花麻呂、立つ虹の
加須 千花
オレ、少志になれたぜ!(つまり昇進)
立つ
さ
伊香保の山の 高い
虹が
一緒にさ寝したら、さ寝にさ寝を重ねたら、どんなに楽しいだろう。
※さ寝……素晴らしい
万葉集 作者未詳
* * *
奈良時代。
陽の光差す、こじんまりとした家の居間にて。
「あああっ、く、もう無理だ。」
オレは
まだ作られて新しい、
「わかんねえ。」
机の上には、適当に木をまっすぐに割ったお勉強の木がある。
「
「
愛する妻──オレの
愛する妻に、オレは文字を教わっているというわけ。
いや、文字なんて、書けなくても生きていける。
喉までぐっと出かかった言葉を飲み込む。
文字を教えてほしい、と言ったのはオレだ。
だって、やっと
この上、文字の読み書きができれば、さらに上の、
逆を言えば、文字が書けなければ、大志にはなれない。まあ、何年も先の話だけどさ。
大志になれるかもって、夢があるよな!
うん、夢がある。
「ほら。にじ。一昨日教えたわよね。」
「そうでしたっけえぇぇ?」
あ、ダメだ。
「ふふ。」
柔らかく、愛おしい妻が笑う。
オレは格好悪い。くそぅ。格好良くありたいのにな。
「こうよ。」
妻が絹が滑るように近づいてきて、花麻呂の筆を持った手に、右手を添えた。
努自
とさらさら流麗に木の断面に文字を書いた。
「これで、虹、よ。
最高に美しい妻が、澄んだ微笑みを花麻呂にむけてくれた。
ふわっと女性らしい花の香りが鼻をかすめる。
(うは───い!)
ここには二人しか住んでいない。
もう堪りません。
花麻呂は、電光石火、すべすべの頬にちょんと唇を寄せた。
「あっ!」
小さく妻が困った声をあげて、身じろぎする。
(待って。)
墨で汚れていない左手で、妻の右手をさっと捕らえる。
「もう、今は文字を。」
妻は想像通りの言葉を口にするが、花麻呂は身をよじって、花のような唇をいただきます、する。
「んん。」
妻の声がもれる。
ゆっくり、包むように、味わうように、唇を重ねる。顔を離すと、
「今は昼間でしょ。」
めっ、と叱るような目で妻が見る。
しゅん、と花麻呂はうなだれてみせる。
「オレだって、昼間したい。」
ぽそっとごくごく小さな声でオレはもらし、唇を瞬時とがらせ、視線を机の上に落とす。
───
「あ〜、あ〜。今日は
軽い風を装い、きらりと
美しい妻は目を伏せ、手を花麻呂からそっとほどいた。そして指先をじっと見て、
「手も、髪も。あたし、随分油っけが抜けてしまったわ。もう、あたし、以前ほど、綺麗ではないのではないかと、思うことがあるの。花麻呂。」
と寂しそうな声で言った。
「何を言うんだ。」
思いもしない言葉に、オレは非難するような声がでる。
「だって、あたしは。」
それは、聞く必要がない言葉だ。
すっと左手で、妻の頬を撫で、黙らせる。
「オレは、
オレは妻の名を呼び、
「夜番の週が終わったら、もう、ずっとさ寝してほしい。明け方、虹が見えるまで。」
虹が見える。それは、夜が明ける、って意味だよ。
さっきよりも、優しく、愛おしさを込めて、長い時間をかけて、どんな不安も拭う口づけをして、
「そしたら、雲に乗って、虹の橋を渡る処まで、連れてってあげる。約束だよ。」
もう昼間っから、二人きりなのを良いことに、オレは心をこめて、こんな事を口にする。
「ふふふ、花麻呂。約束ね。」
花のように美しい妻は、優しく笑い、妻の方から口づけを返してくれた。
これだけで、身体の隅々に力が沸き起こる気がする。
「さ、今は、勉強の続きをしましょう。いかほろ。書いてみて。これは三日前に教えたわ。」
優しい微笑みのまま、愛しい妻は言う。
わは───い! 逃げられる気がしねえな!
でも、頭の中も空っぽだぜ!
何だっけ、何だっけ。
オレはその後、
───完───
↓挿し絵です。
https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330662482735049
花麻呂、立つ虹の 加須 千花 @moonpost18
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