最終章「黒衣の聖母編」

第45話

 そこからの時間を、リーヴは長いのか短いのか自覚できなかった。


 自分を無限の時間を生きるネコにした魔法は、人になってもなにらかの影響を及ぼすかの様に、リーヴは歳を取るのが遅い。


 森と運河の国ウーイラントは健在で、あの夜、焼かれた城は今では公園に整備されていた。


「旅行者さんかい? 今日は、暖かくて良いね」 


 休日の公園で、フレンチポテトの屋台をやっている中年女がニコニコしているのは、その日が記念日だからだという。


「千年前の今日、この王様が、東から来た侵略者を撃退したんだよ。傷ついた王様を王妃様が助けてね」


 公園の中央に立っている像を指差し、中年女が教えてくれた。


「残念だけど裏切り者に城を焼かれて、留守番していたお姫様は殺されちまってたけれど、だからこの像を建てたんだよ」



 その像の名前は、勝利の天使を抱く英雄と女神――。



 勝利の天使がリーヴの事だというのは、リーヴ自身が皮肉だと思ってしまう。


 ――私が、誰に勝利をもたらしたのかわかりません。


 城で仕えてくれた執事や女中を死なせてしまった。


 醜い黒ネコになってからも、自分を助けようとしてくれた者を何人も、7人の魔法少女の餌食にしてしまった。


 何より、自分を元の姿に戻してくれた鷹氏たかし かい亜野あの大輔だいすけに、惨たらしい死をもたらした自分の、何を指して勝利の女神と呼ぶのか。


 リーヴの悲しそうな顔に、中年女は軽く眉をハの字にした。


「悲しい歴史だね」


 しかし悲しいだけで見せた顔ではない。


「死んだのはお姫様だけじゃない。城の人だけでもない。前戦で戦った人も、また敵だって兵隊に取られた農民がいたはずさ。そのみんなの慰めに、この像はあるんだよ」


 リーヴがどれだけ皮肉だと感じる像でも、大多数の者にとっては違う。


 千年前からずっと立っている訳ではなく、何度も再建されているものであるが、再建される理由は、この像を勝利の天使だと思う者が多いという理由だ。


 聞けば、前大戦の折、王室も断絶しているという。


 王制は共和制へと改められたが、自主独立を旨とする国民性は健在、その象徴としても、この像は意味がある。


 ――古いものは打ち壊されても、必要なものは作り直されて、続いていく。



 ***



 千年ぶりの故郷に続いて訪れた、20年振りの町も同じ。


 火事で失われた鷹氏家の跡地には、新しい家が建っていた。100坪を超える広い敷地には、同じく広い庭を持つ家が建っており、その庭では3歳くらいの女の子が、母親と一緒にシャボン玉を飛ばして遊んでいる。


 大輔と介と共に過ごしたアパートは、古ぼけた印象になっていたが、当時のまま存在している。


 だが市立しりつ松嶋まつしま小学校はというと、調べて見れば予定よりも早く統廃合され、校舎も早々に解体されていた。今、残っているのは体育館の一部だけ。


 7人もの行方不明者を出し、在校生の男子児童が惨殺死体で見つかり、挙げ句、男子児童は母親と祖父母が火事により焼死、叔父も不可解な事故死を遂げていたというのは、未だにネットロアの餌食になっているらしい。



 古い土地には新しい家族の家が立ち、朽ちる事なく建っているアパートは、今も人の生活を支えているが、40に中39人のユートピアという不穏な制度によって支えられていた学校は、不必要となって取り壊され、もうない。



「介くん……大輔さん……」


 リーヴが呟いた狩人EL CAZADOR DE LA BRUJAも、古い話だ。


 いつの間にか変わってしまった町の景色で、変わらないものを探して歩いてみるリーヴは、自然とぼんやりとした顔になっていて……、


 ――やり直しは、できないんだ……。


 助けたかった大輔も介も、リーヴが持っている治癒の魔法では救えなかった事が、足を止めさせた。


 だが立ち止まらされる景色がある。


 園外散歩を先導する幼稚園教諭の顔。


「はい、気を付けて!」


 ハキハキした声を張り上げ、小さな幼稚園児たちを先導する女性に、リーヴは遠い記憶を刺激された。卵形の顔、明るい色の髪はショート。背は、高くはないが低いともいえないくらい。


 胸の名札は――野村のむら


聡子さとこちゃん?」


 リーヴが思わず口に出すと、先導している幼稚園教諭は「え?」と顔を上げた。



 野村聡子。



 聡子はリーヴの顔など知らないが故に目を瞬かせ、「えっと……?」と不思議そうに小首を傾げるだけだが。


「ごめんなさい。昔、知ってる人に似ていたんですけど、人違い――」


 そういおうとした矢先だった。


「リーヴ」


 リーヴの足下で、声がした。


 見下ろせば、聡子が先導している園児が一人。


「リーヴなんでしょ? ずーっと会いたかった」


 瓜実顔に、すっとした鼻筋。


「だからさ、リーヴ」


 一重瞼の、成長すれば涼しげな切れ長になるであろう目の――、


「僕さ、話したい事があるんだ」



 


「え?」


 知らない幼児のはずなのに、リーヴは知っている。


「あれ……?」


 どんな最後を迎えても、必要であれば続いていく。


「――」


 笑いながら見上げてくる男児の目にうっすらと浮かぶのは、リーヴの大切な男の子がなくしていた涙。


「いっぱい、話したい事があるんだ!」


 やり直す事はできなくとも、事ならばできる。


 男児に、救いあり。

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EL CAZADOR DE LA BRUJA 玉椿 沢 @zero-sum

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