2. アートデリバリー
オーナーがスマートフォンの通知を確認してギャラリーのドアを開けると、機械の小人たちが画廊に入ってきた。彼らは、「ボット」と呼ばれるアート運搬用ロボットである。ひとつひとつは掌に乗るくらいの大きさで、黒い球のようなフォルムをしている。本体を覆うように一対のタイヤが付いており、これでちょこまかと走り回る。オフィスチェアから外れたキャスターが、ひとりでに動いているみたいだ。
ボットたちは、ちっちゃな体を寄せ合いながらパソコンディスプレイ程の大きさの箱を運んでいた。箱の外側は包装紙に包まれている。この箱は強化ガラスでできており、中に収められた絵画には傷が一切つかないようになっている。万が一盗難されたとしてもGPSが内蔵されているし、これをこじ開けるにはダイナマイトが百本ほど必要だと言われている。そもそもアートを盗んだところで、もはや高値で買い取る人間がいないのだけど。
「アートデリバリーです。絵画をお届けに参りました」
群れの中の一体が、うやうやしくオーナーに会釈をした。
「こちらの壁にお願いします」
オーナーが画廊の一角にある、まだ何も飾られていない壁を指し示した。小人たちは整列して壁際へと行進すると、団子のように積み重なった。小さな体で絵画の入った箱を持ち上げると、絵画はあっという間に壁に設置された。
「お客様、アートを心ゆくまでお楽しみください」
ボットたちは丁寧にお辞儀をすると、ころころ転がって画廊を出ていった。
「あれ? 包装紙でくるんだまんまだな」
設置された絵画の前で、オーナーが首を傾げている。確かに、箱は包装紙を被ったまま壁にかけられていた。
「いつもは外してくれますよね」
「たまにはこういうこともあるか」
オーナーが慎重に包装紙を破いている横で、僕はこの場から逃げ出す理由を必死に考えていた。
「眺めるのが楽しみですよ。この『This is Not My Work』は、大原さんの代表作ですから」
「それは良かった」
適当に相槌を打つ。この絵は、いつも僕の頭の中に貼り付いて離れない。寝ている間もずっと。画家という名前を着せられた僕が描いてきた絵は、全てこの絵の呪縛に囚われている。
できれば僕は、絵を視界の中に入れたくなかった。さりげなく窓際に立って、外に視線を移す。
「絵画を描いている人物像に『This is Not My Work』と名付ける、メタ的な自己否定が好きです。もしや、本当にご自身の作品じゃなかったりして」
「まさか」
「ですよね。これは失礼しました」
いや、謝るのは僕の方だ。オーナーの指摘は当たっている。
この『This is Not My Work』は、僕の作品ではない。実は、僕の美大時代の友人である白里という男の遺作なのだ。それが成り行きで、僕の作品ということになってしまった。しかし誰も知らないのだ。あの絵が僕の絵ではないことを。
僕は白里の作品で有名になり、白里の作品の模倣ばかり続けている。僕は画家と呼ばれるべき人間ではないし、僕が描いた絵は僕が描いた絵ではない。初めの頃は、自分らしさを出そうとしていたこともある。だが、彼の作品から抜け出すことは、僕にはできなかった。
もしかしたら、白里が描くはずだった絵を描いているのかなと思うこともある。でも白里の絵のレベルに到達していないことは、僕がよく分かっている。僕がしていることは、せいぜい劣化コピーだ。
「あれ?」
オーナーの素っ頓狂な声に、僕は思わず振り向いてしまった。
「これって大原先生の作品?」
「いや、僕の作品ではないですね……」
僕たちの目の前に鎮座していたのは、クレヨンで描かれた抽象画だった。ぐにゃぐにゃの線で描かれた円や三角形が並んでおり、人間らしきものも見える。まるでどこかの子供が描いた落書きのようだけれど、こういう現代アートもあるのかもしれない。いやしかし、絵画の右下にミミズのような線で「しょう太」と書かれているようにも見える。材料も、よくある画用紙だ。それでも、僕には指摘する勇気がなかった。
「これが『This is Not My Work』に続く新作……みたいなサプライズでもないですよね?」
「僕は、そういうタイプのアーティストではないですね」
「じゃあ、ボットがどこかで作品を取り違えたんでしょうな」
「そんなことありますかね? 作品の位置情報って見れますか?」
「確かに、それを見るのが早いですね」
オーナーが開いているアプリの画面を覗き込む。『This is Not My Work』の現在地は「所在不明」と表示されていた。
「バグですかね。私がエルフアーツ社に問い合わせますよ。大丈夫ですって。大事な作品はガラスケースが守ってくれていますから、ご心配なさらず」
そう言って、オーナーがスマートフォンを片手に持って外に出ようとした時だった。
「キ、キーーーッ!、ガッシャーン!」
ブレーキ音に続いて衝撃音がどこかから聞こえてきた。僕たちが急いで外へ出てみると、近くの路上にボンネットがひしゃげた自動車が転がっていた。
「事故かな?」
「しかし、あれは……!」
僕は、アスファルトの上に置かれていたものを指差した。それは木製の毘沙門天像を収めた強化ガラスのケースだった。近くにボットたちの姿が見えないから、運搬中とも思えない。
「なんでこんなものが路上に?」
「大原先生、あっちにも!」
オーナーの視線の先へ目を凝らすと、近所の五階建てのアパートの壁に絵画が飾られていた。
「一体、何が起きてるってんだ?」
「僕にもさっぱり……」
しかし、僕はなんとなく直感していた。『This is Not My Work』が、僕の手の届かないどこか遠くへ行ってしまったことを。そしてこの日を境にして、再びアートというものが変わってしまうだろうということを。
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