24
山田の逮捕以降、警察署で数日にわたり何度も聴取を受けた。
細かく話を聞かれ、それを警察官がメモを取る、そういう、いわゆる事情聴取がひととおり終わるまでも長かった。
それが終わると、小さな部屋に連れていかれて、マジックミラー越しに山田と対面した。もちろん向こうは㓛刀がそこにいることなど知らないが、見知らぬ刑事から、
「この男で間違いないか」
と確認を取られた。
山田は、ほんの一晩、二晩、それくらいの間にすっかり目も落ち窪み、憔悴したような姿になっていた。こちらは見えていないはずなのに、警戒心をあらわに、怒っているのか、恐怖なのか、そわそわと周囲をうかがう様子を見せ、不安定な精神が見て取れた。
確認をするも何も、長年の付き合いのある男に見間違いなどあるはずもない。が、警察もお役所だ、そういう手続きが必要なのだろう。
「はい、間違いありません」
そうひとこと、答えるだけで、すぐに部屋から出ることができた。
それから、襲われたときの状況の再現にも協力した。どう近寄ってこられたか、山田がどちらの手にナイフを持っていたのか、斬りかかられて、どうよけたのか、などだ。
それは千石がいない分、かなり嘘が入ってしまう。その嘘の演技を、何人もの警察官の前でやるわけだ。山田役となった警察官を相手に取っ組み合いをすることにもなるので、内心はひやひやだった。
その場には数橋も同席していたので、助け舟でもよこしてくれたらいいのにと恨みがましく思ったが、後で聞くと、
「口を出したら、被害者の証言を誘導したというふうに取られて、後々刑事裁判で不利になることもある」
ということだったので、そういう事情もあるものなのかと㓛刀は納得した。
「ああ、そうだ、達矢君、腕時計を返しておく」
再現を済ませ、帰宅するために庁内の廊下を歩いている際だ。まるでついでのように数橋がそう言う。
「おい、おまえ、ちょっと取ってきてくれ」
と言われて先ほど犯人役をしてくれていた男が、さっと駆け出し、すぐに戻ってきて、数橋に、あの見覚えのある紙袋を手渡した。
「一応、間違いがないかこの場で確認をしてくれ」
㓛刀は紙袋から、小箱を取り出す。蓋を開ける。中身は見た記憶の通りの、銀色の腕時計だ。そして、内箱の中には、ちゃんと写真も納まっていた。
「はい、確かに。ありがとうございます」
「ありがとうございますって、こっちが借りてたんだがな」
数橋は少しおかしそうに表情を緩めた。鉄面皮のように見えるこの人も、近頃は㓛刀に対して、こうして気安い態度を取ってくれるようになってきたのだ。
「きちんと返していただきましたから」
写真までもきちんと返ってきたのは嬉しかった。これは唯一の、家族写真なのだから。
数橋は、少しばかり逡巡するような間を取った。それから、
「まあこんな廊下の真ん中でする話でもないし、俺が口をはさむような話でもないんだが」
と前置きし、
「その時計からは皮膚片もなにも、一切出てこなかった。あらかじめ、科捜研に提出されることがわかっていたようにな。まあ、その覚悟があって、一切の証拠にならないように念入りにクリーニングでもしたうえで、近衛もこれを遺したんだろうが」
と語りはじめた。
「どういうことですか?」
㓛刀はたずねる。
「国内メーカーの最高峰、しかも限定品で、今でも人気の高い型だ。中古だが、きれいに使われているし、売れば今でも百五十万くらいにはなる、とうちの課の時計マニアが言っていた」
「百五十万?」
㓛刀は驚いて、まじまじと時計を見た。そんな高級品には、とても見えない。武骨で、多少の衝撃では壊れなさそうだが、その分スタイリッシュとは言えないデザインだと、㓛刀には見える。
「近衛達夫は口ふうじをされたが」
「……はい」
突然に話題が変わったように思えて、㓛刀は首を傾げた。
「口ふうじをされたということは、ミハイルを裏切った、または裏切るつもりだったということだろう」
「父は、足抜けをしようとしていたっていうことですか?」
「これは俺の想像だ。真に受けなくていい。だが老婆心で、ちょっと口をはさみたくなった。近衛ルートではやはりどう捜査しても、たいした情報は流れていない。それは近衛が、英玲奈という弱みを持ちながらも、ギリギリのラインで抵抗していた、そういうことだろう」
「抜けられないけれど、決定的な情報は与えないようにしていた、ということですね」
「ああ、そうだ」
数橋はうなずく。
「ああ。そんな男が、口を封じられる危機を感じたときに、つまり死を目前にしたときに、誰かに何か遺したいと考える。だがその人物には会うこともできず、話をすることもできない。会えば自分の犯罪行為に巻き込んでしまうからだ。せめても養育費をと考えたところで、金が動けば警察の捜査で簡単にルートをたどられる。口座間送金はもちろん、現金にしようが間に何か噛ませようが、金の移動を追うのは警察も慣れてノウハウがあるからな。ではどうしようか。手持ちの中から、せめて価値のあるもの、大事にしているものを贈ろう。そう考えても不思議はないと、俺は思う」
㓛刀はあらためて、時計を見た。やはり㓛刀にはよくわからない。そんなに高級品なのか、大事に使われていたのか。
けれど、そういう考え方をすれば、これは、『見知らぬ男が残したもの』ではなく、『事情があってどうしても会えなかった父が、せめてと遺してくれた大事なもの』になるのだ。
事実はもう、わからない。故人にたずねるわけにもいかない。どうせ永遠にわからないのだ。だったら、都合のいいほうを信じていたい。
「……数橋さん、ありがとうございます」
「まあ、男親ってのはな、なぜか、子どもに腕時計を贈りたがるもんなんだ。ありがたくもらっておけ」
「ええ、もちろん、大事にします。父の遺品ですから」
㓛刀は時計をしまい、紙袋へ戻した。大切な宝物ができたのだ。
できれば、会いたかった。㓛刀は、心からそう思った。
「ああ、そうだ、数橋さん、相談に乗ってもらいたいことがあるんですが」
㓛刀がそう切り出すと、数橋はまた表情を緩めた。
「ちゃんと相談できるようになったじゃないか。成長したな」
「山田さんのことだって、ちゃんと相談したじゃないですか」
「タイミングが遅い」
「それは、……そうなんですかね?」
「山田の背乗りが確定的になった時点……いや、その前の、ミハイルと最初に接触した段階にはもう相談にきてほしかったな」
確かに以前、数橋から言われていたのだ。誰か見知らぬ人間が接触をしてきたのなら、すぐにでも連絡してほしいと。すっかり忘れていたが。
「……次からはそうします。で、相談と言うのはですね、国籍のことなんですけど、僕って、今からでも日本国籍を取ることはできるんでしょうか」
数橋は、予想していなかったようだ。少々面食らったように、㓛刀を見る。
「……ああ、そうだな。俺はそのあたりの、国籍取得の要件だとか、手続きには詳しくないから、専門のやつを紹介してやろう」
「お願いします」
㓛刀は深々と礼をした。
気持ちだけでなく、書類上も、自分の立ち位置を明確にしておきたい。㓛刀にとっては、決意表明のようなものだ。
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