第8話 権力闘争の決着

「今だ!」


 ミコトが合図をする。巨大蜘蛛の背後をとったのだ。アナンシャと共に詠唱を始める。


「沼の精霊オドンティダエよ。その臓腑に巡る血を我に与えよ。我、汝に魔を捧ぐ者なり--!」


「風の精霊アネモナよ。その腕を広げ地に安息を与えよ。我、汝に魔を捧ぐ者なり--!」


 入り口に向けて放った魔力が、狙い通り二層を成す。ヘスティアの大気を遮断する結界内で、アナンシャの放った毒の霧が渦巻いている。


入り口を塞いでいた土蜘蛛たちが足掻き、次々と脚を丸めていく。同時にかなりの数が結界の外に出ていったが、この一瞬で先頭のヘスティアが通る分には問題ない。


特製の解毒剤は既に殿を務めるミコトの手に渡っている。


「外に出るわよ!」


 アナンシャの指示に答えるように背後から一際高い剣撃が鳴り響く。一行は蜘蛛たちを振り切り、猛然と通路に走った。


アナンシャによると、小部屋から出て五番目の角に利用できそうな狭い窪みがあるはずだという。ただ信じて走り、ヘスティアは目的の角に一人飛び込んだ。


確かに巨大蜘蛛の動きを封じるにはおあつらえ向きの空間だ。通路の行き止まりが人一人収まる程度の大きさに丸く窪んでいる。


振り返ると、追ってきた獲物はまだミコトに狙いを定めていた。こちらへ誘い込むために風の刃を放つ。


最初に喰らったのを覚えていたのだろうか。明確な怒りを感じさえする速さで巨大蜘蛛のターゲットがこちらに切り替わる。迫る爪を剣で弾くと、派手な音がした。すぐに追撃が来るだろう。


背後は逃げることも出来ない壁だ。焼けるような焦燥感を押し殺す。相手が体勢を立て直そうと、弱点を曝け出す刹那を待った。


「今よ!」


 通路側のミコトに向かって叫ぶ。言い終わると同時に刃を装甲の隙間に目掛けて放つ。


刺した切先に押されるような感覚が返ってくる。挟み撃ちは成功したようだ。


双方向からの急所への一撃に、巨大蜘蛛が不快な鳴き声を発し、壁へ逃げる。その隙にヘスティアは姿勢を低くし、通路の方へ滑り込んだ。


「アナンシャ!」


 通路で待っていたアナンシャが青い顔をして膝に手をついている。イルマが空になった市販の解毒剤の瓶を振ってみせた。


脱出時に排除しきれなかった蜘蛛の毒を受けたのだろう。支えようとするのをアナンシャが手で制する。


「っいけるわ。いくわよ……!」


 脂汗を滲ませながらもアナンシャの目には強い意思が宿っている。ならばもう、やることは一つだ。ヘスティアは差し伸ばした手を引っ込め、敵に向き直った。


剣を構えるミコトの両脇から、二人で手をかざし詠唱を始める。


「沼の精霊オドンティダエよ」


 その声が、魔力が、混ざり合い完全な一つになっていく。


「その臓腑に巡る血を我に与えよ。我、汝に魔を捧ぐ者なり--!」


 窪みに封じられた巨大蜘蛛を赤い霧が覆う。凶悪な八本の脚が狭い空間で暴れ回っている。岩の壁に深い爪痕が無数に刻まれていく。


通路へ逃れようと伸びてくる脚をミコトが弾き返し、押し留めた。魔力が欠乏し始め、ふらつくアナンシャをイルマが支える。その様子に、思わず悪態が声に出てしまう。


「とっとと、くたばりなさい……!」


 まだ余裕のある魔力の出力を上げ、毒霧の濃度を増していく。視界が真っ赤に染まった。


こちらまで毒の影響を受けそうになるころ、巨大な蜘蛛の魔物はようやく息耐えたのだった。



 ダンジョンゲートから外へ出ると太陽が天頂に差し掛かろうとしていた。強烈な光が目を焼き付ける。


「全員無事に戻って来れたな」


 ミコトが深く息を吐く。帰路の魔物をほとんど一人で薙ぎ倒していったので、流石に疲労しているのだろう。


負傷したイルマにはすでに応急処置が施されている。アナンシャが受けた毒も改めて特製の解毒剤で対処した。


大黒土帯蜘蛛の討伐数はわずかに足りないままだが、とにかくイレギュラーの続く中、全員が自分の足で無事帰り着くことができたのだ。


今回の探索は成功と言えるだろう。足りない分は次回補えばいい。


「いろいろありましたけど、アナンシャの下調べのおかげですね」


 そう言ってミコトの反応を伺ってみる。もちろんアナンシャの計画には穴も多いし、意地を張った場面もあった。それを鑑みても初めてにしては上出来の結果だ。


あの土壇場でアナンシャは巨大蜘蛛の体長や解毒剤の効き方から必要な毒の量を推定し、ケトライセキの地形を利用した討伐計画を立て、成功させた。


これはもうめちゃくちゃに誉めて然るべきだろう。満面の笑みで褒め言葉を催促していると、ミコトが微かに笑った。


「そうだな。さて、俺はイルマを救護院に連れていきがてら、デカブツの出現をギルドに報告してくるとしよう」


 二人はもう休んでいいぞ、と雑に手を振り背を向けて去っていく。そのあまりな態度にヘスティアは焦ったようにフォローをする。


「ア、アナンシャ。ミコトも内心ではすごいと思っているはずよ。今日の夜は絶対労ってくれるわ」


 もし誉めなければ裏で手を回す。気の利かない男をどうしてくれようと画策していると、アナンシャがヘスティアの袖をそっと引いた。


「……あなたは?」


「え?」


 ヘスティアより少し背の低いアナンシャが、桜色の可憐な唇を引き結んで、おずおずと反応を窺っている。この様子はどうしたことだろうか。


「あなたは私のこと、……よくやったって思う?」


 ヘスティアは目を丸くして思った。


(思ったより、早く落ちたわね)


 もともと完全に嫌われてはいないとわかっていた。アナンシャは高位貴族の出だ。出自に相応しく、高い自尊心と責任感を持っている。


そんな娘が、自分より下だと思っている相手に一時でも従うわけがないのだ。


内心では序列を受け入れ、こちらを恐れている。それならば、改めて実力差を見せつけた上で、相手の存在価値を認めてやればいい。


「もちろんよ。アナンシャ。あなたがいなければ、あの蜘蛛を仕留めて無事に帰ってくることはできなかったわ」


 聖母のように口の端をゆるませ、両腕を広げる。アナンシャは堰を切ったように泣き出し、ヘスティアの胸に飛び込んできた。


これにて、ハーレム初の権力闘争は終着したのだった。

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