第4話【完結】狂乱の刃

 治郎左衛門は万字屋と蔦屋の詫びを受け入れた。

 考えてみれば、ごろつき同然の輩である栄之進から毒のある言葉を投げつけられただけのことなのである。

 万字屋らの言うとおり、「たまたま八ツ橋の座敷に栄之進が上がりこんでいただけ」で、恐らくそれ以上でも、それ以下でもないのやもしれぬ。


 八ツ橋に未練が残っていた治郎左衛門は、幇間らの機嫌取りで旧怨を忘れ、再び万字屋の客になるのみか、妓楼の改築に関する千数百両の費用まで引き受けることを約した。

 すべてが目論見どおり、否、思った以上に事が運び、吉原の牛頭馬頭ごずめずらは内心ニヤリとほくそえんだ。

 

 三月三日の節句、万字屋の普請が落成したという報告を受け、治郎左衛門は江戸吉原に赴いた。

 なるほど、まばゆいほどに立派な妓楼に生まれ変わっている。

 その落慶祝いに、治郎左衛門は芸妓、幇間を総揚げして、終日こころよく遊んだ。

 頃合いを見計らって、蔦屋の悪女将がおべっかを使う。

「うちでも、旦那のためにお膳をととのえておりますので、ちょいと息抜きに寄ってくださいな」

 無論、遊興費をたっぷりせびり取るためである。


 治郎左衛門は鷹揚おうようにうなずき、万字屋をあとにした。

 すると、遊び人風の男のうしろ姿が、ふと目の端に入った。縮緬ちりめんの着物に黒八丈の長羽織をぞろりと着込んでいる。

 間違いない。それは能役者である栄之進の伊達姿だ。

 治郎左衛門がこっそり後をつけると、なんと万字屋に入って行くではないか。

 妓楼の中から八ツ橋の嬌声が漏れ聞こえてきた。

「さっき、お化け治郎左が帰りんした」

 つづいて栄之進の下卑た声。

「へへっ。そうかい。では、しっぽり濡れて春の道行きとしゃれようぜ」


 ――ハメられた。みんなでグルになって、わしを罠にハメたのだ!

 と、気づいた次の瞬間、治郎左衛門の眼は血走った。完全に狂人の眼であった。

 治郎左衛門は蔦屋に駆け込み、預けていた村正の道中差を手にするや、万字屋へ斬り込んだ。

 まずは八ツ橋と栄之進である。

 治郎左衛門は大階段をタタッと駆け上がった。

 二階の座敷では、真っ裸の八ツ橋と栄之進が、真紅の夜具の上で絡み合っていた。


「ようも、ようも……このわしをだましたな!」

 治郎左衛門は村正を振りかざし、八ツ橋の白粉おしろいを塗り込んだ首を刎ねた。真っ赤なみおを引いて、首は天井までふっ飛んだ。

 と同時に返す刀で、恐怖におののく栄之進の顔をめった斬りにした。

 人形のような能役者の顔を斬りさいなみながら、治郎左衛門は狂ったように笑っていた。

「どうじゃ。これでどうじゃ。ハハッ、わしより醜い顔になっておるぞ」


 治郎左衛門は万字屋の亭主、蔦屋の女将の顔も村正でめった斬りにした。二人の顔は、無惨にも斬り刻まれて骸骨がさらけ出ていた。

 その後も、治郎郎左衛門は笑いながら、狂乱の刃を振りまわし、顔なじみの幇間らを見つけてはなます斬りにした。狂人だけに手がつけられない。


 しかも、次郎左衛門の瞋恚しんいが乗りうつったのか、その腕が動くよりも先に、村正のほうが勝手に狂い動き、当たるを幸い、色界の下衆げすどもの顔を切り刻んでしまうのだ。まさに血に飢えた妖刀であった。

 治郎左衛門の凶刃に命を落とした者二十余名、傷ついた者三十余名。ほとんどの者が顔を割られていた。これが世にいう「吉原百人斬り」である。


 後世、次郎左衛門のこの狂乱劇は歌舞伎にも取り上げられ、「籠釣瓶かごつるべ村正の祟り」といった演目の芝居となっている。

 なお、次郎左衛門は吉原仲の町から江戸町へ曲がろうとする角の林屋はやしやという茶屋の前で召し捕えられ、大岡越前の取り調べ前に、伝馬町の牢屋で獄死した。

 死ぬ前に、笑ってこう言ったという。

「わしより醜い顔にしてやったわ。どいつもこいつも、ふた目と見られぬ無惨な顔にしてやったわ。ハハッ……因果応報、顔の祟りよ。ハハッ……」


 ――了

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吉原百人斬り 海石榴 @umi-zakuro7132

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