バカの時代

湾多珠巳

The Era of Idiots


 はい、この教室は基礎科学概論ですな。本年度、二一三三年度の担当は、私、教授の四方山よもやまです。どうぞよろしく。

 まずはみなさん、入学おめでとう。君たちは、大学教育規制解除が成って最初の入学生ですね。実にめでたい。君たちの手で新しい時代が開かれるのです。新しい科学の時代です。え、そんな大げさな? いやいやいや。謙遜している場合ではありませんぞ。もっと誇りを持って。責任感を持って。冗談ごとでなく、地球の未来はあなた達の双肩にかかっているのです。

 まったく、科学にとっては暗黒時代と言ってもいい百年間でしたな。ある意味、人類がこれほどお気楽な人生を謳歌した時代も珍しいかも知れませんが。ま、そのあたりのことは、みなさんも中学高校で……え、習っていない?

 世界史、必修だったんでしょう? 最近一世紀の概略は……飛ばした? 寝てた? 自習だった? おやおや。それでみなさん、よく東大に入れましたね。……そうですか。高校出ててもそんなものですか。致し方ないですね。高校も、PTAとか組合とか、旧体制の圧力が健在ですからなあ。調査書は当てにならんと言うことですな。

 いや、分かりました。じゃあ、その辺からさらっておきましょうか。大丈夫、歴史学じゃなくて科学概論ですから。すぐに済みます。

 そもそもの始まりは、二〇三〇年頃から広まった、ある感染症が原因です。そう、名前もご存じですね。HORA四型ウィルス、俗に言うところの「バカウィルス」です。現在、全人類の九九・五パーセントが当たり前のように持っているこのウィルスは、前触れもなく突然現れて、瞬く間に世界中に蔓延しました。最初の発生はユーラシア北部地域でしたが、人為的に合成されたものが流出した結果だとの見方が一般的です。どこのバカが作って何が目的だったのか、なんてことも、ある程度分かっていますけれども、あまり詮索すると戦争になりますからね。それに、言うまでもなく、責任とか補償とか細かく考え出したら自滅につながりますから、今持って追及されてません。

 で、そのウィルスが、です。いやもう、どういうものか、なんて今さら言うまでもないでしょう。みなさん、生まれた時から持ってるんですから。あ、当たり前すぎて却って分かりづらい? ウィルスがなければ、どんな人間になるのか、ですって? そんなことも習ってないんですか。いや、分かりました。説明しましょう。

 このウィルスは、一見病気らしい病気は起こさないんですが、ある条件が続くと、感染者は脳内出血で死亡します。わかりやすく言えば、物事をあまり考えすぎるとダメなんですな。みなさん、昔から「深く考えるな」ってしつけられてきたでしょう? しつけというより、脅迫ですよね。当然ですよ。子供の命がかかってるんですから、親も必死です。

 もうちょっと大学っぽい説明をしましょうか。つまり、考える、とはどういうことか。黒板のイラストを見ながら聞いてくださいね。大脳神経論的に言うと、ここの側頭連合野と前頭連合野と視覚連合野とで、ですな、こう、ぴぴっと信号が飛び交う状態、それが「考える」状態です。猛烈な量の記憶単位を材料に、言葉と言葉の連想ネットワークを並列駆動させ、結果、一つの整合化されたシナプス信号を合成する、その作業全体が、人間の思考なのだと理解してください。

 さて、のほほんとした日常生活送ってる分にはそうでもないけれど、たとえば数学とか、論文作成とか、そんなものに取り組もうとすると、長時間、この「考える」状態を続けなければなりませんね。特に理屈をこね回す部分、前頭連合野っていうところ、ここを酷使する。ところが、HORA四型ウィルスは、こういう脳内活動にのみ反応するとんでもないしろものなんです。高級な思考に取り組もうとすればするほど、神経パルスからの信号がウィルス活動を活性化させ、手近な血管壁を分解して……。

 あれっ。どうしたっ? 具合が悪い? 話についていけない? 専門用語がちょっと多かったか。困ったな。医務室に行く? そこまでしなくてもいい? うん、じゃあ、とりあえず、無理に聞かなくてもいいから講義の邪魔にならない範囲で楽にしてなさい。あまり気分が悪くなるようなら、手を挙げるように。他のみんなは大丈夫かな? OK? よしよし。

 ええと……ウィルスが現れる前はどうだったのかって話でしたね。要するに、今みたいな話をしても、誰もぶっ倒れたりしなかったってことですよ。理屈っぽい話が苦手な人は、そりゃいましたけどね。まあ、この程度の理屈、中学生でもそこそこの人数が理解したんじゃないですか。え? いや、ほんとですって。嘘じゃない。

 ああそうだ。例えば入試問題です。これはいささか不愉快な話になるかも知れないけれどね。

 えーと、今出てる映像は、ちょうど百二十年前の公立高校入試問題ですね。ええ、高校ですよ。大学じゃないです。おまけに、これは一部です。もちろん制限時間付き。一般的には一教科五十分で、それが何と、英語・国語・数学・理科・社会と五教科もあったわけですね。

 ……ええ、公立志望はみんなこれ受けたんです。……いや、たくさんいましたよ。十五歳人口の六割は公立高校に入りましたから。

 ……いや、そんなことはない。有名私立はこんなのより遙かにレベルが高いですよ。もちろん、東大に入ろうなんてランクの生徒は、こんな問題で誰もあたふたしたりはしな…………。

 あーっ、君、どうしたんだ!? 問題解こうとしたのか。なんてむちゃなことを。出来るわけないだろう。……いやいや、仕方ないよ。まあまあまあ。腹を立ててもウィルスに悪いよ。はい、もー何も考えない考えない。イージーにいこう、イージーに、ね。

 ……落ち着いたかな? まあ健康を害しない程度に悔しがってはほしいんだけどね。とにかくこういう感じで、現代の東大生が地団駄を踏みたくなるほど、当時の中学三年生ってすごかったんだね(笑)。これ以上言うともっと体に悪いかも知れんが、今年の東大の問題、あれ、この時代の中一の中間試験レベルだもんね。

 ……いや、だから出来たんですって。この頃は。人間、小さい頃から尻を叩いて、しっかり考えろ考えろって教育すれば、そんなもんですよ。まるっきり価値観が正反対で、理解できないかなあ。

 ……うん、そう、科学史としてはそこがポイント。つまり、今の話を逆にするとだ、二十一世紀前半の価値観の転換ってのは、それはそれはものすごいものだったってことだ。今よりもずっと頭脳労働者が多かったからね。この日本なんて、科学技術で持ってるような国だったから、なおさら事態は深刻だった。発症初期で、主なインテリはみんな死んでしまったし。原因を考えようとすればするほど、死者が増える。悪夢だったろうね。

 もっとも、世間で考えるような頭脳職のみんながみんな死んだ訳じゃない。性格の問題も大きかったようだ。日頃物事を突き詰めて考える人は単純労働者でも死んでるし、暗記力にものを言わせるだけの二流インテリは医者でも弁護士でも長生きしたらしい。ちょっと笑えるのは、学校とか塾産業とかの、いわゆる「先生」の死亡率は他の職業よりもぐんと低かったってことだ。まあ確かに、一度先生になれば、あんまり頭は使わないもんだけどね。はははは。

 え? うん、だから、今いる医者とか技術者とか、百年前の理論をそのまんま丸覚えしてるだけなんだよ。深い理解も何もないけど、とりあえず頭に入る、記憶力だけ強いタイプっているでしょう? そういう人が、今は世界の頭脳労働の頂点に立ってるわけだね。もちろん、そんな学習で理解できないこともある。絶対頭を使わないと修得できない分野ね。それは単純に放っておかれた。だから、自然科学でも人文科学でも、現状は穴だらけですよ。それか、AIに丸投げしてるか、だね。とは言え、保守点検の行き届いているAIはもういくらも残ってなくて、事実上はどの学会も休業状態なんだけどね。

 そもそも二十一世紀前半っていやあ、コンピューターがあと少しで人間を超えるって本気で心配された時代なんだよ。聞いたことあるでしょう? まあ想像できないよね。今の僕らの環境って、せいぜい二十世紀末あたりにまで戻ってしまってるからね。製造業なんか、百五十年前の機械を無理にコピー生産してるか、古いのをだましだまし使ってるって感じだね。医学に至っては二百年ぐらい退行してるよ。だからウィルスのワクチンも治療法もいまだに発見されてないわけだ。

 私ですか? 私はゼロハンなんだよ。そう、残り〇・五パーセントの、なぜだかウィルスに耐性のある遺伝構造の生まれで。……いやいや。勘違いしないでくれ。ゼロハンなら賢い、というのは迷信だ。私を見れば分かるでしょう(笑)。時代が時代だから、東大の教授なんかになっちゃってるけどね。しょせん、ほんとうのインテリなんて、百人のうちの二、三人です。だから、ゼロハンの中でも立派に頭脳労働できるのは、そうはいませんよ。え、もっとしっかりしてくれって? そう言われましても。君、知力なんてまるでないのに、DNAパターンだけで選別されて、無茶な期待をされ続ける身になってくれ。まるで……いや、まあ余談はさておき。

 とにかく、この百年が人間社会のもっとも狂った百年であるのは確かだ。記憶以外の知的行動が全面否定された時代なんだからね。哲学的、歴史学的に見れば、また別の意味で興味深い時代だったと言えるだろうが、まあ面白がりたい人は研究してくれ。確かに人口が一気に減ったから、それほど戦争とか内乱とかには縁がない、有史以来の平和な時代だったのも確かだ。皮肉なものだね。人間から知性を除けば、世界平和が実現したんだから。単純に怒ったりむかついたりするだけで発症率が増えるって事実が発表されてからは、なおさらだった。

 そうは言っても、学問する者にとっては間違いなく地獄の一世紀だった。君達にもある程度おぼえがあるだろう。そう、知的活動が命に関わる以上は、教育全般が悪の所行と見なされてしまうわけだ。いくら何でも、人間ある程度は知恵も教養も必要なはずなのに、あらゆる教育を全否定する先生まで出てくる始末でね。だったら先生なんてやめればいいのに。

 日本はそうでもないけれど、国によっては政治勢力と結びついたりして、ウイルス出現当時には内乱みたいなことになった所もあったみたいだね。屁理屈こね回してるうちにみんな死んだのが、また笑えるけどね。

 とにかく、一時期教育界は、深刻なジレンマに陥った。高校進学率が激減して、大学はどこも事実上の自主閉鎖に追い込まれた。シリアスに悩みすぎると死んでしまうから、空気だけは妙にカラッとしていたそうだ。救われる話なんだか、救われない話なんだか。

 ところが、だ。わずかずつでもトータルで見れば人間の進歩は続いているもんなんだ。ウィルスそのものに対抗できないんなら、何とかうまく折り合っていけないかってテーマで研究を続けた連中がいて、彼らがある発明をした。のみならず、衝撃的な事実が明らかになった。みなさん、ご存じですね。三年前のテンポウザン・ショック。この東大を含む各国の有志が集まって、二一三〇年元日に、大阪の天保山山頂で世界に向けて発信した研究発表です。

 まず、彼らは脳内ストレスメーターというものを作った。脳細胞の活動状況を一目で把握できるという、脳波計と血圧計と赤外線モニターを連動させた機械だね。これを見れば、自分がどれぐらい危ない状況か、客観的に分かる。いや、正直なところ、大した製品じゃないんだけどね。こんなものも満足に作れなかったというのが、過去百年間の人類科学だったんだ。

 で、製品発表と共に、研究発表も行われた。それによると、現在の人間は、大人も子供も、危険レベルの三〇パーセントも頭を使ってないことが明らかになったんだ。ウィルス感染者とゼロハンの人間とで比較すると、感染者の頭脳活動は本来あるべき量の半分すらなく、脳の発達がおしなべて不十分だということまで指摘された。このままだと人間という種そのものが退化するだろうと。

 ぶっちゃけて言えば、考えたら危ないって言う恐怖感ばかり一人歩きして、みんなどんどんパーになってたということだね。確かに、この百年間に組合や圧力団体が叫んできたこと見れば、よーく実感できるね。まあ責められないけどね。

 反応はすごかった。賛成者、反対者とも、久々に考えすぎによる死亡者が出たね。一方で、この程度の発明も出来なかったのは、こういう騒ぎを怖れての当局の規制があったんじゃないか、なんて陰謀説まで流れたね。あながち、流言とも言えないんだけど。

 それでも、さすがに元科学立国だけあって、日本の反応は早かった。未だ揉めまくってる国もある中で、この国は高等教育の再編をスピード可決したんだ。結果が君たちだ。ストレスメーターを着用の上で入試を受けてもらい、このたび久しぶりにまともな入学生を迎え入れた。死亡者は出なかったから、これで実証的に大学教育の安全性が確認されたことになる。

 さて、ここまで話せば、君たちがこれから取り組むべき内容は分かるだろう。ストレスメーターの、全国向けの量産体制、その機械的改良、製造面での企画立案、教育現場での導入とそれに伴う各種法整備の研究、その他諸々。この機械が普及すれば、昔ほどじゃなくても、人は存分に考え、悩むことが出来る。そうすれば、高校や大学も復活して、そう遠くない未来にウィルスを駆逐する方法も見つかるだろう。人類知性の氷河期は終わるんだ。

 ん? それが果たして人類の幸福につながるかどうか? だから、それは哲学科か歴史学科の領域だって。まあそういう皮肉な見方は嫌いじゃないけどね。君、よかったら文学部の教授を紹介するよ。

 というわけで、この講義の前半は、ストレスメーター量産化のための電子工学基礎、後半は製造システム設計の基礎と演習、ということになります。今日の残りは、テキストを見ながら電気回路の初歩を改めて確認しようか。では、さっそく八ページを開いて。そこに豆電球と乾電池のつなぎ方の図が……。

 あれっ、どうしたんだ、君達っ!? おい、講義もまだなんだぞ! なんで泡なんか吹いてるんだ!? くそ、救急車! いや、医学部でいい、どうせ出来ることは変わらん。急いで!

 ……あーびっくりした。あの学生達、今まで我慢してたのか。しかしずいぶん減ったね。そんなに難解な話だったのかなー。あいつら、ほんとに入学試験に合格できたのか?

 ……なんだって? 裏口で献金? 集団で? これからは大学卒の時代だって飛びついた高給取りの子女が? ははん、噂には聞いていたが、あの学生達がそうだったのか。にしても、入ってから落第続きなら、簡単にばれるじゃないか。何とか卒業できたところで、科学関係で食っていけるわけないし。ちょっと考えれば分かりそうな――。

 そうか。親子揃って何も考えてない時代だもんな。一世紀分の教育の成果だなあ。やれやれ、人類知性の復活までは、もう百年ってとこかな。


  <了>

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