風が心地よかった

入間しゅか

風が心地よかった

 ショートケーキは残しとくからいちごはもらうねと言って、シマダはケーキの上に乗ったいちごだけを食べた。春ってのは冬の終わりで夏の前触れなんだけど、長いトンネルを抜け明るくなった視界に驚いているうちに終わるような季節。その急に開けた視界に色がたくさんあって、初めて見る色だと思わず見惚れていると、途端にありふれたものになって夏がくるわけだ。あの時、シマダは夏が来るまでにたくさんの色を見るんだと言った。

 シマダと春休みの初日に会う約束をしたのは、卒業式の後片付けの時だった。卒業式の前日はきれいに整列していたパイプ椅子が、卒業式後には列がガタガタだった。もうゆがんだ列を正す必要がなく、黙々とパイプ椅子をたためばいいのだ。パイプ椅子をたたんでいると先輩たちが卒業したこと、次は自分が三年生であることが実感を持って思い起こされ、片付ける手がなんとなく急いだ。片手に二脚ずつ合計四脚のパイプ椅子を持ち、よろけながら歩くシマダを見かけて、ぼくは持つよと言った。大丈夫とシマダは断ったが、立ち止まったり、落としそうになっているので、見兼ねて二脚引き受けた。まだまだ椅子あるんやし序盤で無理すんなよと言ってやると、シマダは大丈夫とだけ言った。椅子が片付くとフロアシートだった。女子も男子も蹴ったり、転がしたり、はしゃぎながらシートを丸めていた。ぼくははしゃぐ彼らをどこか遠くから眺めている感覚で見ていた。窓から入る陽の光にチラチラと埃が反射していた。すると、手伝ってと後ろから肩を叩かれた。振り向くとシマダが床のシートを指差しいた。ねぇ、きみ、ケーキ食べたい?二人で並んでシートを丸めている時、シマダは言った。ケーキ?とぼくは聞き返す。うん、ケーキ。食べたいって言ったら?食べに行かない?ぼくと?そりゃきみに話しかけてるんだから。そこまで話したところでシートの端に到達した。

 いちごのなくなったショートケーキを見ている。ショートケーキきらい?とシマダは不安気にこちらを窺いながらいちごを頬張っていた。ぼくは首だけ振って答える。ぼくたちはシマダ曰くショートケーキがおいしいと評判の喫茶店にいた。店内で食べたかったのだが、シマダはテラス席の方が気持ちいいからと半ば強引にテラス席を選んだ。ぼくは言われるがままにショートケーキとアイスコーヒーを頼み、シマダはホットココアを頼んだ。テラスには花壇があり、名前の知らない色とりどりの花が競い合うように咲いていた。自分だけ食べるのはむず痒いのでいちごだけでいいん?と訊いたのだが、シマダは風が気持ちいいねと質問には答えなかった。風は気持ちいいというより強めの北風だった。春だねと独り言のようにシマダは言った。なんでぼくたちはこうもあっけなく春を迎えるんだろうとなんの脈絡もなく思う。地層みたいなショートケーキの断面をフォークで削って食べる。うまい。北風に花壇の花が激しく揺れているのを、シマダは無言で眺めていた。そして、思い出したようにこちらを向いておいしい?と訊いた。ぼくはうなずく。来年はぼくたちが卒業なんやなとなんとなく思ったことが口からこぼれた。シマダは何も言わずにココアを一口だけ飲んだ。ショートケーキを食べながら、ぼくの人生もこんな風に削れていってる最中な気がした。大袈裟だと笑われる気がして言わないけど。お世話になった先輩へ寄せ書きを書いた時、お世話になりましたしか言葉が出てこなかったこと不意に思い出す。ねぇ、春ってすぐ終わっちゃうんだよ。だから、夏が来るまでにたくさんの色を見るんだ。花壇の花を見つめてシマダは言った。その目は花壇の花を見ているようで、もっとどこか遠くを見ているようにも見えた。ぼくは最後の一口になったショートケーキにフォークを刺した。

 ぼくたちは喫茶店を後にして、ぶらぶらとどこに行くでもなく歩いた。二言三言話しては黙り、またポツポツと話した。進路のこと、部活動のこと、後輩のこと、嫌いな先生のこと。取り留めのない話をすればするほどに春が終わっていく気がした。通りすがりの公園には桜が咲いていた。いろんな色が空気中を漂っている。ショートケーキの甘さ、食べなかったてっぺんのいちご。ぼくの真上には呆れるほど高くて広い空がある。シマダはきみに声をかけてよかったと言った。ぼくは暮始めた空を見上げ、ぼくでよければいつでもと答えた。ちょっとだけ風が心地よかった。

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