自称・治世の能臣

 改めて江戸城とは何処から何処までを指すのか確認しよう。


 城の周りには内堀と外堀の二つの堀が流れている。未来でも「内堀通り」「外堀通り」と道路に名が残っているが、これはかつての堀の流れをトレースしていると思ってもらっていい。


 まず内堀だが、この中には本丸や二ノ丸、西の丸と、その西側に庭園が整備されている吹上、その北側に田安家と清水家が屋敷を構える北の丸があり、この一帯が内曲輪、つまり将軍家の御座所となる。未来だと皇居と日本武道館などがある北の丸公園がここに該当するので、江戸城と言うとこの一角のことを指すようなイメージがあるが、これでも内堀より中のエリアでしかない。外堀まで含めて一つの防衛拠点と考えるのが、城郭としての本来の江戸城である。


 内堀と外堀の間に何があるかと言うと、武家屋敷やら奉行所などの役所。つまり城下町の一角となるわけだが、このように城だけでなく城下町一帯も含めて、外周を堀や石垣、土塁で囲い込んだ城郭構造を総構えと呼ぶ。有名なのは小田原城だけど、実は豊臣秀吉の大坂城もそうだし、実は江戸城も総構えの造りなのだ。


 さて、ここまでの話で俺が何を言いたいのかと言うと、今度のお屋敷は江戸城の城郭の中にあるということだ。外堀が合流する神田川より北の湯島とは条件が違う。一応前の屋敷でも体面を気にして裏でコッソリとやっていたものだから、こんなお城の目と鼻の先でやっていいものだろうか。


「いやですわ殿。なにも上屋敷でやらずとも、麻布の下屋敷でなさればよろしいのよ」

「そういうことか」


 元の湯島の屋敷、今は中屋敷となった場所は新種を試す農業試験場として、そして下屋敷を量産拠点とするとの考えのようだが……


 西麻布に畑って、未来人からするとスゲーなって思う。もっとも、この時代だと麻布は江戸の町のかなり外縁に近い方で、少し西側に行けば原宿村とか下渋谷村という農村と武家屋敷が混在する地域だったりするから、畑があっても不思議ではない。


 農村だったらの話だが……




「今更……?」

「何故そのように呆れた顔をする」

「呆れもします。殿が畑仕事をしているのは諸太夫から町人まで知らぬ者はおりません。郭の外であろうが中であろうが、殿が畑を耕していたとて、ああ、また新しい作物でも植えておられるのかくらいにしか思われませんよ」


 さも変人のような言い方をするとは、夫婦になって余計に遠慮が無くなったと見える。


「そういうわけではございません。大納言様が何故に広いお屋敷を賜られたのかを考えれば自明の理というものです」


 何かと物入りの新藩は金がかかって負担が大きいくらいは分かりそうなもの。それでもこの屋敷を下賜したのは、ただの三万石の大名とは違うというところを見せたい家基様の思惑、そして俺なら金策はいくらでも考えるだろうと見込んでのことと種が推論する。


「勿論、殿の金策といえば畑の収穫によるものだということも織り込み済みでありましょう。畑にしたところで咎められるとは思いませぬ」

「だとしても、それを誰が耕すかだな」

「新たにお召し抱えになる家臣ではいけませんので? 仕官を望むならば、藤枝がそういうお家柄であることを知った上で、覚悟を持って参るのが筋というもの。武士が畑仕事などと寝言を申す者に食ませる禄はございませんでしょう。そのようなことも分からずに当家に仕官を求めるなど、"Klootzakクソ野郎"でございます」

「はしたない」


 まったく……でもたしかに一理も二理もある。


 そもそも武士の仕事とは何かを考えたら、それは主の意向に沿ってこれに仕えることだ。そして藤枝に仕えるということは、すなわち農産をはじめとする新たな産業振興を図ることにある。そこに対して理解の無い人間は雇いたくない。


 当家に限った話ではないが、欲しい人材は算術や政策立案などの文系のお仕事から、農産品や土地の改良、建築や医学薬学の研究といった理系の仕事まで、頭を使う仕事が得意でこれを厭わぬ者。とはいえ、世の中そういう人間ばかりではない。むしろそうではない人間の方が多いかな。


 特に武士の場合、「武士の本文は武芸である」と、学問にあまり力を入れていない者が多い。力を入れていないだけで幼いころから読み書きとか学問は教わっているので、城勤めにおけるルーティンワークならばどうにか務まるが、だからこそ前例踏襲で新しいことに取り組まない土壌が育まれてきたのではないかなんて思ったりする。


 なので、そういった連中を抱えたところで、何に用いるかという話だが、肉体労働しかないよな。剣術だとか弓術の代わりに泥に塗れて体を動かすのも鍛錬のうちと割り切ってくれればいいが……って、それをウチの藩で試したらいい話か。




屯田とんでん制も試すか」

「それはなんでございますか?」

「覚えておるか。三国志で魏の曹操が取り入れたあれだ」


 屯田制とは、平時に兵士を農作業に従事させる制度のことで、そこで働く兵士が屯田兵だ。中国では古くは漢の時代から行われてきた仕組みである。元々は敵勢力と接する辺境地帯を守る兵士たちに農耕を行わせたものだが、そういう場所だからといって四六時中戦が発生するわけではないし、戦の無いときは農作業して、自ら食糧を確保するというのは理に適っている。


 俺の構想にあったのは、明治時代の北海道のそれ。蝦夷地開拓を構想する中で、どうやってそれを具現化するか思案していたが、寒冷地での農作業や畜産を吾妻郡で試そうとしているのだから、屯田兵も一緒に試行したらいいわけだよ。


 曹操の場合は、元々農地であったものが戦乱で荒れ果てたため、そこへ流民を呼び寄せて再び耕すよう仕向けたものなので、それまでの屯田とは少し意味が違うけど、なんでその名を出したかと言えば、三国志を読んでいた種に説明するには一番分かりやすいかなと思ったまでのことだ。


「平時には畑を耕し、有事には戦場に出ると」

「そう。木刀を振り回して鍛錬するくらいなら、鍬を振りかぶって土を掘り起こすのも大して変わりは無かろう。ましてそれで作物が育つならば一石二鳥というものよ」


 さらに言えば、近い将来には戦争の主力は銃火器に取って代わられるから、これまでの剣術や弓術は実戦で役に立たなくなる。


 もちろん戦争にならないのが一番だけど、他国に侮られない戦力を有するには、銃火器による兵力の近代化は避けられないだろう。であれば、とりあえずは農作業で基礎体力を強化する方向で良いかと思う。


「さすがに江戸の市中で軍事教練をするわけにはいかないが、この制度を我が藩で試し、それを蝦夷地開拓に用いることが出来れば」

「開拓を行いながら兵も配置できます」

「そういうことだ」


 明治の屯田兵も、発端は職を失った士族の救済みたいな側面があったと聞く。史実だと四民平等で士族の優越権は存在しなかったが、この世界では一応武士の身分は担保できる。


 史実の維新ほどではないが、政変で多くの武士が職を失ったし、それ以前からの浪人も数多くいるから、彼らを雇い入れれば、労働力と軍事力を確保しつつ、雇われる彼らも士分の地位を回復できるので、win-winというやつではないだろうか。


「さすがは殿。見事な策にございます」

「そう褒めるな。古来よりある様式を真似ただけだ」

「それを今の世にあって用いる思考が良いのです。それこそ曹操のごとく、"治世の能臣、乱世の奸雄"にございますわ」

「奸雄の部分は要らんぞ」


 奸雄ってのは、他人を貶めたり、裏切ったり、あるいはズルとか悪知恵を働かせてのし上がる謀略家という意味なので、純真無垢で謹厳実直、質実剛健な俺には当てはまらないから、自分で言うのもなんだが、治世の能臣だけでいい。


 誰がなんと言おうと、当てはまらないったら当てはまらないのだ。これは真理である。


 何? 未来知識を活用している時点でズルではないかと? 違う。これは俺が生まれ持った才能なんだ。ズルとは違う。治世の能臣、これだけで十分です。


「あら、これは失礼いたしました」

「とはいえ、これは種の助言があればこそ思いついたものだ。礼を申すぞ」

「お役に立てたなら何よりです」


 他にも片づけなくてはならない案件がいくつもあるのだが、一つ大きな課題に対して方針が決まったのは有難い。


 仕事が仕事なので、雇うときは条件をキチッと説明した上で仕官してもらわないといけないな。こんなの武士の役割ではないとか後から言われても困るし。未経験者歓迎とか経歴不問とかアットホームな職場ですとか言って勧誘してはならない。




「先生、又三郎殿がお戻りです」


 なんて思って種と笑っていたら、弟子の長丸がやって来て、又三郎が旅から帰ってきたことを伝えに来た。


「帰ってきたか」

「はっ。なのですが、何やら郎党を引き連れてきているのですが」

「よい。私がそう命じたのだ」

「先生が、ですか?」


 実は吾妻郡を拝領することが決まってすぐ、又三郎にはある指令を課して江戸から旅に出したのだ。


 何かって? 新しい家臣の勧誘だよ。忍者の末裔を少しばかりな。


 言っておくが、その情報収集能力を領地経営に生かすためで、決して謀略とか悪だくみのためじゃないぞ。

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旗本改革男 公社 @kousya-2007

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