第5話 希望
※この話は、椎菜の視点で書かれています。
梅雨が明け、朝から抜けるような真っ青な空が広がる夏の日。
気温が三十度に迫ろうかという蒸し暑い中にも関わらず、沢山の人達が商店街を歩いていた。
今日から商店街で初の試みとなるイベント「
道の両端には露店が立ち並び、最近話題の若手大道芸人「Ryutaro」の中国ゴマのパフォーマンスショーなども行われて、とても賑やかだ。
私のいる「しあわせ書房」にも、普段では考えられない位たくさんのお客さんがやってきた。いつもなら日の半分くらいはテレビを見て過ごしている店主も、今日は店頭に立って忙しそうに歩き回っていた。以前「花風鈴」のイベントポスターを店主に見せた時、「どうせこの店で本を買って帰る客はいないよ」と言って鼻で笑ってたけど……全然いるじゃん。
いつならばゆっくりと時間をかけて本を並べたり、お客さんに探している本のアドバイスをしているけれど、今日はそんな余裕も無かった。
夕方になってやっと客足が減り、店じまいの準備を始めようとした時、私の腕時計の針はもう七時を回ろうとしていた。今夜は、健斗くんとの大事な約束があるけど、間に合うかなあ?
「椎菜ちゃん、ちょっと来てくれるかな」
目の前で店主が私を手招きしていた。
私は店主の後を付いて店の奥に行くと、そこにはハンガーに架かっている紺地にあじさいの花をあしらった浴衣があった。この浴衣、店主が私のために選んでくれたのだ。私の自宅には高校時代に着ていた浴衣があるけれど、当時よりも身長が伸びたのでサイズが合わず、どうしたらいいかと店主さんに相談したら、「一緒に探してやるよ」と言って、近くの呉服店でこの浴衣を見つけてくれたのだ。
私は店主から一つ一つ手ほどきを受けながら、浴衣を羽織り、帯を締めてみた。綺麗には出来なかったけれど、何とか形にはなったようだ。
「あ、そうそう。最後の仕上げに、これを付けなくちゃね」
「これって……髪飾り?」
「そうさ。昔、うちの娘に買ってあげた髪飾りがまだ家にあったんだよ」
「店主さん……」
「この近くでお祭りがあると、うちの娘に浴衣着せて連れて行ったんだ。あの子、この髪飾りが好きでね。浴衣を着る時はいつも髪に付けていたんだよ」
「そんな思い出の品を、私が付けても良いんですか? 」
「あの子は若くしてあの世に行っちゃったからさ。今はあんたが私の娘みたいなもんだ。ほら、付けてあげるよ」
紫と青の色鮮やかなあじさいの花に、白いビーズのような丸玉が入った髪飾りを、店主は私のポニーテールの髪の結び目あたりに、そっと差し込んでくれた。
「うん、似合うね。本当に私の娘を見てるみたいだよ、アハハハ」
店主は満足そうに私の髪に添えられた髪飾りを眺めていた。
私を自分の娘のように接してくれる店主を見て、私は感極まってしまい、目には涙がじわじわとあふれ出してきた。目頭を押さえる私の背中を、店主はそっと抱きしめてくれた。
「バカ、泣くんじゃないよ。泣いていいのは彼氏に振られた時だけだよ」
「あ、じゃあ今は泣いちゃダメですね。アハハハ」
私は慌てて涙をぬぐうと、店主は満面の笑みで私の髪をゆっくりと撫でてくれた。
ちょうどその時、店頭の方から誰かが私の名前を叫んでいる声が耳に入ってきた。店主は私の身体を離すと、店頭の方をそっと覗き込んだ。
「健斗さんが来てるよ。せっかく来てくれたのに、待たせちゃまずいでしょ?
早く支度しなさいよ」
「は、はい。今行きますっ」
店主に急かされるように、私は下駄を履いて慌てて店頭へと向かった。そこには、ワイシャツにスラックス姿の健斗くんが立っていた。
「ごめんよ、せっかくのお祭りなのにこんなカッコで。今日、就活先の面接に急きょ呼び出されたんだ。ついさっき終わって、慌ててここに来たんだ」
「あはは、いいよ。私もこんなカッコでごめんね」
私は舌を出して照れ笑いをしてみたが、その時、健斗くんの表情が一変した。上から下へとゆっくりと視線を動かし、その後、私の顔を見て「いつもと違うね」と小声でつぶやいた。
「へへへ、新鮮でしょ? 私、いつもジーンズばっかりだから」
「……ううん、すごく綺麗だよ」
「え? 」
「綺麗だよ、椎菜さん。浴衣も、そして髪型も」
私は思わず赤面して横を向いた。童顔で小柄なので「かわいい」と言われたことはあったけれど、「綺麗」だと言われたのは初めてかもしれない。健斗くんからの思いがけない言葉に、私は口に手を当てたまま、しばらく返す言葉も思い浮かばなかった。
その様子を見て、店主はため息をつきながら私の肩を叩いた。
「何だい椎菜ちゃん。そんな照れくさそうな顔してさ。ほら、早く行っておいで」
「あ、ありがとうございます、店主さん。いってきます」
私は我に返り、あたふたしながら店主に手を振って店の外へと歩きだした。
後ろを振り返ると、店主はなぜか両手で顔を押さえていた。
ひょっとして、泣いてるのかしら……?
私は心配になってしばらくその場にとどまっていたけれど、健斗くんは私を置いてけぼりにするかのごとく、人ごみの中を先へ先へと足を進めていた。
いつもと違い、肩がぶつかりそうなくらいたくさんの人達が詰めかけている商店街。はぐれてしまわないよう、私は履き慣れない下駄で体がよろめきながらも、先へ急ぐ健斗くんに必死についていこうとした。
少しぐらい、待っててくれたらいいのに……。
そう言おうとしたその時、健斗くんはようやく私が遅れていることに気が付いたのか、ポケットに手を入れたまま人ごみの中で立ち止まり、私の方を振り向いた。
「大丈夫? 」
「あはは、下駄なんて履かないから、バランスとって歩くのが難しくて」
「じゃあ、こっちにおいで」
健斗くんは、私の手をそっと握りしめてくれた。
「あぶないだろ。僕の手にちゃんとつかまって歩きなよ」
健斗くんの手から伝わる温もり、そして支えられているという安心感。慣れない下駄で多少歩くのが辛くても、どこまでも前に進めそうな気がした。
やがて私たちの頭上には、たくさんの風鈴が姿を現した。風鈴はそよ風にあおられ、金属音を立てながら左右に揺れていた。
「あの風鈴、椎菜さんの浴衣と同じ柄だね」
「あ、ホントだ! 紫色のあじさいだね」
私の頭上では、あじさいをあしらった風鈴が、風に乗ってゆっくりとゆれていた。
その他にも、朝顔、マリーゴールド、菖蒲、ひまわり……色とりどりの花が風鈴に描かれていた。その中でもとりわけ派手な、鮮明な赤い花柄が描かれた風鈴が私の目に入ったその時、同じ風鈴を指さしながら楽しそうに談笑する男女二人組がいた。
「ねえ健斗くん、あの二人って……」
「ああ……杏樹とその彼氏だな」
杏樹さんは風鈴と同じような派手な赤い花柄の浴衣を着ていた。その肩を、杏樹さんの彼氏・智哉さんが後ろからそっと支えていた。
「ちくしょう、僕……あの男に色々言いたいことがあるんだけどな」
健斗くんは歯ぎしりをしながら二人の背中をじっと見つめていた。
「こないだのこと、まだ根に持ってるの? 」
「まあな。だって、僕は杏樹を貶めるつもりは一切なかったんだよ? それなのに、『自分の気持ちばかり優先して、杏樹を傷つけた』とか、言いがかりつけてきやがって……」
健斗くんは拳を握りしめ、悔しそうに話していたが、やがて私の手を離し、人混みをかき分け二人の元へと近づいていった。私は慌てて健斗くんの元へ駆け寄り、腕に自分の腕を絡めて健斗君の動きを止めようとした。
「な、何だよ!? どうして止めるんだよ」
「これ以上いがみ合うのは止めましょ。全てもう終わったことだもん。今さら恨んでも、悔やんでも仕方ないもん」
「で、でも、あの男をこのまま許すわけには……」
「終わったことじゃなく、これからのことを考えましょ。あの人達も、そして私達も、これからしあわせになればいいじゃん」
やがて杏樹さん達は私達に気付くこともなく、私達と反対の方向へと歩き去っていった。気のせいかもしれないけれど、以前に比べて杏樹さんの表情が穏やかになったように感じた。きっと智哉さんが、不安定だった杏樹さんの心の拠り所になっているのかもしれない。
チリン、チリン、チリン、チリン
強い南風が吹き込み、私たちの頭上に飾られた色とりどりの花が描かれた風鈴が一斉に音を立てて揺れ動いた。通りを歩く人たちは足を止め、風鈴の音に耳を傾けていた。風鈴は、まるで私たちに幸せを呼び込むかのように、希望に満ち溢れた明るい音色を奏でていた。
「椎菜さん。僕……」
鳴り続ける風鈴を眺めながら、健斗くんは口を開いた。
「今日の面接でやっと就職先が決まりそうなんだ。小説とかエッセイとかを手掛けてる出版社なんだけど、大手チェーンやネット書店にはあまり回さないで、小さな本屋さん中心に販路を広げてるんだよ」
「へえ、すごい! おめでとう、健斗くん」
「何というか……僕、しあわせ書房を通して沢山の出会いがあった気がするんだ。それは本だったり、人だったり、景色だったり。その全てに、僕は心から感謝してる。だから僕は、しあわせ書房みたいな町の小さな本屋を守りたい、そのために自分に出来る仕事って何だろうって考えたんだよね。そしたら、出版社か経営コンサルタントって結論になったんだ」
私は最後の結論にちょっぴり呆れつつも、同時に涙が溢れそうなほど嬉しかった。
「しあわせ書房」を守ろうと彼なりに色々考えてくれていたこと、そしてその第一歩
を踏み出してくれたことに。
「ねえ、健斗くん」
「何だい? 」
「ありがとう。それと……」
私は次に言おうとしていた言葉を一度躊躇した。
チリン、チリン、チリン、チリン
優しく鳴り響く風鈴の音色が私の耳に入ってきた。
まるで「君たちはきっと幸せになれる」ってささやくかのように。
このまま言わずに心の中に仕舞っておこうかと思ったけれど、やっぱり言わずにはいられなくなった。私は胸に手を置いて心を落ち着かせ、再び口を開いた。
「大好き」
健斗くんは口をぽっかり開けてあっけにとられていた。
やっぱり言うべきじゃなかったかな……と後悔したその時、健斗くんは顔を赤らめ、頭を掻きながら「僕もだけど」と小声でつぶやいた。
その瞬間、まるで私たちの行く末を祝福するかのように、頭上に吊るされた風鈴が風に乗って一斉に明るい音を立てた。
通りを埋め尽くすほどの多くの人達が行き交う中、私たちは手を繋いでずっと立ち止まったまま、音色を奏で続ける風鈴をじっと見つめていた。
(おわり)
しあわせ書房~エピローグ・花風鈴~ Youlife @youlifebaby
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