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 さて、事件後のドタバタが一通り済んだところで、㓛刀は夏季短期アルバイトへ申し込んだ。履歴書を書くのも初めてなら、面接だって初めてで、非常に戸惑い、緊張したが、無事に対価として金銭を得てきた。


 自分で働いてお金を得るのは、自尊心の向上に大変良い。㓛刀は新発見をした気分だった。


 そして今、㓛刀は紙袋を手に、少々緊張気味に歩いている。目的地は、千石のいる、自宅の目の前の神社だ。


 鳥居の前で一礼をしてくぐる。参道は、真ん中を避けて歩いた。改めてネットで調べたら、そういうように書いていたからだ。ここの神様はそんな些末なマナーにうるさいとわけではないのだけれど、こういうことは敬意を行動にして表す方法なのだから、倣っておくに越したことはない。


 手水で手を清め、賽銭箱にコインを投げ入れる。カタン、コロコロと、転がる音が耳に心地いい。


 手を打ち鳴らす。そして、目を閉じる。


 願いごとは当然、

「千石さんに逢えますように」

 だ。


 今日は、彼女に会うために、ここに来たのだ。

 だが。

 これでもし、目を開けたときに、千石がいなかったらどうしよう。

 㓛刀はここまで来て、急に不安に駆られた。

 けれど、そのときは、そのときだ。会えるまで何度でも通うまでだ。㓛刀はそう思いなおした。そして、無気力で何でもすぐに諦めていた自分が、そう居直りともいえるほどに強く願えること、行動を起こせることに対して、変わったと、成長できたのだと、誇らしくも思った。


 目を開けた。


 はたして、千石は、そこにいた。


 いつかのままの、花柄のシャツと、黒いロングスカートの姿だ。宙にふわふわと浮くわけではなく、地に足で立っている。夏の風が千石の髪を揺らして、日差しが千石の目をまぶしそうに細めさせている。


「お久しぶりです、千石さん」

「久しぶりだな、㓛刀」


 鈴の音色のような可憐な声も、変わらない。その中に含まれる㓛刀に対しての信愛も、変わらず、㓛刀の胸に染みこんでくる。


「事情聴取、ひととおり、済みました」

「そうか。お疲れ様だったな」

「これから刑事裁判だそうです。余罪も多い上に身元も不詳なので、裁判だけでも長期になりそうだということです」

「まあ、そうだろうな」

「ミハイルとの会話の録音、山田全の免許証、それからあの神社の夜の会話も、証拠品として警察に無事に受理されました」

「それはよかった」

「それから、僕は、日本国籍を取得する準備をしています。数橋さんに紹介してもらった区役所の担当の人や、弁護士さんにいろいろ手続きを教えてもらいながら。両親が死亡していたり、父親に認知されていなかったりで、日本人として戸籍登録されるまではまだかかりそうですけど」

「……そうか。㓛刀が、それがいいと思うなら、私もいいと思う」


 ここまでは、現状報告だ。なにも緊張もすることもない話だ。

 本題は、これから。㓛刀は、唾をのんだ。のんでから、ああほんとに緊張すると、人って無意識に唾をのむものなのだと、感心した。


「千石さん、これ、受け取ってください」

 㓛刀は、手に持った紙袋を、千石へ差し出した。


「服です。ちゃんと自分で働いてきたお金で、千石さんに似合いそうなものを選んできました。その、服を買いにいくときは、あの、大学の友人に付き合ってもらって、相談しながら選びましたし、それから土佐さんにも見てもらって、変じゃないか確認してもらったので、おかしくはないはずです。……と思います」

「……㓛刀が、買ってきてくれたのか」

「はい。それで、その、それを着て……」


 㓛刀はもう一度、唾をのんだ。


 拒否される想像なら、今日までに何度もした。けれど、そのたびに、とにかく伝えてみなければわからないことだと、自分を奮い立たせてきた。


「千石さんを、友達に、彼女だと、紹介させてください」


 千石は、大きな目をさらに大きくしている、まんまるで、びっくりしたときの猫のようだ。

 言葉が返ってこないことに、㓛刀は焦る。


「あの、つまり、付き合ってくださいと言うことなんですけど、すぐとかそういうのじゃなくても、ただその、たまに会ってくれたら嬉しいですし、前みたいに一緒に歩いたり、コーヒーを飲むとかだけでもいいんです。それで、その……」

「その、一緒に歩くための服を買ってきた、というわけなのか」

「そう、それなんです」


 㓛刀はもちろん、告白なんて初めてだ。だから、恥を忍んで友人に相談し、あらかじめどういうセリフを言うのかなんて考えてきた。土佐にも、服のデザインについてもそうだが、そのシナリオにも女性の目から見ておかしくないかをチェックしてもらっている。だというのに、これっぽっちも、練習した通りには喋ることができなかった。焦って、まるで頭の中は真っ赤に染まったような気がして、でもなんとか、目の前の女の子に少しでも良いように思ってもらいたくて、必死だ。


 千石は、それも見透かしているのだろう。まるで㓛刀を落ち着かせようとでもするように、白い睫毛をゆっくりと上下させて、緩やかなまばたきをする。その後に、くちびるを開く。


「私とお付き合いなんかしたら、あらゆる面で『普通』ではなくなるぞ。㓛刀は、『普通』に生きていきたいんだろう?」


 婉曲的なお断りか。以前の㓛刀ならそう自分勝手に解釈をして、真正面から向き合うことから逃げ、振られたと自己完結をするような、そんなどっちつかずの曖昧な返答だ。

 けれど、㓛刀は迷いもせず、すかさず、説得を試みる。


「僕にとっての『普通』は、千石さんが隣にいることです」


 ひたむきさは、心を通わすのにとても重要なファクターだ。

 千石の細い指が、紙袋を掴んだ㓛刀の手に触れた。そのささやかな感触に、㓛刀は息をのむ。

 㓛刀の指からは紐が外される。千石の手に渡る。


「古来から、神と人が交わる例はいくらでもある。が、どの例でも、人間側が人間として通常の人生を歩めたわけではない。㓛刀は、それでもいいというのだな?」

「もちろんです」


 㓛刀は、紙袋のなくなった手を、千石に差し出した。握手を求めている形だ。恋する女性に対して、抱擁でも、キスでもなく、握手。それが今の㓛刀には精いっぱいで、背伸びのない、純粋な欲だ。


 千石は、花がほころぶように微笑んだ。大輪の花が咲くまでのタイムラプス動画を見たことがある。まさしくそれを思い出させるような、胸を打つ笑顔だった。その白磁の頬に、ぱあっと赤みがさす。花びらが色づくようなそれは、人間離れしていた千石の容色に、血の通ったいきものとしての生々しさを与えた。


「私はな、㓛刀、オマエが小さいころから見ていたんだ」

 㓛刀の手に、細い、柔らかな手が滑り込んできた。ひんやりとして、すこし湿り気がある。

「……それは、遅くなってすみませんでした」

 㓛刀はその手を握り返した。


 ほんの少し前は、この世でたった一人残されたと、孤独で世を儚んでいた。それがどうだろうか。今は、彼女と生きる未来に、目の前に一本通った道を進むことに、心を躍らせているのだ。

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ぼくのふつうが剝がれる日 武燈ラテ @mutorate

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