9章 RE: Pepper Candy Drops‼︎‼︎

 1


「カプリラ! 後ろに何匹か来てる!」

「ありがと!」

「危ないわよメグル! ちゃんと自分の方も見て!」

「わげっ! あっぶねぇっ。助かった、エナ!」

「五十一! 五十二! そっちはどうですのコーヴェさん! わたくし絶好調ぶっ殺し記録更新ですわぁ!」

「五十三ッ! 私の方が少し上だな、メイベル。まだいけるぞ」

「ンガァ!? 五十三ンン! こっちもまだまだブッ込めますわぁッ!」

 押し寄せて来る魔物たちを、ひたすらに蹴散らしていく。キリがないと思っていたが少しずつでも数は減っているようだ。

 でも、もう何時間もこの調子だ。いい加減、その場の全員に疲れが見えていた。メグルも絶え間なくギターを掻き鳴らしているせいで汗だくだ。弦を押さえて弾く手もプルプルしてきた。

「メイベル隊長! バンドたち! ここは俺たちに任せてください! これくらいの数なら行けますから。休んで!」

 メイベルの部下ではないが、騎士団の別の部隊の隊長がそう言ってくれた。だが彼らも一緒に戦っていたので顔に疲労が滲んでいた。残していって大丈夫だろうかと思っていたら、カプリラが口を開いてくれた。

「でも、皆さんもずっと戦ってるじゃないですか。私たちはまだやれます!」

「いえ、休んでください! まだ別のところも人手が足りないですし、新手がいくらでも来るかもしれません! 強い方々の戦力は温存しておかないと!」

 剣と盾を構え直し、団員たちは士気を見せつけてくれる。ここまで言われたら、言葉に甘える他なさそうだった。

「わかりました、気をつけて!」

「わかってます! 城でまた会いましょう!」

 彼らにこの場は任せて、メグルたちは門の内側に戻り鎧戸を閉めてもらった。騎士団の詰め所に向かう。

 今までメグルたちが戦っていたのは西門で、ハイバルトには東門と正門もある。守り手は圧倒的に足りないだろう。そこに押し寄せる魔物たちの数があまりに多い。結界の魔石が無くなった事が、こんなにも影響を及ぼすとは。既にこんな大きな国の安全と生活が脅かされ始めている。しかも急激に。

「……酷いな」

 コーヴェが呟く。騎士団の詰め所は人で溢れかえっていた。

 怪我をして床に敷かれた簡易的な布の上で呻く団員、血や土汚れがついているのも厭わず震えながら横になる兵士。それを看病する人たちに、怯えてうずくまる市民たち。まるで野戦病院だ。本当の病院はもう怪我人で溢れかえり、この詰め所を仮の病床として使わざる得ない状況なのだ。

「……私達のせいで、こうなったのかな」

 カプリラが呟く。俯きがちで浮かない表情の彼女を撫でたのは、意外にもメイベルだった。いつの間にか体を小さく戻した彼女は精一杯背伸びして、よしよしと頭を撫で続ける。

「そうとも限りませんわよ。王は自分の命を結界の魔石連動させる魔術を施していた。ということは、遅かれ早かれこの事態は引き起こされていたかもしれないということ。今回のことがたまたま引き金になっただけですわ」

「……メイベルさん」

 カプリラの顔が少し晴れた。思えばメイベルは、あの騒動の後、王を暗殺した嫌疑で他の騎士団たちに拘束されそうになったメグルたちを弁護してくれた。王が自らを手にかけたのを目にしたし、今はこの者たちの戦力が必要であると。

「カタリジーナ隊長の言う通りね。それに今は、終わったことの後悔をするより出来ることをした方が建設的だし精神的にもずっといいわ」

「そうだな。魔物たちを何とか遠ざける方法を考えよう。そこのおチビ隊長もたまには言うこと言うじゃないか」

「誰がおチビ隊長ですってぇ? 魔物より先におめぇを血祭りにぶち上げますわよ、コーヴェさん」

 エナの言葉にはうんうん頷いていたのにコーヴェとは睨み合いになるメイベルが可笑しかった。緊迫した空気が少し緩んだ気がする。

 メグルもこの状況には、少し負い目を感じていたのだ。もしかしたらあの時アロガンの自殺を食い止められていたかもしれない。でもそんなのも、もう至らぬ後悔だ。今は出来ることを考えるしかない。

「他の場所も、結界の魔石がなくなって大変そうだもんね。早くここを何とかして、助けに行ってあげないと」

 メグルはぎゅっと拳を握りしめて言う。魔物は人の集まる場所に群がる習性があるという。なのでこのハイバルト程ではないだろうが、他の町や村なども窮地に立たされているというのはそこに属する騎士団支部からいくつも報告が上がっていた。だがこちらも救援に回れるほどの人手もない。他の場所からの増援も期待できない。完全に孤立してしまっている状態だ。

 何とか状況を打破しなければ。このままだと本当に世界は崩壊する。焦りばかり募るが、有効な手立ては一切思いつかなかった。それでも考えなければならない。諦めたら終わりだ。

「くそっ……やっぱりダメなのかな……」

 ふとカプリラが呟いた。彼女の手の中には光を失った魔石がある。結界の魔石だ。ハイバルト国を表向き守っていた城下町の中心にある大きなそれを、少し削らせてもらって預かってきたのだ。

 カプリラはその石に時間を戻す力を使おうと試しているみたいだったが、上手くいっていないみたいだ。

「カプリラ、やっぱり魔石相手だと上手く力が働かないの?」

「うん、エナ。ちょっとだけ、時間は戻せるんだけど……」

 カプリラが手を持ち上げてメグルたちに見せてくれる。掌の魔石の周りが青い光に包まれた。そして内側から徐々に灯るように輝きが戻るのだ。しかし数秒の内にすぐそれは失われてしまう。

「こんな感じ。私の力がまだ未熟なのもあるだろうけど、魔力が一度なくなっちゃったのが大きいのかな。一瞬だけしか、時間を戻せる力が維持できない。魔石の魔力の原理が思ったより複雑なのも関係してるかも」

 この国にある魔石の研究所でも、その原理はあまり解明できていないらしい。複製して人工魔石を作ることも実現できていないそうだ。

 アロガンと結界の魔石を紐付けた魔術師がいるはずだが、その人物もその家族も数日前から行方不明になっているみたいだ。アロガンが手を回していたのかもしれない。その人がいれば打開策が生まれたかもしれないのに。完全に彼は退路を絶っている。用意周到なことだ。

「カプリラの力と、魔石の力。どっちも高めることが出来たら、もしかしたら可能性はあるのかなぁ……」

 ぼんやりとメグルが呟くと、エナとコーヴェの顔つきが変わった。

「……それよ、メグル」

「はぇ? 何?」

「お前のギターは色んな力を増幅させるだろう。魔石にも効果があったのはエナの家でも実証済みだな。カプリラが力を使って戻した魔石に、メグルのギターを聴かせればいいんじゃないか」

「……それだ!?」

 早速メグルはギターを取り出す。詰め所の人たちに迷惑にならないように外に出た。

「行くよ、メグル」

 カプリラがメグルに向かって魔石を差し出す。青い光。また石に内側なら透明な輝きが灯る。

「喰らえぇ! あたしの渾身のギターソロォ!!」

 ギターを掻き鳴らす。鳴らす。鳴らす。指先が思うままに鋭いソロを奏で弾く。

「あっ、魔石が……!」

「やったか……!?」

 カプリラの手の魔石の輝きが増した。先程は一瞬だったそれはまだそこに留まってくれていた。届いたか、と心が躍った。

「あぁ……」

 エナたちの声はすぐ落胆に変わった。魔石の光はまた少しずつ失せてやがてまた完全に沈黙してしまう。

 ダメだった。だが、活路を見つけた。メグルの心臓は期待に高鳴り続けている。

「失敗だな。いい案だと思ったが」

「いや、コーヴェ。まだ光はそこにある。今のはあたしの一人の音だったから。これにさらに、別の音が重なって響いたらどうなると思う?」

 メグルの言葉にカプリラ達とメイベルは顔を見合わせる。

「ライブをやるんだね? この場所で」

 わかりやすい言葉にしてくれたのはカプリラだ。メグルは深く頷いて親指を立てた。

「あたしは音と色々なパワーを増幅できる。それをみんなの音で更に何倍にも強められるかもしれない。城の地下にあるあのデカい結界の魔石の時間を戻して、それをぶつけたらすげーことになるんじゃない? もちろん根拠も、保証も何もないけどね」

 メグルのギターだけでなく、バンドとしてのぴったりと重なった音はおそらく何倍にも力に作用するだろう。カプリラが時間を戻し、結界の魔石が作用している時にそれを使えばきっとその魔力も影響を受けるはずだ。あの大きな石なら、結界の力は世界中にでも届くかもしれない。

「やる価値はあるな。どっちみちこのままだと全滅だ。少しでもある可能性に賭けたい。私ならな」

「迷っている暇はないわね。私もやる方に賛成」

 コーヴェとエナが頷いてくれる。メグルがカプリラに目を向けると、彼女も真似をして親指を立てた。

「準備は出来てる。私はいつだって歌えるよ」

 みんなの気持ちを受け止め、メグルは空に向かって拳を突き上げた。

「よっしゃあっ! あたしたちPepper Candy Drops! この晴れ舞台で、初ライブ! 改めてキメてやるぜぇい‼︎」

「わたくしも滾ってまいりましたわねぇ! おめぇらのそのライブとやらに邪魔が入らないよう、めちゃめちゃにこの街を守り抜いて見せますわぁ! 筋肉! 音楽! 勝利ィ‼︎」

「……うるさいのが二人になったな」

 意気投合するメグルとメイベルの声がその場に響き渡った。


  2


「さあ、そろそろ行きますか」

 城の上部に向かう階段の前に、メグルたちは待機していた。メグルとエナはギターとベースをそれぞれもう構え、カプリラはその身一つで、コーヴェのドラムはもうステージに設置してある。ライブをやる手筈は、もう整っていた。いつでも行ける。

「夜になったら、魔物はもっと活発になる。その前にカタをつけましょ」

 エナが手を前に差し出す。

「まさかライブのやり直しが、このハイバルトになるとはな。まったくお前たちと一緒にいると退屈する暇がないよ。……行こうか」

 コーヴェもその大きな手を差し出した。

「ここが、私たちの新しい始まりだね。その場合じゃないかもだけど、楽しんでいきたいな」

 カプリラも力強く前に手を差し出す。もうフードはいらない。ローブを開いてマントのようにはためかせた彼女は、いつかメグルがやったゲームの中の勇者みたいだ。勇ましくて、頼もしい。

「よっしゃあ! みんな、派手にキメて! 世界救っていこうぜぃ! ペッパー! キャンディー! ドローップス‼︎」

 最後にメグルが手を出して、号令を掛けて思い切り手を振り上げる。みんなあまり付いてこれずに、ちょっとグダグダな流れになってなった。

「ちょっと、その独特な掛け声何とかしなさいってば。やりにくいのっ」

「その前にちゃんと打ち合わせだろ。というか、私たちの意見もちゃんと聞け」

「えと……私はいいと、思うよ? まあちょっと変わってる感じだけど……」

「すまん! ごめんなさい!」

 散々な評価だった。が、楽しくて笑い出してしまう。そんなメグルに釣られるように、みんなも相好を崩した。何だかんだで、いい集まりだと思う。いや、あたしたちは最強のバンドだ。それは間違いない。

「……みんな、一緒にいてくれてありがとね。みんなといられた時間、マジで楽しかった。あたし三十にもなってまるでダメダメな人生送ってきたし、もうこんな瞬間は二度と来ることはないと思ってたよ。またバンドがやれて良かった。みんなと会えて本当に良かった。あたしにまたチャンスを与えてくれて、ありがとう」

 改めて、メグルは言った。言葉の途中でもう泣きそうになって語尾が震えてきた。鼻を啜って何とか堪える。

「どうしたのよ、急に。何か変な物でも食べた?」

「いや食ってないわ! ……最後かもしれないじゃん。だから正直な気持ち、話しておきたかったんだ」

 これから行う作戦には何の根拠もないのだ。だから失敗したら、もう後がないかもしれない。世界の滅亡。それが近づいているのをひりひりと肌で感じていたのだ。話さずにはいられなかった。

「……最後じゃないよ。絶対最後にはしない。ここから始めよう。Pepper Candy Drops、行くよ。世界に私達の音、響かせるんだ」

 カプリラが凛とした声で言い切った。メグルの胸にそれがまっすぐ届いて、響いた。

 ほろり。思わず溢れた涙を、ジャージの袖で拭った。そして顔いっぱいにメグルは笑う。

「……そうだね。ここからがあたしたちの始まりだ。じゃあ、気合い入れていくぞ、野郎ども!」

「野郎は一人もいないがな」

「もぉ、コーヴェ。そこは気分だってばっ」

 軽い口を叩き合いながら階段を上り始める。ふと、メグルのジャージの袖をカプリラが捕まえてきた。

「カプリラ? どうしたの?」

「……さっきの返事。無事全部終わったら聞かせてね」

 甘えるような眼差しで見上げられてどきりとした。

 キスをされた時、恋人になって欲しいと言われたことを思い出す。あんな情熱的に求められたのは本当に久々だ。

(返事はまだ決めてないけど……ちゃんと答えよう。だから今日、絶対生き延びてみせる)

 決意を新たに、メグルはカプリラの背中を追って階段を上った。先程までは処刑されるためにここを引き摺られていたはずなのに。人生っていうのはどう転がるのかわからない。だからこそ、楽しめる。今回だって絶対に良い方に転がってみせる。同じ道を歩いてくれる、仲間がいるから。

 野外に出る。既に熱気と期待に昂るざわめきを感じていた。メグルの心臓も、高揚で高鳴り続けている。みんなと一緒に、即席で作り上げたステージへの階段を上がった。

「うぉっ……」

 そこから見えた景色に、思わず変な声が出た。あまりにも、いい眺めすぎた。

 太陽は既に傾いて夕日へと変わりつつある。だから少しでも暗いところを作らないように城の外も急遽用意したライトで照らしているのだ。

 その照らされたところ、城壁の内側。人々で溢れかえっていた。皆、城の上部のステージに立つメグルたちを見上げている。

 魔物たちが門を突破してきた時に備え、城下町の人たちは城壁のある城の中に避難してもらっていた。もちろん安全のために建物の中に入ってもらうように勧告したのだが、メグルたちがライブをやることを聞きつけられてしまったらしい。メグルたちを見上げられる位置、城の中庭いっぱいに聴衆たちが集まっていた。皆、メグルたちが来るのを待っていたのだ。

「どうする? 城の中に戻るよう伝えた方がいいんじゃない?」

 エナの確認に、メグルは首を振った。この人たちも魔物が攻めてきているのは知っている。それならその覚悟に応えたい。

「いや、このまま行こう。魔物たちがここまで来る前に全部終わらせる。終わらせて、みせる」

 メグルは耳に手を当てる。声をかけた相手は離れた正門にてハイバルトを守るメイベルだ。

「メイベル。そっちはどう? あたしたちが終わるまで持ち堪えられそう?」

「押し寄せてくる波みてぇに魔物が押し寄せてきてますわ。でも、舐めてんじゃねぇですわよ。こっちには騎士団の精鋭を集めてますし、何よりブッ強いわたくしがいる。安心して最後まで奏でてくださいまし!」

 力強い返事をもらった。これもメグルの音を操る力で、トランシーバーのようにお互いの声を飛ばし合える。

 ここを守ってくれる人たちのためにも、やり遂げなくては。

 息を大きく吸って吐いた。そしてメグルは、手元のスイッチを押す。設置したらライトが、一気にステージとメグルたちを照らす。拍手と歓声が、下から徐々に湧き上がりやがて一つの音になり空に轟いた。

 メグルはギターを高く観衆たちに向かって掲げ上げた。それを見てまた吠えるような歓声が高鳴った。

 もう既に興奮はボルテージマックスだ。今からここで演る。これでテンションが限界突破しない奴なんているだろうか。

 カプリラを見た。彼女は親指を立てて、目を閉じる。青い光を帯びた霧が、城全体を包むように立ち込める。今までで一番濃く周りを囲んでいる。おそらくカプリラの全身全霊で、地下にある結界の魔石の時間を戻しているのだろう。ここからが勝負だ。

 エナとコーヴェに目配せした。エナがベースの前にピックを構えて頷く。コーヴェも頷くと、スティックを交差させ、即座に四カウントに入った。

 四つ目が鳴った瞬間。ドラムのビートとベースのうねり、そしてギターの歪みが一気に交わって弾けた。広がって溢れた観衆たちの歓喜と拍手に負けないくらいの音を三つで奏でる。音響もバッチリだ。きっとこの群衆の端から端まで、城下町の方にも音の粒一つ余すことなくクリアに響いているはずだった。

 そしてカプリラが前へと歩み出る。まるで耳を澄ませた人々に演説するように、胸に手を当てなだれ込むイントロが終わると同時に彼女は入ってきた。何の違和感もなく荒々しい演奏の中に、彼女の凛と響く歌声が馴染む。まるで嵐の海の中を平然と泳ぎ渡る水竜だ。

 どうして ここに立って歌っているの どうして どこにも行けず泣いていたの 一人見上げた夜の空 泳ぎ切るには遠すぎるから

 皆、腕を振り上げてリズムに乗っていたが、カプリラの歌に耳を集中させているのがわかった。彼女の歌は人を惹きつける。その澄んでいる力強さが、今までよりずっと増しているような気がした。覚悟が彼女を変えたのだろうか。それならこっちだって負けてない。メグルもギターを爪弾く指を躍らせた。

 星を探していたんだ 誰もが手を伸ばす一番の光を でもすぐ傍にあったんだね 眩しすぎて見えなかった 君が僕の光

 ドラムのフィルインが決まり、一気に曲が盛り上がるサビへと流れていく。ギターとベースが共鳴し、カプリラの歌を導いた。

 いつか星になろうって話 今も覚えててくれたかな 傍にいると僕も輝ける そんな勇気をくれたんだ 伝えたい 溢れそうなこの気持ち 夜空に溶け込んでしまわないように ぎゅっと抱き寄せておくよ 聴いて 聴いて 聴いて 全部歌にする 全部伝えてしまおう

 捲し立てるように歌に彼女は言葉を詰め込み放つ。周りの空気の熱気が更に増し、留まることを知らない。

 城全体を包む青い霧は、まだそこにあった。それどころかその存在感を強めている。城壁の方まで伸びて観客たちまで包み込み始めた。つまり、メグルたちの音に効き目があるということだ。このままもっと鳴り響かせれば、もっと結界の魔石は覚醒するだろう。

 君の言葉も聞きたいよ その指で爪弾いて 唸るように鳴らして いつか聞かせて欲しい あの時聞けなかった気持ち この暗い空を泳ぎ切って 朝が来てしまう前に

 間奏に入ってもまだ勢いは衰えず、三つの楽器はもつれるようになりながらも完璧な調和をもたらしたまま二番目に進む。

 何一つ乱れはない。ここに来てメグルたちは完璧にシンクロしていた。こんな気持ちになるのか。高鳴る鼓動が穏やかになり、どこか心地よさまで感じながらメグルは自分達の音楽に呑み込まれていった。

 曲が終わった。『Starlight』という名前だ。再び拍手と歓声。さっきよりも熱意がすごく伝わってくる。

 だがメグルは間髪入れずにすぐギターを弾いた。稲妻、雷光。メグル自身でさえ痺れる連続の雷撃。拍手が止み、皆それに聴き惚れているのを感じる。

 まだだ。音は止めない。結界の魔石の力が最大まで発揮されるまで。手応えはあった。青い光はどんどん強くなり、魔力がそれに伴って強くなるのも。行ける。このまま、押し切る。

 重低音が寄り添ってきた。エナだ。続けて腹にも響く連撃の打音。コーヴェだ。三人で視線を合わせ、繋ぎの音楽を奏でる。打ち合わせなんかしてないアドリブなのに、息ぴったりだった。

「私達は、Pepper Candy Dropsです! 私達の音楽で、この世界の平和、取り戻してみせます! 皆さん、もう少し付き合っていただけますか!」

 カプリラが叫ぶ。メグルたちの演奏に一切負けてない。その言葉は、メグルの胸さえ打った。だめだ、まだ泣くな。ギターのフレットが見えなくなる。

 カプリラの声に答えるように、声援が上がる。心強い。今この会場全体の心が、一つになっているような気がした。行ける。大丈夫。確証はないが確信があった。

 だが不意に、爆発音のような大きな音が轟いた。空気を、地面を、建物をも揺らがす不穏な音。バランスを崩しかけ、ついメグルたちは演奏を止めてしまった。

 城下町の方だ。西門、東門のところから黒い煙が上がっている。そこから魔物たちが濁流の如く押し寄せてくるのがメグルの目から見えた。

『チィッ! 西門と東門が突破されましたわ! わたくしのいる正門は何とか持ち込まえてますが、そろそろヤバい!』

 メイベルから通信が来る。慌ただしくて向こうの声が聴き取りにくい。

「……まずいわ。このままだとこっちまですぐ来るわよ」

「なんて数だ。あんなのにここを襲われたら、ひとたまりもないぞ」

 エナとコーヴェは流石に表情を曇らせる。メグルも同じだった。本当の絶体絶命。城壁はあるが、それを突破されるのも時間の問題だろう。

(どうする……! どうしたら……!)

 何も思いつかず焦りばかり募る。手立てなど何もなかった。

 だが不意に。歌が聴こえた。カプリラだ。彼女は空に向かって、青い光を帯びた夕暮れの空に歌い始めたのだ。それは彼女の記憶に残っていた歌。メグルと初めて出逢ったときにものだ。

「カプリラ……?」

 彼女がメグルに視線を返してくる。その目はまだ諦めてなどいない。その煌めきに、メグルの不安でブレ始めていた心が一気に定まった。彼女の考えていることはわからないけど、やるべきことはわかった。そのためにここに立っているのだ。

 ギターを。彼女の歌に合わせて奏で始める。出会ってから、何度も合わせてきた。どんな状況だろうと寄り添える。

 ベースが入ってきた。エナが得意げな顔をして付いてきてくれた。そしてコーヴェも、普段の力強さを抑えて穏やかなビートをドラムで鳴らす。三人で顔を見合わせ、音を合わせ、カプリラの背中を押していく。

 カプリラは。体の前で手を合わせ、祈るような格好で歌い続けている。彼女が歌を向けている空は、いつの間にか青い霧が雲のように蔓延っていた。もう夕暮れの色はなく、まるで世界が青い世界に変わってしまったかのようだ。

 魔物たちの大群が、城壁の方へなだれ込んできていた。必死に堰き止めようと戦っている人たちもここから見える。飛び込んでいくメイベルの姿も、大きいから確認できた。

 ……焦るな。カプリラを信じる。何が起こるかわからないけど、きっと何とかなる。音楽を絶やさない。魔石の力は徐々に膨らみつつある。絶対、いけるはずだ。

 歌は続いていく。激しい戦闘の音が聴こえて来る他には、その歌とメロディだけがその場に響いていた。

(え……?)

 変化が起きた。空の霧が、渦を巻くように円状に開いていくのだ。その中には、更に深い藍色が広がっていた。空の青ではない、とわかる色だった。

 そこから、影が降りてきた。巨大な影だ。それは浮遊していた。一つではなく、複数。その姿を地上に見せていた。

「ドラゴンだ……」

 メグルは呟く。現れたその姿たちは、そうとしか言い表せない神々しい姿をしていた。

 一人が空を覆い尽くしそうな翼を大きく振り回し、風を巻き起こす。不思議なことに建物や人間たちには一切の影響はなく、魔物たちだけが乱される水面の如く吹き飛ばされていくのが見えた。

 別の竜が飛んできて口から火炎を吐いた。それも人や建物に触れず、魔物だけを焼き尽くしていく。

 濁流のようだった魔物たちは散り散りになり、逆に竜たちに乱されるがままのただの流れと化した。いや、川に流される細かい小石だ。形勢があっという間に逆転した。

 よく見れば竜たちのその身体は透けていた。守護者のように人を護り魔物たちを蹴散らしていくその姿は、メグルも魅入ってしまいそうなくらい神聖だった。英霊の夢でも見ているみたいだ。

 歌い続けているカプリラが、ホッとしたような顔を見せていた。おそらく彼女の力だろう。

 おそらくあの竜たちがカプリラの家族なのだ。それを彼女の力で、過去からこの世界へ呼び出した。

 だがカプリラはあからさまに消費しているようだ。汗がひっきりなしに顎へと滴り、顔色も悪くなってきた。そのまま彼女はがくんと崩れ落ちて片膝をついた。

「カプリラ!」

 思わず演奏の手を止めて彼女に駆け寄りそうになるが、彼女自身がそれを手で制した。首を降る彼女の眼差しは、強い光を失っていない。そのまま立ち上がると、より力強く歌を続けた。

 おそらく彼女のとっておきの手だ。このために取っておいたのだろう。でも長くはもたない。早くカタをつけなければ。

「ぐっ……!」

 不意にカプリラが激しく咳き込んだ。息を継ぐ間もないくらいだ。同時に魔物たちを押しやっていた竜たちが更に薄く透き通り、消えかけていく。彼女の歌と連動しているのだ。

 それでもカプリラは歌おうとする。が、息が吸えないみたいだ。メグルは演奏をエナたちに任せ、駆け寄って彼女の背中を支えた。

「カプリラ、もう大丈夫」

「でも、みんながいてくれないと……っ」

「だから、大丈夫。後はあたしたちだけで、カタをつけよう」

 彼女の手を強く握りしめて、頷く。そして後ろで演奏を絶やさないでいてくれる仲間たちも。エナもコーヴェも額に汗が浮いていたが、まだまだといった様子で笑いかけてくれた。

「絶対いけるぜ。さあ、キメるぞ相棒っ!」

 彼女を引っ張って立ち上がらせる。そして差し出した水筒の水。カプリラの目に光が戻り、それを受け取って一気に煽った。

「……行こうぜ、相棒」

 そう言った彼女の声は、まだ一本の芯が通っている。

 再びカプリラは正面に、聴衆たちに向き合う。こんな危機迫る状況でも、人々は拍手と歓声を響かせ待ってくれていた。

 竜たちの姿は完全に消えてしまう。散り散りになっていた魔物たちも、続々と増援が壊れた二つの門からなだれこんでくる。

 でもまだ、青い霧は晴れていない。青い光はまだ周りを漂ってくれている。それどころかメグルたちの音に反応してもっと深く、強くなっていく。まだ希望はあるのだ。いつだって。

「次の曲、聴いていただけますか……! きっと、最後の曲です……!」

 カプリラが振り絞った声に、聴衆たちは答える。待ってましたとばかり、周りを満たす拍手。さあ、ここからだ。

 メグルのギターはイントロを掻き鳴らす。ベースとドラムが、一緒に入ってきてくれた。

 勢いと、雲間から太陽が差し込むような希望を感じさせるメロディ。自分たちで作り上げた時、メグルもぞくぞくしたのを覚えている。

「聴いてください、『笑って、生きる』」

 カプリラが着込んでいたローブを脱ぎ捨てる。そして背中の翼を大きく広げた。それは決意の表れだ。彼女が自分の過去と、姿を、受け入れた証。

 わかっていたよ 見ないふりしてただけ この世界は悲しみばかり その真実が僕の足を竦ませたんだ

 前二曲を越えて、カプリラの声は更に研ぎ澄まされ、胸を揺さぶる。飛翔だ。彼女が今惜しみなく晒している翼が羽ばたくように、彼女の声は高く舞い上がっていく。

 でも大丈夫 いつか雨は上がるように そこに虹が掛かるように この闇は晴れるから きっと寂しくないよ 伸ばしたその手は きっと誰かと繋がれる

(あれ……? この曲……?)

 感じた既視感。メグルはこの曲を聴いたことがあった。もちろん作る過程で何度も聴いていたが、そうじゃない。どこか違う場所で、この世界に来る前の遠い昔に。

(そうだ……この曲。私が小さい時、神社で聞いたやつだ)

 思い出した。家から押し付けられた習い事、逃げ出して一人知らない神社でうずくまって泣いていた小さなメグル。

 そこに空から差した青い霧と、光。うっすらと聴こえてきたのだ。この歌が。よくわからないけれど、今のこの状況とよく似ている。

 不意に青い霧がメグルを包み込み、一瞬何も見えなくなった。そして霧の隙間から、微かに見えた光景。

 小さな自分が、あの神社でうずくまったままこちらを見上げていた。鳴り響く音楽、あの時聴いた曲。頼りなく涙を浮かべていたその瞳に、少しずつ光が差していく。

 今は歩き出せなくていい 無理に明るくなれなくていい ただ耳を澄ませて 声を聴かせて

 間違いなくあの日聴いたロックが、今ギターを鳴らすメグルにも染み渡っていく。あの時曖昧に聞き取れていた歌詞。カプリラの声でしっかり心に届く。

  明日笑う 今日歌う 届かなくていい 伝えにいくよ 今を歌おう 今笑おう 一つになれるさ この場所で僕らは

(……あたし。これから先色々と苦労すると思うけど。こんなでかい場所でいっぱいの人に囲まれて、自分の好きな音楽鳴らせてるぞ。いい仲間とも巡り会えた。だから音楽を信じて、ずっと突き進め)

 立ち上がり、感激したように耳を澄ませている小さな自分に。メグルは心の中でそう語りかけた。少しずつその姿は、霧が晴れるようにぼやけて遠くなって行く。夜の帳が降り始めたハイバルト城の景色が戻ってくる。

 これはきっと、カプリラの力だ。カプリラの歌が時間を交わらせて、過去の自分に会わせてくれた。思ったよりずっと前から、自分は彼女に救われていた。いや、それだけじゃないここにいるエナや、コーヴェにも。ここに立っていられるのは、彼女たちのおかげだった。

(この気持ち、全部。この世界に響け。轟け、世界の端から端まで!)

 力が。溢れて広がって行く感覚。感謝、歓喜、高揚、揺るぎない信念。その全てをギターの音色に込めて、掻き鳴らした。

 明日笑って 今歌って 全部うまく行くさ 走って行くよ 夜を越えよう 朝を見よう 太陽を見るのさ この場所で僕らは

 曲の終わりが近づいてくる。皆の昂った心が、一つになって飛び上がって行くような気がした。アウトロに演奏が差し掛かった、その時だ。

「あっ……!」

 地面から光が、一気に迫り上がってきた。その透明な光はあっという間にメグルたちを通り越し、ドーム状に凄まじい速さで広がっていく。

 城壁を越えた時。その光に触れた魔物が消滅した。もう一つの塊にしか見えないくらい犇めいていた魔物たちが光のドームで一瞬にして消滅していく。

 光は城下町を越え、ハイバルトを越え、際限なく広がって行く。結界の魔石が完全に復活したのだ。

 カプリラの力で時間が戻り、そしてメグルたちの演奏でその魔力は何倍にも高まったのだろう。きっとこれで世界中に、結界が行き渡るはずだ。効力がいつまで続くかは測れないが、時間の力も増幅されている。その概念にとらわれず、無制限に続いてくれるかも知れなかった。

 とにかく今の世界の危機は、完全に去ったのだ。

「終わった……?」

 しんと世界が静まり返る。さっきまでの不穏な騒がしさが嘘のようだ。

「聴こえてらっしゃいますかバンドの者たち! いきなり魔物どもが消え去りましたわ! どうなってますの⁉」

 メイベルの声がメグルの力越しに聴こえてきた。どうやら彼女は無事なようだ。だが状況を呑み込めていないらしい。

メグルたちも曲を終えてぽかんと立ち尽くしていたし、聴衆たちもそれは同じだ。メグルはみんなと呆けた顔を合わせる。誰も実感が湧かず、どんな感情を抱いたらいいかわからないみたいだ。

 ふと静寂の中に、小さな音が飛び込んできた。手拍子だ。ステージの前にいる聴衆の誰かが、鳴らし続けてくれている。それは共鳴し合うように徐々に大きくなり、辺りを満たすくらい轟いて行く。

「……アンコールだってさ、みんな」

 メグルはみんなを振り返る。きっと気の抜けた笑みが浮かんでいただろう。みんなもふっと肩の力が抜けたように笑った。

「じゃあ、期待に応えてあげますか」

 エナが髪を結い直して、ベースを構える。

「世界を救った後の一発目だからな。気合い入れていくか」

 コーヴェがいつでもカウント出来るようにスティックを掲げた。

「……みんな待ってるし。カマしちゃおうか、みんな」

 カプリラもぎゅっと拳を握りしめて決意を露わにした。

「よっしゃあっ! ペッパー! キャンディ! ドローップス! ド派手にキメるぜ! アンコールありがとぉ!」

 メグルはギターの音を稲妻の如く打ち鳴らして、期待の手拍子に応えた。

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