少年少女よ、筋トレをせよ! 〜ツーブロゴリラ営業マン、悪役令嬢に転生する〜

日崎アユム/丹羽夏子

自分を磨くなら、これだ!

 はっと気がつくと、俺は見知らぬ部屋にいた。どうやら天蓋付きのベッドに寝かされているらしく、上からレースのカーテンが垂れ下がっていて視界を遮っている。


 上半身を起こした。


 頭がずきずきする。大学時代の飲みサーで酔い潰れた時以来の頭痛だ。最近体づくりのためにアルコールを絶っていたので、懐かしい痛みだった。


 しかし、頭痛以上にこの変な状況のほうが気になる。一刻も早く自分が置かれている状況を確認したい。


 レースのカーテンを払い除けた。


 目の前に広がっていたのは、小花柄の壁紙に、細かな蔓草模様が彫り込まれた家具、そして金の枠にはめ込まれた大きな鏡のある部屋だった。


 おかしい。俺の趣味じゃない。ロマンチックな、世田谷区のお嬢さん向けの部屋に見えた。


 確か俺は昨晩ジムにいたはずだ。しかし途中から記憶がない。まさか帰りに女性を引っ掛けたのだろうか。久しぶりのワンナイトラブに張り切ってしまって意識を失ってしまったのか。この俺としたことが、腹上死で最期を迎えるところだったのか!?


「お嬢様!」


 横のほうから声がした。

 そちらのほうを向いた。

 黒いお仕着せに白い帽子のいかにもメイドですといった風情の中年の女が猫脚の椅子に座っていた。

 彼女は俺が起き上がったのを見て驚いたようだ。目を真ん丸にして立ち上がり、ベッドに手を置いた。


「お嬢様、やっと目を覚まされたのですね!」

「お嬢様?」


 声を出してみて俺はぎょっとした。俺の自慢のバリトンボイスが柔らかなアルトの女性の声になっていたからだ。


 おかしい。これは夢か。


「どういうことだ。ここはどこだ」


 メイドが答える。


「何をおっしゃいますか、マリアンナお嬢様のお部屋ですよ」

「マリアンナ? 誰のことだ。フィリピンパブの女か?」

「どうしましょう、お嬢様ったら、熱のせいでおかしくなってしまったのですね」


 彼女はエプロンで涙を拭いながらベッドを迂回し、向かって左側にあるドアに走っていった。ドアを開け、叫ぶ。


「誰か! 誰か、お嬢様がお目覚めですよ! すぐにお医者様を呼んでちょうだい!」


 何だ、この状況は!


 ひとまずベッドから出ようと、床に足を下ろした。


 その足を見て、俺は驚愕した。


 なんと、俺の足が白く細い女の足になっているじゃないか。


 俺は鏡のほうへ走った。嫌な予感がした。自分の姿かたちを確認しなければならないと思って急いで鏡の前に立った。


「これが……俺……!?」


 俺の髪は、自慢のブラウンのツーブロではなく、豪快にウェーブする真紅のロングヘアになっていた。日サロで焼いたはずの頬は白い。何より、まつエクでもしたのではないかと思うほど長い睫毛まつげに守られているのは、エメラルドのような緑の瞳だ。


 俺はなぜかカラフルな髪と瞳の美少女になっていた。


「夢か……!?」


 先ほどのメイドが戻ってくる。


「何をおっしゃいますか、お嬢様。まだ眠っておいでなのですか? こちらが現実でございますよ」


 メイドのほうを振り向く。


「俺は今まで寝ていたのか?」

「はい。学園で突然倒れられて三日三晩高熱でうなされていたのです。きっとそのせいで記憶がおかしくなってしまわれたのですね」


 ドアのほうからわらわらと大勢の人が入ってきた。白衣の医者を筆頭に、メイド姿の女たち、そして俺と同じ赤い髪に緑の目をした女性と黒髪で立派なひげをたくわえた男性だ。


「おお、マリアンナ、大丈夫か!?」

「これはどういうことだ、俺はどうしたんだ!」

「大変、混乱しているようですね。もう少しベッドで休みなさい」

「そういうわけにはいかない! 俺には大事な商談 が……!」


 しかし先ほどのメイドは三日三晩高熱にうなされていたと言っていた。もう商談の時間は過ぎたかもしれない。困ったことになった。というかその前に誰だマリアンナ。


 混乱している俺を医者が診察し始めた。俺は呆然とそれを受け入れた。




 どうやら俺は乙女ゲー世界の悪役令嬢に転生してしまったらしい。


 俺はそういうジャンルのコンテンツにはあまり詳しくないのだが、一度事務の地味な女が昼休みに読んでいたのを取り上げて読んだことがあるので、概要はぼんやり知っている。ちなみにその女にはこんなくだらないラノベなんか読んでいないで名著『人は第一印象が九割』を読めと言っておいたのだが、どうやらまだ読んでくれていないようだ。


 その女が『人は第一印象は九割』を読んでくれたかどうかを確認する機会は、永遠に来ないかもしれない。だって俺はこの世界で侯爵令嬢マリアンナ・プリマモンテとして目覚めてしまったからだ。


 元の世界に戻る方法がわからない以上、なんとか学園でうまく立ち回っていかねばならない。


 それに、マリアンナはどうやら王太子アルベルトという男と婚約しているらしく、マリアンナの両親を名乗る人々が、俺の性格が悪すぎて婚約破棄されるかもしれない、と心配している。こういう設定の時、婚約破棄された悪役令嬢は破滅していくものだ。


 例のラノベを最後まで読んでおかなかったことを後悔した。どうやったら俺は破滅せずに済むんだ。


 とにかく翌日、俺は学園とやらに行くことにした。王太子アルベルトとやらのツラを拝んでから作戦を立て直そうと考えたのだ。


 特別仕様のスピーカーを搭載して毎日ビートの効いた音楽を流していた愛車のアウディではなく、白馬に引かれた馬車で登校する。


 学園にたどりつくと、大勢の人たちが俺に頭を下げた。けれど、みんな俺と目を合わさないようにしているような気がする。確か嫌われているんだったか。侯爵令嬢で王太子の婚約者だから無視はできないのだろう。この世界も弱肉強食のようだ。


「ご機嫌よう、マリアンナ様」

「ご機嫌よう」


 学園の正門から玄関へ向かう道すがら、俺は肩で風を切って歩いた。どんな状況であれ胸を張って堂々と生きていきたい。どんな逆境もアメフト部で根性を鍛えた俺なら耐えられる。


 玄関に入ろうとした、その時だった。


「おはよう、マリアンナ」


 敬語ではない言葉遣いに、おや、と思って顔を上げた。


 相手は金髪碧眼の背が高い男だった。洋画の若い俳優のようなイケメンだ。だがひょろりとしているのでワンパンで倒せそうだ。


「おはようございます」

「今日は君に紹介したい人がいる」

「何スか、ぶしつけに。ていうかあんた誰」


 周囲にいる学園の生徒たちがざわついた。ひょっとして、俺、言っちゃいけないこと言った?


 目の前のイケメンが咳払いをした。


「熱を出しておかしくなってしまったという噂は本当だったんだね」

「知り合いだったっけ?」

「君の婚約者のアルベルトなんだけど」


 つまりこのイケメンが王太子か。登校して早々やっちまったな。


 困惑している俺をよそに、アルベルトが勝手に話を進める。


「さっそくだけど、紹介するよ」


 そして、俺に向けていた敵意バリバリの目ではなく、優しい目で後ろを見る。


「こちらにおいで、シエリ」


 アルベルトの後ろから、小柄な女の子が出てきた。ブラウンの髪と瞳のカラーリングこそシンプルな少女だったが、真っ白な肌は滑らかで、大きな瞳に長い睫毛、ぽってりとした唇など、非常に可愛らしい顔をしている。


 彼女、シエリというらしい少女は、アルベルトの後ろからおずおずと出てきた。自信がなさそうに縮こまっている。巻き肩ぎみで、背中が少し丸くなっていた。


 それを見て、俺はカッと両目を見開いた。


「おはようございます、マリアンナ様。シエリ・ベッラと申します」


 震える小さなソプラノ。こんなの聞いていられない。


「シエリと仲良くしてやってくれないか、マリアンナ」


 アルベルトがどこか冷ややかな声で言う。


 俺は悟った。


 なるほど、このシエリという女が正規ヒロインで、アルベルトは俺と婚約破棄した後この女と婚約し直すに違いない。


 そうであるならば俺のすべきことはただひとつ。


「よろしくお願いしますわ、シエリ」


 令嬢を意識して、にこりと微笑んだ。


「さっそくですけれど、お近づきの証に二人でお茶などいかが?」


 シエリの肩がびくりと震える。小動物のようだ。世間ではこういうのを庇護欲をそそるというんだな。あいにくのところ俺にはそういう趣味はないが、わかるところはある。


「べつに、とって食べるわけではありませんわよ」


 シエリは拳を握り締め、一度きゅっと唇を引き締めてから、こう答えた。


「わかりました。ありがとうございます。ぜひともよろしくお願いします」


 俺は頷いた。


「では、放課後礼拝堂裏の庭にいらして」

「シエリ」


 アルベルトが声を掛ける。


「私も行こう。一対一になることはない」


 俺は強く出た。


「いいえ、一人でいらして。二人きりで仲良くしたいの」


 シエリはひるまなかった。はっきり首を縦に振った。


「一人で行きます。よろしくお願いします」


 どうやら芯は強い女のようだ。それでこそ正規ヒロインだ。


 さて、どうしてくれようか。




 そうして放課後が来た。


 俺が礼拝堂の裏庭の木陰で待っていると、シエリは約束どおり一人で来た。


 肝が据わっている。いい度胸だ。高く評価する。


 目が合った。シエリが緊張した様子で息を呑んだ。


「あの、マリアンナ様」

「話があるの」

「何でしょう」


 俺は思い切って言った。


「あなた、筋トレなさい」


 シエリが可憐な顔いっぱいで困惑を表現した。


「えっ」

「筋トレよ、筋トレ。あなた、体幹ができていないわ」


 背筋が弱いから巻き肩で猫背なのだ。今はまだ若いから細身だが、食事の栄養バランス次第では肉がついてしまいかねない。腹筋も弱っていくだろう。声に張りがないのも腹筋の問題に違いない。


 彼女には立派で美しい立ち姿をゲットしてもらわなければならない。


 彼女の顔は美しい。たぶん心根も美しい。アルベルトの心をつかんでいるのだろう。


 このままアルベルトと仲良くなってほしい。俺は男のアルベルトに興味はない。婚約破棄も望むところだ。


 同時に、破滅ルートを回避するために正規ヒロインとも仲良くなっておかなければならない。彼女と仲良くなることで、彼女にかばってもらうのだ。心優しい彼女が何とか言ってくれたら、アルベルトも早まらないに違いない。


 そして、仲良くなるといったら方法はふたつ。

 ひとつは飲み会。しかしこれは未成年の今の俺たちには難しい。

 もうひとつはスポーツなど一緒に体を動かして汗をかくこと。


 二人で筋トレをすれば、彼女はますます美しくなり、なおかつ俺ともうまくやってくれるのではないか。


「女性が体幹を鍛えるにはボクササイズだ!」


 そう言って俺は腰を落とし、拳を空に突き出した。


「ストレート! ストレート! フック! フック!」


 シエリが唖然とした。


「真似をするんだ。美しい体が欲しくないのか? 王太子の心をつなぎ止めておくためにもスタイルがいいほうがいいぞ!」

「で、でも、スカートでそんな体勢を取ったら……」

「何のために二人きりになったと思っている! 女同士ならば恥ずかしくないだろう!」


 彼女に体の側面を見せた。


「軽く猫背にして腹筋に力を入れるんだ。そうすれば腹筋を割ることも可能だ。贅肉が落ちるぞ」

「贅肉……」


 そこまで言うと、彼女もやる気になったらしい。


「わたし、お腹周りのぷにぷにがコンプレックスなんです!」

「よし! 俺と筋トレをしてスリムな肉体を手に入れよう!」


 二人横に並んで、肩幅に足を開き直した。背を少しだけ丸めて、腕を突き出す。


「ストレート! ストレート! フック! フック!」

「はいっ! いち、に! いち、に!」


 シエリは素直ないい子だ。この分ならいつか美しいプロポーションを得るだろう。頼もしいぞ。俺もマリアンナの体はちょっと非力なようなので一緒に鍛え直そう。胸筋を鍛えればバストアップにつながり、腹筋を鍛えれば腰のくびれにもつながる。女性の美にも、筋トレが必要だ!


「楽しそうだな」


 男の声が聞こえてきたので、はっとして動きを止めて振り向いた。


 すぐそこに、王太子アルベルトが立っていた。


「きゃっ」


 シエリが頬を赤くして足を閉じた。


「何の用だ。せっかくシエリがその気になったのに邪魔すんのか、エエ!?」

「いや、最初はお前がシエリをいじめるんじゃないかと思ってこっそり後をつけてきたんだが」


 アルベルトが微苦笑する。


「なんだか仲が良さそうな雰囲気になってよかった。心配して申し訳なかった」

「アルベルト様……」


 おっと、いい雰囲気だぞ。俺の破滅フラグは折れたか?


「マリアンナ、ぜひとも私も参加させてくれないか? 一応宮殿でも剣術の稽古を受けているのだが、まだまだ足りない気がして。騎士王と呼ばれる父の後を継ぐためには、肉体をもっと磨き上げないと」

「いい心がけだ! 一緒にパンプアップしよう!」


 こうして三人の筋トレは日暮れまで続いた。


 俺たちの筋肉磨きの戦いはまだまだこれからだ!



<おしまい>





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