窓際の記憶

 俺はアパートの自室に戻り、布団の上で正座していた。

 柄にもなく、かなり調子に乗っていたらしい。

 連続で心霊現象に出会えたからといって、全ての事象を心霊現象に結び付けてしまうとは……。

 20年以上も心霊現象に出会えなかった男が、たまたま2回ほど遭遇できたからといって、今後も出会えると考えるのは思い上がりだ。

 この場を借りて全ての心霊現象に謝罪しよう。

 すまん。

 参加メンバーには雲野が謝っといてくれると言っていたので、そこは任せよう。

 そもそも個人的に付き合いのあるのは、雲野を除けば妹だけだからな。

 謝罪巡りをするのもかえって迷惑になりそうだ。

 もっとも優礼ゆれに謝るのは癪だから、意地でも謝るつもりはない。

 放っておく。

 アイツに殴られて気を失ったわけだから痛み分けだし。

 う~ん。どうにも気分が滅入っているな。

 こういう時は寝てしまうのが一番だ。

 しかし気にし過ぎてしまったのか、1・2時間おきに目が覚めてしまう。

 それでも横になり続け時刻は朝の6時になっていた。

 今日は大学の講義は午後からだ。

 流石に大学に行く準備をするには早すぎる。

 仕方ないので、近場の心霊スポットに向かう事にした。

 もう2桁は行っている場所。

 今のところ心霊体験はできていない。

 だが俺は諦めの悪い男、平坂音良ひらさかおとよし

 1度や2度心霊体験ができなかったくらいで、その心霊スポットを見捨てたりはしない。

 だが寝不足のせいで、今日は目の調子がおかしかった。

 心霊スポットに行く道すがら、いたるところに白い|靄がかかっているように見える。

 駄目だな。

 これでは例え心霊スポットで心霊現象が起きたとしても、しっかりと確認することはできそうもない。

 どこかで目を休ませた方がいいかもしれん。

 そういえばこの近くに、以前雲野に代理のバイトを頼まれた喫茶店がある。

 店長は6時過ぎには店を開けていると言っていたな。

 折角だ。コーヒーでも飲んでいくか。

 喫茶店は住宅街のど真ん中とも言える場所にある。

 まだ30代前半くらいの店長だが、周辺の住民たちからの信頼が厚いのか、客足は悪くない。

 俺が雲野の代わりにバイトをしたのは、土曜日の午後のことだが、中々に忙しかった。

 外見は北欧の山小屋を連想させるような味のある家屋。

 聞いていた通り、既にお店は開いているようだ。

 陽を取り入れるための大きなガラス窓の向こうにはカウンターを拭いているモヒカン頭が見える。

 店長だ。

 俺の見立てでは高さ20㎝、幅10㎝のモヒカン。

 リスくらいであれば巣にできるくらいの厚みがある。

 おまけに店内だというのにサングラスまでしているから、見た目は恐いオッサン以外のなにものでもない。

 それでも俺は躊躇う事なく店にはいる。


「おはよう、平坂君。早起きなんだね」


 愛想の良い笑みを浮かべ、人当たりもよいのだが、強面な上に身長も俺より高いので威嚇にしか見えない。


「たまたまです。昨日よく眠れなくて」


 俺の言葉に店長の表情が曇る。


「やっぱり、先週ウチのバイトにきてから変な物を見るようになっちゃった? 君はうつりやすい体質だとは思いはしたんだけど……。忙しかったものだからついつい甘えちゃってね。本当にすまない」


 何を言っているのかさっぱりわからなかった。


「いや、昨日ちょっとヘマをしちゃって。それを気にしてしまっただけなんですけど……いったいなんの話です?」

「あ、あれ? なんともないの? おかしいな? 君は伊津樹いつき君と違って影響を受けちゃうタイプだと思ったんだけど」


 なんだろう?

 ますますわけがわからん。


「すいません。ちょっと意味がわからないのですが」


 正直に尋ねてみると、店長のサングラスの向こうの瞳が揺れた。


「あー、ごめんね。自分はちょっと病気持ちでね。たまーにうつっちゃう人がいるの。元々素養はあるけど蕾で終わる人たち? 刺激を受けて活性化しちゃう感じ? 余計わかんないか? 説明し辛いんだよね。でも安心して仮に移っても実害はないはずだから」


 駄目だ。店長は見た目以外はまともだと思っていたがそうでもないようだ。


「ごめん、気にしないで」


 困ったように声を絞りだす。

 まあ、いいか。俺はコーヒーを飲もうと思っって立ち寄ったのであって、店長と会話をしに来たわけじゃない。

 気にしたら負けだ。


「わかりました。気にしません」

「君のそういうところ良いと思うよ」


 頬を緩めた店長を尻目に、俺は一番窓際のカウンター席に座ろうと歩みを進めた。

 だがその足が止まる。

 俺が座ろうと思ったその席に、先程外で見かけまくっていた白い靄が、まるで人のように佇んでいたんだ。


「あれ? やっぱり見えてる?」


 思わず店長を振り返る。


「あの白っぽい靄は、目の錯覚じゃないんですか? 店長にも見えているんですか」

「なるほど。君にはそう見えているのか」


 店長の声が少し寂し気に聞こえる


「自分には色のない人に見えるんだよ」

「幽霊!」


 興奮気味に叫んでしまったが、白い靄は動じる事もなく窓際の席で佇む。


「そう呼ばれる事が多いのは確かだろうね」


 俺は白い靄から1つ席を開けて座る。


「店長はそう呼んでいないみたいな言い方ですね」

「君って時々妙に鋭いね。それに度胸もある。普通、動揺するよね? ああいうのを見たら」


 店長は苦笑すると「何にする?」と尋ねてくる。

 俺は白い靄に視線を戻し、ブレンドと答えておく。

 あれが幽霊か。だがそうなると、これまで俺が出会ったアイツらはなんだったのだろうか?

 3体とも無駄にはっきりしていたぞ。

 いやそんな事より、店長に聞きたい事ができた。


「さっき言っていた病気ってこれのことですか? 俺はこの間、店長と仕事をしたから今こうして幽霊を見る事ができてる?」

「たぶんね。それまでは見えてなかったんじゃない?」

「ええ、まあ」

「やっぱり、そうか。ごめんね。でもよっぽど悲しかったり苦しい記憶じゃない限り、無害だよ。そっとしておいてあげて」


 もちろんだ。

 下手に騒いで、こんな貴重な体験を棒に振る趣味は俺にはない。

 これまでで一番理想の心霊体験だしな。

 うー太やシリはインパクトがありすぎた。

 幽霊はやっぱりこうでなくては。

 存在しているかいないか微妙な存在。

 実に見事だ。


「ずっといるんですか?」

「いや平日の朝の記憶だからね。登校時間が過ぎて子供達の姿が見えなくなれば見えなくなるよ。近所のお爺さんの記憶なんだ。お亡くなりになるまで毎日来てくれていた人でね」

「……記憶。それが店長の呼び方ですか」

「そう。世界の記憶。自分らはそれを垣間見ているだけだと思っている。はい、お待ちどうさま。朝ごはん、まだだろう? サンドイッチだけど、良かったら食べて」

「え、良いんですか?」

「平坂君には伊津樹君の急な穴埋めをしてくれたお礼ができていなかったし、病気をうつしちゃったお詫びも兼ねて」

「別に困ってないですから気にしないでください。でも遠慮なくいただきます」

「うん」


 記憶か。

 うー太とさー子は、かなり自己主張が激しかった気がするが、シリは確かに記憶と言われても疑問はないな。

 アイツにこれまで誰かの股間へ、潜り込んだ記憶があるのかは知らないが。

 もしも、あれが優礼との記憶なら、俺はとんだ変態の妹をもったことになるな。


「あそこから子供たちを眺めるのが好きだったんですか?」

「うん。お孫さんたちが遠くに住んでいたらしくてね。寂しかったのかもしれない」


 時間を見るとまだ7時を回ったばかり。

 窓の向こうにちらほらと学生の姿は見え始めたが、ピークはまだだろう。


「……生前は何を注文されていたんですか?」

「ん? ああ、カフェオレかな」

「そうですか。それじゃあカフェオレをいただけますか?」

「へ? あ、ああ。わかった」


 戸惑っている様子ではあったが、それでも丁寧な手つきでカフェオレを用意し、俺の前に置いてくれる。

 俺は目を細めて窓際の席に佇む白い靄を見つめた。

 別に眩しい訳ではない。

 距離をはかっているだけ。

 俺は顔を正面に戻して、目の端だけで白い靄に目をやるとそっと受け皿に指をそえる。

 スナップを利かせ、白い靄の方へとカップの乗った受け皿を滑らせた。

 カップは中身をまき散らしながらではあったが、俺の計算通り窓際の席の前にピタリと止まる。

 中身は減ったが実際に飲めるわけではないから問題ないだろう。

 大事なのは気持ちさ。


「ふっ」


 何とも言えない達成感に笑みがこぼれた。

 俺の気持ちが伝わったのか、店長も強面をほころばせる。

 店長がそっと布巾を差し出す。

 俺は黙って受け取り、いそいそとカウンターと床に飛び散ったカフェオレを拭き取った。

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百奇夜行物語 地辻夜行 @tituji

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