花桃が咲く季節に

八田甲斐

第1話 息子殺し

 まさか息絶いきたえた自分の息子を引きずり捨てに行く事になるとは思いもしなかった。

 真夏の深夜。辺りは漆黒しっこくの闇が押し包んでいる。汗だくの身体にまとわりつくやぶ蚊の攻撃に戸枝総一郎とぐさそういちろうは悩まされていた。引きずっている息子の浩二郎は父親の自分に比べ二十センチも大柄で、体重も重い。

 浩二郎の両足を両脇に抱え、獣道のような小道を上半身引きずって歩くのはとんでもなく重労働だった。浩二郎の頭が、道の段差などを越えるたびに跳ねたり、いやいやをするように左右に振れるのを見ながら、総一郎は浩二郎に対して怒りがぶり返し始めた。

(正義感だけ振りかざしおって……)

 その日の夜、小学五年生になった孫の日和が寝静まったころ、草薙町くさなぎまち役場に勤め、職場の近くに一人住まいをしている次男の浩二郎が原付げんつきバイクでやって来た。普段ふだんから自分とのいの悪い息子だが、自分に話があるという。

 浩二郎は戸籍上こせきじょう次男であるが、長男の浩一郎が早世そうせいしたため実質、戸枝家の跡取りともくされている。二階で眠っている孫の日和は亡くなった宏一郎の子供である。

 家の一番奥にある自分の部屋に浩二郎を通す。自分に似合わず堅物かたぶつの浩二郎は、長身ですらりと痩せており、端正たんせいな顔立ちにも腹が立つ。父親の所へ来るにもネクタイ姿だ。雄一郎はそんな息子を苦々にがにがしく思ったが、妻の佳代かよはひどく喜んだ。佳代は最近、認知症にんちしょうの症状が進行し、一、二分前の出来事をきれいに忘れてしまう。たぶん、今の彼女は浩二郎がやってきたことを忘れてしまっているだろう。

「どうゆうつもりなんだ……」

 向かい合って座った途端とたん、浩二郎が静かだが怒りをおさんだ口調で総一郎をなじってきた。

「あんた、反対派じゃなかったのか。さとで反対派だった人たちを裏切っていたんじゃないか」

 総一郎は黙ったままである。

 

 事の発端ほったんは四年前にさかのぼる。

 雄一郎が暮らす大沢地区の北西に連なる山の中腹に、産業廃棄物処分場さんぎょうはいきぶつしょぶんじょう建設の計画が持ち上がった。

 住人が「さと」と呼ぶ大沢地区は、地形的には山里と言って良いだろうが、ふもと東養老市ひがしようろうしまでバスで十五分と思いのほかに近いし、東養老市の郊外には高速道のインターもある。そういった大都市部への利便性りべんせいがありながら、したる発展もせず、ひなびた山里のままの大沢地区にその話が降っていてきたのである。

 さとは二つに割れた。様々な利権がからみ、得する者、何も得られない者が賛成派、反対派に別れ、郷中さとじゅうすさんだ空気が漂い始めている。

 賛成派は郷で戸枝家と輪番りんばん寄合よりあいを務める宮下家がリーダーで、反対派は郷の下を走る県道沿いで花火工場を営んでいる添田家そえだけ、そして戸枝雄一郎がリーダーであった。

 ただし、雄一郎は産廃さんぱい処分場の予定地である土地の半分以上を所有しているため、隠れ賛成派として、反対派の動向などを宮下に伝える役目を自ら名乗り出ていた。東京に本社をおく産廃業者は地価ちかの三倍の価格で購入を申し入れてきたのである、それに雄一郎は目が眩んでしまったのだ。

 郷の意見は雄一郎の巧みな反対派切り崩しで、賛成派に傾き始めている。このまま行くと思われたが、二つの阻害要因そがいよういんが出た。一つはそれまで賛成派に容認の目を向けていた町長が、統一地方選で反対を掲げる候補に敗れたのである。

 もう一つが、産廃業者はまだ土地取得もしていないのに、どこかの業者が廃棄に困っていた大量の水酸化ナトリウムを密かに予定地に廃棄したことが表沙汰になったことだ。

 状況は変わりつつある。そして父親の裏切り行為を知った反対派にくみしていた浩二郎が、滅多に寄り付かない雄一郎の許へやってきたのである。


(ばれた、それも息子に)

 そのこともそうだが、折角せっかく浩二郎や孫たちに少しだけまとまった財産を残せると思い、持ち上がった産業廃棄物処分場建設に賛成したのである。

 すべて、こいつらの為にやったことだ、と雄一郎が思っているにもかかわらずだ。

(この親不孝者おやふこうもの

 正義感を振りかざし、してやったりという顔をしている浩二郎を見つめ、雄一郎はそう思っている。息子たちが小さな頃、よく拳骨げんこつ見舞みまっていたものだが、目の前の浩二郎に対して久しぶりに拳骨を見舞ってやりたいと思った。しかし、大柄の浩二郎に拳固を見舞うなど出来そうもない、年老いつつある自分に息子を動かさないようにし、その頭に拳固を一つ落とすなど無理な話だ。しかし、それでは収まらない怒りが雄一郎の胸に満ち始めている。

 後ろを振り向くととこに大ぶりな木彫りの大黒像だいこくぞうが飾られいた。前後のことを何も考えず、やにわに大黒像を掴む。そして雄一郎の取った行動に「えっ」という顔をしている浩二郎の頭頂部とうちょうぶへ、像を怒りにまかせて叩きつけていた。

 何かがつぶれるようないやな感触が手に残った。浩二郎の頭から血が噴出ふんしゅつし、彼は何もはっせずるように倒れていった。彼の血は止めども無く傷口から流れ、やがて二度、三度小刻こきざみに痙攣けいれんすると浩二郎は動かなくなった。

(……死んだのか、ばかな、俺は息子を)

 拳骨を喰らわせるつもりで振るった暴力であるが、結果は最悪なものになった。

 そして今、雄一郎は自分の保身ほしんために、こうして息子を捨てにきている。

 重い、息が上がる……、でも何とかしなければならない。

 暗闇の中、雄一郎は浩二郎を引きずりながら、我が身に起こった悲運を改めてなげきたくなっていた。さいわいなことに獣道けものみちのような小道は、それほど傾斜が強くなく、どちらかと言うと平坦へいたんと言って良い状態だった。ただ、事切こときれた息子はどうしようもなく重かった。

 距離的にいって、もう産廃処分場建設用地の中に入っているはずだ。地質調査という名目で、谷間の斜面を切り崩し、ちょっとした平地ができあがっている。建設が始まれば、さらに広い部分が造成ぞうせいされる予定だった。

 本格的な工事も行われていないのに、僅かに造成された平地には数十本のドラム缶が乱雑らんざつに積み重ねられていた。大方おおかた、もぐりの産廃業者が処分場建設計画を聞きつけ、無断むだん廃棄はいきしたもので、これが賛成派の立場を危うくしている。

 浩二郎を引きずりながら、ドラム缶のそばまで辿たどり着くと、全てのドラム缶には穿たれたような穴が幾つもあり、中身は全て地面に漏れてしまっているようだ。ただ、薬品のたぐいの匂いは一切ない。雄一郎はこの平地の何処どこかに穴を掘り、息子を埋めてしまおうと思っていた。

 浩二郎の足を離し放り出すように彼を地面に置くと、荒い息が治まるのを待って観音堂かんのんどう近くに置いてある軽トラにスコップを取りに向かおうと考えた。

 山の稜線りょうせんから満月に少し欠けた月が顔を出してきて、ほのかに地面を照らし始めた。雄一郎はドラム缶から流れ出た液体がゆるやかな傾斜けいしゃつたって、たまたま出来上がっていた小振こぶりな穴へと流れた白い跡を見つけた。

 その穴に近づくと、ドラム缶から流れ出た液体が池のようにまっているものの、ちょうど人を投げ入れるにはもってこいの広さを持っている居ることを知った。浩二郎の死体を此処ここに捨て、土を被せればいいと雄一郎は思った。

 地面の上に横たわる息子の両足を改めて掴み、そして穴まで引きずる。体力が回復していないので、それだけでも骨が折れた。

「手間のかかること、させる……」

 そう毒づきながら浩二郎の身体を穴に押し出すように落とした。浩二郎は一回転しながら穴の中に沈んだ。落とし方が上手かったのか、静かにぬるりと穴に溜まっている液体の中に彼の身体が隠れた。

 途端に水蒸気の様な熱を持った煙が立ち上り始める。何かとてつもない悪臭も噴き出してくる。雄一郎はそれから逃れるようにその場を逃げた。

(溶けている、身体が溶けていく)

 そう思った。確かに浩二郎の身体が液体の中で溶け始めたような気配があった。

 実の息子を手に掛けたにも関わらず、その一年後に建設計画はいきなり頓挫し中止が決まった。新しく就任した町長が、計画の白紙化を決定したのだ。

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