オッケルイペ

「おう、平坂。教えてやったスポットはどうだった? 幽霊に会えたか?」


 大学の学食で月見うどんを食っていた俺の隣に、雲野が許可なく座る。

 声の調子で最初から「どうせ会えなかったのだろう」という気持ちが伝わってきた。


「まあ、どうでもいいんだけどな。それより店長が凄い感謝してたわ。あんがとな」

「別に構わん。バイト代はもらったし、報酬ももらった。期待はしていなかったが、お前の情報にしては上出来だった」


 先週コイツがバイトをしている喫茶店に、臨時で働きにいったんだ。

 コイツがどうしても外せない用事があるから、代わりにバイトしてくれって頼まれたんだよ。

 雲野が知っている心霊スポットを教えるという条件でな。

 俺は心霊スポットに行くのは好きだが、調べるのは得意じゃない。

 コイツは幽霊とか怪奇現象は信じていないくせ、場所にだけ詳しい。

 本人が言うには「間違って行かないように」とのこと。

 要するにビビりということだな。


「そんでさ、また頼みがあんだわ」


 運んできたカレーライスにスプーンをつき立てながら切り出す。

 俺が眉をひそめて見返すのにも構わず奴は続けた。


「今日の夜に合コンの予定があるんだけど、1人急遽来れなくなってさ。代わりにきてくれよ」


 面倒臭い。

 中学生の頃に一度男女混合で幽霊が出ると言うスポットに向かったが、現場に着く前からキャーキャー喚いて服の袖を引いてきたり雰囲気をぶち壊しにされた記憶しかない。やはり心霊スポットは1人で行かないとな。

「お前が賑やかなのが嫌いなのはわかってんだけどさ、他の心当たりの連中は都合がつかなくて、もうお前だけが頼りなんだ! 頼む! この通り! また別の心霊スポットを紹介するから頼むよ」

 いまだカレーライスに口をつけず、頭を下げてくる。

 この間の急用も臨時の合コンだったな。

 たかが合コンに何故ここまで熱意を燃やすんだ?

 まあ、俺も心霊スポット巡りに関しては言いたい放題言われている立場だからな。

 それでもやめられん。

 コイツにとって合コンは、俺にとっての心霊スポット巡りなのだろう。

 ふむ。コイツには初めての心霊体験を経験させてもらった恩もある。


「わかった。行くからさっさと食え。冷めたら美味くなくなるぞ。心霊スポットの件も忘れるな」

「ひらさか~! ありがとーーっ!」


 涙目でしがみついてきた雲野を強引に引き剥がし、俺は食い終わったうどんの容器を持って立ち上がり、返却台に向かう。


「18時に『居酒屋囲炉裏いろり』の前に集合な!」


 背後から聞こえた声に、俺は片手を上げて応えた。

 その日の講義を終え、時刻通りに指定された居酒屋に行くと、雲野と大学で顔だけは見かけた記憶のある男が待っていた。

 俺と同じ180㎝くらいで、女と一緒にいるところも何度か見ている。

 それでいて合コンに参加するところをみると、チャラ男なのだろう。

 女性陣は少し時間をあけてくるというので、俺たちは先に店に入り個室に案内される。

 個室は店名通りのスタイル。部屋の中央に囲炉裏風の鍋を温めるコンロがあり、それを囲むように六角形のテーブルが設置されている。

 6名限定の個室のようだ。


「男女交互に座る形にしてくれ。向こうの幹事さんにも話はつけてあるから」


 雲野が張りきった様子で指示を出してくる。

 俺は友情参加なので特に喜ぶことも逆らう事もなく指示に従う。

 実質3対2だ。

 雲野とチャラ男には頑張ってもらおう。

 そうして気楽に構えていると、たいして待たされることなく女性陣がやってきた。

 隣に座った2名は良いのだけれど、正面に座った相手が一瞬大きく目を見開き、続けて射殺さんばかりに睨んでくる。

 困ったな。合コンは初めてではないが、妹と合コンするの初めてだ。

 因みに自己紹介の時、なんとなく危険な香りを感じたので、母方の姓を名乗っておく。

 雲野だけが不思議そうな視線を向けてきたが、急遽の参加を依頼した立場であるためかツッコミはいれてこない。

 合コンは雲野と女性側の幹事さんの努力で和やかに進む。

 チャラ男が命知らずにも優礼に笑顔で話しかけている。

 優礼は満更でもなさそうに相手をしていた。

 昔から惚れっぽい奴だから、ホイホイとお持ち帰りされそうだな。

 まあ自己責任だ。

 助けを求められればともかく、余計な口出しをするつもりはない。

 俺は妹のことは思考から外し、気を遣って話しかけてくる幹事さんの質問に適当に答えながら、鍋をつついたりビールを喉に流し込む。

 うん? 考えたら優礼の奴、まだ19歳だろ? 

 いまはウーロン茶のようだが、調子に乗って酒を飲まないようにだけは気をつけておかないとな。

 俺がそんな事を考えていると正面の方から「ボァ!」という派手な音がした。

 多少豪快ではあるが、ただの屁だ。驚くほどのことではない……と思ったのだが中々に臭かった。

 他のメンバーもそう感じたようで、正面に嫌そうな顔を向けている。


「ちょっと! 少しはマナーを考えたらどうなの? 顔だけでもマナー違反なのに!」


 他人の振りをしている優礼が再び俺を睨み文句をつけてきた。

 コイツ、絶対に猫の位牌の件を根に持っているな。

 あれだけ位牌を磨かせておいて、まだ気が済まないのか。

 面倒な妹だな。


「罪を擦り付けられても困る。俺は正面から聞こえたぞ」

「そうですよ。音も匂いも正面からしていますよ」


 俺だけではなく幹事さんの反論も受け、優礼が怯む。


「で、でも私だって正面から聞こえたんだもん」


 唇を尖らせながら弁解し、室内には微妙な空気が漂う。

 もっとも俺の場合は女子がきてからずっと、微妙な空気に晒されていたのでまったく問題ない。

 それにしても、他の三人も困惑した表情で自身の正面を見ているところから察するに、もしかして全員自分の正面から屁の音と匂いを感じとったのか?

 俺たちの正面にある共有物……囲炉裏!

 俺は思わず拳を握りしめ立ち上がる。


「オッケルイペだ! オッケルイペが出たんだ!」


 全員の視線が俺に集まった。


「オッケルイペってなんですか?」

「あ、駄目! ソイツにそのての質問しちゃ駄目!」


 おずおずといった様子で尋ねてきた幹事さんの言葉を、優礼がさえぎろうとするがもう遅い。

 訊かれたならば、答えねばなるまいて!


「アイヌ語で放屁する化物という意味だ。アイヌ民族に伝わっていた妖怪で、炉の中で『ぽぁ』と大きく臭い屁をする。それからは住民が我慢できなくなるまでいたる所で屁をしまくるんだ。ただ本来は1人の時に出てくるはずなんだがな。まあオッケルイペも1匹ではないだろう。中には大勢いるのを好む奴もいるんだろうな」


 俺が滔々と語ってやると、みんな俺の博識に驚き口を半開きにしていた。

 優礼だけは何故か頭を抱えている。

 まあ妹なんぞ、いまはどうでもいい。

 大事なのはオッケルイペだ。

 部屋中を臭くされる前に対処しなくては。


「安心してくれ。オッケルイペの対処法はしっている!」


 俺は囲炉裏に背を向け腹に力をいれる。


『ぶほっ』


 中々派手な屁が出た。

 そう。オッケルイペは住人が屁をすることで追い返すことができる!

 俺は再び中央に向き直り胸を張った。


「これで大丈夫」

「お前の頭が大丈夫じゃないんじゃ、ボケェ!」


 優礼が叫んだかと思うと取り皿を投げつけてくる。

 取り皿は見事に俺の眉間に当たり、俺の意識は綺麗に飛ぶ。


「おはよう」


 目を覚ました俺に部屋に唯一残っていた雲野が生温かい言葉をかけてくれる。

 眉間に濡れタオルが置かれていた。

 コイツが店員に頼んで対応してくれたのだろう。

 軽い性格だが、面倒見は良いヤツだ


「みんなは先に帰ったよ。幹事さんは残るって言っていたんだけど、たぶんお前の妹さん? 彼女が引っ張っていっちゃって」


 うむ。やはり気付いたか。


「わかった。問題ない。俺は妖怪に出会えたからそれで満足だ。誘ってくれてありがとう」

「そ、そうか。無理に誘っちまったからな。お前が楽しんでくれていたのならそれでいいよ」


 アクシデントはあったが、友情を深めた俺たちは固く握手を交わす。


「すいません。お客様そろそろお時間ですので、コンロの火を止めさせていただきます」

「ああ、はい。どうぞ」


 雲野がどけると店員がテーブルに囲まれたコンロに手を伸ばす。


「ボァ!」


 オッケルイペがまたも現れ、俺は感動に浸る。


「うわ、くっさ。すいません。どうも排気の方が詰まっていたみたいです。お食事中大丈夫でしたか?」


 振り返った店員の言葉には答えず、俺と雲野は顔を見合わせる。


「あー、はい。大丈夫です。おいしっかりしろ。帰るぞ」


 奴はこの日一番のショックで、また気を失いそうになった俺の頬をペチペチと叩く。


「元気出せ。心霊スポットはちゃんと教えるから」

「おう。感謝する」


 俺は雲野に支えられながら、よろよろと立ち上がった。






オッケルイペ

アイヌ語で「放屁する化物」

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