筋肉と僕と
芦原瑞祥
人面筋肉
とある文芸同人誌イベント終了後、憧れの小説書きの文月さんが困っているのを、僕は見かけた。ブース撤収後の荷物を宅配便受付まで運ぼうとしたものの、華奢な文月さんでは大量の本が入った段ボール箱を持ち上げられないようだ。
僕は喜び勇んで「お手伝いします!」と声をかけたのだが、予想以上に段ボールが重くて中腰の状態から持ち上がらなかった。
そこへ通りかかったイケメンスタッフが「お持ちしますよ」と代わってくれ、難なく持ち上げた段ボールを受付へと持っていった。文月さんは僕に「すみません」とぺこりとお辞儀をして、細マッチョイケメンスタッフの後をついていった。
情けない! ふがいない! 穴があったら入りたい!
そんなこんなで僕は、筋トレに励むことにした。朝晩決まった時間に、動画を見ながら筋トレに励む。タンパク質を多めに採り、プロテインも買ってきた。
そうして少しずつ筋肉が育ってきた頃。
「あの女がそんなに好きなのかよ」
姿見で筋肉の付き具合を確かめていたら、そんな声が聞こえた。驚いた僕がきょろきょろしていると、左の上腕二頭筋がしゃべった。
「俺だよ、俺」
腕を曲げて筋肉を盛り上げてみると、筋のくぼみが顔のようになっている。確か『ブラック・ジャック』でこんなのを見たことがあるぞ。
「……もしかして、人面瘡!?」
僕の言葉に、そいつは中身のない口を動かして言った。
「瘡じゃねえよ、筋肉様だよ!」
その人面筋肉は厚かましい奴で、もっと筋肉が喜ぶ食べものをよこせだの、鍛え方が足りないからダンベル運動をしろだの、注文をつけだした。
「そんな生っ白い腕じゃ、あの女に惚れてもらえねえぞ」
ガサツな親戚のおじさんみたいなことを言う人面筋肉に、僕はダンベルカールをしながら反論した。
「そんな不純な動機で文月さんに声をかけたわけじゃないよ。ってか、邪な目的で文芸のイベント来る奴は滅びてほしい、くらいに思ってるから」
「は? 女にモテることこそ男の勲章だろうが」
「わー、時代遅れ! いろんな意味でアウト! 脳味噌まで筋肉なのかよ」
「うるせえ、脳味噌が筋肉なんじゃなくて、筋肉が脳味噌なんだよ」
「とにかく。文月さんはすごく素敵な物語を書く人で、僕は彼女が紡ぐ言葉の美しさとか世界観とか、人というのはこんなにも切なく狂おしい感情の揺れ動きをするのかってのを読むのが大好きで、彼女の書いた物でしか摂取できないキラキラしたものがあって。……とにかく、僕が彼女に憧れるのはそういうことなんだ。彼女を肉欲の対象と見ること自体がもう冒涜でしかないんだ。わかったか、この筋肉野郎!」
僕が早口でまくしたてると、人面筋肉はぽつりと言った。
「じゃあお前、何で筋トレ始めたんだよ」
その質問に、僕は戸惑った。筋トレを始めたのは、文月さんにカッコ悪いところを見られたのが恥ずかしかったから。本当はカッコイイところを見せたかった、それはどうしてか。
きちんと言語化していなかった感情を、僕は棚卸しする。彼女とお近づきになりたかった。でもそれは、デートしたいとかそういうんじゃなくて。
「……きっかけが欲しかったんだ。僕の崇拝する小説書きの彼女が、同じ物書きとして僕のことを視野に入れてくれたらなあって」
彼女が仲のいい書き手さんたちと、お互いの作品の感想を言い合ったりするのが羨ましくてたまらなかった。かといって、小説投稿サイト等で公開している彼女の小説をすべて読んではいるものの、記名付きで感想を書き込むほどコミュ強でもない。だから、顔見知りになってしまえば、「あのときの者です。新刊最高でした!」と軽い感じで伝えられるんじゃないかって、僕は期待したんだ。
「なるほど、小説で認められることがお前のアイデンティンティンってわけか」
「アイデンティティだ! 変な言い間違いするな!」
「頭でっかちだが、お前にとっては大事なことなんだな。……よっしゃ、俺がバッチリ仕上げてやるぜ!」
その日から人面筋肉は、朝晩二回の筋トレの他、執筆中にも「ムズムズするからスクワットしろ」だの「悩んで手が動かないなら走ってこい」だの言うようになった。貴重な時間を奪われるのが最初は嫌だったけれど、不思議と運動したあとは執筆がはかどった。
次の文芸イベント合わせの同人誌の入稿も、ギリギリで間に合った。寝落ちしかけたが、人面筋肉が「起きろ! スクワット二十回!」と言って起こしてくれたのだ。
今やこいつは、筋肉育成だけでなく、執筆の伴走者でもある。ついでに「もっとSNSで自作を宣伝しろ」「シャツはチェックよりストライプ」「イベント前に散髪へ行け」「汗拭きシートも忘れるな」などのアドバイスもしてくれ、僕にとって無くてはならない相棒になっていた。
文芸イベント当日。サークル入場時間前に会場への道を歩いていると、トランクを持ち上げて歩いては立ち止まってを繰り返している女の人がいた。文月さんだ。どうやらトランクのコロが壊れてしまったらしい。
「よし、行け!」
左腕の人面筋肉が小声で言う。僕は深呼吸すると、文月さんに近づいた。
「おはようございます。……イベント参加される方ですよね? 僕も行くところなんで、会場までお持ちしますよ」
あやしい者じゃないと安心してもらうため、僕は精一杯さわやかな笑顔で文月さんに言った。そして自分の荷物を右手に持ち、彼女の大きなトランクを「失礼しますね」と左手で持ち上げた。
重い。おそらく中身は本で一杯だろう。けれども、人面筋肉と鍛えた日々の前には「こんなの子猫ちゃんを抱っこしてるようなもんだぜ」と余裕で笑える程度の重量だった。僕は彼女のトランクを軽々と持ち、「ブースはどの辺ですか? あ、見本誌コーナーの前。いい立地ですね。僕は島中で」などと雑談まで交わしたのだった。
文月さんから感謝されて、僕は天にも昇る気持ちでイベントに臨んだ。
正直、憧れの人にあんなに自然に話しかけて、しかも会場まで会話が続いたなんて、信じられない気分だった。なんだかんだで人面筋肉との修行の日々が、自信になったのかもしれない。
文月さんの新刊を買いに行ったら、彼女は僕のことを覚えていてくれて(さすがに当然か)、「今朝はありがとうございました」と差し入れのお菓子を一緒に渡してくれた。バンザイ! このお菓子は食べずにアクリルケースに入れて飾っておくぞ!
しかも、彼女の方も僕のブースに来て、本を買ってくれたのだ。
たぶん今朝のお礼も兼ねてなんだろうけれど、あの文月さんが僕の本を買ってくれたことは、人生史上最大の事件となった。
イベントが終わり、僕はいつものように筋トレをして、姿見で筋肉をチェックしていた。いやあ、筋肉をつけておくといいこともあるもんだな。「筋肉はすべてを解決する」は嘘じゃないのかもしれない。
携帯電話が振動する。SNSの通知らしい。Twitterを確認して、僕はスマートフォンを落としそうになった。
文月さんからの@ツイートだった。
「今朝は助けていただき、本当にありがとうございました! 御作『落花の矜持』拝読しました」
そこから先は僕の作品に対する感想が三ツイートに渡って連投されていて、彼女の鋭い洞察力と心を動かす言葉選びで綴られたそれは「お世辞やお愛想じゃない」と思わせるだけの説得力があった。
あの文月さんに、僕の作品が褒められた。同じ物書きとして認めてもらった。
こんな嬉しいことがあるだろうか。
嬉しさのあまりじっとしていられず、僕がスクワットをしていると、左腕の人面筋肉の声が聞こえた。
「よかったな、目標が達成できて。……俺の役目は終わりだ。元気でな」
僕は慌てて左の上腕二頭筋を確かめた。ニヤついたような表情の人面筋肉が、ただの筋になっていた。
「おい、そんな、待ってくれよ」
呼びかけても、つねっても、ダンベルカールをしても、上腕二頭筋はただの上腕二頭筋のままだった。
涙がこぼれて左の上腕二頭筋にかかる。
「ありがとうな、相棒。……これからもちゃんと筋トレするよ」
次の文芸イベントで、僕は人面筋肉との日々をモデルにした小説を発刊した。
あいつの指示通りSNSで宣伝もしたから、売れ行きは上々だ。早い時間に買ってくれた人が「昼ご飯食べながら読んだけど、これ名作! 笑って笑って、最後は泣ける。この物語に出逢えて良かった!」とツイートしてくれたおかげで、本は飛ぶように売れて残り一冊になった。
「残り一冊です!」と僕がツイートした直後、文月さんが早足で僕のブースに現れた。
「あの、新刊まだ残ってます?」
左腕の上腕二頭筋が、かすかに笑ったような気がした。
筋肉と僕と 芦原瑞祥 @zuishou
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