百奇夜行物語

地辻夜行

お手を拝借

 足が軽い。

 草木が鬱蒼と生い茂る森の中だというのに、心が乗っていると驚くほど身体が動く。

 今なら金メダルもとれるんじゃないかな。

 場所が心霊スポット限定というのが難点ではあるが。

 まあいいや。

 ネット情報だとこの辺りが、自殺の名所になっているって話だ。

 幽霊の目撃証言が無茶苦茶多い。

 多くの物好きが噂に誘われてやってきては、恐怖体験をSNSに投稿している。

 ここなら、これまでどんなスポットでも、霊的体験が出来なかった俺ですら、きっと何かしらの経験が出来るに違いない。

 心霊スポットには、相性もあると聞いているからな。

 他が駄目だからと、ここも駄目とはならない。

 俺は期待を込めながら、周囲を懐中電灯で照らす。

 まだ昼間だが背の高い木々が、豊かに葉をたくわえていて陽を防ぎ薄暗いんだ。

 うん。この辺りは投稿されていた動画で見た覚えがある。

 確か自殺者が首吊りに利用したという枝ぶりの良い木が……あるな。

 四・五本ある。

 さすが自殺の名所。選び放題だ。

 それにしても、どうなんだろうな?

 動画の投稿は夜に来ているモノがほとんどだったが、実際に自殺しに来る人は夜を選ぶのだろうか?

 俺と同様に昼間に来るんじゃないかな?

 懐中電灯で照らしてはいるが草木の背丈も高い。

 俺は気分が高揚しているから気にもならないが、これじゃあ普通の自殺志願者が夜に来たら、事に踏み切る前に怪我しちゃうもんな~。

 うん、来るとしたら昼間だね。

 自殺志願者は自殺しに来るんであって、怪我をしたいわけじゃないからな。

 もっと安全な道を作ってあげた方が良いと思う。

 俺みたいな観光目的みたいな人間もいるわけだし。

 いや、ちょっと不謹慎だったな。

 でも仕方ない。

 これまで数多の心霊スポットを巡ったが、一度も心霊現象に遭遇できていないのだから。

 緊張感を保つにも限界がある。


「今度は頼むぞ」


 俺は近くの木を右手でポンポンと叩いた。

 すると手の平に鋭い痛みが走る。

 思わず左手に持っていた懐中電灯を取り落とした。


「やった。やった。入れた。入れた。この身体は俺のものだ」


 機械音声のような感情のこもらない声が、俺の右手から聞こえる。

 俺は驚いて右の手の平を見てみた。

 そこには口があった。


「うおー! きたこれ! マジの心霊現象じゃん。ハロー、ハロー。ニホンゴワカリマスカ?」

「なんでだ? 乗っ取ってやったと思ったのに……」


 俺がノリノリで尋ねると右手の口は不服そうに呟く。


「畜生。微妙にイケメンじゃないか。お前の身体を俺に寄越せ。今から街に繰り出してやる」


 右手の口……言い辛いのでうー太と呼ぶが、彼はどうやら俺の身体を使いたいらしい。

 でも残念ながら、今は右手すら俺の意のままだ。

 指を噛まれそうなので指を握り込むような真似はできないが、それ以外は問題ない。

 試しに強く右手を振ってみる。


「や、止めろ! 舌を噛む!」


 これまであまり感情のこもらない喋り方だったのが、急に人間臭くなる。

 心霊現象ではあるのだけど、口だけとはいえハッキリ見え過ぎていて少しも恐くない。

 でもどこまで現実化しているのだろう?

 試してみたいが、この口に指を突っ込むのはちょっとな。

 俺は心霊現象は味わいたいが、痛い目に遭いたいわけじゃない。

 よし!

 俺は思い切って地面に落ちていた石を拾って、うー太の口に突っ込む。


「ば、馬鹿! おい、やめろ! 痛い! 歯に石がぶつかっているだろうが! こら、グリグリするな!」


 お、面白い。

 本当にうー太の口の部分だけ俺に感触がない。

 そこだけうー太に奪われているのは間違いないようだ。

 物を持つのが少し不便になるな。

 物を握ろうとしたら指を噛まれそうだ。

 会話から友好的でないのは感じる。

 このままというのも、よくなさそうだ。

 どうすればとれるだろうか?

 口の部分だけ抉り取るのは難しそうだな。

 物理的にだと、手首辺りから切っちゃうしかなさそう。

 神社にお払いにでも行くか?

 いや、なんか希少動物みたいに捕獲されそうじゃない?

 取りつかれたとか言って、狂ったような言動をする人は、テレビで見た事があるけれど、精神的には全く影響なくて、身体の一部だけ霊が憑りつくなんてレア中のレアでしょ?

 俺は見世物にはなりたくない。

 でもな~。


「ちょっと期待外れだよな~」

「き、きさま、失礼だろうが! 人様を見ながらため息をつくなど!」


 うー太が唾を飛ばして苦情を言ってくる。

 俺が予想していた心霊現象とは、だいぶ違うのだから仕方ない。

 俺は石を投げ捨て、左手を先程とは別の木につき、ガックリと項垂れる。


「待ちに待ってようやく体験できた心霊現象が、これか~」

「だから失礼だと言っているだろうが!」


 しつこく文句を言うので、右手をブンブンと振り回す。


「や、やめっ! グガッ!舌を噛んだではないか!」


 これっぽちも恐怖感の湧かない心霊体験だ。

 除霊をするのも馬鹿らしい。

 俺がもう一度ため息をついた時だった。

 木に押しつけていた左の手の平がチクリと痛む。

 ささくれでも刺さったのかと思って左手を見てみるとなんと手の平に口があった。ただしうー太の唇よりも若干小振りで艶っぽい。


「入れたわ。これでこの身体は私のものよ」


 どこかで聞いたセリフを口にするその声は、感情こそ押し殺されたものだったが、紛れもなく女性のものだった。


「ば、馬鹿! 何をしている! この身体は俺がもらうんだから変なのに憑りつかれるな!」


 そんな事を変な奴に言われても困る。

 とはいえ、コイツみたいなのが増えても困ると俺は左手を強く振ってみる。


「ちょ、ちょっと!なんで勝手に動くのよ! 大人しく私に身体を寄越しなさい! 性別が違うのは許してあげるから!」


 うん。手を振る程度じゃ引き剥がせない。

 しかも、こいつもすぐに人間臭くなったな。

 左手も手の平の感触が奪われただけで手自体は自由に動かせる。

 完全に同じタイプの霊に憑りつかれたらしい。性別だけは違うようだが。とりあえずコイツはさー子とでも呼ぼう。


「ちょっとなんなのよ、その右手の口は。気持ち悪いわね」

「何言ってやがる。左手にある口の方が気持ち悪いに決まっているだろう」


 結論。どちらも気持ち悪い。

 だが現実的にはどちらも口しかないんだが、周囲が見えているんだな。


「この身体はな、俺がもらうんだ。この身体で今度こそ女を振り向かせるんだよ。これまで散々俺を馬鹿にしてきた女どもをな。後から来て図々しい事言ってないで、さっさとこの身体から出て行きやがれ!」

「ふざけんじゃないわよ! そんな性格だから好かれなかったんじゃない。私はこの身体で今度こそ本物の愛を手に入れるの。私を心から愛してくれる男性を見つけるのよ。そんでもって私を捨ててきた男共を見返してやるんだから!」


 二人揃って勝手な事を言っている。今のところ精神を乗っ取られるといった感触は微塵も感じないので、コイツらは正しく口だけの存在だ。


「馬鹿か、お前は? この身体は男だぞ。女のお前が手に入れて男に言い寄っていったら、気持ち悪いだけだろうが」

「うっさい。世の中の女の九割は程度の差はあれど腐女子なのよ! コイツの身体を奪った私とイケメンがキャッキャッウフフしていたら、涎を垂らして喜ぶに決まってるじゃない!」


 個人的にはうー太の意見に賛成なのだが、さー子の無茶苦茶な意見の押しが強いので、思わず納得させられてしまいそうだ。

 それにしても困ったな。

 うー太一人でも連れて帰るとやっかいなことになりそうなのに、さー子まで一緒だと、独り言として誤魔化すには派手すぎる。

 静かな森を俺達だけで賑やかにしているくらいだからな。

 これまで一度も心霊現象に出会えなかったのに、ここにきて二人分の霊に憑りつかれるなんて。

 なんか中途半端な気もするが。

 霊との間の相性が問題なのだろうか?

 それともこの森自体との相性かな?

 いずれにしろ、もう身体を木につけないようにしなければ。

 変なところに口が出てきたら困るものな。

 尻で喋る男なんて、それこそ見世物になっちまう。


「生産性が無いんだよ。身体が男なら精神も男であるべきだろうが。だからこの身体は俺が奪うべきなんだ。そして今度こそファーストキスを!」

「黙りなさいよ、この童貞。アンタは薄っぺらいのよ。唇と唇を合わせればキスだとでも思ってんでしょ? バカね。愛情あってこそのキスよ。愛があってこそ、キスはお互いを高め合うの。私のように性別を超えようという覚悟のない奴には、真のキスなんてできないのよ」

「はっ! 捨てられまくりの女がよく言うぜ」

「なんですって! この死ぬまで童貞! 死んでも童貞!」

「なんだと!」

「きー!」


 両手がうるさい。

 これは本格的に対応を考えないとまずいかも。

 精神を乗っ取られるとか、そういった危機は微塵も感じないが、四六時中騒がれては、心休まる時間がなくなる。

 除霊が必要そうだ。

 ただこの近辺の寺社仏閣の位置は把握しているが、その中のどこがお払いのできる本物であるかはわからない。

 助けを求めるところを間違えれば、お金だけとられて終わりともなりかねない。

 初の心霊体験が、こんな望まないものになるとは思いもしなかった。

 迷惑なだけでちっとも恐くない。

 とりあえずコイツらが早くいなくなるように、天にでも祈っておくか。

 俺は木々の合間から、なんとか見える畳1枚分の空に向かって、手を組んで祈る。

 ん?

 なんか水音みたいのが手から聞こえる?

 は!?

 うー太とさー子が潰れてる!

 俺は急に静かになった二霊を心配し、恐る恐る組んでいた手の平を顔の前で浮かしていく。

 すると二人分の荒い呼吸音が聞こえてきた。


「お、お前を捨てるなんて馬鹿な男がいたもんだな」

「あ、あたし~、こんなのはじめてかも~」


 聞きたくない会話が聞こえてきて俺はあわてて手を組み直す。

 今度は先程より熱烈なお互いを吸い合う音が。

 うわ、なにこれ! 聞きたくない!

 俺は懸命に二霊を遠ざけようとするが、どんなに頑張っても腕の長さ以上に離れて行ってくれない!

 しかし不意に空気が抜けるような音がして、手の平が合わさる感触がする。

 俺は咄嗟に両の手の平を確認する。

 そこにはもう、うー太の姿も、さー子の姿もなかった。

 もしかしてディープキスで成仏?

 嘘だろ? なんだよそれ!


「せめて成仏するシーン見せてくれよ! せっかく憑りつかれたのに見えないとこで成仏するとか、マジありえねー!」


 俺の悲痛な叫びが森の中に無駄に響く。

 ガックリと肩を落とし、落とした懐中電灯を拾い上げる。

 ……帰ろう。

 お腹も空いたし。

 アイツらにご飯を食べさせたら、食べた物はどこへいったんだろうと、どうでも良い事を考えながら、足取り軽く次の心霊スポットへ向かうため、深い森をあとにした。

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