股猫の怪

 初めての心霊体験の後も別の心霊スポットに行ってみたのだが、霊感が宿ったと思ったのは勘違いだったようで、他の場所では何事もなく、俺はとてもがっかりしながら愛車の軽に乗り、住みかであるアパートに戻ってきた。

 すぐに車から降りずに自分の両の手の平を見つめる。

 午前中、幽霊に憑りつかれた両手にはなんの形跡もみられない。

 かなり物足りなくはあるが、俺は間違いなく初体験を済ませた。

 証拠はないが元々誰かに自慢するために心霊体験をしたかったわけではないから、体験した事実を俺がわかっていればいい。

 初体験の記念にネット掲示板に書き込みでもしようかとも思ったが、あそこの連中にこんな話をしたところで信じないだろう。

 あそこはそれっぽい話を仕入れる場所と割り切ろう。

 フッ。心霊体験独り占めサイコー!。

 気分が良くなり車を降りると「あ、兄貴、やっと返ってきた」と気分を台無しにする声が降ってくる。


「何か用か、ユーレー」

「ユ・レ! 自分の可愛い妹の名前くらい覚えなさいよ!」


 唇を尖らせるその姿は、生意気には見えても可愛くは見えない。


「まあ、いいや。ここであったが100年目。兄貴、これ今晩だけ預かって」


 俺の部屋の前から歩み寄ってきた優礼ゆれが、バッグから取り出した黒い物体を押しつけてくる。


「なんだ、これは」

「見ればわかるでしょ? 位牌よ」


 何でもない事のように言うが位牌は気軽に預けたりするものではない。

 常識に欠けた妹である。


「なんだ? 親父かお袋が死んだのか?」

「馬鹿なの? 私だって寮で一人暮らしなんだから、親が亡くなったら実家の方から連絡いくわよ。自然死だったらね」


 俺より遥かに物騒で不謹慎だが、言っていることは間違っていない。


「だったら誰の位牌だ」

「猫よ。忘れたの私が実家で飼っていたでしょ? 寮に移る時に連れて行ったのだけど、かなりの年だったからね。1ヶ月くらい前に亡くなっちゃったの。ずっと塞ぎこんでたのよ、私。可哀想でしょう?」


 そういえばいた気はするが、少なくとも俺が可愛がっていた記憶はない。

 名前さえ思い出せん。


「大事なら一生持っていればいいだろう? 俺のところに持ってくるなんて位牌が可哀想だぞ」


 優礼は頷きながらも位牌を俺にしっかりと持たせる。


「言われなくてもわかってるわよ。でも今日の夕方に、寮で部屋の抜き打ちチェックが行われるという情報を入手したの。信頼できる情報筋からね。ウチはペット禁止だからバレるとヤバイのよ」


 まるでガサ入れの情報を入手したチンピラのようだ。


「位牌くらい持っていたって何も言われんだろう?」


 彼女がチチチと口元で指を振る。


「飼っていたのがばれるでしょ? 目をつけられたらどうするのよ。次に飼うときに困るじゃない。この子には申し訳ないけれど実家に持っていくより兄貴の部屋の方が近いから一時避難よ」


 ルールを守る気がないらしい。我が妹ながら社会不適合者だな。


「というわけで明日の朝に迎えに来るから預かっといて。よろしく~」


 人の返事も聞かず、優礼は駆け出していく。

 どうせ人の話をまともに聞かん奴だ。

 呼び止めたところで結局預からされる。

 俺は素直に諦め位牌を持って部屋に戻った。

 六畳一間、ユニットバス付きの我が城。

 本日は部屋の真ん中に布団が敷きっぱなしだ。

 夕食を用意しようかと思ったが、たいして空腹は感じていない。

 それよりも眠い。今日は複数の心霊スポットを回る予定であったから早朝に出発したり、初の心霊体験を経験したので疲れているんだ。

 欲望に従い布団に倒れこむ。

 そのまま眠ってしまったようで、目を覚ました時には陽も落ちきっていて、窓から見える外も部屋の中も真っ暗だ。

 起きるのも面倒だから朝までこのまま寝てしまおう。

 そう思って目を閉じたのだが、汗の処理をせずに寝てしまったせいか股間が痒い。

 俺は目を閉じたまま股間に、午前中に邂逅した、いまは亡き『うー太』のことを思い浮かべながら右手を伸ばす。

 何か板みたいのを握っているみたいだが、掻くだけだから問題はないだろう。

 だがそうして掻いている間に右手から突然板の感触が消えた。

 まさか『うー太』復活! かと思ったが右手を握って開いてを繰り返してみると手の平の感触がある。

 少しがっかりしたが、別の違和感があった。

 股間の感触がない!

 俺は目を見開き立ち上がると部屋の電気をつける。

 感触がないのに、俺のパンツが信じられないくらい盛り上がっていた!

 俺は思い切ってパンツを下げる。


「ニャ~」


 ……猫?

 本来なら俺のツインゴールデンボールと息子がいる場所に茶トラ猫の前半分が生えている。

 というかぶら下がっている。

 茶トラは俺の顔を見上げるが、すぐに興味を失くしたようで正面を向いて、また鳴き声をあげた。

 この態度には記憶がある。まだ実家にいた頃、こんな猫がいた気がするな。もっとも俺はアニマルセラピーよりもゴーストセラピーが必要だったタイプなので、当時から行ける範囲であっちこっちの心霊スポットに行っていた。

 だから俺に猫とコミュニケーションをとった記憶はない。

 しかしだからといって放っておくわけにもいかないだろう。

 今は位置的に俺の息子と呼んでもいいからな。

 それにもう一つ気になっているのは、感覚がないのは股間だけでなく、お尻の一部の感触もないことだ。

 身体を捻って覗いて見ると茶トラの後ろ脚と尻尾が見える。

 尻尾は残念ながら一本だ。

 ワンチャン猫又を期待したのだが、こいつは猫又ではないらしい。どちらかというと股猫だな。

 猫又の中には人を食う奴もいると聞いたことがあるが、股猫もある意味人をくった猫である。

 それにしてもどうしよう? 

 俺はパンツをあげてみる。

 猫は特に抵抗はしなかったがかなりパンツがこんもりしている。

 息子が腫れているレベルではない。

 ズボンを穿いても誤魔化せないだろう。

 なにせ鳴き声が聞こえる。

 猫を股間に押し込んだ変態にしか見えん。

 俺は再びパンツを下ろす。


「おい、猫」


 反応がない。

 大人しく俺の股間にぶら下がり、時折「ニャー」と鳴くだけだ。

 そう言えば、妹に猫の位牌を渡されていたな。

 するとコイツは実家で妹が飼っていた猫で間違いなさそうだ。

 つまりこれは心霊体験。

 凄いな! 

 20年心霊体験にあわなかったのに、今日だけで2件。憑りつかれた霊の数は3体だ。

 完全に目覚めたな、俺。

 ただ午前中の霊は勝手に良い感じになって成仏していったのが気に食わなかったが、正直な話、コイツは位置的に成仏してもらわんとちょっと恥ずかしい。しかし成仏のさせ方がわからん。そうなると長い付き合いになる。その場合必要になるのは……。

 そう。

 名前だ。

 もちろん位置的に決まっている。


「タマ」


 愛情込めて読んでみるが猫は無反応だ。

 生前の名前でないと駄目だろうか?

 同じ屋根の下で生活はしていたのだが興味がなかったので思い出せん。

 妹が呼びかけているのを聞いているとは思うのだがな。

 思いだせん以上、新たにつけるしかない。

 先程は失敗した。男の股間についていて「タマ」はないよな。


「タマタマ」


 無反応。2つあるからというのは安直過ぎたか。

 だが長い付き合いになる以上、人前で名前を呼ぶ場面もあるはずだ。

 もう一つの部位を口にするのはためらいがある。

「タマ」と違って変態と思われるかもしれん。

 俺はもう一度感覚のなくなった部位を見る。

 おう、前だけではなく後ろもあったな。


「シリ」

「にゃ~」


 返事があったばかりか顔まで俺に向けてくる。

 どうやら気に入ったようだな。

 良し、問題は1つ解決した。

 次は飯だな。確か流しの下にツナ缶があったはず……うし、あった。

 俺はツナ缶の油をきってツナを小皿に移す。

 小皿をフローリングの床に置くと、シリの頭が小皿に届く位置に正座する。

 しばらく匂いを嗅いでいたシリだったが、他には何もでてこないと悟ったのか、やがて諦めたように食べ始める。

 俺はその光景を見ながら、名前や食事よりも、もっと大事なことがあることに思いいたった。

 排泄はどうなる?

 シリはまだいい。

 俺が胴体というだけで口も尻もあるから食事も排泄も出来る。

 だが俺はお腹があるから便も尿も生成されるが、肝心の排泄箇所の感触がない。

 便は尻にシリの尻があるから、シリが代わりに出してくれるかもしれんが、尿はどうなる?

 まさかマーライオンシステムか!?


「その時は頼むぞ」


 俺はシリの頭を撫でながら縋る思いで呟く。

 シリがツナを食べ終わり満足したためか、俺もなんだか満足感を覚え眠気に襲われる。

 俺は電気を消し布団の上に横になった。

 息子がこれまでとは違う意味で大きくなった所為で、ポジショニングがこれまで以上に難しい。

 だが思わぬ心霊体験に俺の心はとても安らいでいる。

 これはアニマルセラピーになるのだろうか、ゴーストセラピーになるのだろうかと考えながら意識を手放す。

 次に意識を取りもしたのときには、来客を報せるチャイムが部屋に鳴り響いていた。


「おーい、クソ兄貴起きろーっ! 可愛い妹の電話に出ないから、わざわざ起こしに来てあげたんだぞーっ。起きろーっ」


 優礼か。

 そういえば朝に位牌を取りにくるとか言っていたな。

 俺は立ち上がり大きく伸びをする。

 尻を掻きながら玄関に向かう。


「おはよう、ユーレー」


 玄関を開け挨拶すると、優礼が朝っぱらだというのに元気に声をかえしてくる。

「ゆ・れ! まあいいや、おはよう。位牌を受け取りに来たよ。それで位牌はどこよ?」


 どこだろう? 考えてみれば位牌をどうしたか憶えていない。

 俺は困ってしまいシリに助けを求めようと股間を見る。

 優礼もつられて俺の股間を見る。

 瞬間、殴られた。


「ど、どこに突っ込んでんのよ、この変態!」


 気持ちはわかる。なにせ位牌が俺のパンツのゴムに挟まれていたからな。どうやらまた俺の知らぬ間に、憑りついた霊が成仏していたらしい。

 もしかしたら最後に人肌を感じたかったのかもしれん。


「ほれ」


 俺はパンツの中から位牌を取り出し優礼に差し出す。

 するとまた殴られる。


「洗え! 消毒液飼ってくるから洗え!」


 吠えるなりドアを乱暴に閉めていってしまう。


「へい、シリ。女心を検索して」


 位牌に語りかけると「にゃ~」という返事が聞こえた気がした。

 ちなみに布団の中央にツナの塊が存在していたのは余談である。

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