ちっぽけなことよ

宿木 柊花

私は見ている

 灰色の雲が太陽を隠し、その温かな明るさを遮る。吹き抜ける風は冷ややかで糊の効いたスーツ姿の若者たちを震え上がらせる。

 古いビル。

 ひび割れを蔦で隠す。

 知らなければサステナブルだのノスタルジーだのよく分からない横文字を言って通りすぎる。


 重苦しい空気が漂う社内では、そんな空気を弾き飛ばすフレッシュな若者たちが椅子を並べてその時を待つ。

 大会議室の前に掲げられた看板には【内定式】と書かれていた。

 内定式。

 私の時はなかったが、こうして新入社員を並べて内定を確固たるものにする為のものなのかもしれない。こんな式に出てしまえばもう辞退などできますまい。

 そう刷り込む式典なのだろう。


『逃げるなら今なのに』


 私の呟きは誰に届くことなく消えていく。

 希望しか見えていない若者たちには今は何を言ったところで届かないことは承知の上。

 もう私にできることはスマホで口コミを書くことだけ。



【◯◯株式会社】

 ブラック度MAX

 いわゆる王道ブラック企業です。イメージできることは全て行われています。パワハラセクハラなんでもあります。

 出社してその日の内に帰宅できるとは思わない方がいいです。帰れる人は一握りです。

 仮眠も食事も許されません。

 元気なまま退職が叶わない企業です。精神が壊れるか体が壊れるかしないと辞められません。

 人生ごと退職した人が多く、全て箝口令かんこうれいで隠されています。



 そこまで書いてから首を捻る。

 今の若者って活字離れしてるって聞いた。こんなに長い口コミ読んでくれるのかしら?

 一応投稿し、別のサイトを開く。

 今度は簡潔に。



【◯◯株式会社】

 ブラック度★★★★★

 ハラスメント満載。

 帰宅・仮眠・食事不可。

 心身崩壊多数! 自殺者最多!

 あなたの訴えは全社員で潰します。



『違う!』

 でも一応投稿。

 バイト募集じゃないんだから。んーこれだと真剣味が伝わらない。


 そうこうしているうちにビルから若者たちが解き放たれている。

 手にはここのパンフレットが入っているであろう紙袋。

 大事に抱えていたり、もう友達になったのだろうか笑いあって叩きあったりしている。


 彼らにとってあの紙袋は【希望の鍵】に見えているだろうが、あれは私から見れば【地獄の門の鍵】に過ぎない。

 一度差し込んでしまえば門が開き、魑魅魍魎に取り込まれる。抜け出すのは至難の業だろう。


『可哀想に。アーメン』

 私は一人で笑う。

 後ろのみんなも笑っている。

 仲間が増えるのは嬉しいことだ。長い旅路が一人は寂しいからね。


 待ってるよ、地獄の底で。


 この老朽化したビルで自殺できる場所は一つしかないのだから。

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