ロストアート捜索隊 ー失われた絵画はどこにある?ー

葦沢かもめ

1. 画廊

 僕は、絵を描くことができない。僕の右手は絵筆で油絵の具をすくい取って、キャンバスへ塗りつけている。でも、これは僕の絵ではない。

 東京郊外の小さな画廊が、今日の仕事場だった。僕の絵の個展が今日から開かれるらしく、僕は在廊しながらその場で絵を描いてほしいと依頼されていた。画廊がオープンするのは数時間後だけれど、いつもと同じ時間からキャンバスの前に座っている方が、気が楽だった。

 真っ白なキャンバスに、色が産み落とされていく。ペインティングナイフが島を形作り、影が新しい表情を見せる。まるで世界の創世のような作業を、僕はただ眺めていた。僕の意思の介在しないところで、右手が踊っている。なんだか楽しそうでいいなと、僕は思う。

「ワンダーに溢れている。良い絵だ」

 いつの間にか画廊のオーナーが、僕の横でキャンバスを覗き込んでいた。青い迷彩柄のコートは、高級ブランドのものだろう。彼はコートのポケットから手を出して、ラウンドサングラスをくいっと上げる。

「稀代の画家、大原ヨシタカここにありってカンジ」

「ありがとうございます」

 みんなは、僕を画家と呼んでくれる。僕が描いたという絵に目を凝らし、真面目な顔をして評価を語り、高く買ってくれる。僕はそういう天から降ってきたようなお金でご飯を食べている。不思議な話だ。

「人間のアートは、やっぱりAIアートとは違いますな。手を動かすってのがいい。指先に神が宿ってる」

「神様ですか」

「見れば分かりますよ。私はたくさんの絵画を直接この目で見てきましたからね。でも悲しいことに、見る目のない人間も多くって困りますよ。すぐに『AIに描かせたんじゃないか』って言いやがるから、最近はわざわざ目の前で画家さんに描いてもらわないといけなくなっちゃって。手間をおかけして申し訳ないです」

「いえ、お客さんと会話できたりしますから、楽しいですよ」

 僕は、AIが描いた絵もいいんじゃないのと思うけれど、それを口に出すほど世間知らずではない。

 AIという影も形もないソフトウェアが絵を描くようになって、何年が経っただろうか。AI画家が画壇に現れた当初は、画家の仕事が奪われるという恐怖が世の中に蔓延した。しかし結局、AIアートは画家を殺すことはなく、逆にアート市場を拡大させた。流れが変わったのは、リアルタイムに生成された絵を映し出すデジタルフレームが普及した頃だろうか。アートが身近にある生活が当たり前になったことで、多くの人たちがアートを理解し、アートを求めた結果、人間が制作したアートの需要も増えたのだ。AIアートも諸々の問題を乗り越えて、徐々に市民権が認められてきている。

「大原先生、そろそろ例の作品が届く時間ですよ」

「……ああ、もうそんな時間ですか」

「よろしければ、ご一緒にお迎えしましょう。大原先生の代表作ですから」

「そうですか」

 僕は、内心では渋い顔をしながら立ち上がった。あの絵と対面するのは何年ぶりだろうか。久しく会っていない。いや、会おうとしなかったと言うべきかもしれない。僕から絵を描く能力を奪った、忌まわしき呪い。僕を画家という檻に閉じ込めたブラックホール。それが、あの絵だ。

「それにしてもアートデリバリーは便利ですよねぇ。私みたいなマニアにはたまらんですよ。こないだは若冲を送ってくれましたから」

 オーナーは若冲の筆致が目の前にあるかのように、感動で体を震わせていた。

 アートデリバリーは、アートの世界を作り変えてしまった。「Art as a Service」――アートを必要とする人へ届ける――。そんな綺麗事を、アートデリバリーは愚直に実現した。アートデリバリーを提供しているのは、エルフアーツ社というインドネシアの新興企業である。エルフアーツ社は、アーティストたちから作品を預かり、そのアートが必要な人々へアートを送り届けるシステムを作り上げた。アートの届け先は、ウェアラブル端末で収集した人々の感情や体調のデータを元にして、AIによって自動的に選ばれるようになっている。

「今じゃ、そのアートが必要だとAIが判断すれば、スラム街の子供の前にピカソの絵が届けられることだってある。アートが美術館で人間とにらめっこする深遠な存在から、人々の日常に彩りを添える福祉になったと言っても過言じゃない」

「アートの価値そのものが変わりましたよね。オークションで高い値札を付けて取引されていたのが嘘みたいです」

「そんな時代もありましたな。画廊もすっかり変わっちまいましたよ。アートデリバリー以前は、どうしてもアーティストさんの絵を売って稼ぐ必要がありましたが、今はどんなユニークな企画をするかが重要になりましたよね。アーティストさんを発掘する腕前が試されているカンジがします」

「僕のような人間からすると、今まで注目されていなかったアーティストにもスポットライトが当たるようになって、ありがたいなと感じます。大事な作品が道端で運ばれているのを見るのは、ちょっとひやひやしますけどね」

「おっと。どうやら、その運び屋さんがご到着みたいですよ」

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