第4話 日和とバトウ その2

―日和とバトウ その2―

 観音堂でバトウに出会い一週間がたった。あの時別れぎわに「もう来るな」と言われたが、いたい、寂しいと感じる自分がいる。相変わらず祖母のこと、精神障害用病院に移っていった友則のことが彼女の中でふくれ上がり、えがたいほどになっていた。

 ついに我慢しきれずに、高校入学式を翌日に控えた日、彼女は珍しく薄く化粧をして観音堂まで上っていった。居るだろうか、たぶん居ないだろうなと思いつつうねうねと曲がる坂道を上り、観音堂に着くと、少し難しい顔をしてあの時と同じネクタイ姿のバトウがえんから日和を見つめていた。

 息を切らしながら彼に近づくと、鼻筋の通った端正たんせいな顔は難しいままだが、切れ長の瞳だけが悪戯っぽく笑って日和を迎えてくれた。

「言わなかったかな。もう来るなと」

 バトウは日和にそう言った。

「……」

「見てのとおり、俺は人ではない、繁々しげしげと会う者ではないんだぞ」

 まるで彼女にさとすような口調だった。

「……いたかったから」

 と日和は視線を足元に落とし、そう答えた。

「なぜ、いたいんだ」

「分からないけど、ただいたかったんです」

 自分でもまるで子供のような問答もんどうだと思った。けれども、バトウにいたい、ただそれだけだったのだ。

「まあ良い、こちらに上がっておいで」

 日和は初めて会った時のようにスニーカーを脱ぎ、縁(えん)に上がった。バトウは何かの気配を感じ取るように遠い視線を周囲に送っている。

「良い天気だ」

 だが、周囲の気配を探っているようだが、バトウはそう言い、背中を堂の柱に預け座った。日和もそれを真似てバトウの隣に座る。

 日差しが辺りの空気を温めて春の匂いを満たしていた。

花桃はなももは終わったか」

 日和の暮らすさとのそこかしこに鮮やかな紅白の花を付ける花桃はなももの木が植わっている。三月の下旬頃に満開となり、花桃はなももに釣られるように咲き始める桜より色が濃いので、郷一帯は花桃はなももの色に染まるのだ。

「……今年は冬が長かったから、まだ咲いています」

「そうか、ひさしく見ていないな」

「降りてくればいいのに」

 思わずそう言った。花桃はなももの下を二人で歩いてみたい、そう思ってしまった。

「そうもいかない、最近山がさわがしくてね」

 そう答えたバトウの言葉に、日和は少し落胆した。そして胸の奥に潜んでいたもやもやとしたかたまりが、自分の下腹へと降りてくるのを感じる。

 バトウと自分との距離はほんの三十センチ程しかない。春の匂いに混ざって、バトウから微かなお香に似た体臭が漂ってくる。もう少しバトウに身を寄せたいと思うのだが、まだ日和にはそういった大胆さがない。腹に降りてきたもやもやは、そこに留まり次第しだいに熱をびてくるようだった。

さわがしいって、どういう事……」

 そういった感情を誤魔化ごまかすように日和がそうたずねた。

「山がさわがしくなっている」

「山が……それは良いこと」

「あまり良いとは言えないな」

 バトウはまるで楽しいことが起こるかのような口調で、そう答えた。

「あれは、何……」

 矢島友則、友澤猛、添田克己の三人に大怪我を負わせた化け物の姿を、日和はあまり覚えていない。それを思い出すのを頭が拒否しているようだった。

 怪我の度合いは、友則がもっともひどかった。詳しいことは聞かされていないが、彼の目、鼻、口、耳は全て溶け落ち、上半身はただれきっていたそうだ。火傷やけどでいうとⅢ度の怪我らしく、友則の今後の人生は苦痛と苦難くなんに満ちたものとなりそうである。現に彼は今、自分の将来を悲観するあまり、精神的な病も発症してしまっている。

 他の二人は、友則ほどではないものの、猛は左腕と左側の上半身、克己が右腕と右側の上半身にⅡ度からⅢ度となる火傷を負っている。彼らの火傷は、友則を両脇から支えて逃げた事で、彼の浴びた液体に触れたためとされていた。

 三人の怪我は、何らかの原因で水酸化ナトリウム溶液を浴びたことによる火傷やけどであることが分かったが、肝試きもだしに参加した六人の証言が一致して大きな化け物が追いかけてきたというものであっため、不確ふたしかで恐怖の余りの集団幻覚か何かの見間違いと見なされていた。

 六人の話のとおり、確かに大きく重量のあるものが押しとおった形跡と大量の土塊が残ってはいたのだが、警察も消防もそれと三人の火傷を結び付けなかった。現場が産業廃棄物処分場建設予定地の近くであったため、結局は何らかの拍子ひょうしに、薬品を浴びてしまったのだろうと結論付けられてしまったのである。

 そして、薬品が何故廃棄されていたのか、誰が廃棄したのかはうやむやにされ、不幸な事故ということで収まったのを日和は不審に思っている。

 化け物が先を歩いていた三人を襲い、六人を追ってきたことや、バトウと思しき少年が化け物を追い払ってくれたことなどは、口をつぐんでいろと言うことだと理解し、それに日和達は従うしかなかったのだ。

 あれは何なのかをバトウに訊ねると、彼は再び難しい表情をした。

「下では、あれはなかったことになっているのだろう」

 彼のいう「下」とは大沢地区のことだろう。

「たぶん」

「それならそれで良い。知って得になるものでもない。ここの奥には無暗むやに入るなということだ」

 日和達が肝試しを行った観音堂の奥を郷では、昔から「」としていたようだ。だからこそさとの有力者が、その地の地権者ちけんしゃとなっていたのだ。その地を誰にも利用させぬためにである。産業廃棄物処分場建設で郷がめたのも、ここが「」とされていたからだ。

「でもさっき、山が身をくねらせているって……。また、私達を追いかけてきた物みたいなのが現れたということではないの」

 少し食い下がるような物言いに日和はなっていた。彼女はもっと知りたいと思っていた、友則をあんな風にした化け物についてである。

「そのきざしはある。またぞろ、良からぬことを考えている奴らが現れてきそうだからな」

 最初、肝試しのことを指している気がしたが、ふとさとの人が花桃を見に来た観光客のものではないバンタイプの車がうろついていたということを聞いたのを思い出した。ひょっとして、またさと厄介やっかいごとが持ちあがるのではないだろうか。

「……どうすれば良いのかしら」

「さあな、俺は関わらん。何が起こっても知らんな」

 日和はバトウの言葉を聞き、彼は人が好きではないのかもしれないと思った。それほど、突き放すような物言いだったのだ。

「……バトウは人が嫌い」

 と日和が彼を見上げながら訊ねた。

「好かないな、君はどういうわけか違うが」

「なんで」

 日和がそう訊ねると、バトウがスッと身体を寄せてきた。

「なんでって言わせるのか、可愛いからかな」

 バトウの瞳が金色に見え、日和は顔が熱くなるのを覚えた。

「ううん、そうじゃなくて、なぜ人が嫌いなのかってこと」

 日和はそうたずなおした。バトウの言葉は分かりにくいが、自分をめてくれたことは何となく分かった。

 彼の手が、そっと日和の髪に触れてくる。長い細い指だった。

「好かぬものは好かぬ」

 と切り捨てるように答えたが、言い方がきびしかったと思ったのだろう、言葉を続けた。

「まあ、なんだ、俺たちとはあまり関わらないことだ」

 バトウはそう言い、これでこの話題はおしまいというように日和の髪に触れていた手を引いた。

「寒くなった。下に戻れ」

 確かに太陽は山のにかかり始めていた。日の光もオレンジ色を濃くしている。

「また来て良いですか」

 日和はバトウの言葉に頷きながら、そう言った。

「勝手にしろ」

「……じゃあまた、来ますね」

 うむと今度はバトウが頷いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る