森で寿司食うメガネ
鐘古こよみ
【三題噺 #10】「森」「寿司」「メガネ」
「
汗ばむ日も増えてきた葉桜の季節。
県立
一枚のコピー紙を事件の証拠写真のごとく頭上に掲げ、やや頬を紅潮させてこちらを睨みつけている。何の用かは不明だが、怒っている姿も可愛いらしい。
「先輩、今日からポニテですか。初夏万歳ですね」
「開口一番何を言っているのよ君は」
昼下がりの教室はランチの残り香に満たされていた。
俺の机につかつかと歩み寄る晴香先輩の姿に、クラスメイト達の視線が一瞬だけ集まって、すぐに四散する。
何を隠そう、俺は文藝部の幽霊部員なのだ。晴香先輩が事務連絡のために教室を訪れる姿は、進級後の新しいクラスでも既にお馴染みの光景となっている。
「せっかく来てくれたのに残念です。俺、もう弁当食い終わって……」
「ランチの誘いじゃありません。この原稿は何って聞いてるの!」
パンッと小気味の良い音を立てて机に叩きつけられた紙には、短い文章が印字されていた。よく見ればそれは、先週データで提出したはずの、俺が書いた小説だ。
タイトルは『森で寿司食うメガネ』。
ペンネームは本名が
その文字数たるや、短文投稿サイト用に書かれたのかなと思うほどの短さだ。
夏・冬と年間二回発行される部誌には、どれだけ透明度の高い幽霊部員であろうと、必ず原稿を提出しなければならない不文律がある。
自由に書きたい人はそうしてもいいが、まだ文章を書き慣れていない新入生や、晴香先輩目当てに入部した俺のような輩は、部誌ごとに設定されるテーマに沿って書くことを推奨されていた。
そのテーマが今回は、「森」「寿司」「メガネ」という三つの言葉を本文中に入れて書こうという、“三題噺”だったのだ。
難しければ、その中の一つか二つの言葉を使うだけでも許される。
だが俺にも、幽霊部員二年目という自負がある。
そろそろ晴香先輩に才能の片鱗を感じて好きになってもらいたいという打算もあり、敢えて真っ向勝負をかまし、それなりに打ち勝ったつもりだったのだが……。
「何か問題ですか?」
「わからないなら、自分でもう一度よく読んでみなさい」
俺は素直に原稿に視線を落とした。そこにはこう書かれていた。
『寿司を食おうと森に言ったら、はしを忘れたので取に戻った。
戻ったら寿司がなくて、メガネが置いてあった。
仕方ないので、かけてみた。
寿司はどこに行ったかな。
終わり。』
俺はため息をついた。これが処女作? 天才ではなかろうか。
ちなみに一年生の時は二回とも、交通安全の標語みたいな川柳を書いてお茶を濁した。そこからの成長度合いを加味しても、これは褒められるべき成果だと思う。
しかし晴香先輩は俺のため息を、別の意味に受け取ったらしい。
「わかった? ね、ひどいでしょ? 君の原稿ときたらタイトルの意味もわからないし、誤字脱字もあるし……」
「誤字脱字」
俺は目を皿のようにして原稿を眺める。本当だ。でも直すの面倒くさいな。
「先輩、ご安心ください。これは完全に計算の内ですよ」
「今、なんて言った?」
「主人公は寿司を食おうと、友達の森君に『言った』んです。そして『取』という場所に戻った。そこが地名か、店名かは読者の想像に任せますが」
晴香先輩の唇の端がピクピクッと引きつった。
「……そう。なら、そういうことにしておきましょ。
でもね、それならタイトルはどうして、『森で寿司食うメガネ』なの?」
しまった。そう来たか。
俺は脳細胞を総動員して、なんとか修正を免れる術を考える。
結果、小説投稿サイト“カクヨム”のことを思い出した。今回の原稿の参考になるものはないかと、一時的に読み漁ったのだ。
「メガネ」で検索をかけた際に引っかかった、非常にくだらないショートショートホラーがある。あの内容が言い訳にぴったりだ。
「晴香先輩。実を言うと森君は、メガネに操られていたんです」
「はい?」
「寿司を食ったのはメガネなんです。森君という体を使って」
「ちょっと、何言ってるのかわからない」
「つまりメガネが、森君の体を使って寿司を食うという目的を果たしたんです」
「……森君はどこ行ったのよ」
「恐ろしいのはそこです。用済みになった森君は解放されたのか、それとも……」
語っているうちに、書きたかったのは本当にそういう話だという気がしてきた。
これはどう考えても、傑作ホラーではなかろうか。
「先輩、ロイコクロリディウムという寄生虫を知っていますか」
「今度は何!?」
「カタツムリに寄生して触角をカラフルな目立つ色合いに変え、鳥から見つかりやすい場所に移動させ、食わせてしまうという恐ろしいヤツです」
「聞いたことあるけど、その正式名称をさらりと口にする人には初めて会ったわ」
「このメガネも同類です。宿主に寄生し、その行動をコントロールして目的を果たし、また新たな宿主に寄生していく……」
「この主人公、メガネかけちゃってるけど」
「そう。だから最後にはもう、寿司のことしか考えられない。……ね?」
「……ね? じゃない!」
もういい! と叫んで晴香先輩は、俺の机からほぼ余白の原稿を剥ぎ取るように回収した。普段の先輩らしからぬ激しい動作に、俺はきょとんとする。
「私は君が、やっと小説を書いてくれたと思って、ちょっと嬉しかったのに……!」
その声が少し震えていることに気付き、顔を見上げると、先輩の目は潤んでいた。
「情景描写ができないなら、実際に森でお寿司食べてみたらいいじゃないって……さ、誘おうと思って……」
「……へっ?」
目が合うと晴香先輩は、かああっと音が聞こえそうなほどの勢いで赤面した。
その手の中で俺の原稿が握り潰され、ぐしゃっと絶望的な音がする。
「メガネが森君に寄生して寿司食わせる話なら、そんな必要ないってことね!!」
「あっ、待ってください、先輩!」
脱兎のごとく駆け出す先輩に手を差し伸べ、俺は慌てて後を追いかけた。廊下で歓談する生徒たちの間を縫い、先輩の華奢な背中に向かって叫ぶ。
「先輩、俺が悪かったです! タイトル変えるから機嫌直してください!」
「タイトルよりもっと他の問題があるでしょう!?」
「『俺の可愛い文藝部部長が森で寿司食おうと誘ってきたからのこのこ出かけてみたら、メイド服で恥じらいながらメガネかけていた件』に改題します!」
「そのタイトルであの内容だったら炎上案件でしょうが!!」
直後、チャイムが鳴った。三年A組の教室に飛び込んだ晴香先輩は、後ろ手にぴしゃりと引き戸を閉めてしまう。
膝に手をつき肩で息をしている俺の背中を、何人もの先輩方が軽いタッチで労いながら通り過ぎて行った。最後のやけに分厚い掌はたぶん教師だな。
……ま、いっか。
廊下を戻りながら、俺は、自分の足取りが思いのほか軽いことに気付いた。
部誌発行は年二回だが、熱心な文藝部員は、その他の期間にも狂ったように書きまくっていると聞く。俺もなんだか、執筆意欲が湧いてきた。
すぐに次の作品を書いて、今度こそ情景描写を手伝ってもらおう。
タイトルは『俺と付き合う晴香』だ。
<了>
森で寿司食うメガネ 鐘古こよみ @kanekoyomi
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