<第七章>

大名屋敷へお引越し

――大名


 平安の頃より、私有の田畑の一種である名田みょうでんの所有者を指す言葉として使われ始め、名田の大きさによって大名・小名に区別されたのがその始まりである。


 これが鎌倉時代になると、所領及び多数の家臣郎党を従える武士団の棟梁を大名と称するようになり、後に「守護大名」、「戦国大名」などと時代と共にその性格は少しずづ変容して今に至っている。


 そして、江戸の世にあって大名と呼ばれる身分は、禄高一万石以上の者たちのことだ。ちなみに、大藩の家臣の中にも一万石以上の禄を与えられた者はいるが、彼らは徳川からすると家臣の家臣なので、一万石未満の禄高の家臣と共に、ひとくくりに陪臣と呼ぶ。


 改易や立藩などもあるので数は一定しないが、全国に概ね二百から三百ほどの大名家があり、加賀百万石の前田家や薩摩大隅七十七万石の島津家のような大きな家から、数千石の旗本が加増に加増を重ねて、やっと一万石を超えたので大名になったという家まであって、その経済規模はまちまちである。


 というわけで大名の中にもランク分けがあり、一番格上から国主・準国主・城主・城主格・無城と分けられている。


 まず国主。国持大名とも言われるが、これは字のとおり、律令国一国、もしくは複数を一円に治める大名のことで、前述の前田や島津のほか、周防長門の毛利や筑前の黒田、土佐の山内、阿波淡路の蜂須賀などのほか、仙台の伊達、佐賀の鍋島、熊本の細川など、一国全域ではないものの、実質その地域の中心みたいな大名も含まれている。


 次いで準国主。これは数が少なく、伊予宇和島の伊達、筑後柳川の立花、陸奥二本松の丹羽の三家のみ。石高は十万石程度だが、国主に準じる家と定められている。


 その下が城主。これもまた字のとおり、城の主ということであり、領国に城を構えることを認められた大名のこと。大名って聞くと、全員お城に住んでいそうなイメージなんだけど、実は城を持つことが許された大名ってのは、国主・準国主・城主までなのだ。


 そして、城を持てない大名のことを無城大名と呼ぶ。城を持てないならば何処に住むかと言うと、藩の政庁は陣屋と呼ばれる建物で、そこに暮らしていることから、彼らは陣屋大名なんて呼ばれ方もされている。


 複数の曲輪から構成され、戦のときは防衛拠点となる城に対し、陣屋は単郭で、領地支配の政治拠点でしかないから、堀、土塁、石垣など城と同じような作りでも、戦闘時に拠点と出来るほどの規模ではないのが一般的だ。


 ただ、一国一城の主という言葉があるように、城持ちというのは一種のステータスであり名誉なものである。


 本人も城主になることを望み、領地を与える側も城主に任じてやりたい気持ちはある。さりとて、分けてやれる領地も城も無いというのが現実。そういうときは城主格という区分の出番となる。実際は陣屋を政庁としている大名だけど、待遇とか格だけは城主並みとしたのだ。あくまで"格"なので城を築くことは出来ない。


 さて、前置きが長くなったが、この度あまり目出度くもないが大名となった我が藤枝家は何処に分類されるかというと、城主格大名であるのだ。




「城なんぞ建てたところで金の無駄だ」


 中之条藩は吾妻郡二万五千石及び武蔵と相模に元々持っていた四千石を合わせて二万九千石少々。城主と認められるのに明確な基準があるわけではないが、一般的には三万石がラインと言われている。


 無論それより石高が多くても無城の者もいれば、二万石くらいで城持ちの者もいるが、それくらいの収入が無いと城は維持できないというところだろう。


 家基様からは建ててもいいぞと言われたが、現状吾妻の二万五千石は噴火の被害で額面通りではないし、仮に額面通りであっても、未来永劫無駄なランニングコストがかかる建造物を建てる気は無い。


 ハコモノ行政は良くないと思うんです。


「それで城主格なのですね」

「金も時間も惜しいからな」


 城を建てる必要はないという意見がよく通りましたねと種は言うが、建てられるような状況ではないからね。


 なにしろ天の邪鬼の俺が望んだのは、到底額面通りの農産は見込めない吾妻郡の二万五千石。新たに城を建てるために費用や労力を費やすなら、復興業務に回せよという話だし、まして今まで復興の指揮を取っていた俺が藩主となるのだから尚更のことだ。


 とはいえ、当初家基様は俺を幕閣の重役に据えたかったからだろうか、埼玉郡の三万石を与えるつもりだった。老中ってのは慣例で二万五千石以上の譜代から任用されるし、あそこには忍城という既存の城があって、特に苦労なく城持ち大名となれたからな。


 そのことからも、俺を城主として遇したいという思惑は見て取れた。


「それに、其方の夫ということも理由にある」


 そしてもう一つ明確な理由は、俺が種の、言い換えれば徳川の姫を嫁に迎えた男ということだ。一門の姫が嫁に行った家が無城の主では、将軍家の沽券に関わるわけで、だからこそ城を与えようとしたのだろうから。


 そんな事情もあって、城主格という扱いになったのだと考えられる。


「あれほど偉くなるのは遠慮したいと仰せでしたのにね」

「仕方あるまい。いつまでも加増を固辞しては、上様や大納言様の面目もあるし、私がそれを受けないと、周りの者たちがやりにくいと要らぬ恨みを買うからな」


 これは田沼意知殿の受け売りだが、功績を上げて褒美をもらわないのは、それはそれで問題だと言われればその通りだからな。


「その代わり、屋敷は立派なものを拝領しましたわね」


 大名となったからには大名屋敷が下賜されるわけだが、今回与えられた屋敷は、改易となった旧忍藩阿部家の屋敷をそっくりそのまま拝領した。


 ちなみに上屋敷は、江戸城の本丸や西の丸から見て南東側、内堀からの用水路が外堀に合流する地点の近くにかかる山下御門をくぐってすぐ西側にある。山下御門は江戸城で一番小さい門であまり聞いたことはないかもしれないが、一つ北側にある門が、内堀は日比谷御門、外堀は数寄屋橋御門なので、上屋敷の場所は未来で言う日比谷公園の近くと推測される。そして下屋敷は麻布。未来の地名で正確に言うなら西麻布あたりだ。


 そして驚くのはその広さ。これまでの湯島妻恋坂の屋敷も二千坪くらいあって十分に広かったけど、今回の上屋敷はその約四倍の八千坪、下屋敷に至っては四万坪を超える広さである。


 下屋敷は家臣やその家族が暮らす場所だから、それなりに広くないと話にならないので、どこかの空き屋敷を拝領する気ではいたが、そこまで広大なものは求めていなかったし、実を言うと上屋敷は妻恋坂のままでいいかなと思っていたんだ。


 湯島は旗本屋敷が多いが、中にはウチの屋敷と同じか少し広いくらいの敷地で、一万石から三万石くらいの小大名が上屋敷を構えているので、中之条藩もそこで問題ないでしょと伝えたのだが、家基様が「大名には格というものがある」と、よく分からない理由で今の屋敷に移転となったのだ。


「この広さならば、田安のお屋敷とまではいきませぬが、大名として十分な格式がありますわね」

「格式ねえ……まだ家臣の数も揃っておらぬというに。仮に家臣が増えたとしても、そもそも三万石足らずの小藩に格式を求められても、困るだけではないか」

「そう仰られますな。お城にも近くなりましたし」

「それはそうなんだよな」


 あれこれと言いたいことはあるけど、種が言う通りお城に上がるにもかなり距離が近くなったのは利点と言えば利点。そしてもう一つ、利点と言えるかどうかは分からないが、上屋敷のお隣さんが実は薩摩藩島津家の屋敷だったりする。


 ここで詳しい方だと、「あれ、島津の上屋敷は三田では?」と思うかもしれないが、たしかに上屋敷は三田なので、お隣さんが何かと言うと、島津家の中屋敷となる。


 普通は藩主の住まう上屋敷が江戸城に一番近くて、中・下となるにつれ城から離れるものだが、何故か薩摩藩は城から一番近いところが中屋敷だ。穿った見方かもしれないが、何かあったときにすぐに逃げられるように、上屋敷をわざわざ遠い三田に据えたのではないかと思っている。何故逃げる必要があるのかには言及しないが、島津ならあり得るかなと俺が勝手に思っているだけだ。


 とはいえ、今は状況が変わった。島津家も積極的に政策に協力する姿勢を見せてくれており、重豪公も俺がそこへ引っ越すなら、中屋敷を居地にすればいつでも会えるなと満更でもない様子。


 さらには道を挟んだお向かいさんが肥前佐賀の鍋島家なんだが、藩主治茂公は藩政改革に熱心な上、長崎警備の任を担う藩なので西洋事情にも興味があり、色々と俺の知見を活用したいと積極的な交流を見せてくれているので、外様の雄藩と親交を深めるという意味では有意義かもしれない。


「とはいえ、広いと維持費がなあ……」

「なれば、土地の広さを逆手に取り、余ったところは全て畑にしてしまいましょう」

「……いいのか、それ?」



◆ ◆ あとがき ◆ ◆

島津の上屋敷が三田である本当の理由は不明。本文はあくまで主人公(作者)の推論なので、真実だとは思わないでください。

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