ジンクスを吹き飛ばせ

御角

ジンクスを吹き飛ばせ

 夏風が、吹き荒れている。

「いけー! 狙え! ラッキーセブン!」

 甲子園球場に響く、熱い声援。改めて、憧れの舞台に立っていることをひしひしと実感する。それがたとえ、敵を鼓舞するものだとしても。

「おい、羽月はづき。まさかもう夏バテか?」

 ピッチャーの水無みずなし余裕 綽々しゃくしゃくと言った顔で、そう不敵に笑う。相変わらず、うざいやつ。

 額からとめどなく流れ落ちる汗を拭って、俺は何も言わずにミットで水無を軽くはたいた。

「怒んなって。ただでさえ蒸し暑いってのに」

「はー、よくこの空気で冗談がいえるよな、お前。怖くないわけ?」

「あいにく、俺はジンクスなんて信じない主義なので。羽月こそ、キャッチャーのくせにメンタル雑魚過ぎ」

「うっせ」

 迷信ではなく事実として。野球における7回目の攻撃はれっきとした逆転のチャンスだ。それはもう、ラッキーセブンの語源になるほどに。

「相手はもう完全に、水無の球には慣れてる。バテてるのはむしろ、お前のほうだろ」

「それをどうにかするのが相棒キャッチャーの仕事、違うか?」

「……違うね。正しくは」

 陽炎揺らめくマウンドに踵を返し、相棒ピッチャーへと背を向ける。

俺らバッテリー最後の、大仕事だ」


 1投目、外角のカーブ。ミットに伝わる重い衝撃が、3年間積み重ねた練習の日々を思い出させる。

「ボール!」

 2投目、やや内角へのスライダー。逆転負けで夢の舞台を逃した去年の苦い思い出が、喉元までせり上がる。

「ストライク!」

 3投目、ストライクに見せかけたフォークボール。二人で何度も研究して、磨き上げた技術の結晶。

「ストライク!」

 一度何かが崩れれば、その後は容易たやすい。

「ストライク! バッターアウト!」

 そのまま三振、まずは、1アウトだ。

 水無の肩にこれ以上負担はかけられない。バテたらそこまでだ。速攻で、終わらせるしかない。

 ストライク。ボール。ファール。ストライク、ストライク。2アウト。点滅する緑と赤の数だけ、その球速は着実に衰えていく。

「はっ、はっ……はぁ」

 徐々に増えていく、ヒットの数。その綻びが、逆転のチャンスを、ラッキーセブンを生み出してしまう。

「くっ……」

 こだまする、金属音。水無が手を伸ばすも、ボールは遥か上空を悠々と駆けていく。

 一斉に、沸き立つ場内。敵味方関係なく、誰もが立ち上がり目を見張る。

「す、3ランホームラン……」

 開いていた点差が一気に縮まり、一点差にまで迫る。崩れれば容易いのは、こちらも同じことだ。


 水無の表情は、キャップに隠れてよく見えない。それでもわかった。ずっと組んできた俺には、その顔がわかってしまった。

「……あいつ、笑ってやがる。こんな時に、最後の甲子園を目一杯楽しんでいやがる」

 ならば、俺も。落ち込んでいるような暇はない。完全に逆転されたわけじゃないんだ。

 俺たちは、まだ負けちゃいない。

くつがえしてやるよ、ここから。何もかも」

 ボールを浅く握って構えた水無と、真っ直ぐに視線を交わす。俺は拳を、そしてミットを自らの胸に押し当てる。

 見せてやれ、お前の持ち味を。鋭く重い、ど真ん中への豪速球ストレートを!


 振りかぶって、投げる。その瞬間に、夏の嵐が吹き荒れる。

「……っ、ストライク!」

 手首がひりつくほどの衝撃。この一瞬だ。たったこの一瞬のために、俺たちは野球に賭けてきたのかもしれない。

「ストライク!」

 決して、落とさない。取りこぼしてなるものか。水無の魂そのものを、俺は全身全霊で受け止める。

「ストライク! ……バッターアウト! チェンジ!」

 それが、バッテリーというものだから。


「ああっ、惜しい! もうちょっとで逆転だったのに……」

 応援席から漏れた、落胆する子供の声。水無は、駆け寄った俺に向かって、外したグローブを軽く掲げる。

「アンラッキー、上等!」

「ふっ……上等」

 突き合わせたミットから伝わる興奮は、きっと、あらゆる雑音を晴れ渡る空の向こうへと吹き飛ばした。

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ジンクスを吹き飛ばせ 御角 @3kad0

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