呪いの「七」に積み増せば、咲くは双なる祝福の華

五色ひいらぎ

呪いの「七」に積み増せば、咲くは双なる祝福の華

 山国の辺境伯が、王宮を訪れるまであと三日。ギリギリまで悩んだあげく、俺はようやく会食用の献立の案を思いついた。

 厨房へ戻り、発注用の黒板に案を素早く書きつける。あとは、毒見役のレナートが首を縦に振るかどうかだ。慣例は大きく破っている、却下される可能性も低くはねえが――


「ようやくまとまりましたか、ラウル」


 呼ばれて来たレナートが、鋭く俺を見る。国王陛下関連の料理に関しては、全幅の信頼を置かれた「神の舌」様が要所要所で確認を入れている。今回の献立案も、まずはこいつと相談しなけりゃ通せねえ。

 ただ……視線に険があるのは気のせいか? あいつの意に反して魚料理を主張し続けてたんだから、しょうがねえ部分はあるが……今は何かもっと、悪意めいたものまで混じっている気がする。


「ああ。六月七日の会食の献立、ようやくまとまった。陛下側とお客側、合わせて七人。全七皿に、食前酒と食後酒……なんだか七ばっかりだな」


 言えば、レナートの眉がぴくりと動いた。眉間に皺が寄る。


「ん、どうした?」

「どういう意味です」

「今の言葉、何か引っかかったか?」

「私は特に何も言っていませんが?」


 はぐらかすような口調が怪しい。さっきの表情、明らかに緊張を含んでいた。

 昨日、夜の中庭で聞いた話を思い出す。あれに、何かが引っかかったのか――


「何か、嫌なことでもあったのかよ……例えば殺されかけたとか」


 もともと白いレナートの顔が、さらに蒼白になった。


「図星か。……悪いが、探らせてもらった」

「なんのために」

「心に引っかかりがありゃあ、『神の舌』も調子が狂うかもしれねえだろ」

「それだけですか」

「それだけ、とはあんたらしくもねえな」


 俺は、できるだけの力を目にこめた。


「料理の味は、一緒に食べる相手や状況で全く変わるもんだ……心身の調子も整わないまま、大事な席に臨むつもりだったのか、あんたは」


 天才と謳われた毒見役様は、観念したように肩を落とした。


「参りましたよ。今は、そういうことにしておきましょう……まあ、たとえあなたに何かの企みがあったとしても、料理の異常は必ずこの舌で見つけ出しますが。ともあれ」


 レナートは、ぽつりぽつりと話し始めた。


「あの時も、六月七日で七人の席でした。正式な会食が七品なのは、いつでも変わりないですから……そういえば今回の会食は、あの日からちょうど七年です」


 確かにな。

 会食の皿は七つ。すなわち「食前酒のつまみストゥッツィーノ」「前菜アンティパスト」「穀類・スーププリモ・ピアット」「主菜セコンド・ピアット」「副菜コントルノ」「チーズフォルマッジ」「甘味ドルチェ」。普段は、皿数の数字など気にしたこともなかったが……こうも同じ数字ばかり重なると、気になる気持ちもわからなくはねえ。

 レナートは天を仰いだ。


「私は、『七』に、呪われているのかもしれません」


 目を伏せるレナートに、軽い怒りが湧いてくる。

 昔の一件は、確かに大変な凶事だったのかもしれねえ。だが、今回はまだそうとは決まってねえ。少なくとも俺は、最高の祝いの膳にするよう、あれこれ知恵を絞って動いている。勝手に、昔の災難と結びつけてんじゃねえよ。

 ――と、考えたところで、さらなる案が降ってきた。


「だったら、レナート。こういうのはどうだ」


 黒板を一部消し、思い付いたばかりの案を書き足す。

 固く結ばれていたレナートの唇が、ふっと緩んだ。


「それは……慣習を、大きく破る案ではありますね。ただ、これは――」


 天才毒見役様の目に、鋭い光が宿る。すっかり、いつもの切れ者が戻ってきた。


「――できれば、国王陛下にもご協力をお願いしたいですね。ラウル、この案、あなたが思う以上の可能性を秘めていますよ」


 己の唇を一舐めし、レナートは不敵に笑った。



 ◇



 六月七日、夕刻。

 昼過ぎから続いていた国王陛下と辺境伯との会談が、さきほど終わった、と厨房に知らせが来た。

 会食が、いよいよ始まる――背筋に、軽い緊張が走る。

 料理は既に全品完成して、双方の毒見人が確認を終えている。今日はレナートも、相手方の毒見人に合わせ、一時間ほど前に試食を終わらせていた。

 用意した料理の内容に、相手方の毒見人は少しばかり首を傾げていた。一方でレナートは、表情も変えずに淡々と食べ終え、「問題なし」の答えだけを返していた。まあ、今は仕事中だ。食味の感想は、後でたっぷり聞かせてくれることだろう……こちらから訊かなくとも。

 ともあれ、本当の勝負はここからだ。

 厨房に並んだ料理を、まずは食前酒アペリティーボ食前酒のつまみストゥッツィーノから、給仕たちが盆に乗せていく。今の俺は、あいつらを率いる小隊長だ。

 白衣の襟を確かめ直し、俺は、会食の場へ向けて一歩を踏み出した。



 ◇



 会食の場では、国王御一家と来賓が歓談をしていた。

 国王陛下御夫妻、王太子御夫妻。辺境伯御夫妻と、成人したての御子息。七人の客――料理人たる俺にとって、料理を供する相手は全員「客」だ――は、皆ゆったりと椅子に掛けながら、和やかに笑い合っている。

 が、俺が一礼すると、七対の目は一斉に俺に注がれた。


「本日は、遠路はるばるお越しいただきありがとうございます」

「国王陛下。彼が『天才料理人』ラウル殿ですかな?」


 恰幅の良い客人の問いに、国王陛下は白い髭を揺らして笑った。


「ご存知だったとは光栄ですな。今日のこの日のため、料理長には特別な皿を用意させております。きっとお気に召すと思いますぞ」


 国王陛下までもが、期待を煽り立ててくれるぜ。ま、このくらいじゃなきゃ張り合いがねえ。

 話す間にも給仕たちが、食前酒のつまみストゥッツィーノを卓に並べていく。食前酒アペリティーボのスパークリングワインが、グラスに注がれて無数の泡を立てる。


「こちらの酒ですが、山岳地帯の最も上質な葡萄ぶどうを――」


 熱を帯びた十四の瞳に見つめられながら、役者か吟遊詩人のように語り上げるこの瞬間、たまらねえな。

 だが、これは序の口。本当の勝負は、まだ先だ。



 ◇



 すっかり空になった「穀類・スーププリモ・ピアット」の皿が、下げられていく。

 先日市場で仕入れたスジ肉を、贅沢に使ったスープだった。大量の肉を惜しみなく煮出し、とれた新鮮な出汁ブロードで細切れの野菜を煮込む。仕上げには胡椒をほんの少し。毒見から時間が経っていて、アツアツとは言い難いのがちょっと惜しいが、それでも、時間をかけたスープはまろやかな芳香を辺りにたっぷり漂わせていた。

 なにより、食べる表情がすべてを物語っていた。うっとりと細められる目、休みなく動くスプーン……ここまでは、うまくいっている。

 主役は、次――「主菜セコンド・ピアット」だ。

 給仕たちが入ってきた。盆の上には深い皿が並び、赤茶色のソース溜まりの中で、賽の目に刻まれた野菜たちと、分厚い肉とが顔を出している。こってりとした濃厚な匂いが、スープの残り香をあっさりと上書きしていく。

 下げられたスープ皿より、ひとまわりほど小さな皿たちが卓に並べられた。


「こちらが本日の主菜セコンド・ピアット――牛肉のトマトソース煮込みでございます」


 来賓は、少しばかり戸惑った表情を浮かべた。

 無理もねえ。トマトが遠国から入ってきてから、もう数十年は経っている。今じゃあ広く栽培されているから、お客の国でも普通にトマト煮込みは食べられるだろう。「天才料理人」が何を出してくるか、楽しみにしていた身には期待外れだっただろう。皿の大きさも控えめだしな。

 だが、今日はまだ、これじゃ終わらねえよ。

 給仕たちが退出するのと入れ替わりに、別の給仕たちが入ってくる。手中の盆には、卓に乗っているのと同じくらいの皿が乗っていて――赤茶色のソースの中に、分厚い魚の切り身が鎮座している。


「そしてこちらも、本日の主菜セコンド・ピアット――カジキマグロのトマトソース煮込みでございます」


 来賓が、おお、と声をあげた。半分は感嘆、半分は戸惑いに聞こえる。

 俺は、深々と一礼した。被せるように、国王陛下の声が響いた。


「ここデリツィオーゾは、山からの街道と海からの街道が交わる場所。ゆえに、本日の晩餐を肉とするか魚とするかは、我々にとっても非常に悩ましかった。上質な肉も魚も、いずれもここでは得られるゆえに……そこへ、宮廷料理長ラウルから提案があったのです」


 俺は上体を起こし、口角を力いっぱい引き上げて話し始めた。


「デリツィオーゾの美食を存分に味わっていただくため、本日の献立は少々変則的な構成にいたしました。主菜セコンド・ピアットを二皿に分け、同じソースで肉と魚の両方を味わっていただく……肉の濃厚な旨味、魚の淡白な風味、ふたつを同時に味わえるのは、今のこの卓ならではです」


 まあ、普通の料理人ができる技じゃねえ。

 肉も魚も、両方とも主役の食材だ。主役が二人もいちゃあ、真正面からぶつかって喧嘩になっちまう……普通にやればな。

 だから俺は、両方に共通のソースを使った。ニンニクや玉葱、その他各種の香味野菜やスパイスを混ぜた特製ソース……これ自体が強い風味を持つから、主役同士を繋ぎ合わせることもできなくはねえ。

 まあ、とはいえ、それでも常人離れしたバランス感覚は必要だったけどな……これを違和感なくまとめあげられるのは、世の中広しといえども俺くらいだろう。


「肉の方が、味が強いですので……まずは魚からどうぞ」


 卓の全員が、赤茶色に染まったカジキマグロへナイフを入れる。

 口に入れた順に、次々と笑顔の花が咲いていく。


「これは……食べたことのない食感ですな。噛んだところからほろりと崩れるような……」

「舌の上に残る旨味が、肉ほどには濃くなくて……でも、確かに美味ですわ。癖もない味で……魚は、生臭みがあるものと聞いていましたけれど」


 生臭み、の言葉を聞いて、俺はつい口を挟んでしまう。


「生臭みが残らないよう、しっかり火を通しております。鮮魚もよいものですが、初めて魚を食べる方々には、好き嫌いが分かれるだろうと思いましたので」


 それが、一番の理由だ。

 けれど、もっと小さな事情もある。


(生臭みだけが、魚の味じゃねえからな。レナート)


 今日作る魚料理に、絶対に生臭みは残さねえ。そう、事前にレナートには伝えてあった。聞いたあいつは「私のことなど気にしている場合ですか」と呆れた口調で返してきたが……賓客のためだと言えば、苦笑いしつつ頷いてくれた。「あなたらしいですね」と、言いながら。

 何が俺らしいのか、よくわからねえが……魚の美味さは千差万別。磯や潮の香をなくしたとしても、他の美味さは残る。

 そして、この構成には、もうひとつの意味もある。

 俺の言葉が終わると同時に、国王陛下が口を開いた。


「ところで、お気付きになりましたかな。主菜セコンド・ピアットが一皿増えたことで、この席の皿の数は『八皿』になっております。一つと一つが対になれば二。二つと二つが対になれば四。そして、四つと四つが対になれば、『八』になる」


 そう。この席の皿数は「八」。

 皿を一つ増やすことで、俺は「七」の呪縛を、少なくとも一つ解いた。

 まあ、「七の呪い」自体が気の持ちようの問題だ。気にしなきゃあ気にならねえ類のものだ。

 だったら、気の持ちようで跳ね返しちまえばいい。この仕掛け、レナートの心胆に響きゃあいいんだが。


「つまり『八』は、構成要素が完全に対をなす数字……我らの友誼ゆうぎを確かめるにあたって、これほど好ましい数字もありますまい。ぜひとも、我らの固き結び付きを思いながら召し上がられよ」


 感銘を受けた風に、賓客の瞳が潤む。

 この会食、成功だ――確証する俺の前で、七人の「客」たちは、黙々とカジキマグロを、最上級の牛ヒレ肉を、口に運んでいった。



 ◇



「元々は、スジ肉の再利用料理レッソリファットから思い付いたんだよな」


 会食後、厨房にやってきたレナートへ向けて、俺は言った。


出汁ブロードを取り終えた後のスジ肉は、トマトソースで煮込むと美味いんだよ。庶民はそうやって、余すところなく肉を使い切る。……ってーのを思い出したところで、今回の案が降ってきた」

「肉と魚を同じソースでまとめる、など、普通やろうとは思いませんよ……あなたでなければ、即時却下していたところです」

「でも許した。ってこたぁ、それだけ俺の腕を信用してるってことでいいんだよな?」


 それには答えず、レナートは大きな溜息をついた。疲れた、しかし安堵した声色だった。


「ともあれ、『七』の呪いは俺が破っといたから。これからはもう、『七の不運』なんて気にする必要はねーぜ」

「……元々、気にしていたわけではありませんよ」

「どうだかな」


 俺は、レナートの肩をぽんぽんと叩いた。


「なんにせよ、あんまり一人で抱え込むな。皺が増えるぞ」

「皺の一本や二本、増えたところで気にはなりませんよ。私は貴婦人ではありませんので」


 くそまじめな口ぶりが可笑しくて、思わず吹き出す。同時に、厨房の奥から声があがった。


「牛スジ肉の再利用料理レッソリファット、できあがりましたー!」


 レナートが目を丸くする。


「……作っていたのですか!?」

「ああ、俺たちの賄い飯だ。今回は出汁ブロードをたくさん取ったからな、余り肉もたくさん出た」


 下働きの一人が、湯気の立つ牛すじ煮込みの椀を目の前に置いてくれる。レナートの喉が鳴るのが聞こえた。


「食うか? 煮込み工程は下の連中に任せてたがな、調味は俺だ。味は保証するぜ」


 レナートは、赤茶色のトマトソースで満たされた椀を、しばらく眺めて口を開いた。


「では、少しいただきましょうか。……時には、こうした食事もいいものです」


 レナートの顔は、日頃冷徹な毒見人様とは思えないほどに、やわらかく緩んでいた。



【了】

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呪いの「七」に積み増せば、咲くは双なる祝福の華 五色ひいらぎ @hiiragi_goshiki

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