第2話 カジノテーブルの奥で

 蛍光灯の灯りが明滅するうす暗く長い廊下をまっすぐゆっくりと突き進む。

 反響する足音が嫌に耳にこびりつく。

 額から脂汗が滲み出てきた。


 これから会う奴は出来ることなら会いたくない。

 話す事すら億劫で面倒臭い。

 だが会わなきゃいけない奴だ。


 しばらくすると、扉が目の前に現れた。

 どうやら着いたようだ。

 隙間から光が漏れ出ていて、扉を叩くと重い金属音が鳴り響いた。


「は~い」


 奥から聞き馴染みのある艶めかしい嫌な声が聞こえた。

 俺は苦虫を噛み潰したような表情をしていただろう。


「……入れてくれ」


 そう言うや否や、すぐにガチャという音が鳴り響き扉が内向きに開いた。

 辺りを光が包み目の前が真っ白くなり、思わず目を細める。

 刺すような痛みを感じつつだんだんと目を鳴らしていくと、黒のスーツを着てサングラスをかけた男に出迎えられた。

 俺が彼を認識すると、すぐに男は端に寄った。


 どうやら入れ、とのことだ。


 俺は真顔で足を進め彼の横を通り過ぎると、

 

「いらっしゃ~い」


 正面にあるカジノテーブルの奥で座る少女にそう声を掛けられた。

 テーブルに小さな手を置き、妖艶とも無邪気とも表現できるような笑みを浮かべている。

 黒いショートボブの髪、血のように紅い大きな瞳。

 十かそこらの年端も行かない少女の容貌をし、ゴシック調の黒いドレスを着込んでいた。


 テーブルには黒っぽい金属製のコインがタワーになっていて、その横にトランプカードやルーレットなどのカジノらしいゲームが置かれていた。

 少女はその場にあるトランプを拾うとシャッフルしながら


「今日は何して遊ぶ?」


 と俺にそう聞いてきた。

 その声は鈴のように心地良く気持ちが悪い。


「いや……今日は違う……」


 だが、俺は真剣な顔をして首を振る。


「あら……そう」


 意外そうな表情。「残念だわ」とでも言いたげにカードをテーブルに置いた。


「じゃあどんなご用かしら?」


「それよりも。なんだその姿は?」


「あら?」


 少女は自分の衣装を見せるように手を大きく広げ俺に笑いかける。


「可愛いでしょう? 最近のお気に入りなの」


「あぁ。お前じゃなかったら、な」


「こういう時は嘘でも可愛いって言わないとダメじゃない?」


「うるせぇ。のお前を知ってるんだ。嘘でも気持ちがわりぃ」


「つれないわねぇ」


 つまらなさそうに少女は頬杖をつく。

 だが、着替えるつもりは毛頭ないようだ。


「まぁいいわ。そういう人だっていうのは昔から解っているから」


 許してあげる。少女は諦めたようで楽しげな笑みを浮かべた。


「……それで、話なんだが」


「嫌よ」


 話を遮るように少女は拒否をする。


「可愛いって言ってくれない人の話なんて聞いてあげない」


 話が違う。


「……さっき許すって言ってたじゃねぇか」


「それとこれとは話が別。許すとは言ったけど、それはあくまであなたの態度に関して。

 イコール話を聞く、ということではないわ。

 ほら。あなたが会いたいって言うから、あなたの代わりにわざわざこの場に来たというのに。

 ただ話を聞くだけっていうのはフェアじゃないでしょう?」


 何ごとも交換条件じゃない? と艶やかに目を細める。


 相変わらず悪魔だ。

 そんな少女を見て改めてそう思う。

 けれどここでイライラしてはダメだ。

 俺はストレスを全て吐き出すように息を吐き肩の力を抜く。


「……何が望みだ?」


「話が早くて助かるわ。そうねぇ」


 少女は考えるようにあざとく指を顎につける。


「久しぶりに名前で呼んでもらおうかしら?」


「は!?」


「名前よ、名前。昔みたいに『ルシ』って呼んで」


「冗談じゃない!」


 部屋中に吐き捨てるように言ったその怒号が響き渡る。


「あら、どうして? ただお名前を呼ぶだけよ? 簡単でしょ?

 ほら。リピートアフターミー。『ルシ、今日も可愛いよ』って」


「誰がお前の名前なんか……! ってかどさくさに紛れて要求が増えてるぞ」


「ならいいわ。交渉は決裂」


 お帰りだそうよ、と少女は扉前に立つスーツの男に言う。

 すかさず黒スーツのズボンが擦れる音が後ろから聞こえ、


「うわぁ待て待て。落ち着け!」


 俺は慌てて静止するように手を前に突き出す。

 今ここで話ができずに追い出されるのは勘弁してほしい。

 だったら。


「呼べばいいんだろ? 呼べば」


 俺のちっぽけな嫌悪感プライドなんてどうでもいい。


「……ル」


「ル〜?」


「ルシ……き、今日も……か、可愛、い……よ?」


「わぁ!」


 苦し紛れで途切れ途切れだった俺の言葉には手を合わせパァと表情を明るくする。


「ありがとう。あなたも素敵よ」


 一気に疲れが噴き出てきた。

 すぐに話をして早々に終わらせよう。

 俺はふぅとため息を吐くと、


「じゃあ話を聞いてくれ」


「いいわよ。あなたのおかげで今はとても気分が良いから」


 本当に機嫌の良さそうな表情でルシは明るくそう答える。

 今ならどんな話でも会話が成り立ちそうだ。


 じゃあ遠慮なく。

 意を決して俺は口を開いた。


「そろそろ地球の子たちを返してくれないか?」


「無理ね」


 即答だった。

 その回答が来ることは折り込み済み。

 即レスだとは思わなかったが。


 込み上げてくる怒りをグッと胸に堪え、


「なんでだ?」


 努めて冷静にそう問う。

 その問いにルシはニンマリと口角を引き上げる。


「前にも言ったはずよ。彼らはで私のところへ来たって」


「いや、違う!」


 そこははっきりと否定する。


「彼らにお前が意味しているような――」


「ルシ」


「……ルシが意味しているような意志なんてなかった」


「でもここから脱出したいという意志はあったのでしょう?」


「だとしても、その先がなら騙したも同然だろ! みたいに」


「騙した……? 人聞きの悪い。

 私はただ契約に則っただけよ――特にあなたに関しては。

 そうでしょう?」


 そう言うと、俺を見ていたルシの紅の瞳が歪に細くなった。


「地球の神様?」


 俺の胸がドクンと跳ねた。

 カジノテーブルにある鉄のコインタワーが蛍光灯の光で反射した気がした。

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