第3話 日和とバトウ

 中学の卒業式を目の前に控えた時期に、認知症にんちしょうで施設に入居にゅうきょしていた日和の祖母が亡くなった。孫の顔も忘れてしまった祖母であるので、亡くなった今頃は本人も記憶障害きおくしょうがいが解消されホッとしているかもしれないが、残された者はひどくこたえた。

 そういったわけで日和は、十年も経たない内に四人の肉親を亡くしたことになってしまった。

 この日は祖母の死が特にこたえた日で、それに加え大怪我おおけがを負った友則とものりが県立病院から、一つ県をまたいだ精神障害を専門に扱う病院に転院したことを聞いて、なおさら滅入めいっていた。彼は自分の置かれた現状を絶望し、精神の均衡を失ってしまったという。

 気分転換にと山道に分け入ったのだが、その途中の分岐を左に進めば景色のよい高台に行けるのだが、いつの間にか、あの観音堂かんのんどうまで上ってきてしまっていた。良く晴れているが、山はまだ冬景色で、一週間前に降った雪が斜面や道の脇に残ったまま固まっており、気温もかなり低い。

(なんで、ここに来てしまったのだろう)

 観音堂の藁葺屋根わらぶきやねを見上げ、漠然ばくぜんとそう思ってはいるが、足は自然と観音堂の境内けいだいに続く石段を登り始めていた。

 観音堂の周囲は、鬱蒼うっそうと茂った針葉樹しんようじゅ常緑樹じょうりょくじゅが押し包むようになっている。それが観音堂の塀に見えるし、それを意図したものとも思えた。ここで爪をはがしながら水道を探し、懸命に友則ら三人に水を掛けたことは、これまた日和にとってつらい記憶の一つでもあった。

 「久しぶりだね」

 対であるはずが、片方が無くなってしまった燈篭とうろうの横に立ち、少し大きめの藁葺わらぶき屋根を被され、きのこのようにも思える観音堂の固く閉じられた扉をぼんやりと眺めていると、いきなり背後からそう声を掛けられた。驚いて振り返ると、行方不明の叔父である浩二郎こうじろうが黒いスーツにネクタイ姿で立っていた。

 今まで何処に居たんだろう、どうやって音もなく背後に立てたのかと思う前に違う言葉が出てしまった。

「……叔父さん」

 そう自分自身に問いかけるよう日和は答えた。

「いや、違うな」

 そう否定したが、目の前に立っている人物は叔父の浩二郎そのものだ。歳の頃は三十前、穏やかで芯の強そうな風貌ふうぼうに長身の姿は浩二郎そのものであったが、口調だけは少し違っていた。

「……私、日和です」

 叔父である浩二郎が行方不明となったのは四年前で、その頃の自分と今の自分の見分けがつかないのかと思って、そう言ったのだ。

「だから、違うといっている」

 浩二郎そっくりの人物は、少しぶっきらぼうな口調で、改めて叔父である事を否定した。

「……」

 日和は混乱に加え、恐怖を覚え始めた。この人物が叔父そっくりであることに、何か尋常じんじょうではない者が目の前に立っていると思ったのだ。逃げることを考えたが、相手は日和の退路たいろふさぐように立っているので無理そうである。

「忘れたか、俺のことを」

 そう訊いてきたが、日和は返答する言葉が見つからなかった。

 叔父そっくりの者は、「ふむ」と鼻を鳴らした。

「……これならどうだ」

 そう言った。一瞬のうちに叔父の身長が縮み、百六十二センチの日和よりも小さくなり続け、坊主頭ぼうずあたまで、裸の上半身に布を斜め掛けにした少年の姿に変わったのである。

「覚えているだろう……」

 声変わりのしていない少年の声である。肝試きもだめしの時に六人を助けてくれた少年だった。

「ん……、分かったようだね」

 少年がニヤリと笑い、再び叔父の姿に戻っていく。

「……」

「少し、驚かせてしまったかな」

「……誰なの」

 やっと出てきた言葉がこれであった。

「ん、俺か。……バトウと言う」

 そう答えた。


 観音堂の縁にいつの間にか並んで二人は「体育座たいいくずわり」をしていた。ちょうどそこは日差しが木々の隙間から差しこんでいる箇所かしょでもあり、風もなく暖かだった。

 日和はこんな状況からすぐにでも逃げ出したかったのだが、一つだけどうしても聞き出したいことがあった。バトウと名乗る男が叔父である浩二郎と瓜二うりふたつの理由である。ひょっとして叔父の行方を知っているのではと思ったからだ。

 ただ、こうして隣で彼女と同じように体育座たいいくずわりをしているバトウが、「人ならざる者」であることは理解していた。それに伴う感情は恐怖でしかない。ただバトウはかつて自分を助けてくれたことと、日和が大好きだった叔父と同じ顔であることが突き上げてくる恐怖を中和ちゅうわしてくれている。

「……私の叔父に似ているんですけど、どうしてですか」

 どうしても聞きたかった点を思い切って日和はたずねた。

「あれは君の叔父か、てっきり親子だと思っていた」

「叔父を知ってるんですか」

「知っている」とバトウは頷いた。「小さな君とここを掃除しにきてくれていただろう」

 バトウは叔父の浩二郎に連れられて日和が観音堂の清掃活動に来ていたことを知っているようだった。清掃活動は地区から毎年数人が当番で行っていた事だが、寄合をつとめる戸枝家は、毎回清掃管理としてここへ来ていた。その管理を任せられていたのが、まだ日和達と同居していた浩二郎である。

「ああ……、あれ」

 叔父の顔をぬすんだのはその時かもしれないと日和は思った。

「そう……あれだよ」

 バトウは、なかなか剽軽ひょうきんな面のある化け物のようだった。

「……じゃあ、こっそりとのぞいていたんだ」

「おお、のぞいていた、のぞいていた。可愛い子だったよ、君は」

 遠慮ないバトウの視線が日和に注がれる。人の目の虹彩こうさいとは違う色をたたえているのだが、何故かきつけられる光を帯びていた。

「それって、今は可愛くないという意味……」

 ほんの少し、からかった返しがしたくなり、そう訊ねたのだ。

「いやいやいやいや、今でも充分じゅうぶんに、なんだ……、あれだ、美しい」

 指の長いてのひらをバトウは小刻みに振りながら、そう答えた。彼の慌てて取りつくろったような返答で日和の警戒心はさらにゆるんだ。

「叔父の姿をしているのは……どうして」

「ふん、君が怖がらぬようにだ、この姿ならそうはならないだろ」

 と、バトウが「どうだ」というような顔をする。叔父の浩二郎そっくりの姿形すがたかたちでそう言うので、日和には違和感しかない。

「でも、叔父さんは今でも行方が分からないんですけど」

 日和がそう指摘すると、バトウは困ったというような顔をした。突然、日和に叔父を行方不明にしたのがこのバトウなのではないかという思いが浮かんだ。改めて恐怖と警戒心が湧き上がってくる。

「いやいや、ちょいと待て。俺は君の叔父をどうこうしてはいない」

 そう日和の思いを読んだようにバトウが言った。そして続けた。

「まあ、よく考えてみてよ、俺が叔父さんを殺したか、どうかしたのならだよ、このような姿は取らないと思わないか」

「……」

 黙ったまま、不承不承に日和は頷いてみせた。

「なっ……、そうだろ」

「う~ん……」

 なんだろ、このバトウという化け物なのか妖怪なのか分からぬ存在は、当然と言っては当然だろうが、少し人間の感覚とはずれているように日和は感じた。彼女にとって叔父は浩二郎でしかなく、バトウではない。けれども、半面で浩二郎そっくりな容姿をしたバトウに親しみの情を覚えてもいる。心がホッと溶けるような感覚、それは自分を可愛がってくれた浩二郎に感じていたものだ。

「この姿は不服ふふくか」

「いいえ、違います、でも何だか複雑……」

「君は叔父さんが好きだったのだな」

 アッと日和は衝撃を受けた。

(そうか、そうだったんだ。私は叔父が好きだったんだ)

 彼女は浩二郎が行方不明である事に対して認めていたが、周りの人間のように死んでいるのだという意見は受け入れていない。絶対どこかで生きている、そう思い続けてきた。叔父が亡き人になっているなど考えたくもない。

「ええ、そうです」

 初めて理解した。叔父の事を考えると胸が詰まること、他の異性にあまり興味をいだかないこと、叔父にったら何を話そう、ったらこうしたいと思い続けていること、その全てが「好き」に集約されていた。

「好きな人と似た者と話すのは嬉しくは無いのかな」

 と、そう言い、バトウは日和に笑って見せた。

(やっぱり少し常識がずれてる…)

 日和はそう思った。


 

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