第12話

「ヒロシさん?ですか」そう声をかけられて、オレはハッと背筋を伸ばす。平積みされていた伊坂幸太郎の新刊を手に取ったはいいが、つい読みふけってしまっていたようだ。

「あ、えぇ。ハイ。ヒロシです。ごめんなさい。好きな作家の新刊が出ていたもので、つい……」そう答えながら、オレは声の主の顔をまじまじと見る。小さくて可愛い女性だ。どことなく柴犬を思わせる愛くるしさがある。彼女の胸には首から下げられたネームプレート、そこにはマルコと書いてある。「あぁ、これ、もう外したらいいですよね。つけたままだと何か変ですし」そう言って、手にしていた本を元の場所に置き、オレは自分の首からぶら下がっているヒロシと書かれたネームプレートを外す。


「私は高山博たかやまひろしと申します。どうぞ、よろしくお願いします」

「私は丸山加奈子まるやまかなこ。こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」

 書店の一角でネームプレートを外してオレ達は深々と礼をしあう。横を通り過ぎる人が怪訝な表情をこちらに向けてくる。

「あ、待ち合わせ場所はここを指定されましたが、どうでしょう、少し外を歩きませんか?」オレはそう提案する。

「そうですね。少し歩きましょう」

 オレ達は河原町通りに出て、なんとはなしに鴨川の方へ向かう。高宮の『河川敷を歩くもよし』というアドバイスが頭に残っていたのだろうか。高宮の気遣いは割と細やかだったように思う。しかし、なんで、待ち合わせ場所は書店の新刊コーナーだったんだろう?


「変な婚活イベントでしたね」歩きながらオレは丸山さんに話しかける。

「そうですねー。でも、面白かったです」そう答える丸山さんの声は『時間を巻き戻せたらいいかも』と襖越しに聞こえたあの声に違いない。でも、妙だ。あの時と違って、少し元気がない。

「どうか、しました? 少し元気がないようですが」オレは思ったままを口にする。「もしかしたら、外見が分からないワクワクから、まったく好みじゃない外見の私に会ってガッカリした……とか?」丸山さんの外見は正直言って可愛いし、そもそもオレは外見を重視したりなんてしない。でも、オレの外見が丸山さんのお眼鏡に適うかどうかは別問題だ。

「ううん。高山さんはイケメンでビックリしちゃったくらいです。あんな変なイベントに参加なんてしなくても、引く手あまただろうに、なんて思うくらいに」丸山さんは伏し目がちで話す。『イケメンだなんてそんな』と茶化す返答は違う。丸山さんがこんな顔をしてるのはなぜなんだろう。オレは何を言ったらいいのか分からないまま歩く。


「さっき、三歳くらいの女の子が、お父さんにおんぶされてたんです。疲れてたのかな。その子はお父さんの背中で寝てたみたいなんですけど」丸山さんはそう話しだした。「私は、さっきの待ち合わせ場所に向かって歩いてて、その親子を追い抜く感じで通り過ぎたんですよ。そしたら、その子、寝ながら『生まれてきちゃってごめん』なんて寝言言ってたんですよ。それを聞いてしまったもので、なんか、ずーんと暗くなっちゃって……」丸山さんはそこで小さく一呼吸入れて、そして、「三歳くらいの女の子が寝言でそんな事言うなんて悲し過ぎじゃないですか」と言って、一筋の涙をこぼした。


 オレは立ち止まる。それに合わせて丸山さんも立ち止まる。人通りを邪魔しないように、オレは丸山さんを道の脇に寄せながら、彼女の顔を見る。この偶然に感動すればいいのか、それとも笑えばいいのか。オレは自分の表情を制御できない。おそらくは複雑怪奇な表情を浮かべているだろうオレの顔を見上げて、丸山さんは怪訝な顔をしている。

「それは、たぶん、今日のお昼に私が出会った親子に違いないと思うんです。メガネをかけたオカッパ頭の三歳くらいの女の子じゃありませんでした?赤いスカートを穿いた」オレがそう言うと、丸山さんはブンブンと首を大きく縦に振った。「今日の会場に入る直前に見たその子は、生まれてきちゃってゴ・メ・ン!って歌詞を大声で歌ってたんですよ。とても明るくてポップなメロディで」丸山さんの目が大きく見開かれる。「それで、私もその歌詞に引っ掛かりを覚えましてね、スマホで検索かけてみたんですよ。そうしたら、どうやらそれは、小さな女の子向けのアニメの主題歌か何かだったようで……」オレがそう言うと、丸山さんも感動すればいいのか笑えばいいのかといった複雑な表情筋の動きを見せて、「あはっ、アハハ!良かったー。そうだったんだー」と、さっきとは違う涙の筋をその頬に生んだ。


「あ、レモン!そう言えば、その女の子、レモンモチーフのカバンを持ってませんでした?」オレは続く偶然に必然を覚えて思い付きを口にする。

「あぁ、レモンかどうかはしっかり見てませんけど、その子のお父さんはその子をおんぶしながら、手には黄色の子供用のカバンを持ってました」

「やっぱり!」

「それがどうかしました?」

「さっきの待ち合わせ場所、丸善と言えば、梶井基次郎の」

「あぁ、檸檬!」丸山さんはくしゃっと満面の笑顔をオレに向けてくる。

「今日の色んな奇跡を語るには、何かレモンにまつわる店がいい。レモンのナニカを食べにか、飲みに行きませ……、あぁ、丸山さんはお酒苦手でしたね。何か食べに行きましょうよ」オレはそんな提案をする。

「あ、ホントは私、お酒、好きなんです。ただ、今までに一緒に飲もうと言ってきた男性に酒癖の悪い人が多かったものですからつい、あんな風な回答をしてしまったんです」

 片目をつむり、すこしだけ舌を出して、そう言う丸山さんの顔はとんでもなくキュートだ。


 信じがたい程の愛おしさが心の奥底から湧き上がってくる。なんだこの感じ。

 相性のベストマッチングって、奇跡なんだな。


 今日は有り得ない程の奇跡がオレに降り注いでいるに違いない。


 この縁を大切に育んでいこう。


 オレと丸山さんは、一瞬のアイコンタクトの後に、同時に歩き始めた。


 ―終―

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