第2話 怪異
両親を早く亡くした
この日、日和が作った夕食を食べている雄一郎に、夜の九時から
八月に入ったばかりの夜で、日中の
日和は
翔吾の家に集合時間より少し遅れた日和が着くと、玄関で待っていたかのようにひょろりと背の高い翔吾が顔を出した。
「おせえよ、みんな待ってんぞ」
とホッとしたような口調で翔吾が言った。
「ごめん、お祖父ちゃんの食事が
身体の前で軽く手を合わせながら、彼女はそう答えた。
「ま、それなら仕方ねえな」
日和の事情を知っている翔吾は、そう言いながら近づいてくる日和を玄関の中に招き入れた。
玄関の戸を
「おう、やっと来たな」
と
互いに懐中電灯や虫よけをしたかを確認し、「さあ、行くべ」と「とも」と呼ばれている矢島が声を上げた。顔を見せに来た翔吾の母親の
日和は「とも」の後姿を見つめながら、また背が大きくなっていると思っていた。
肝試しは地区の中高生が所属する青年部が行う年間行事で、いつもは地元で「
「ねえ、諏訪様に行くんじゃないの」
と
「ああ、今回は
言いにくそうに翔吾が答えた。
「えっ、あそこの奥は立ち入り禁止でしょう」
と日和の隣を歩いていた彩が声を
「まあ、そうなんだけど。……マンネリだからじゃね、諏訪様じゃ」
「……そうよね、諏訪様の辺りは、子供の頃から遊んで知ってるし、そんなに怖く無くなっているもんね」
と彩は翔吾に言い、同意を得ようと日和に視線を移してくる。日和達の前を少し先行して歩いている高校生三人は、声高に高校の話題らしい話をしていて、こちらには目も向けない。
観音堂は集落から一キロほど山に分け入った所にある
それだけではなく、観音堂辺りには幽霊が出ると地区では噂されており、
「うちのお祖父ちゃんに知れたら大変だよ」
そう日和は翔吾に言った。
観音堂奥の処分場建設予定地跡に行くのを禁止したのは、日和の祖父である雄一郎である。
「黙ってれば大丈夫だって、日和がな」
翔吾は前後左右に懐中電灯を向けながらそう答えた。
「話せるわけないよ、
「な、だから秘密にしておいてくれって……」
そう翔吾に言われ、しぶしぶといった感じで日和は
観音堂までの道は舗装されているものの、車一台が通れるほどの道幅しかなく、曲がりくねった上り坂が続く。森も深いし地形も険しく、足元の底からは水の流れる音が聞こえてくる。それに合わせるように寝ぼけた
日和は辺りの物音に一人耳を澄ませていた。高校生三人のお喋りに加え、さっきからずっと翔吾と彩が話し込んでいるので、日和は黙って歩くしかなかったからである。
三十分もしないで、目的地に到着した。観音堂はヘアピン状に道が左に大きく曲がる
カーブを曲がり切ったところに観音堂とそのさらに奥へと続く小道がある。六人は迷わず小道に足を踏み入れた。数メートル入った観音堂へ昇る古びた石段を通り過ぎると、空気感が変わった。
なんと形容すれば良いのか判らない、
(お祖父ちゃんが、入っちゃ
そう日和が思っていると、高校生三人が「おっ、
「大丈夫か、怖いんじゃないの」
と声を掛けてきた。
「怖かねえよ」
と翔吾が
「なら、ちゃんとついて来いよ、この夜中に
「分かってるよ……」
妙に
「……でも、なんだか雰囲気が出てきたんじゃない」
彩が翔吾の
そんな二人を見て、日和は
だから、たとえ同じ幼馴染の彩だとしても翔吾と親しくしているの見て、
「おおい、みんな懐中電灯を点けてるな」
と「とも」が言った。
ふと見ると日和は懐中電灯の明かりを消していたのに気づき、
木々の枝葉が小道を覆い、トンネルの中を歩いているようだった。そして懐中電灯で照らされた木肌が
高校生三人と日和達三人の間に十メートル程の間隔ができてしまっていた。そのため、後ろの集団は日和を先頭とした形になっている。
初めは
いわゆる二度見で何かが立っていた森の中を見たが、ただ
「この先は行かない方がいい」
と少年のような姿の者は再びそう言い、闇の中に溶け込んだ。
それでも三人は歩くのを止めなかった。日和は立ち止まりたかったのだが、翔吾と彩は言葉を聞いてなかったのか立ち止まらなかったし、逆に足を止めようとした日和に「何、どうしたの」と言ってきた。
どうもこうも、少年のような者がこれ以上行くなと言っているのに、二人は聞こえないのだろうかと日和は思っていた。ひょっとして、自分しかみえていないのでは、そう感じた。
(えっ……)
顔を前方に戻した日和の目の前に、立ち
「俺は、行くなといっている」
完全に日和の足が止まった。小道の真ん中から少年が動こうとしないからだ。
「おお、急に止まるなよ」
そう言いながら、翔吾は立ち止まった日和にぶつかりかけ、何んとか身をよじって通り抜けようとした。
「止まって、だめ、止まって」
大柄の翔吾に引っ張られかけたが、力を込めてその場に踏み止まった。
「なんだよ……、どうして」
「なんか、変……」
そう答えた瞬間、先行していた高校生三人から悲鳴が
翔吾は日和の腕を振り払って、悲鳴の方向へ駆けつけようとしたが、彼女は彼の腕を掴んで離さなかった。
「……駄目」
それでも翔吾は三人の
「兄貴たちが……」
そう翔吾が叫ぶように言った時、前方からばたばたと走る足音がした。一人の両脇を抱えるように高校生が引返してきたのだ。
「逃げろ、……早く逃げろ、追いつかれる」
三人は
「追ってくる」
右腕で矢島を支えている添田が悲鳴のように叫んだ。
暗闇の背後で木が
「う、腕が熱い……」
翔吾の兄である猛が、走りながら
「早くっ」
すぐ背後で木々が何かに押しつぶされるように道に倒れ込んでくるのを、日和は咄嗟に照らした懐中電灯の明かりで見ていた。一人を両脇から
(こっちの手は握ってくれないの)
彩と翔吾の
「……日和、先に行け、
高校生の三人はひどい
「だめだ、……つかまっちまう」
添田が甲高い悲鳴にも似た声を上げた。
日和がその声に振り返ると、三人の背後に巨大で
「もっと、もっと速く走って」
そう日和は叫んだ。
「……追いつかれる、日和、先に逃げろ」
今度は猛が
(だれか、だれか助けて……)
そう思いながら、追ってくる何かをもう一度確認しようと、後ろを振り返った。どうしても森の木々をなぎ倒して追ってくる物を見たかったのだ。死ぬかもしれない、本当にそう思った。でもそれならば、恐怖で気が狂いそうであっても自分を殺すであろう物の正体を見たかった。
追ってくる物の前に、あの少年が浮かび上がる様に現れた。化け物は構わず、少年に向かって迫ってきている。森の木が押し倒されていく音とともに何やら
(あの子が、
そう思った瞬間、少年が発光した。まるで大型のフラッシュライトを
いきなり光が終息し、同時に追ってくる物が起こす騒音も少年も消えていた。怒号ではなく、人の悲鳴のような咆哮が六人の
それでも六人は走り続け、観音堂の石段が見えるところで、
「救急車を、……翔吾、家に戻って助けを呼んでこい、なあ、添田、水持ってないか、矢島がどんどん酷くなってるぞ……」
兄の猛が矢島を
六人の中で体力的に大丈夫そうなのが翔吾で、兄の猛がそう命ずるのは
「待って、わたしも……」
自分も連れて行ってくれと言うのだろう、彩は翔吾に声を掛けた。
「彩は足が遅い。翔吾の
と添田がいらいらした口調で怒鳴った。
119番に通報し終えた猛は、
「……だって」
と彩が泣き声を上げた。化け物が再び追ってくるかもしれないと思っているようだった。
翔吾の足ならば
「ここで待つんだ。……ばらばらになるのも危ないかもしれない」
猛が苦痛を堪えて地面に横たわっていた上半身を起こした。
皆、あの化け物が再び追ってくるのではと恐怖に駆られているのだ。逃げ戻ってきた小道を見つめ、あの
日和だけはあの化け物が来ないと確信していた、少年が留めてくれた、何故だか自分を犠牲にするかのように行く手を
そう思っていたため、心の安定性を一足早く手に入れた日和は三人の高校生を見つめた。三人の状態は薬品による
どこに水はあるのか、
そういった作業用の
やにわに立ち上がると日和は懐中電灯を摑んで石段を登り始めた。
「どこへ行くんだ」
と猛が聞いてきた。
「ここに水道が通っていると思う」
「そうか、そういえばそうだった。……彩、日和を手伝え」
添田が横たわったまま、そう彩に命じた。
「……ええ、嫌よ、怖いもの」
彼女は泣いていた。役に立ちそうもないと思ったらしく、左の上半身に火傷のような傷を負っている猛が立ち上がろうとし始めた。
「俺がいく……」
「いい、大丈夫。わたし当番でここへ来ていたから、たぶん場所覚えている。待ってて……」
そう言い残すと石段を駆け登り、辺りを懐中電灯で照らした。しばらく掃除の手が入っていないようで、落ち葉や枯れ枝が堂の周囲に散らばっている。
(……確か、
記憶を
ない。
(
あっと思い出した。確か
飛びつくように金属製の
それでも彼女は指の痛さで乏しくなりつつある気力をふり絞り、金属製の
水道は生きていた。勢いよく
(ホースがいる……)
吹き出す水を見つめながら、四年前、行方が分からなくなってしまった叔父の浩二郎がホースで水を巻き、観音堂の
(叔父さんはホースを使っていた、あれは観音堂に備えられたホースじゃなかったけ、……そうだ、叔父さんは観音堂の後ろからホースを持ってきたんだっけ……)
日和は観音堂を見つめ、
救急車が全身濡れネズミになった矢島達三人を乗せて病院へ走り去っていった。
何人かが観音堂の奥に入っていき、道に沿って何かが
両親と共に戻ってきた翔吾は、父親からこっぴどく叱られたらしく
日和は手当てを受けながら、あの少年のことを考えている。自分たちを襲った化け物より、助けてくれたであろう少年の
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