5章 Pepper Candy Drops!!
1
「おぉー……! すごい、めっちゃ人集まってくれてるよ! あれってみんな、あたしらのこと待ってくれてるってこと? 多過ぎでしょ、あんなの初めてだよあたし。興奮してきた……!」
「お、お、落ち着きなさいよメグル……! で、出待ちなんて慣れたもんでしょっ。堂々としてないと、舐められちゃうでしょ!」
「エナも落ち着いた方がいい気がするけど……。でも本当にすごいね。あんなにたくさんの人たちが私たちのこと出迎えてくれるなんて。何だか夢みたい」
カプリラが嬉しそうに船の縁に手をついて向こうを眺めている。甲板に出て、メグルたちは船着場付近の港でずらりと並んで今乗っているこの船を待っている人たちを発見していた。
船の乗客ではない。何故ならこの船はわざわざメグルたちのために、この街の市長が私用のを貸し出してくれたのだから。出待ちしてくれているということで間違いなさそうだ。あの大勢の人が、自分達のファンなのだ。
横断幕や旗まで持ってくれている人たちもいる。『バンドさんいらっしゃいませ!』と大きな文字で船の上のメグルたちからも見えた。……やっぱりバンド名は必要かな。いつまでも名無しのバンドではいられないと、メグルは決意を新たにする。
「……そんなに人がいるのか。大丈夫なのか。私がノコノコと出て行っても」
船内に続く階段からちらりと頭だけ覗かせたコーヴェが、心細そうに呟いている。彼女はすっぽりと頭から大きな布を被り、少しでも身を隠そうとしているみたいだ。メグルは傍までいってやり、その縮こまっているが広い肩をぽんと叩いてやった。
「大丈夫! みんなあたしたちのファンだよ? 絶対新メンバーのコーヴェのことだって受け入れてくれるって! っていうか、受け入れさせる! 後悔だけは絶対させないよ」
「……そうだな。私も自分の意志でお前たちに着いてきたんだ。覚悟を決めなきゃな」
コーヴェが表情を引き締め、頭に被っていた布を外す。だがいつでもまた顔を隠せるように布はマントのように体に纏わせたままだ。とりあえず、一歩前進のようだった。
船が港に着き、陸地に渡るための板が架けられる。待っていた人々は左右に分かれて並び、ちゃんとメグルたちが通るための道を開けてくれていた。壮観だ。こんな景色は三十年生きてて、一度も見たことがない。メグルは内側から自分が震えているのがわかった。
この街でライブをしてくれないかと誘われたのは、別の街でライブが終わった後に市長の代理人として訪れていた秘書と話した時だった。かなり大きな街で、ライブをする会場も相応のキャパシティがあるという。四人での大掛かりなライブとしてはふさわしい舞台だろう。メグルたちはすぐ二つ返事をした。
「あなた方がくるのを街のみんな楽しみにしていますよ。街の外から訪れる人もいるかも」と言われたが、まさかここまで規模が違うとは。港いっぱいまで人で埋まるレベルなのだ。今からここに降り立つ。緊張してきた。
「……よし、じゃあ行こうか。コーヴェ、堂々と構えてやりなよ。絶対大丈夫」
と言いつつメグルも同じ方の手と足が出る歩き方で先行する。陸地に掛けられた橋に立って、姿を認められた瞬間。集まっていた人たちは歓喜の声を上げた。手を突き上げ、手を叩き、メグルたちを歓迎してくれていた。こんなに大勢だと、拍手も歓声も重なり合ってこんなにすごい音を奏でるのだ。
鼓動が昂まる。それを噛み締めながら、メグルは手を振って船を降りていく。カプリラも遠慮がちに手を振りかえしつつ、エナは平然とカッコつけようとして躓きかけていた。
そしてかなり遅れて、コーヴェが姿を観衆たちに見せた。船の上とはいえ見上げるその巨体に、さすがに拍手と歓声が一斉に止んでしんと静まり返った。
「な、何だあれ……? 魔物……?」
そんな言葉を皮切りにざわつきが人々に伝わって行ってしまう。コーヴェがまた頭まで被った布地を強く握りしめるのを見て、メグルはたまらず叫んだ。
「あれ、じゃないッ! あたしらの新メンバーのドラマーだよ! 名前はコーヴェ。これからこの四人ですげぇ演奏見せつけてやるからさ、楽しみにしてなよみんな!」
メグルが振り絞った声は力で増幅させて、港の端まで轟かせた。ざわつきは止んだが、さっきの歓迎ムードは水が刺されたように静かになった。
(くそ、どうする……?)
メグルでさえ戸惑うこの状況の中。ふとすぐ傍で、手拍子が聞こえた。カプリラだ。彼女は両手を掲げて観衆たちに向かって手拍子を煽った。
それに続いたのは子供だった。無邪気に手を叩いて続く。それがどんどん大人たちに響いていき、続かせ、明るい期待の表情を取り戻させた。また先ほどと同じくらいの歓声と手拍子がその場を満たし始めていく。「コーヴェ! コーヴェ!」とコールする声さえ聞こえてきた。
「ね? 上手く行ったっしょ?」
「コラ。ほとんどカプリラのおかげじゃない」
メグルはドヤ顔で振り返ったが、エナに小突かれてしまった。苦笑いをすると、コーヴェもふっと表情を緩めて体に掛けていた布を畳んで甲板に置き、そのまま船から降りてくる。
「まったく大した奴らだな、お前らは。……ありがとう。これで演奏に集中できそうだ」
コーヴェにフード越しに頭を撫でられて、カプリラは照れ臭そうにしていた。メグルとエナとは拳を軽くぶつけ合わせて。メグルたちはみんなで港街、シャンディーへと上陸した。
2
案内されたライブ会場は、街の中心地。大きな噴水をバッグにちゃんと広いステージが用意されていた。
もちろんこの世界の人たちは会場設営の勝手などよく知らないだろうから、木材で組み立てられただけの簡素なものではあった。だがちゃんと一からこのためだけに作られたもので、四人が並んで自由に動き回れる広さが確保されている。ステージ上を照らすシンプルな照明器具までいくつか設置してあった。自分達の活動をちゃんと下調べしてくれた上での招待だったみたいだ。改めて受けてよかったとメグルは心から感謝した。
その分やはり、最高のライブ体験をお届けしなきゃならない。メンバーみんな気合が入っていた。
「メグル、この曲の時、ベースの音もっと響くエフェクト掛けられない?」
「おぅ! こんな感じ? もっと歪み効かせとこうかエナ」
「メグル! 音、もうちょっと全体的に大きくした方がいいかも。客席の後ろまでもっと響かせた方がいいよね?」
「オッケー、カプリラ。ボーカル大きめで目立つようにしたいから、バランスいいかちょっと聞いててみて」
「メグル。ステージの音の返し、もうちょっともらっていいか。ドラムの音で聞こえにくくなりそうだ。ちゃんとフレーズに合わせて叩きたいからな」
「了解! どれくらい返せばいいか教えて! 楽器とかボーカルごとに細かく弄れるから!」
事前準備と、ライブのリハーサル。メグルは大忙しだった。何せ出演者とPA──つまりライブ周りの音響全般をプロデュースする役割もこなさなければならないのだ。マイクもアンプも、ステージ上に自分達の音を聴かせるための返しのモニターもいらない代わりに、音の力を唯一操れるメグルが奔走しなければならない。
でも、めちゃくちゃ楽しい。何せ四人での初めての大舞台。張り切らないわけも楽しくないわけもない。音の確認をして、曲の合わせをしながらみんな自然と顔を綻ばせ、自分たちの音を味わっている。エナはベースのリズムに合わせて踊るくらいはしゃいでいたし、コーヴェももはや萎縮することなく堂々とドラムを叩き、見物に来ていた人たちに手を振りかえしたりもしていた。
そして、カプリラ。彼女だってもちろん楽しんではいるが、どこか今までと違う姿勢でこのライブに挑もうとしているのがひしひしとメグルにも伝わってきていた。
『私、もうフードを脱ごうと思ってるんだ。コーヴェさんが一歩踏み出したことに勇気をもらえたし、いつまでもこのままじゃ格好つかないもんね。ボーカルとして』
船の中で、メグルと二人きりになった時の会話。甲板で船と並んで飛ぶカモメに手を伸ばしながら彼女は笑っていたが、そこに強い決心が見てとれた。
カプリラも、コーヴェと同じくずっと自分の姿を人目から隠して過ごしてきた身だ。それをこの大舞台でありのまま披露する。それがどれほど決心が必要なことだったのか、メグルは大体推し測ることしかできない。でもその重さを感じることは出来る。だから「大丈夫。絶対みんな受け入れてくれるよ。少なくとも私たちは、カプリラのこと大好きだからさ」と背中を押せた。
(このライブで、たぶんあたしたちの何かが変わる。次のステージに行けるような、そんな大事な瞬間になるような気がするんだ)
ステージの上で準備に勤しんでいるみんなを見渡しながら、メグルは感慨深く思っている。こんなに真剣に打ち込んでくれる仲間がいるから、きっといい音楽が出来る。そんな確信があった。
「よっしゃあ! 最高にロックなライブにしようぜぃみんなぁっ!」
「こらっ、メグル! めちゃくちゃにソロ弾くなサビ前なのに! あとギターめちゃくちゃ走ってるからちゃんと伴奏聞きなさいっ」
盛り上がる気分をそのままギターに乗せたら、進行チェックしていたエナにめちゃくちゃ怒られてしまうのだった。
3
「……メグル。ちょっといいかな。話したいんだ」
その日の夜。用意してもらった宿で休んでいたら、ふとカプリラがメグルを外に誘ってきた。もちろん二つ返事でオッケーする。
街の様子はどこかそわそわと落ち着きがなく、お祭りの前のような妙な高揚感を帯びているような気がした。明るい色の街灯などは一日中街を照らしてくれているのだろうが、それすらも楽しそうに揺れて踊っているようだ。心なしかもしれないが、明日のライブを誰もが心待ちにしてくれているかもしれないと考えるだけでメグルも足が軽くなる。すれ違った人たちに握手まで求められた。そんなの、なかなかない経験だ。
「カプリラ、どこまで行くの?」
「海のそば。波の音を、メグルと一緒に聴きたくて」
フード越しに、彼女の口がふわりと緩むのがわかった。明日から、彼女はもう顔も姿も隠さずに日の当たる場所を歩いて行けるようになる。最初に出会った時、おどおどと誰にも聴こえない場所で小さく歌っていた彼女が。
(成長したなぁ、カプリラ……。あたしまで嬉しくなる)
つい涙脆くなってしまって、「め、メグル? 目に砂が入った?」とカプリラに無用な心配をさせてしまった。
海辺に着く。灯りはあるが、この辺りはほんのり薄暗く、足元が危ないから人気もなかった。確かに夜の海はどことなく威厳があって怖くもあるが、今のメグルは暗闇で穏やかに流れる波音を聴いていると心が安らぐ気がした。ライブ前の火照った心に、丁度いい。
「今まで色んなところで海を見てきたけれど、こんなに違うんだね。今日はすごく、優しく感じる」
砂浜に降りてどこか遠くにある地平線の方を眺めながらカプリラが言う。砂を踏み締める感触が心地よくて、メグルはおもむろに靴を脱ぎ始めた。足の裏に直接感じるさらさらした感触は、昼間のそれとは違ってひんやりして気持ちいい。
「おー、いい感じ。カプリラもやってみなよ。ついでに海の方もちょっと冷やかそうぜ」
「えっ、うん……。ほんとだ、しゃきしゃきしてて気持ちいい、かも?」
一緒に靴を脱いで、砂浜を足の裏で楽しむ。ひとしきり踏み締めた後、メグルは打ち寄せる波に足先を差し出してみる。冷たくて「うぉっ、冷たっ」と可愛くない声を上げてしまう。どんどん楽しくなってきた。
「そんなに冷たい? あ、ほんとだ。ふふっ、でもこっちもいい感じ、だね。こういうことするの初めて」
同じく足を波に浸したカプリラがはしゃいだ声を出す。こうやって過ごしていると、無邪気な子供にしか見えない。でも彼女は、メグルに会う前から各地を巡り、きっとその分経験も踏んでいるのだろう。酸いも甘いも、きっとあったはずだ。
誰しもが知っているはずの本当の自分を、探す旅。それは一体どんな旅路だったのだろう。メグルはふと気になった。
「……ありがとう、メグル。私、自分で気づいてなかったけど、一人でいる間ずっと心細かったのかもしれない。ずっと人の目を気にして、苦しかったのかも。でも今は違う。こんな楽しい時間があるんだってくらい、ずっと楽しい。それもこれも全部、メグルと出会えたおかげ」
足を波に浸したまま、カプリラはフードをローブごと脱ぎ捨てた。月だけが照らす夜の闇、きっとメグルだけが独り占めの姿。頭の上のツノと、縦の三日月のような黄金の左目。波の音のみが響くこの薄闇の中では、それが見惚れてしまうほど美しく見えた。
「……あたしこそ、カプリラのおかげで今こうしてピンピンしていられる。カプリラがいなかったら、とっくに魔物に食べられてたか、野垂れ死んでたね。こうやって四人でライブ前の夜を迎えられてるのは、エナのおかげとコーヴェのおかげでもあるしね。ほんとあたし、一人じゃ何も出来ない役立たずなのよ。みんなが居てくれて、一緒にバンドやってくれて……本当によかった」
心からの言葉が溢れた。こんなに真剣に誰かに本音を語れたこと、語っても受け止めてくれると思えたことはいつ以来だろう。ようやく向き合えた気がする。自分自身の音楽というやつに。
ふと傍に来たカプリラが、優しくぎゅっとメグルの体に抱きついてきた。驚く、が受け入れる。ツノが当たって痛くないように位置を調節しているのが彼女らしい。そっとその頭を撫でてやった。
「メグルと出会えてよかった。みんなと出会えて、すごく嬉しい。もしこのまま記憶が戻らなくても。私は今の私を、きっと好きになっていけると思う。ありがとう、メグル」
額をこちらの体に埋めた彼女の言葉に、メグルの目頭が熱くなる。歳をとると人間涙脆くなると聞いていたがその通りだ。堪える間も無く涙がこぼれて、ついでに鼻水もずびずびになった。
「もぉおお……そんなこと言われたら泣くってば、ほら泣いちゃった。明日のライブ、絶対成功させよ。そんでこの世界中にあたしらの名前、轟かしてやろうぜ」
「うん。頑張ろう」
そうと決まったらさっさと休もう! と動き出そうとしたらメグルの足がもつれて、そのままカプリラを巻き込んで波打ち際にダイブした。お尻が海の中に浸るし、飛沫は上がって二人とも全身びしょ濡れ。
そんなお互いの姿を見て、どちらからともなく笑い出した。静寂ばかりの夜の世界に、くすぐったそうな笑い声が二つ響く。
「ねえ、メグル。……大好きだよ」
ひとしきり笑い合って。ふとカプリラがそう言ってきた。いつになく真摯な眼差しが薄闇の中で光っている。赤い左目の光が、宝石みたいで綺麗だと思った。
「うん、あたしも。カプリラのこと大好き」
心に浮かんだままの愛おしさをそのままメグルは伝える。少し戸惑ったように揺らぐ彼女の表情に、夜の闇のせいで気づけなかった。
4
ライブ会場は、既に満杯の人で賑わっていた。街の人たちがボランティアで会場スタッフを名乗り出てくれたおかげで客席の度を超えた密集は避けられているが、それでもすごい数の人がもう待機している。客席に入りきれなかった人は周りに集まっていて、さながら野外フェスのような風景だ。
そんな多くの人々が、自分達だけを待っていてくれている。期待を胸に、わくわくとした想いを表情に表しながら。メグルはその感動をひたすらに噛み締めていた。これはすごいライブになる。ワクワク度合いはこっちだって負けてない。
「いよいよ本番ね。もうライブなんて慣れたもんだと思ったけど、今からここでやるって思うと緊張してきたわ……」
ベースを装備していつでも飛び出せる準備をしたエナが、何度も深呼吸している。メグルたちはステージの横に用意してもらった、暗幕を正面にかけた待機スペースで客席を覗いていた。楽器も各々装着し、ドラムはステージに置いてもらっているのでコーヴェはスティックを携えて準備オーケー。後は今やっている市長の挨拶の言葉が終われば、いつでも飛び出せる状態だ。
「よっしゃ、じゃあみんなで景気付けに円陣、やっときますか!」
「えんじん? 何だそれは?」
「そっか、コーヴェは初めてだもんね。こうやってみんなで集まって手を重ねてさ、代表が一言言った後にみんなで声出して気合い入れるの。ライブ前のおまじないみたいな感じ。ほら、やろやろっ」
四人で向かい合うように集まって、差し出しあった手を四つ、重ね合う。「私から話あるんだけど、いいかな?」とメグルが切り出すとみんな頷いてくれた。
「改めて、この四人でこの大舞台でライブやれること、ほんと誇りに思う。みんなありがとう。最高のライブにしよう」
それでさ、とメグルは続ける。
「バンドの名前、一応考えてみたんだ。Pepper Candy Dropsって、どうかな。あたしの世界ではペッパーっていう辛い調味料と、キャンディって甘いお菓子があるんだけどさ。それを掛け合わせたチグハグ感っていうか、他にない感じがあたしらっぽくない? どう?」
ドキドキしながら提案してみたが、カプリラたちの反応は良さげだ。みんな視線を合わせた後、メグルの方を見てくれる。
「いいんじゃないか。チグハグな。正に私たちって感じだ」とコーヴェ。
「格好いいじゃん。あんたにしてはいいセンスなんじゃない」とエナ。
「うん、私もその響き、好き。今日から私たちは、Pepper Candy Dropsだね」
カプリラが楽しそうに笑って頷いた。
「ありがと! じゃあ今日のライブ、楽しんでいくぜぃ! せーの! ペッパー! キャンディ! ドローップス!」
「えっ、何それ。ちょっ、めっちゃ合わせにくいんだけど!」
メグルが勢いで掛け言葉をしたら、エナに怒られてしまう。結局ちぐはぐな円陣で締まらなかったけれど、これもまああたしたちの良さ。さあ、かましてやる。今から世界の中心はこのライブ会場だ。あたしたちが、伝説になる。
市長の挨拶も終わり、紹介を預かった。さあ、いよいよ出陣だ。コーヴェが先に一歩踏み出した。
「お先に。石を投げられても、私が先に全部片付けといてやるよ」
胸を張って暗幕の外へ出ていくコーヴェに続くのは、エナだ。ベースを構えた姿が、もう板についてきている。早く演奏したい、そんな笑みでメグルたちを振り返った。
「じゃあリズム隊は先に行くわね。かましてやりましょ、ここから私たちの時代っ!」
次はカプリラ。彼女はメグルに手を差し出してくる。もちろんぎゅっと強く握り返すと、向こうが指と指が交差する形に直してきた。小さな手が、メグルの少し不恰好で無骨な掌にぴったりとあった。
「昨日も言ったけど、メグル、ほんとありがとう。メグルがいなかったら私、きっとこの景色を見られなかったし、楽しめなかった。……全力で私、楽しむよ。メグルと、みんなのために。私自身のために。さぁ、行こう」
踏み出していく彼女の背中は、小さいけど大きかった。なんて頼もしい。負けていらんないなこれは。
さあ、ぶちかましてやろうぜ。絶対すごいライブになる。それを全身全霊で楽しんで、楽しませる。それだけだけど、それが全て。
メグルも出ていく。みんなが待つステージに。既に客席は最高潮に盛り上がっている。メグルが出ていくことで、より歓声が轟き渡り拍手が重なる。観客側から向かって左にスタンバイしたメグルは、前に乗り出すと自分の相棒のギターを見せつけるように掲げた。また爆発的な盛り上がりが広がっていく。
そしてメグルと入れ替えで、カプリラが前に出ていく。まだフードは被っているけど、今日でそれは必要なくなるだろう。
場が静まり返る。とっくに彼女はこの場を支配していた。すぅっ、と息を吸う音が反響して聞こえる。それが合図。
コーヴェがスティックを叩いてカウントを取る。四回目で、エナのベースラインが滑り出した。期待を煽った頂点で、メグルのギターも参戦して一気に音を雪崩れ込ませる。前置きもなく一曲目。吠えるような歓声。いきなりクライマックス。
完全に仕上がったイントロをかませば、満を持してカプリラのボーカルが入ってくる。暴れ出した楽器たちの協奏に不釣り合いな研ぎ澄まされた美しい旋律。でも力強く、むしろ他の楽器を牽引していくかのような存在感と調和を聴かせつける。これでバランスが取れているのがすごいのだ。おそらく誰か一人の音でも抜ければ瞬く間に崩れてしまうだろう。だからこの四人でないと、この音は奏でられない。
遠くの星 手を伸ばした 届かないとわかっていても そうしなきゃと逸っていた
カプリラの歌声が詩を紡ぐ。そう、今回から全ての曲に名前と、詩をつけたのだ。メグルが監修したけれど、全部カプリラの創作だった。この曲は『駆け抜けろ』という名前。一曲目にふさわしい疾走感がある。
怯えてた闇に走り出せ 胸の鼓動に火を灯せ 呼んでくれた君の声 手繰り寄せ ただ掴む
ギターだけのソロ。そのうねりにベースとドラムが一気に絡んで、サビへ。調和の取れた音の洪水が、聴衆たちを呑み込んでいく。カプリラの飄々とした鋭い歌声がそこへ叩き込まれた。
駆け抜けろ 掻き分けろ 君となら 漂えない空飛んでいける いつか見たあの星 見つけ出せなくても 共に輝いて星になれ
絶頂のサビが終わっても、まだアップテンポをキープしたまま止まれない。すぐ二番目にタイトル通り駆け抜けていく。
改めて、荒れた波立つ海のような演奏に乗るカプリラのシンプルな歌詞のリズムが不思議なくらいマッチしていた。あえて伝えすぎず、音だけで伝えるように彼女はシンプルに絞った歌詞にしたと話していたがそれが功を奏している。リズムも勢いも死なずに行ける。
ギターの音を振り上げるメグルの全身にも、痺れるような確かな感覚が伝わってきていた。おそらくこの場にいる全員が同じ感覚だろう。会場はたったこの一曲で、既に一つになっている。それがこんなにも、楽しい。
ギターの音で、一曲目の締めが決まる。怒涛の歓声と拍手がその場を埋め尽くす。もう自分達の世界観に聴衆たちを引き摺り込んだ。熱狂した表情と、振り上げられる拳たち。こんな景色、他で見られるか。いや、ここだけだ。この中心に今、自分達は立っている。
「シャンディーにお住まいのみなさん、他のところから来てくださった方もありがとうございます。私たち、Pepper Candy Dropsと申します。さっき名前、みんなで決めました。さっそく楽しんでいただけてますか?」
歓声が止んだところで、カプリラがMCをする。問いかけにすぐ全力で答えてくれるオーディエンス。公表したバンド名のコールまでしてくれた。
「改めてこんなに素敵な場所で演奏させてくれること、嬉しく思います。私たちを待ってくれていた人たちがいっぱいいてくれるなんて夢みたい。まだライブは始まったばかりです。振り落とされないようにちゃんと付いてきてくださいね?」
堂々と大勢の視線を浴び、話すカプリラの背中を眺めていると、メグルは涙ぐまずにはいられない。これが、あのカプリラだったのだ。そして、これが今のカプリラだ。
(今まで考えたこともなかったけど、子供が出来たら親ってこういう感覚になんのかな)
自分にはこれまでもこれからも縁のない感覚だと思っていたけれど、一時でもその感動を味わわせてくれた彼女にひたすら感謝だ。水を飲むふりをして後ろを向き、密かに浮かんだ涙を拭った。
「次の曲は私に、私たちにとって思い入れの深い曲です。このバンドを結成するきっかけになった曲なんです。聴いてください」
カプリラがすぅっと息を吸う。その場が静まり返り、彼女が歌い出す瞬間を息さえ詰めて待つ。
思い出の曲。メグルがカプリラと初めて会った時、彼女が歌っていた旋律。この曲には名前も、歌詞もない。彼女に唯一記憶に残ったまま、歌われる。
伴奏もなくアカペラで浮かんだ音を口にするカプリラ。誰もが身じろぎもせずそれを聴いていた。そうせずにはいられないのだ。言葉も意味も伝わらないが、その荘厳さは身に響く。美しい音運び、目に浮かぶのはどこまでも透き通る青色だ。
でも浸ってばかりはいられない。メグルはギターを構える。そしてエナと、コーヴェと視線を交わし合う。自分達の伴奏がつけば、この曲はもっと進化する。その瞬間が待ち遠しくて、震えてしまいそうだった。
カプリラの歌声がこの上ないくらい研ぎ澄まされた。さあ、自分達の番だ。また世界を展開しようとした、その時。
ざわつきが横槍を入れてきた。明らかにその意識はステージ上の自分達ではないところに向けられている。
かと思えば、後ろの方から綺麗な列を組んだ軍隊のような塊が足音を響かせながら行進してくる。ステージにいるメグルたちに向かって。
「騎士団……?」
呆気にとられたエナが呟くのが聞こえた。確かに彼、彼女らの鎧には、エナが最初に会った時につけていたものと同じ紋章が大きく掲げられている。兜を被っているものもいるが、着けていないものは誰も表情がなくまるで能面か機械のような冷たい印象を受けた。
「お前たちが例の『バンド』という連中だな」
不測の事態のために客を入れず通用口として開けていた道を、彼らは我が者顔でこちらに進んでくる。先頭にいた隊長格らしき立派な装飾の装備を着けた男が尋ねてくる。
「……だとしたら、何? あたしは騎士団のことよく知らないけど、人様のライブに団体で乗り込んできてどういうつもりなわけ。言ってくれれば招待したのに、マナーがなってないよ」
戸惑っているカプリラを庇うようにメグルは前に踏み出して威嚇する。客としてきたわけではもちろんなさそうだ。静かだが、冷たい敵意のようなものをびんびんと感じる。やばい、とメグルの直感が告げていた。
「黙れ。お前たちを世界の転覆を企てた悪徳思想集団として連行する。抵抗するなよ、大人しくしていろ」
冷え切った声が、淡々とメグルたちに向かってそう突きつけた。
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