第3話 開戦のゴング

 市場から少し離れた小綺麗な宿屋に腰を落ち着けると、流石にその日は誰も何もする気が起きなかったのだろう、突然の怒声に起こされることもなく泥のように眠った。



 夕暮れに目覚めたヘスティアは、慣れない地面の感覚に素早く身を起こした。窓から登ったばかりの様子の満月が見え、室内にいることを認識する。


身体中の力が抜け、ふにゃりと枕を抱えて寝台に崩れ落ちた。


砂に溺れることのない寝台、十分な大きさのある布団、頭を柔らかく支えてくれる枕。


(ああ、私、また人里にたどり着けたのね……)


 旅をしてもう二年目になるが、この瞬間だけは何度味わっても慣れることはない。至福の時間だった。


まだまだ惰眠を貪ろうと枕に頬擦りをしていると、隣の部屋から衣擦れの音が聞こえてきた。


隣はミコトの部屋だ。宿の部屋数に余裕があったので今回は一人一部屋とってある。

様子からして着替えて出かける準備をしているのだろう。


アナンシャと買い出しに向かうのかもしれない。そこで買い出しリストと財布をまだ渡していないことに気づいた。


この際ミコトに渡した方がいいだろう。そう考え、壁にノックをして、少し待ってもらうように伝えると承諾の返事が帰ってくる。


急いで身支度をしてドアを開くと、部屋の前にミコトが立っていた。


「おはよう。ヘスティア。今日も朝の光が霞んでしまうくらい輝いているぞ」


 旅支度を解いたミコトは長い黒髪を肩に遊ばせ、いかにも遊び人といった風情だ。


「おはよう。その褒め方、私大好き」


 少し気取った挨拶に笑って返事をする。以前ヘスティアが酒に酔って、褒め言葉の語彙が少ないと指摘したことを覚えていたのだろう。


「ならこれからも何回でも言おう」


 満足そうに言うミコトに、快眠した後の爽やかな気持ちのまま、必要なものを手渡す。


「じゃあ、いってらっしゃい」


 小さく手を振って送り出そうとすると、何やらまだ物言いたげな様子だ。首を傾げて、言葉を待ってみる。


「アナンシャと、仲良くしてやってくれよ」


 気まずげに告げられ、背筋がぞわりと泡立った。冷や水を浴びせられたような心地だ。


鈍いミコトが不和が生じていることに感づくということは、アナンシャがよほどあからさまな態度をしていたのだろう。


女一人調伏出来ず、主人に居心地の悪い思いをさせる。それはヘスティアにとって許されざることだった。


当然荒れ狂う心中を顔に出すようなことはせず、笑って返事をする。


「もちろんよ。もっともーっと仲良くなろうと思っているわ」


 ミコトはほっとした顔で、既に外で待っているアナンシャのもとへ去っていった。


後に残るのは、顔から一切の感情が抜け落ちたヘスティアと、いつのまにか隣で話を聞いていたイルマだ。


「どーしていつも、開戦のゴングを鳴らすのは男なんすかね〜」



 こうして戦いの火蓋は切って落とされた。だが、怒りに身を任せて安易に反撃するのは愚者のやることだ。特にヘスティアたちはまだまだ成り立てだが、家族なのだから。


半年も経つのにまだアナンシャが序列を理解していないのは、迎えたこちらの手落ちとも言える。いい機会なので、この街に滞在する間にお互いにわかりあえればいい。


(今は叱ったって話を聞いてもらえないでしょうしね)


 決して起き抜けの出来事を水に流すつもりはないが。気持ちを切り替え、当初の予定通りギルドへ情報収集に向かうことにした。イルマは用事があると言うので宿で別れている。


 関所で兵士から聞いていた道を進むと、程なくして特徴的な旗を掲げる大きな建物が見えてきた。


鷹と太陽が描かれた赤い旗が大陸中に点在する冒険者ギルドの目印となっている。


ギルド内はダンジョンに向かう前の冒険者たちで盛況な様子だった。依頼が張り出された掲示板を一通り確認すると、受付で素材の換金を頼む。


移動中の持ち運びに適したもののみ回収しているので、基本的に魔物の皮や爪となる。


淡々と査定を進めるヘスティアに対し、周囲が徐々にざわつきはじめた。


提出される素材がごく一部の部位であるにも関わらず、質といい大きさといい、異様な存在感を放っているのだ。ヘスティアは素知らぬ顔で受付係の作業を眺めていた。


「お待たせしました。こちら代金となります」


 礼を言い、若い女性の受付係から代金とギルドカードを受け取る。


「ギルドカードの更新も完了しております。次の依頼を完遂すればパーティが黄金級に昇級しそうですね。ご活躍をお祈りしています」


 その事務的な笑みに、おや、とヘスティアの片眉が上がる。


ヘスティア自身も後どのくらいで昇級するのか把握していたため、それほど驚きはなかったが、本来黄金級のパーティともなると国家に二桁いるかいないかの話だ。


現に査定額に聞き耳を立てていた野次馬のざわつきが、一層大きくなっている。


その冷静な様子に好感を抱き、受付係の名前を尋ねようとした時、後ろから粗野な声に呼びかけられた。


「おう嬢ちゃん。黄金級とはすごいねぇ」


 振り向くと絵に描いたような荒くれ者が二人が立っていた。声をかけてきた大男は大剣を背負っていて、そこそこに腕が立ちそうな気配をしている。


「ありがとう。私は主力というわけでもないのだけれど」


 にこやかに事実を告げると、男たちが一斉に大笑いした。


「そらそうだ! 嬢ちゃんの役目は男を癒すことだろう?」


 ヘスティアは微笑んだまま、無言を貫いてみることにした。この男はこの街でどの程度の位置にいるのだろうか?と考えていると、脇にいた小男が教えてくれる。


「無視するとは生意気だ! ダウデン様は首都パットゥでトップクラスにいる冒険者だぞ!!」


 少々曖昧な情報だが、周囲の反応からしてそう的外れでもなさそうだ。笑みを深め、ダウデン様と呼ばれた大男を挑発するように見上げる。男はごくりと喉を鳴らした。


「どうせ男に媚びるしか能がねぇんなら、俺にも一杯付き合えよ」


 次の瞬間無遠慮に伸びてきた手を絡め取り、床に沈める。巨躯を叩きつけた音が建物中に響き渡った。木の床が衝撃でギシギシとたわんでいる。


さらに腕を小脇に抱え、関節を締め上げる。ぶちりと、確実に筋が千切れる音がするまで。鈍い呻き声が上がる。


「な、な、舐めるなぁ!」


 激昂した小男が短いナイフを振り上げた。詠唱を唱えながら、ナイフを足で弾く。小男が弾かれたナイフを目で追った瞬間に、風の魔法を発動させる。


突風を浴びた小男は入り口付近まで吹っ飛び、壁に衝突した。手足がだらりと伸びる。気絶したのだろう。


一瞬の出来事に場が水を打ったように静まり返った。男たちを助けに出る者はいないようだ。


「ダウデン。あなた、私より弱い上に人を見る目もないようね?」


 侮蔑の言葉を投げかけると、足元で呻いていたダウデンの目に怒りがこもった。立ちあがろうと足掻く男の首を踏みつける。ここのところ鬱憤が溜まっていたのでついでに高笑いしそうになるのを堪え、受付係に謝罪する。


「騒いでごめんなさいね。しばらくこちらに滞在するつもりなの。ヘスティアよ。あなたの名前を教えてくれるかしら」


「トーラです。特に被害はなかったので問題ありませんよ」


 実に落ち着いた口調のトーラと握手を交わす。ヘスティアは鼻歌を歌いながら、意識の絶えそうなダウデンを引きずってギルドを後にした。


(この男、もう二、三発殴れば良い情報源になりそうね)

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