ももきね旅の草枕

加須 千花

ええい、山を突いて小さくしてしまいたい!

 百岐年ももきね 美濃みのの国の 高北たかきたの 


 八十一隣之宮くくりのみやに 日向ひむかひに 行靡闕矣カウビケツイ 


 ありと聞きて 我が行く道の 


 奥十山おきそやま 美濃の山 


 なびけと 人は踏めども かく寄れと


 人はけども 心なき山の


 奥蟻山おきそやま 美濃の山 






 ももきね 美濃みのの国の高北たかきたの 


 くくりのみやに 日向ひむかい


 美しい宮闕きゅうけつ宮城きゅうじょうの門)があると聞いてオレが行く道の 


 奥十山おきそやま 美濃の山 


 人になびいて低くなれと踏むけど、


 こんな風に寄れと人は突くけど、心ない山の、


 奥十山おきそやま、美濃の山。



 



        万葉集 作者未詳




 ─────上記の文で納得ができない方のみ、目を通して下さい。(疲れるから読み飛ばして良いんですわ。)────


 ・百岐年ももきね──美濃の国の枕詞まくらことばと思われるが未詳。

 ・高北たかきた奥十山おきそやま奥蟻山おきそやま───所在未詳。

 ・八十一隣之宮くくりのみや───九九隣之宮くくりのみや。つまり9✕9=81。81で、と読ませる知識人のシャレ。

 ・行靡闕矣──難読で岩波文庫様も答えを教えてくれない。は美しい、という意味もあり、けつは宮城門外の左右両側に設けた二つの台、その上に楼観ろうかん(物見)を載せて造り、中央が通路となっている。

「行こう、美しいくくりの宮の門かな。」

 と解釈する。

 、はその後のなびくを導き、「くくり」は「水をくぐる」から来た言葉なので、通路が渡された門である「けつ」をくぐる、が望ましいのである。多分。



 ────(お疲れ様でした。)────



 奈良時代。

 戊申つちのえさるの年(768年、神護景雲じんごけいうん二年)。

 春。

 快晴。

 ぽかぽか陽気に誘われて、前を歩くわたるぃが、フンフン鼻歌を歌っている。木の棒のつえを機嫌良くグルングルン振り回しているのが見える。


秋津島あきつしまああ〜。天降あもりましけむうう〜。」


 渡兄わたるにぃは十八歳。オレは十二歳。体力の差は如何いかんともしがたい。

 ぽたり、ぽたり、青竹色あおたけいろの衣に汗がしたたり落ちる。オレは木の棒の杖を地面につきつつ、とうとう兄に声をかけた。


「へはぁ、ひはぁ、待って、渡兄わたるにぃ。」


 この険しい山道がいけない。

 美濃みのの国の山とは、こんなにも、登っても登っても終わらないものなのか。


「お? これぐらいでヘバるなよ、みなもと!」


 ひょろっと背が高く、青丹あおに色(暗く深い黄緑)の衣を着た渡兄わたるにぃが振り返り、随分下の道をよろよろ登るオレを見て、


「がっはっは!」


 と笑った。


「お前、屋敷から出て、薬売りの仕事をするの、初めてだもんなあ。歩くのが基本だぜ。遠くの人に、必要な薬を届けてこその薬売りだ。」


 渡兄わたるにぃはけっぴろげな笑顔から、オレをいたわる苦笑に変わる。


「今からでも屋敷に帰るか? 無理はしなくて良いんだ。」

「帰らないよ、渡兄ぃ! 広い世界を見せてくれるんだろ?!」


 オレは弾かれたように大きい声をだした。

 この山道には、おのこ二人しかいない。

 オレ達は薬売りだ。

 薬売りは、渡兄ぃの趣味と実益を兼ねている。渡兄いは、


「ああ、そうだな。家族も好きだが、やはり旅が良い。草枕くさまくらに虫の音を聞く。明日はまだ見ぬ景色が待っている。旅をふらくは、む時もなしっ! がっはっは!」


 とまた笑った。オレは渡兄ぃの明るい笑い声が好きだ。けして弟を見捨てない、優しい兄なのである。

 渡兄ぃは、


「オレが誘ったんだもんな。一緒に広い世界を見ようぜ!」


 とニコニコ笑いながら、坂道を下ってオレの近くまで来て、オレの薬草の入った柳筥やないばこ(柳の細枝で長方形に編んだ鞄)を背負ってくれた。

 随分これで身体が楽になる。


「ありがとう。渡兄ぃ。うん、広い世界、見せてくれ!」


 オレは渡兄ぃと二人きりで旅するの、すっごく楽しみにしてたんだ!

 二人揃って歩きだし、渡兄ぃは、


みなもと。おまえは、オレよりもっと大きくなれよ。オレより、広い世界に漕ぎ出せるようになれ。家族、皆期待してるんだからな。」


 と染み透るような声音で言い、ガシガシとオレの頭を撫でてくれた。


「うん。オレ、頑張るよ、渡兄ぃ!」


 オレは、家族に愛されてる。否、の言葉を、オレは持ち合わせていない。


 山を渡るうぐひすが鳴く。

 ところどころ、山桜が咲き、淡い桃色に山を染める。かたかご(カタクリ)の花も、地面に桃色の彩りを添え、ほとけのざ、すずなが黄色い可愛い花を咲かせている。

 長く山道を歩き、豊富に湧き出る清水で、ひんやりと喉を潤した。

 山を吹き抜ける風は清涼で気持ちが良い。


「山はまだまだ続くの?」


 もう一刻(2時間)以上山登りしている。だが上がまだまだ見通せない。


「こんな上にさとがあるの?」


 素直な疑問を口にすると、


さとはないな! 恐れ多くも大足日足天皇おおたらしひこのすめらみこと様のおわした、八十一隣之宮くくりのみやがこの先にあるのさ!」


 ぱあっとはち切れそうな微笑みで渡兄ぃが言った。


「えげぇっ。薬売り、じゃないの?」


 オレはぎょっとする。


「そうさ。まあ聞けよ。そこは立派な門があってな。上に通路が作ってあって、その下をくぐれるんだってよ!

 面白そうだろ?

 あと綺麗な池があってだな、その池にこいを放つと、佳人かほよきおみなを得ることができるんだってよ!

 まるで恐れ多くも八尺之入日売やさかのいりひめ様の如く、だってさ。ワクワクするじゃあないかっ! ぜひ行かないとな。」


 渡兄ぃはがっはっは、と笑う。

 そう、だから趣味と実益、なのだ。

 渡兄ぃの性格は知ってる。

 だけど、薬売りの仕事だから、と思って頑張って登ってきたのに!

 当たり前だけど、朝から歩き通しの上、この山道だ。足はパンパン、棒切れのようになっている。


 オレは無言で下を向き、ゲシゲシッと地面を蹴りはじめた。


「お? どうしたみなもと?」


 くりん、と澄んだ目で渡兄ぃが首を傾げる。

 オレはそれに応えず、更に杖で地面をガッ、ガッ、と小突こづきながら、ブツブツと地面にむかって呟いた。


奥十山おくそやま。蹴ってやる。今すぐ低くなれ。棒で突っついてやる。今すぐ小さくなれ……。」


 山よ、人になびけ。

 無理か。

 心無い山め。





   ────完────









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