっさんと仲良くなるわけないだろ」


 泣きながら首を振るセイタの言い分に頭ごなしに否定するソウタ。

 頭に血が上っていて全く聞く耳を持っていない。


「とにかく。セイタ。お前をこんなところに置いておけない」


「…………え……?」


 セイタの動きが固まる。


「当然だろ。こいつは明らかに怪しい。

 セイタが気弱で優しいから無理矢理、押し入った薄汚い性犯罪者に違いない!

 そんな奴がいるところにセイタをいさせるわけにはいかない!」


「そんなことないよ! おじさんは僕が――」


「そもそも子供が親なしに一人で暮らしてること自体、おかしいだろ。

 そんなこと知られたらどうなるか。ほら、行くぞ!」


 そう言ってソウタはセイタの手を掴む。


「い、嫌だ! 嫌だよぉ! ここで母さんを待つんだ! 嫌だ!

 僕が出たらお母さんは! 母さんは……!」


 セイタは涙を流しながら必死にその手を離そうとするが、大人の男の力には敵わない。

 セイタの抵抗も虚しくソウタは無理矢理、手を引き部屋を出ようとしている。


 大家さんも、気の毒そうな顔をしているが、概ねソウタの言い分に賛成しているのだろう。

 ガキが一人で暮らすのは心配だ。

 いくら母親を待つと我儘を言っても子供一人の生活力では限界がある。

 それに大家さんが知らぬ間に、見知らぬ怪しいおっさんも入り浸っていた。

 それが俺の意志だろうがセイタの考えだろうが関係ない。

 リスクしかない俺達だ。

 いずれこうなるだろうことはわかっていたさ。


 気の毒だが、セイタは父親と一緒に生活した方がいい。

 マンホールに消えたやつは――地獄に行った奴はもう戻らない。

 母親は……もう戻らないのだから。


「おじさん……助けて……」


「!」


 ――バキッ!


「グッ!」


 ソウタの頬から大きな衝撃音が走った。

 その衝撃は俺の拳にも伝わった。


 俺は一体何を?


 大粒の涙を流し懇願するようなセイタの目つきを見た瞬間、身体が勝手に動いた。

 すぐに立ち上がり、ソウタの頬目掛けて俺は拳を振るってしまった。


 不意打ちを喰らったソウタは体勢が崩れ、掴む力が緩んだ。

 その瞬間をセイタは見逃さず、すかさず手を抜いた。


 まだ俺は混乱したままだが、もう戻れない。

 俺はセイタの手を掴むと、


「いくぞ」


 と一言セイタに呟くと、そのまま部屋の外へ。

 後ろで


「おい、待て! クソ……警察……警察を呼べ!」


 とソウタの叫ぶ声が聞こえたが、俺とセイタは止まることなく大雨の街の中へ繰り出した。


★★★


 警察の緊急配備は早々に整えられたらしい。

 俺とセイタは建物と建物の隙間に身を小さくして隠れ、ソウタや警察の追跡をやり過ごす。

 お互いに無言。

 警察たちの「こっちだ」「あっちだ」という声を聞きながら息を顰める。


 やがて警察たちの声が遠くなったことがわかると、


「はぁ……」


「ふぅ……」


 と二人で力を抜き息を吐いた。


「なんだか映画みたいだ」


 セイタはさっきまでのが嘘のようで、イベントごとのように楽しそうな表情だ。

 その呑気な感情に俺も「そうだな」と薄っすら笑う。


 そのままお互いに笑い合っていたが、


「父さんは……」


 セイタがポツリポツリと口を開き始めた。


「父さんは母さんと仲が悪くてね……別々に暮らしてるんだ」


 それはなんとなくわかっていた。


『遊んでばかりの父さん並みに愚図の木偶の棒』


 セイタと初めて会った時、言っていた言葉を思い出す。

 セイタの母シオリさんが言っていたセリフだ。

 この一言でなんとなく彼ら家族の関係が垣間見えた。


「僕が小さい頃にすぐに別れてね。あまり覚えてないんだけど、よく喧嘩してたのは覚えてる」


「…………」


「いつも勝手で、何もしなくて、外面だけ良くて、けど文句ばかり言って。

 よく母さんを泣かせてた」


「お前も父親は好きじゃないのか?」


「……そういうわけじゃない……とは思う」


 セイタは頭の中で色々と考えているようだ。

 考えながら言葉を選んでいるようで、ゆっくりと話してる。


「父さんとはそんなに話したことないし……でも母さんがいなくなったことも知らなくて僕に興味がない癖に、急に父親面するのは勝手だって思う」


「…………」


「結局、父さんは僕じゃなくて周りの人の評価しか気にしていなくて、僕を迎えに来たのも『せけんてい』のためなんだよ」


「…………」


「ねぇ、おじさん?」


 セイタは俺の方を見る。

 頬が震えていて、泣き腫らした赤い眼には涙が溜まっていた。


「母さん……もう戻ってこないのかなぁ?」


「…………」


「父さんと一緒じゃなきゃダメかなぁ?」


「…………」


「もう神様は……神様の『教え』を守っても……幸せになれないのかなぁ……?」


 大粒の涙を我慢して、母親のことを思い、この先を想像するセイタ。

 母親が教えてくれた神の言葉や教えの意味を信じきれなくなっている。

 そんなセイタを見て、俺はゆっくりと息を吐いた。


「セイタ……」


「?」


「セイタは良い奴だ」


「……急にどうしたの?」


「いや」


 なんでもない、と言葉短く否定して笑いかける。

 絶望していた俺を助けてくれた。

 部屋を与え一緒に遊び、楽しさを教えてくれた。


「『隣人を愛せよ』。良い言葉じゃねぇか」


 そんなセイタに何もしないのは『神』として気持ち悪い。

 その教え、にしてやろうじゃねぇか。

 俺はゆっくりと立ち上がる。


「俺も覚悟ができたよ」


★★★


「あら? いらっしゃい」


 ルシがいる場所――つまりは俺の元部屋にゆっくり入る。

 ルシは笑顔で俺を出迎えてくれる。


「今日は何しに?」


「交渉しに来た」


「賭けをしない人とは交渉しな~い」


 ルシはしっしっと手を振り、スーツ姿の悪魔を使い俺を追い出そうとする。


「待ってくれ!」


 だが、俺はそれを止める。


「賭けももちろんしに来たんだ」


 ルシは意外そうな顔をして俺を見た。


「あら? もう賭けるものはなかったんじゃない?」


「いいや。まだあるさ」と俺は首を振る。


「じゃあ何を賭けるの?」


 ルシの質問に俺はゆっくり息を吐く。

 もう覚悟はできた。

 これで全てを終わりにしよう。


「俺の権能全てだ」


 ルシの口角が歪に上がった。

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