第5話 惨殺

 細い集落内の道を走る白いバンの今泉真いまいずみまこと河合和人かわいかずと二人にとって、さといろどる花桃はなももでる心は持ち合わせていない。今泉は三十代と思しき目つきのけわしい男で、河合は二十歳そこそこに見えるいかにも軽薄けいはくそうな男である。年上の今泉は人と会う時以外はたばこを吸い続けており、ハンドルを握る河合は絶えずつまらない話をれ流しては、今泉の顔を不快ふかいそうにゆがませていた。

 さぐりに来た大沢地区は、彼らにとって田舎いなかの山里としかうつっていないのだ。だが、この山里を二日ほど走り回り、良い話を二人は仕入れることができた。

 東京近辺では産業廃棄物の廃棄場所が足りなくなっている。そのため不法投棄ふほうとうきあとを絶たない。今泉と河合が勤める産廃会社も不法投棄で稼いできた企業だが、社長の入来健一いりきけんいちはそろそろ法の目をくぐってかせぐことから、正式に産廃物業者として会社を変えていこうと考えているらしい。そのため、専務取締役という肩書を持つ今泉と入社して間もない河合に、この山里の奥で予定されていた産業廃棄物処分場計画を調べさせていた。

 もともときなくさうわさの絶えない計画で、町役場に勤める職員の失踪や計画反対を掲げて当選した町長への襲撃、その犯人の自殺など立て続けに悪い事態じたいが起き、賛成に傾いていたさとも建設を断念だんねんせざるを得なくなったのである。

 入来はそこに付け入るすきがあると考えていた。計画賛成派のリーダーは宮下家で、大沢地区のちょうとも言える寄合よりあいを戸枝家と持ち回りで務めている、東京に本社を置く産廃会社(こちらは真っ当な部類にはいる会社である)に無価値となっていた山を高く買い取ってもらえる事が、賛成に立った理由だった。

 同じく建設予定地の土地を保有している戸枝家とは違って、宮下家は今、金に困っているという噂だ。産業廃棄物処分場建設のために、かなりの資産を関係各所にばらまいたためとも言われている。

 たまたま代休で家にいた宮下大吾みやしただいごに今泉と河合が話を聞いたたところ、宮下家は賛成派として動いていた大吾の父親、宮下茂吉みやしたもきち失意しついの内にくなった頃から衰退すいたいしたようだった。

 茂吉の後を継いだ大吾はごく普通のサラリーマンで、ゆくゆくはさとを出て都市部にきょを移したいと考えていた折でもあり、頓挫とんざした処分場の建設予定地に掛かる土地を売っても良いというのだ。

 そのことを今泉が社長の入来に伝え、入来は満足した様子で「ついでに建設予定地も見ておいてくれ」と二人に命じたのである。

「もう帰れると思いましたよ」

 とハンドルを握る河合がぼやいた。あたりは日暮ひぐれが近づいている。

「仕方ねえだろ、社長命令だかんな」

 今泉が本日、十本目のたばこに火を点けながらそう答えた。

「今から東京に戻っても夜遅くなるのに、現場も見ておけって、帰るの何時になるか分からないじゃないか」

 と河合のボヤキは止まらない。

「なんだ、今日予定でもあったのか」

 盛大に煙を吐き出しながら今泉が言った。

「……いや、ない

 バンはうねうねと集落をうように伸びる道をゆっくりと走っている。信号も標識もない集落で、いつ出合いがしらに車や自転車、年寄りとぶつかるか分からないからである。

「なら、いいじゃねえか」

「まあ、そうなんけどね」

 何かの神社を通り過ぎると人家じんかが無くなり道は建設現場に向かって登り始める。

「ひゃー、こんな田舎でも綺麗な娘はいるんね」

 突然、河合が声を張り上げ、吸っていたたばこを車内の灰皿に捨てるため下を向いていた今泉が顔を上げた。

 この山道の先に家があって、これからまちにでも行くつもりなのか、高校生らしい娘が降りてくるのが見えた。確かに河合が言うように、ボーイッシュで均整きんせいの取れた体に短めのスカートから伸びた足が、遠くから見ても美人に違いないと思わせるスタイルであった。

 近づいて通り過ぎるとき、二人は薄ら笑いを浮べながらその娘を凝視ぎょうしし、顔も含めて上玉じょうだまと認めた。

 河合が通り過ぎた娘の姿をバックミラーで見つめながら「戻って声かけてみましょうか」と目をギラギラさせて提案した。

「やめとけ、そんなことしてると本当に日が暮れちまう」

 今泉はたばこの箱から十一本目のたばこを探りながら答えた。

しいね」

「いいからちゃんと運転しろって。場所、分ってんだろうな」

 今泉つまらなそうにそう答えた。二軒並んで立つ家を過ぎると、もう森に覆われるような山道になった。

「もうバッチリ

 と言いつつ、河合は消えつつある娘の後姿をまだバックミラーから見つめていた。


 日暮れ近く、森はシンと黙り込んでいる。

 河合が運転するバンは観音堂を少し通り過ぎ、路肩ろかたに停まった。まず助手席から大男の今泉がバンを降り、続いて河合が降りる。河合も大柄の方だが、今泉は雲突くもつくような大男である。

「こんな所に車置いて大丈夫か」

 と今泉が背伸びをしながらごえを上げた。

「誰も通りませんて」

 二人は観音堂を見上げながら、奥へ通ずる込みに分け入ったが、観音堂には誰も居ない。日が暮れ始めた山の中で、シンとして立っている。

「この神社から歩いて十五分くらいらしい

 観音堂と神社の区別もつかない河合は今泉を先導せんどうするように歩き始めた。

「おう、……しっかし、寒いな。下はあたたかかったよな」

 道は落ち葉がそのままだし、最近は誰も通らなかったせいか、良く注意しなければ道を見誤みあやまるような荒れ方である。

「誰も通っていないみたいね……。ねえ今泉さん、此処ここだけが寒いんじゃないか、だって、車降りた時は寒いと感じなかったよ」

「まあ、山の中だからな、寒いんじゃないのか」

「でも、気味きみが悪くないか」

 大体だいたい万事鈍感ばんじどんかん部類ぶるいにはいる河合が、珍しくあたりを見回しながらそう言った。

「ここいらの木、何かに押し倒されたようだな、それにこの土塊つちくれは何だ」

 今泉の言うように、道両側の木は山の奥から車道のある方向に押し倒されれていた。確かにその場所には大量の土が置き去りにされたように残っている。

「今泉さん、戻りませんか。さっきより寒くなったし……」

「まだ現場を見てねえじゃないか。俺も専務として見ておきたい」

「……はあ」

 河合はため息のような返事を返した。専務と言っても四人だけの会社だけどなと彼は心の中で思っている。好きでこんな会社で働いているわけじゃねえとも思う。

 今泉の方は、河合が次第に怖気づいてきているのを感じ、自分が先頭に立って奥へと進み始めた。冷気れいきは二人が進む方向から流れてくるようだった。

 建設予定地に着いたのか、突然に視界が開けた。二人はそこが平坦な空き地だと聞いていたが、見た光景は足元から土が大きくえぐれ、すりばち状になっており、その底は四メートルほど下にある。

 到着したときには、二人は完全に無口になっていた。今泉と河合の本能が、「戻れ、逃げろ」と告げている。冬はとっくに終わり、春だというのに二人の息は白くなっていた。すりばちには草が生えないのか、赤土がむき出しのままで、穴を囲むように日差しが無くなり黒くなった山がせまり、辺りは物音ものおと一つしない。

「物を捨てるにはもってこいの地形ね、でもひどく気味悪い……」

 怯えたように話しかけてくる河合を無視して今泉は、自分たちが立っている足元あしもとが気になっていた。ゆっくりと動いているように感じたのだ。

「おい、足元あしもと気を……」

 横に立っていた河合が悲鳴を上げてすりばちの底へ転がり落ちていく。やばい、逃げなくては、そう切実に思ったが遅かったようだ。地面が動いていると感じている感覚をもっと早く気にするべきだった。自分の足元あしもとに空間ができるように崩れ、今泉は河合と同じようにすりばちの底へ転落した。

 とは言っても三、四メートルほどの穴である、二人は怪我もしていない。身体からだが泥まみれになっただけである。身体からだを今泉が起こすと、河合が口に入った土を吐き出しながら、よろよろと立ち上がってこちらをおびえた目で見つめた。

「怪我、ないか……」

 と聞いてきたので今泉は一つ頷いた。視線を落ちてきた方向に向ける、このくらいの高さならなんとかよじ登れそうだった。

「たく、冗談じょうだんじゃねえ」

 そう言い今泉は立ち上がった。二人が落ちたところはすり鉢の底に近いあたりだった。

 すり鉢の底を見回すと、山のけものの物と思われる毛皮がそこかしこに転がっていた。だが、おかしかった、その毛皮は生きているようにさわさわとうごめいている。

「登るぞ」

 河合にそう言った。

 河合が何故か薄く笑っている。身に理解できない事が起こり、戸惑っている時の笑いだった。

「……どうした」

「足を、……足を誰かが掴んでるん

 突然、河合の背が二十センチ程縮ほどちぢんでみえた。実際は土の中に二十センチほど引き込まれたのだ。

 苦痛と恐怖で河合がたまぎるような悲鳴を上げ始めた。

「助けて、助けてください、今泉さん……」

 そう河合が叫ぶと同時にさらに彼の身体が地面に引き込まれた。河合は足元あしもとを見つめ、さらに悲鳴がつんざくように高くなる。自分の足を何かに摑まれ、引きずり込まれそうになっているのを、鈍い頭でも認識したようだった。

 今泉が河合を見ると、十センチほどの土のけ目に河合の身体が引き込まれつつあった。土にできた口の様な裂け目だった。細い隙間しかないため、河合の血にまみれた足の肉ががれて地表に残りはじめている。肉をそがれた足の骨だけが地の中に消えているのだ。

 とにかく逃げねばと、悲鳴を上げ続けている河合を見てそう思った。だが、足が動かない。慌てて目を足元あしもとに落とすと、自分の所にも幅十センチほどのけ目ができ、そして、見たことが信じられないが、どす黒く変色したヒトの指状の触手しょくしゅが足首を掴んでいた。

 今度は今泉が悲鳴を上げる番だった。ずりずりと自分の身体が土に沈み込んでいく。今泉は信じられぬように河合の顔を見た。

 河合の下半身は完全に土の中に引き込まれ、彼の血にまみれたスラックスなどの衣服と彼の肉がつぶされた芋虫のように残っている。

 二人は悲鳴を上げ続けた。上げてもどうしようもない事は感じていたが、恐怖と激痛げきつう容赦ようしゃなく彼らを襲い、死よりつらい状況をもたらしていた。

 悲鳴は長く続いた。やがて河合の悲鳴が途切れ、彼がどうなったのかを理解した。

(俺も河合も、まだ何も悪い事していねえのにな)

 苦痛の中で今泉はそう思っていた。

 少しして今泉の悲鳴も終わった。二人のいた跡には、骨だけが地中に引きずり込まれ、チューブの中身が絞り出されるように、大量の血にまみれた彼らの肉、服が盛り上がり小さなつかのようになっていて、その上に二人の胴体から離れた首が乗っているといった凄惨せいさんな状況となっていた。何故なぜか二人を引きずり込んだ何かは、首の骨を分断し、頭だけを地上に残していた。

 その二人の脱皮だっぴした様な遺体に向かって、毛のようにうごめいていたかたまりが崩れ、十センチほどのこぶし大の胴体に宇宙からきた生物にありそうな細長い八本の足を持つ大型のザトウムシの群れがわらわらと二人の遺体目掛けて押し寄せ始めた。

 またたく間に頭部と皮膚と肉を残した二人の遺体にザトウムシの群れがおおいかぶさり始める。そして巨大なザトウムシの群れは今泉と河合の体液にかぶりつき始めた。

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花桃が咲く季節に 八田甲斐 @haxtutakai

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