3話
しばらく街中を走ると前方にインターチェンジに入る脇道が見えてきた。方向指示器を出して車線を移動しゆるやかなカーブに沿って走る。料金所を通過すると徐々にスピードをあげて本線に合流する。ああ気持ちいい。最高だ。この瞬間がとってもワクワクする。
暗闇の中を車が駆けてゆき、音楽が耳に溶けていく。本線橋を走りながら黒い川面の向こうのネオンを盗み見する。夜空には月が出ていた。
雨が降っていなくてよかったと心底思う。夜の雨は、乱反射する光のなかで運転だけに集中せざるを得なくなる。それじゃあ運転の楽しみも半減だ。
しばらく無心で走っていると分岐があり、ジャンクションに差し掛かる。なだれこんでくるようなビルとビルの間を駆け抜ける。夜空がラピスラズリみたいに輝いている。なんて綺麗なんだろう、文明は自然を破壊してしまうけれど、人間にとってはなんて都合がいいんだろう? 地球さん、ごめんね。
本線に合流すると都心の夜景へ突っ込んでゆく。宇宙を泳ぐかのようだ。このままプリウスが、僕を現実ではないどこかへ連れていってはくれないだろうか。
二周目に差し掛かった頃、僕は眠気を覚えはじめた。ちょうどいい。これで終わりだ。帰ったらよく眠れるだろう。
それにしても、このレースは何がおこるか分からないから、うっかり三周目に突入することだけは避けなければならない。爆発は勘弁だ。
二周して元の道路に戻ってくると、僕は安堵の息をついた。左車線へ移動し、ランプウェイに入る。決して20キロ以下にならないよう留意しながら、カーブを曲がる。やがて料金所が見えてくる、はずだった。僕は首をひねる。
結局、そこは出口に至る道ではなくジャンクションだった。目の前に広い道路が現れたかと思えば、僕は再び本線に戻されてしまった。
無理もない。夜中だし、疲れて間違えてしまったのだろう。少し遠くなってしまうけれど、次のインターで降りよう。
気楽に車を走らせる。やがて出口の看板を見つけると、車線を移動してランプウェイに入り、速度を緩めながらカーブの道を進む。心なしか暗い道が延々と続き、僕はいつしか手に汗をかいていた。車内では、淡々と音楽が流れている。
予感は的中していた。僕が走行していた道はやはりジャンクションだったみたいで、車は再び本線に戻されてしまったのだ。
何事もなかったかのように続く道路をゆきながら、これは夢だろうかと考える。否、現実だ。アクセルを踏みながら、僕は深く呼吸を繰り返す。ひとまず落ち着きたいが、高速道路だから停車する場所があまりない。それに、20キロ以下になると爆発してしまう。
その後、幾度となく試してが結果はことごとく同じだった。祈るような気持ちでランプウェイに入るが、どこのインターを選んでも、魔法のように本線に戻されてしまう。
時刻はすでに午前四時半を越えている。三周目にはとっくに突入している。早く帰らないといけない。きっと彼女が心配している。浮気を疑われるかも知れない。眠気はすっかり覚めていたが、これが続くと事故に繋がりかねない。
暗い車内では有名な男性シンガーがうたを歌っている。今はその穏やかな歌声がいっそ不気味だ。
僕はハンドルを握ったまま、決して白線を越えないよう細心の注意を払い、ポケットの中のiPhoneを取り出す。こうなれば最終手段だ。僕は震える声を抑えながらSiriに話しかける。
「へいSiri、ゆみに電話をかけて」
おかしいな。Siriから返事がない。やっぱりおかしいんだ。なにかがおかしい。車窓の景色が流れてゆく。ここは高速道路、僕は速度を緩められない。止まることさえ許されない。そのとき、スピーカーきら朗々と流れていた歌声がぴたりと止まった。かと思えば、おもむろに男性シンガーが喋り始めた。
「死にたいと思うことってありますか」
誰の声だ? よく聞く歌声の持ち主であることは確かだが、彼がこんなことを僕に尋ねるはずがない。では誰だ? この車はどうなってる? この高速道路はどうなってる? 呼吸が荒くなる。アクセルを踏む足に力が入る。
「あるわけないだろ」
「この質問はあなたがほんとうの気持ちを答えるまで続きます。死にたいですか?」
僕の声は震えている。
「死にたくない……ぼくはまだ…」
追越車線を一台の車が通り過ぎていく。
「僕はまだ死にたくない…」
「死にたいと思うこと、あります?」
「死にたいですか?」
「死にたいんでしょう? うふ、ふふふ」
男性シンガーが笑い出す。不気味な笑い声が車内にこだましていて僕は叫んだ。「Siri、ゆみに電話をかけて!」
「うふふふふふ」
「うふふふふふ」
僕はぞっとして笑いはじめたiPhoneを手離した。機械が運転席の下に転がり落ちる。あっ、と思ったときには、ハンドルが狂っていた。
そこからはスローモーションのようだった。車が柱にぶつかると回転した。体にシートベルトが食い込む。大きな爆発音が鳴り響き、僕は目が眩むほどの炎に包まれた。
“このレースには参加できません。希死念慮をお持ちのようです。”
僕が最期、思い浮かべた声は、彼女のものではなく忌まわしい食パンマンの声だった。
そこはとある大学のキャンパス。闇の中で、三十台ほどの自動車が整然と並べられている。窓を覗くと、車内ではまるで蚕のように、人が眠っている。
食パンマンは、車と車と間をゆっくりと徘徊していたが、白いプリウスの側にくると足を止めた。ナンバーは「ら-777」。
「だから言いましたのに」
食パンマンはにやりとわらうと、ポケットからスマホを取り出しどこかに電話をかける。
「もしもし。こちら首都高速レース実行委員会副会長の本田と申します。長谷部ゆみさんの携帯電話でお間違えありませんか?」
食パンマンは女と電話をしながら、車が一台一台去ってゆく様子を見届ける。
「彼氏さんが目を醒しません。これから警察の方にも連絡しますが、緊急連絡先があなただったもので」
「……ど、どういうことです?」
電話口の彼女の声は、震えている。
アンラッキーでしたね。
深夜の霊園のように静まり返るキャンパスの中、食パンマンは人の死を悼めない。愉快ですらある。彼女や警察がきたとき、どんな表情をつくるべきかと思い悩みながら、食パンマンはひとり黎明を待っていた。
食パンマンが笑うとき われもこう @ksun
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