第44話 エマの憂鬱②
今日は診察日じゃなく、わたしは家で静かに過ごしていた。昼過ぎから降り始めた雨を窓際で眺めている。
(そうだ!)
思い立ったわたしはお兄さまを迎えに、傘とタオルを持って馬車に乗り込み、騎士団の塔までやって来た。
騎士団ですっかり認知されているわたしは、騎士に入口を通してもらえて、お兄さまを探した。
(どこにいるんだろう?)
塔の中は広くて、いくつも訓練場がある。
(合同訓練なら、一番大きな場所だよね)
中央の中庭を通り、真っすぐに進むと、行き当たりになった。
(あれ? ここ、どこ?)
キョロキョロと辺りを見渡すと、近くの訓練場から騎士らしき声が聞こえた。
わたしはお兄さまがどこにいるか尋ねようと、近付く。
倉庫の近くにあるその小さな訓練場にいたのは、ユーゴだった。
(選抜にも選ばれたエースなのに、何でこんなところに?)
騎士団の敷地の端っこにある小さな訓練場で一心不乱に剣を振るユーゴは、雨でびしょ濡れだ。
(真剣な瞳……)
お兄さまはわたしを神殿に連れて行く代わりに騎士団の訓練に遅刻をしていた。騎士団長さまに特別許可を得ていたし、選抜戦でトップ、魔物討伐でも大活躍のお兄さまなら誰にも咎められないと思っていた。
だからユーゴに負けたと聞いたときは、どうしようと思った。
わたしのせいでお兄さまの立場が弱くなったらどうしようと。お兄さまが夜に、わたしをベッドへ寝かせた後、遅くまで鍛錬しているのを知っている。
お兄さまの努力をわたしのせいで台無しにしたくなかった。
わたしの不安を解消してくれたのは、レナお姉さまだ。
お姉さまがわたしの身体を治療してくれて、お兄さまも騎士団のお仕事に注力できるようになった。
(だから、お兄さまには絶対に幸せになって欲しいのよ)
雨の中、剣を振り続けるユーゴに胸がぎゅうとなる。
お兄さまと同じように、努力を怠らない人なんだと見せつけられて苦しい。
「あれ、エマさん?」
わたしに気づいたユーゴが濡れた前髪をぐいっと片手で上げた。
童顔のくせに、その仕草がやけに大人っぽく見えて、わたしの心臓が音を立てる。
「風邪ひくわよ」
わたしはお兄さまにと用意してきたタオルをユーゴに差し出した。
「……ありがとうございます!」
ユーゴは目を丸くしたかと思うと、すぐに屈託のない笑顔でタオルを受け取った。
わたしの心臓が煩く音を立てるのは、病気のせいに違いない。
「あれ……?」
急に視界がぐらりと歪む。
「エマさん!?」
慌てるユーゴの声を聞きながら、わたしは傘を落としてその場にうずくまった。
(苦しい)
雨の中、長時間立っていたせいか、久しぶりに発作が起こり涙目になる。
(息が……)
ゼーゼーと苦しんでいると、わたしの身体がふわりと宙に浮いた。
「すぐにレナさんのところに連れて行きますから! 頑張ってください!」
わたしを濡れないように抱え込み、ユーゴが走り出す。
(わたし、いつも意地悪ばかり言ってるのに……)
本気で心配するユーゴの温かさに安心して、わたしは必死に息をしながらも、その胸にしがみついた。
☆
あれからレナお姉さまの元に連れられたわたしは、薬を処方してもらい、医務室のベッドで休んでいる。
「エマちゃん大丈夫? たまたまユーゴがいてくれて本当に良かった……」
ベッドサイドの椅子に腰掛け、お姉さまがわたしの頭を撫でてくれる。
「心配かけてごめんなさい……。でもユーゴは何であんな隅っこで鍛錬していたの?」
お姉さまに謝りながら首を傾げる。
「ユーゴはいまだに備品倉庫の管理もやっているから、あの訓練場が一番近いんだよね」
ふふっと笑って教えてくれるレナお姉さまは嬉しそうだ。
「それに、あの場所で自信をつけていったから、初心を忘れないためなんだって」
「ふうん」
ユーゴは騎士団で一番になったのに、それを偉ぶることもしない。
「エマさん大丈夫ですか?」
医務室のドアがノックされると、ユーゴが入って来た。
「ユーゴ! もう大丈夫だよ。エマちゃんを助けてくれて本当にありがとう!」
椅子から立ち上がり、ユーゴの元へ行くとお姉さまは彼の手を握った。
「い、いえ! 良かったです!」
嬉しそうに顔を赤らめるユーゴに、お姉さまはもちろん気付かない。
(でも、やっぱり弟なんだよね)
副団長さまに向ける笑顔とは違う。わたしは少しだけユーゴに同情した。それと同時に、胸が少しチクリとしたけど、まだ体調が悪いせいかもしれない。
「マテオさんは任務で離れていますが、知らせを出したのですぐに戻って来ると思いますよ」
「え……」
またお兄さまの足枷になってしまった。
暗い顔をしたわたしの頭にユーゴが手を置く。
「妹の心配をするのは当然です。エマさんがそんな顔では、マテオさんが心配しますよ」
優しい顔で微笑むユーゴに泣きそうになったわたしは、ぐっと堪えて言葉を吐き出す。
「子供扱いしないでよ!」
「すみません……」
わたしの言葉を真に受けたユーゴがしょんぼりとする。
「でも、ありがとう……」
「えっ……」
ぼそっと呟いた言葉に、ユーゴがこちらを見て丸い目をぱちくりさせた。
「あんたがお兄さまを語るなんて、百年早いけどね! そういうのは、お兄さまのお嫁さんになるレナお姉さまが言っていい言葉よ」
「何だとー!?」
わたしの意地悪な言葉にユーゴが反応する。
(うん、やっぱりいつも通りだ)
高鳴る心臓を押さえつけ、安堵する。
「ほらユーゴ、エマちゃんはまだ休むから」
笑顔で宥めるお姉さまに、ユーゴも頷いてベッドから離れる。
(あ……)
寂しいなんて思わない。
ユーゴはレナお姉さまが好きで、それこそわたしなんて敵う相手じゃない。だから、わたしのこの心臓の高鳴りは絶対に違う。
「ちょっと認めてあげただけなんだから」
優しい顔を向けるユーゴに、わたしは悔し紛れに呟いた。
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