4. マハカム川

 数時間後、列車はサマリンダの駅に到着した。サマリンダは、ボルネオ第二の都市である。駅舎の前で、僕たちは捜索チームのメンバーと合流した。

「これで『ロストアート捜索隊』は全員集合ですね!」

「『ロストアート捜索隊』?」

「はい! 捜索チームの名前です。カッコいいでしょう?」

「ダサ……まぁ、いいか」

「不満そうですね?」

「さて、仲間たちに挨拶をしましょうか」

 僕はそそくさと退散した。もちろん、これから共に捜索をする仲間たちとコミュニケーションは重要だからである。

 メンバーの中には日本語が話せる現地のガイドが一人含まれていた。

「初めまして。ヴィックです。サッカーが好きで、ヌサンタラFCのファンです」

「大原です。よろしくお願いします。すみません、サッカーはあまり知らなくて」

「ニホンのサッカーリーグも、インターネットでよく観ますよ。インドネシアの選手が何人かいます」

 話を聞いてみると、どうやら僕の住んでいる街のプロサッカークラブにも、インドネシア出身の選手がいるようだった。

「今度、試合を観に行ってみますよ」

「ぜひボクも誘ってください。ニホンに行きますから」

 ヴィックの言葉には、声をかけたら本当に来てしまいそうな熱量があった。

「そういえば大原さんはダヤク族って知ってますか?」

「いえ、知らないです」

「インドネシアの先住民で、首狩り族として有名なんですが、ヴィックはそのダヤク族なんです」

「えっ!?」

 僕の驚く顔を見て、二人は笑っていた。

「大丈夫。首刈りは昔の話。ボクはしたことないです」

「なんだ、良かった……」

 僕はホッと胸をなでおろした。

「ニホン人は、いつもビックリしますね。でもニホン人も昔は首刈りしてましたから、ナカマです」

「言われてみれば、そうですね。でも、そういう仲間は嫌だなぁ」

 ニコニコと笑顔を浮かべたヴィックの前で、僕は苦笑いするしかなかった。

 一行はマハカム川の岸辺でスピードボートに乗り込み、下流を目指した。マハカム川は川幅が広く、水は土気色に濁っていた。交通網の整備は各地で進んでいるらしいが、今もなおマハカム川は重要な水上交通路として利用されている。ボートで川を下っている間にも、キャッサバやバナナが積まれたカヌーを何度か見かけた。ボートは結構揺れたけれど、松尾さんからもらった酔い止めはどうにか効いているようだった。

 しばらく川を下るうちに、僕は川岸に立てられた看板に目が留まった。同じ看板が、間隔を空けていくつも立っている。看板にはカワゴンドウのイラストが描かれており、吹き出しが添えられていた。インドネシア語は読めないが、雰囲気からすると、どうやら環境保護を訴えているようだった。僕は、そのイラストにどことなく気持ち悪さを感じた。絵には描き手の心が宿る。僕には、それが手に取るように感じられた。

「あの看板には、なんて書いてあるんですか?」

「イルカは喋らないです」

 ヴィックは呆れたような顔をして、看板の内容を教えてくれなかった。

「インドネシアがもっと良い国になるためには、森の木を切らないといけません。外国の人に命令する権利はない」

 そのヴィックの言葉から、看板を設置したのは海外の環境保護団体なのだろうと僕は察した。確かに自然を守ることは大事である。しかし森を開拓できなければ、インドネシアという国は発展できない。先に環境を破壊して先進国になった人々に「環境を守れ」と言われても心に響かないだろう、と僕は思った。

 マハカム川は、サマリンダから東へ約五十キロメートルのところでマカッサル海峡へと注ぎ込む。河口には三角州が形成されており、広大なマングローブ林に覆われていた。川を下るにつれて、岸辺に見えていた建物の姿はしだいにまばらになっていった。それと入れ替わるように、水面すれすれに枝を伸ばしたマングローブが一行を歓迎した。

「あれが見えますか?」

 ヴィックは岸辺に繁茂したマングローブのうち、特に背の高い一本を指差していた。

「オレンジ色の動物が何匹かマングローブの上にいますね」

「あれはテングザルです。鼻が長いサル」

 ヴィックが手振りで長い鼻を再現してみせていた。テングザルはカリマンタン島の固有種で、マングローブ林を主な住処としている。

 驚かせないように注意しながら、ボートがテングザルたちの横を通り過ぎようとした時だった。太い鼻をした雄のテングザルが、ボートに向かって威嚇するような鳴き声を上げた。そのヒキガエルに似た低い声は、テングザルが何かを言っているように聞こえた。それはまるで人間に語りかけられているかのようであり、不思議な感覚だった。

 次の瞬間、気が付くと、僕はマングローブの枝の上に座っていた。

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