2 菜食主義者の言い分
「この通り、人間が肉を食べなくてはいけない理由はないんですよ。それなのに、あなたはどうして肉を食べるんですか?」
「それは……」
彼の質問に、私は思わず口ごもってしまう。
「動物も植物も同じ命だ」と言えば「畜産はより多くの命を犠牲にすることになる」と言われ、「肉を食べた方が健康的だ」と言えば「むしろガンになるリスクがある」と言われ…… 私の主張はことごとく反駁されてしまっていたからである。
最後に残った理由はといえば――
「美味しいからでしょう?」
「…………」
彼の言う通りだった。
最後に残ったどころか、それが最初の理由、根源的な理由だった。
まず肉を食べたいという欲求があって、その欲求を肯定するために、あとから植物も同じ命だの肉は健康上必要だのと理屈をつけたに過ぎない。本心からすべての生命を平等に扱おうとしたり、栄養バランスを意識したりして肉を食べたことなど、これまでに一度としてなかった。
ローストビーフに豚汁、油淋鶏、ジンギスカン…… 私は結局、美味しいから肉を食べていただけなのだ。
しかし、それの何が悪い?
「代替肉と言うんですか? 大豆やなんかでできた、肉の代用品の存在をどう説明なさるんですか? 肉の細胞を培養して作る培養肉は? あなたたちヴィーガンだって、本当は肉を食べたいんでしょう?」
「私は違いますが、中にはそういう方もいらっしゃるでしょうね」
「なら本物の肉を食べたらいいじゃないですか」
「もし環境保護のために自転車に乗っている方に対して、『本当は楽に移動したいんだ』『なら自動車に乗ればいいのに』と言う人がいたらどう思いますか? あなたのおっしゃっていることはそれとまったく同じですよ」
はたから見れば、善人にケチをつけている小悪党でしかないだろう。もしくは、善行をしない自分を肯定したいだけの怠け者といったところか。
ならば、「環境保護は思想として正しいが、ヴィーガニズムは正しくない」と主張したいところだが……肉食に特に正当性がないことは、彼との議論によってすでに認めさせられてしまっていた。
「ちなみに、完全な菜食ではなく肉食の頻度を減らすタイプのヴィーガン、いわゆるフレキシタリアンに関してはどうお考えですか? 結局肉を食べていると批判されますか?」
「それはだって、その通りじゃないですか?」
「その考え方は間違っていますよ。雨の日だけ仕事の日だけという風に自動車に乗る頻度を減らしている方に対して、『結局自動車に乗っている』と言うようなものですからね」
確かに、完璧な善行でなければ無価値ということはないだろう。たとえ10円だろうと1円だろうと、寄付をしないよりはずっといい。
つまるところ、私は少しの善行を無価値と見なすことによって、何も善行をしない自分を肯定したいだけなのではないか。
「また、いわゆる
「さらに言えば、現在多くの国で死刑が廃止されていますが、それもいきなり死刑を廃止したわけではなく、まず残虐な死刑を人道的な死刑に置き換えるところから始まっています。家畜の飼育環境の改善は、家畜の廃止の第一歩なんですよ」
平民、女、子供、障害者、有色人種、性的少数者、犯罪者…… 社会の発達とともに、社会的弱者の権利保護が推進されていき、とうとう動物の権利も意識されるようになった。そして、弱者の人権が徐々に拡充されていったように、今後は動物の権利が拡充されていくことになる。彼はそう考えているようだった。
「話を戻しますが、肉食主義者が肉を食べる理由は、突き詰めれば『美味しいから』以外にありません。
たとえば、味や値段が通常の肉とまったく同質の代替肉が作れるようになったと仮定します。この状態にあっても、畜産を行うべきだと主張する人がいるとは私には思えません。あなたはどうですか?」
「それは……そうですね」
あくまでも肉を食べたいだけで、動物を殺したいというわけではない。もし狩猟や畜産をせずに肉を手に入れる方法があるとしたら、おそらくそちらを選ぶことになるだろう。仮定の話ではあるものの、それは認めざるをえなかった。
「また、アニマルライツに焦点を当てましたが、ヴィーガニズムの正当性はそれだけではありません。
先程少しだけ触れましたが、1キロの牛肉を作るにはその十倍以上の飼料が、比較的効率がいいとされる鶏肉でも四倍ほどの飼料が必要だとされています。
言い換えれば、畜産をやめれば、家畜の飼料になるはずだった分を人間の食料として利用できるようになるんです。ヴィーガニズムは食料問題の解決に繋がるんですよ」
無論、牧草や食品廃棄物を飼料にしている例もあるから、単純に飼料の分だけ人間の食料が増えるというわけではないだろう。しかし、それを主張したところで、「それでは、牧草や廃棄物以外による畜産は禁止してもいいということですね?」と言い返されるに違いなかった。
「また、畜産は環境への負荷も大きいです。特に飼料の輸出入で放出される二酸化炭素や牛のゲップに含まれるメタンガスは、地球温暖化に深刻な影響を与えているとされています。ですから、ヴィーガニズムは環境問題の解決にも効果があると言えるでしょう」
彼が先程、自転車と自動車でたとえ話をした時、私はそのたとえ自体には疑問を持たなかった。環境保護が概ね正しい思想だと認識していたからである。
だから、彼の話に頷かないわけにはいかないのだった。
「……なるほど」
「我々が正しいということを理解していただけましたか?」
「そうですね。ヴィーガニズムは確かに正しいのかもしれません」
肉食したい理由はあっても、肉食しなければならない理由はない。
一方、アニマルライツはともかくとして、人権のことを――食料問題や環境問題のことを考えれば、菜食しなければならない理由はある。
おそらく、ヴィーガニズムは正しい思想なのだろう。それは認めざるを得ない。
「しかし、ヴィーガンはどうでしょうか?」
「……どうとは?」
まだ相手に反論する気力があるとは思わなかったのか。自身に批判が向けられそうなのを予感したのか。私の言葉に、彼は初めて眉根を寄せるのだった。
「畜産の廃止を訴えるヴィーガンが、牧場を襲撃するという事件を起こしたという記事を読んだことがあります。これは明確な違法行為ですよね?」
「残念ですが、ヴィーガンの中にそういう過激派とでも言うべき人たちがいることは否定できません」
「でしたら――」
「ただ、一部のヴィーガンが問題行動を起こしたからといって、すべてのヴィーガンを否定するのはナンセンスでしょう。それはある宗教の信者がテロを行ったからといって、すべての信者をテロリストと見なすようなものです」
犯罪者の男女比は、男の方が圧倒的に高いそうだが、だからといって自分が犯罪者やその予備軍だと見なされるのは困る。それゆえ、私はやむなく彼の理屈を受け入れていた。
しかし、反論をやめようとは思わなかった。
「ヴィーガンが幼児に菜食を強制して、栄養失調で死なせたというニュースもありましたよね?」
「痛ましい事故でしたね。ですが、それは一部のヴィーガンの話です」
彼は再びそう繰り返した。この手の疑問に関しては、すべて同様の論法で押し通すつもりなのかもしれない。
「では、ヴィーガンがアップした食事風景の写真に肉が写り込んでいたというのは?」
「それも一部の話です」
「本当にそうですか?」
私には到底そんな風に考えることはできなかった。
何故なら――
ハンバーグ、チャーシューメン、親子丼、すき焼き、しゃぶしゃぶ、ソーセージ、フライドチキン、棒棒鶏……
何故なら――肉は美味しいからである。
「たとえば、共産主義という思想がありますね。生産手段や生産物を全員で共有し、労働者と資本家という階層の違いをなくすことで、格差のない公平な社会を実現しようという、一見素晴らしい思想です。
「しかし、歴史上、共産主義を十全に達成できた国家は存在していません。その理由の一つに、『人は社会正義よりも個人的な欲求を優先する』という人間の本質を無視している点がよく挙げられます。
「生産物を全員で共有するということは、一人一人の能力や成果が評価されない、つまりいくら努力しても賃金が上がらないということです。このような状況では勤労意欲が湧かず、必要最低限の仕事しかしなくなるのが人間というものでしょう。そのせいで、共産主義国家では生産性の低下が起こってしまって、最終的には破綻へと繋がっていきした。
「ヴィーガニズムも同じことなのではありませんか? 『肉は美味しい』『肉を食べたい』という人間の欲求を無視している以上、ヴィーガニズム国家というのは成立しえないのでは?」
肉食をするのは自動車に乗るようなものだと、彼は菜食しないことを堕落のように言っていた。しかし、環境に悪いと分かっていても、自動車を手放せる人間はそうそういないだろう。これは言わば、彼の主張を逆手に取った反論だった。
だが、それでも彼は折れなかった。
「そういう方のために、代替肉や培養肉の研究が進められていますよ。いずれは本物の肉と遜色のないものも作られるようになるのではないでしょうか」
「そのいずれというのは具体的にいつですか? それは『いずれAIの発達で人間に代わって機械が仕事を行うようになって、共産主義が達成されることになる』というのと変わらないのでは? はっきり言って、絵空事にしか聞こえませんね」
ヴィーガニズムは確かに間違った思想ではないのかもしれない。しかし、人類には早過ぎた思想なのではないか。それも、実現できる未来が永遠に訪れないのではないかというほどに――
「……私は専門家ではないので具体的なことは言えませんが、完全な代替肉を作るのは技術的に難しいのかもしれません。
しかし、科学技術の革新は難しくても、社会制度は変えられるはずです。学校でアニマルライツに関する教育をして、法律も徐々に畜産を制限する方向に整備していく。そうすれば、今よりも肉食の減った、あるいは肉食が0になった社会は実現できると思います」
「それこそ絵空事でしょう。教育や法律でどうにかなるなら、この世界に犯罪者なんて一人もいませんよ」
人権に関わる環境問題でさえ、目先の欲求を優先して、不法投棄などの違法行為に走る者が出ているのだ。わざわざ動物のために自分の食習慣を犠牲にしたくないという人間はもっと大勢現れることだろう。
「確かに、全人類をヴィーガンにするのは無理でしょうね。たとえ禁じる法律を作ったとしても、麻薬のように裏で肉を食べる人間はおそらく出てくることでしょう。
ですが、逆に誰一人としてヴィーガンにできないというわけでもないはずです。というより、多くの人間が麻薬を使わないように、肉食を自制できると思います」
「そう上手くいくでしょうか?」
「私だって今でこそヴィーガンですが、子供の頃は肉を食べていたくらいですからね」
そういえば、彼は「アニマルライツのことを考えてヴィーガンになった」と言っていた。親に菜食で育てられたような、生粋のヴィーガンというわけではないのだ。
しかし、それを言葉通りに受け取る気にはならなかった。
「あなたは現在まったく肉を食べていないのですか?」
「ええ、そうですよ」
「本当にですか?」
「ええ」
彼は改めてそう頷く。
その隙を見て、私は立ち上がっていた。
彼がコーヒーを淹れてきた場所へ――キッチンへと向かったのだ。
「ちょっと!」
制止しようと後ろから彼が声を掛けてきたが、私はそれをまったく聞き入れない。むしろ、彼の慌てた様子から自分の勝利を予感して、さらに急ぎ足になっていたくらいだった。
大きな冷蔵庫の前まで来ると、私は躊躇うことなくそのドアを開ける。
すると――
「なんだ、これは!」
冷蔵庫の中には、肉が入っていた。
それもかなりの量があった。一人暮らしの彼では、三食たっぷり食べても食べきれないのではないかと思うほどである。
「やっぱり隠れて肉を食べてるんじゃないか!」
「…………」
さんざん食べなくても平気だと言っていた彼が、陰では肉食をしていたのだ。ヴィーガニズムは人間の欲求を無視した理想論だということが、証明されたと言えるのではないだろうか。
それどころか、彼はヴィーガン団体の会長という立場にある。これを記事にすれば、大スキャンダルとして人々の関心を集めるに違いない。私は持参したカメラですぐに写真撮影を始めていた。
もちろん、本人に対してインタビューすることも忘れていなかった。
「逆にお尋ねしますよ。あなたはどうして肉を食べるんですか?」
これまで彼にはさんざんやり込められていた。その意趣返しに、私は皮肉たっぷりに質問する。
「やはり美味しいからですか?」
「……ヴィーガニズムを広めるためですよ」
「意味が分かりませんね。一体どういうことですか?」
あらかた写真を撮り終えた私は、本格的に問い詰めてやろうと彼の方を振り返る。
その瞬間、胸に激しい痛みが走った。
私が肉に気を取られている間に、彼は包丁を手にしていたのだ。
「反ヴィーガンの死体を処理するためです」
(了)
肉食菜食論争 蟹場たらば @kanibataraba
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