無双のテイマー ~圧倒的な筋力で帝魔となった男~

mafork(真安 一)

無双のテイマー(短編)


 一人の男が狼型の魔物と向かい合っていた。身長2メートル、体重92キロ。筋肉が岩山のように盛り上がり、荒布の胴着が森の風にはためいている。

 男は片方の拳を前に突き出した姿勢のまま、狼型の魔物を睨んでいた。

 丸腰の男と、牙と爪を備えた魔物。しかし男が放散する威圧感で、目を泳がせ、口から泡を噴き出しているのは狼の方だった。

 男は不意に構えを解き、息を吸い込む。


「俺の――」


 男は、踏み込んで言った。


「俺の、仲間になってくださぁい!!」

「きゃうん!?」


 両手をまっすぐ下へ伸ばし、腰を直角に折る。

 明らかな『お願い』。

 だが、狼の恐れはそこで限界に達した。


「きゃん、きゃん!」


 子犬のように叫びながら、狼の魔物が森の奥へ逃げていく。男は、荒岩に彫り込まれたような顔を歪め、俯いた。


「だめか……!」


 無骨な拳を、悲しげに見つめる。


「やはり、俺には……魔物使いテイマーの才能がない……!」


 テイマーとは、魔物を操る職業のことだった。

 全ての人間が15歳の誕生日に、何らかの能力を大神から受け取る。人は与えられた能力に基づいて、職業を決めるのが常だった。

 能力は鍛錬によって新たに獲得されたり、発展したりもするが、いずれも最初の能力と関連する。

 巨漢は魔物使い、テイマーになりたかった。


「モフモフに触りたい……モフモフと一緒に冒険したい……!」


 しかし、男に宿ったのは、生身で戦う武道家としての能力だった。【武神】と呼ばれる能力――スキルと呼ぶ者もいる――はとても強力なものらしい。

 だが、男はそんな武道家よりも、魔物と一緒に冒険できる魔物使いテイマーになりたかった。

 だから、【テイム】という魔物を調教できる能力を、神から授かりたかった。


「やはり、無理なのか……!?」


 男はため息をつく。肩を落としても、巨体は少しも小さくならなかったが。

 スキルを授かってから、一縷の望みをかけて、男は山にこもった。【テイム】がなくても、自分と一緒に冒険してくれる魔物が現れるかもしれないから。

 だがほとんどの魔物が逃げ出すか、恐慌して向かってきて退治されるか、どちらかだった。

 仲間になる可能性がある魔物を倒すのは、少し心が痛む作業だったが、こればかりは仕方がない。仲間にならない以上、狩る者と狩られる者に分かれるのは、飼い犬と野犬の関係であっても同じだ。

 男の体格と力では、モフモフを抱きしめようとしても、轢き潰したようなカーペット状にしてしまうのがオチだっただろうが。


「俺は、俺は……!」


 涙をこぼし、膝を折って、男は拳を握りしめる。

 嗚咽で空気が微震した。

 大鬼オーガじみた威容は、まだ15歳と数か月しか経っていない年齢とは思えない。

 モフモフといつまでも駆け回れるように――そんな気持ちで続けた鍛錬と、三か月に及ぶ山籠もりで、人外に片足を突っ込んでいた。


魔物使いテイマーに、なりたい……!」


 小さいころ読んだ、可愛い魔物達と一緒に冒険する物語。憧れて、憧れて、魔物達の負担にならないよう体を鍛えこんで――少し鍛えすぎたが――ついに迎えた、15歳の誕生日。

 そこで授かった、憧れの魔物使いテイマーとはかけ離れたスキルに、少年は絶望したのだった。

 荒んだ気持ちが山籠もりに向かわせ、魔物らをビビらせた面もあるだろう。


「くそっ!」


 地団太が森を揺るがし、周囲100メートルで鳥たちがいっせいに飛び立っていく。

 苛立ちをどこにぶつけても、現実が変わるわけもない。少年が首を振って移動しようとした時、ガサリと背後で藪が揺れた。

 魔物の気配に、少年は腰を落として身構える。

 やがて藪の中から声が聞こえてきた。


「騒がしいな。私の仲間を倒してまわっているのは貴様か」


 やがて藪の中から、馬車よりも巨大な狼が姿を現した。

 少年は息をのむ。


「大きい……!」


 狼は、2メートル近い男の背丈、そのさらに倍はあるだろう。霜が下りたような、冷たく輝く青い毛並み。金色の目が武道家を見下ろしている。

 しかも人語を話した。

 知性のある、高位の魔物である証だ。

 何より、男の胸を打ったのは、顎の下にたくわえられた白い毛だった。


「モフモフ……!」


 あれに飛び込みたい。拳を固めて、男は大狼を見つめる。

 狼は牙を見せて、口を開いた。


「私の縄張りを荒らした以上、覚悟はできているか?」


 どうやら山籠もりで魔物を探し続けた結果、強大な魔物の縄張りに入り込んでいたらしい。あるいは、逃がした獣が助けを求めたのかもしれないが。

 男はごくりと喉を鳴らした。


「も、モフモフ……!」

「? なんだ、言葉は通じているか? お前、大鬼オーガか何かか?」


 まぁいい、と狼は鼻から息を吹いた。


「死ぬがいい!!」


 真っ赤な口を開けて、食い殺さんと飛び込んでくる。

 男の気持ちは一つだった。

 この魔物のモフモフを味わいたい――!


「テェェェェェェェエエエエイ!!」


 跳びあがった男は、渾身の力をこめて、拳を繰り出した。空気の壁を打ち破り、大狼の額を右手が捉える。

 抉りこむようにねじると、大狼が吹き飛んで背後の大木にぶちあたった。

 巻き込まれた木は何本も根元から折れている。そんな木さえ、切り倒せば立派な材木になるほどのものだった。


「はぁ、はぁ……!」


 男は吹き飛んだ狼に近づく。

 すると、大狼はヨロヨロと立ち上がった。金色の目は、さっきよりもよほど静かで、どこか温かい。


「その凄まじい力、お見それいたしました……」


 大狼は言った。


「以降は、あなたに従いましょう。申し遅れましたが、私はフェンリルという、あなた方が魔物と呼ぶものの端くれです。遠く北の土地から、100年ほど前、森伝いにここまで旅をしてきました」


 フェンリルとは、とんでもなく強力で珍しい魔物である。冒険者の伝承にのるようなものだった。

 けれども15歳になったばかりで、魔物使いテイマーとモフモフにしか関心がなかった男は、それをぼんやりとしか知らなかった。

 目の前の魔物がフェンリルということよりも、大事なことがある。


「そうか……!」


 男は胸を震わせた。


「これが、【テイム】……!」


 初めて、魔物を仲間にできた。これで魔物使いテイマーを名乗ることができる。

 魔物を従えているなら、魔物使いテイマーの第一歩、魔物使いテイマー組合ギルドに登録することもできる。

 男は『テェェイ』と叫びながら打撃することで、魔物を調教テイムできること理解した(それは何も理解してないということだった)。


「ああ、よろしくな。俺はアルバートだ」


 男、アルバートは微笑んだ。

 ゴーレムの方がまだ人間的に微笑むだろうと思えるほどの、迫力のある笑みだったが。


「山を降りよう。そして、魔物使いテイマーとしてギルドに登録するんだ」


 大男と大狼は、気分良く山を降りた。

 後日。

 大鬼オーガがフェンリルを伴って街へ向かったという通報が、あちこちに届けられた。



     ◆



 その魔物は、フェンリルと呼ばれていた。

 伝承となって暴れたのは200年ほどの昔。以降は、北の山脈でひっそりと生き延びてきたが、気候の変化と人間が北の山脈にまで坑道を掘り始めたことで、住処を変えるべく南下してきたのだった。


 ――まさか、これほどの力の持ち主が山の下にいたとは。


 フェンリルはよい心持ちだった。

 狼の血がそうさせるのか、強い者に従うのは自然で、気持ちがよいことである。

 フェンリルに限らず、高位の魔物であれば、自ら認めた相手に忠誠を誓い、従うということがある。それは知性があることが前提だ。

 今まで、アルバートが出会った魔物に、それほど強力なものはいなかったのだろう。


 ――わが主は、歴史を変える魔物になるかもしれぬ。

 ――『ていまー』と、何か妙なことを言っていたが……いや、なるほど、『帝魔ていま』、魔王ならぬ、魔物の帝王を目指すということか。くくく。


 なお、フェンリルはアルバートが、魔物であると誤解していた。



     ◆



 駆け出し魔物使いテイマーのリドルは、今日も背中を丸めて街を歩いていた。とぼとぼと歩き、はぁ、とため息を落とす。

 肩にとまっていた小鳥が、陰気な雰囲気を嫌がるように、羽を広げて飛び立っていった。

 帽子を押さえながら、リドルは頭上を舞う小鳥を見上げる。


「そろそろ、ギルド建物に入るから。僕が出てきたら、帰ってくるんだよ」


 小鳥へそう声をかけて、またため息を落とした。

 16歳。

 つまり、15歳になって【テイム】を授かってから1年。

 他が魔獣や怪鳥など強力な魔物を仲間にしているというのに、リドルが仲間にできたのは肩にいた小鳥だけだった。

 くぅ、とお腹がか細く鳴る。


「何日、まともに食べていないんだろう……」


 収入が乏しい原因は、リドル自身が弱いからだ。

 魔物を仲間にするには当然ながら森や迷宮など、魔物がいる場所へ潜らなければならない。けれどもリドルは体力が低く、潜ってはバテ、潜ってはバテを繰り返し、なかなか魔物のところへ辿り着けない。

 生まれもあって、魔物には以前から興味があった。だから知識は十分だったが、小柄なこともあり体力が追いつかない。

 おかげで、今でも『新米リドル』と呼ばれている。

 戦いに出せるほどの、強い魔物を仲間にできていないからだ。童顔や、低い身長、子供のように短めの手足も、侮られる原因だろう。


「今日も、働かなくちゃ……」


 これまでは小鳥を使って周囲を探し、薬草などを見つけることでかろうじて生計を立てていた。いつまでも、しのげるわけではないが。

 魔物使いテイマーは魔物の食事代もかかるため、いつかは魔物で戦い、稼げるようにならなければ、じりじりと貯えをすり減らすだけだ。頼れる両親はすでに他界し、彼らが遺した財産はできるなら残った弟、妹らの学費や結婚に残したい。

 リドルのような――『とある種族』は立場が低いため、公的な支援も望めなかった。


「僕が頑張らないと」


 そう気合を入れて、リドルは今日も魔物使いテイマー組合ギルドのドアを開けた。


「おはようござ――」


 言いかけて、リドルは声を失った。

 異様な緊迫感。

 誰もが目を見張って見つめるのは、入ってきたリドルではなくて、受付カウンターの方だった。

 巨体。身長2メートルはあろうかという大男――いや、大鬼オーガが、カウンターで受付嬢を見下ろしていた。

 受付嬢は口元をひくつかせる。


「も、もう一度、よろしいでしょうか……?」

「もう一度?」

「ひ、ひぃ! ごめんなさいごめんなさい! で、ですが、そのぅ、スキルに【テイム】がないようなのですが――」


 男は息を吐いた。ふしゅうぅ、と白い蒸気に似た吐息が口から漏れる。

 周りがざわめいた。


「人、間っ……なのか?」

「どう見ても【テイム】される側だろ……」

「あれは明らかに武人だ。己の中の暴力性けものを制御する術を求めて、ここを訪れたのかも……」


 なにか勝手なことを言われている。

 けれども、リドルは男の膝の高さに、青い毛並みの狼がいることに気が付いた。男はその狼を抱き上げて、モフモフと豊かな顎の下の毛並みに、岩のような顔をうずめた。


魔物使いテイマー組合ギルドの加入条件は、魔物を仲間にしていること。俺は、現に仲間にしている。条件は問題ないはずだが」

「で、ですが、このスキルでなんで魔物使いテイマーに……??」


 それに、と受付嬢は目を泳がせた。


「それに、ですね。どなたか紹介者はいらっしゃいますか?」

「紹介者……?」

組合ギルドへの仮登録はすぐにできます。ですが本登録は、少し煩雑なのです。それというのも、魔物使いテイマーは、戦士や魔法使いよりも、手続きの多い職業なんです。魔物の餌が常に必要ですし、魔物と共に住める場所もいります。また、魔物の強さによっては、街に事前登録をするべきです」


 男は顎に手を当てた。


「そういえば、城壁で料金を払ったような」

「テイムされた魔物として登録しなければ、城壁を通るたびにお金を払い、各種同意書などにサインすることになります。そうした手続きを案内できるよう、私ども組合ギルドには専門の案内人がいるのですが、あいにく全員が別の方々の案内についていまして――」

「ふむ」


 男は、受付からギルド内を見渡した。それだけで併設された酒場などにいた者達が、びくっと肩を揺らす。


「手続き、法律などについては、事前に勉強してきたつもりだ。専門でなくていいから、別の誰かに案内を頼むことは可能ですか?」

「ええと、それは……」


 その瞬間、ギルド内にいた全ての魔物使いテイマーが目を逸らした。中には慌ただしく席を立ち、外へ逃げ出す者もいる。

 男が怖すぎるのだ。


「ですので、アルバート様」


 受付嬢が言った。どうやら、この巨漢はアルバートというらしい。


「登録はいつでもできますが、これを機に少しお待ちになっては……」


 気づくと、リドルは叫んでいた。


「あ、あの! 案内なら、僕がやりますっ」


 男が驚いたように目を見開いて、リドルを見た。視線に圧力があったら、リドルは消し飛んでいただろう。

 男が膝をついてリドルの肩を掴む。


「本当かっ!?」

「ひぃう! 本当ですっ!」


 受付嬢は困ったように頬をかく。


「ええと、リドル様は、登録して1年経過――案内者の要件は満たしていますが……」


 心配そうな受付嬢に、リドルは頷きを返す。リドルにとっても、メリットがある取引だった。

 これほど強そうな男の近くにいたら、体力がない自分にも、何か学べることがあるかもしれない。


「アルバート様。では、最後にこちらの書類にサインを」

「……うむ! うむ!」


 力んだせいか、アルバートは何度もペンを折った。

 それでもようやく全ての登録作業を終えて、アルバートとリドルは連れ立って組合ギルドを後にした。

 リドルはそつなく街の中にある、テイマーがよく使う施設を案内していく。食料を安く買える店、魔物の健康状態をみてくれる店など、実際に魔物を使役しないと得られない知識もあるものだ。

 アルバートは威圧的なガタイの良さとは裏腹に、リドルの言葉を素直に聞いていた。

 自分の体がリドルを威圧しているのに気づいてか、言葉遣いもより紳士的なものに変わっていた。


「助かります。リドルさん」

「い、いえいえ。最後は、衛兵の詰所です! 連れ歩く魔物の登録をしましょう!」


 魔物使いテイマー組合ギルドに籍を置いてから、衛兵の詰所で申請を出すと、以後、門を抜ける時の手続きが楽になる。

 リドルは、アルバートと並んで歩く狼を横目で見た。

 姿は、よく見る狼型の魔物だ。だが毛並みは青白く、霜が下りたようだ。そして、不思議なほど力を感じる。

 まるで『もっと強大な存在』が、無理やり体を縮めているかのように。


「何か?」

「あ、いえ」


 アルバートに問われて、リドルは慌てて首を振った。

 ふっと狼が笑ったように思えた。リドルは奇妙に思う。

 アルバートは衛兵を委縮させながらも、問題なく書類を書き終えた。


「さて――この後なんですが」


 リドルは、アルバートの首にかかった、登録票を見上げた。

 首が痛くなるほど見上げなければならなかったが。


「アルバートさんは、この街ですぐに魔物使いテイマーとして仕事を受けることをお考えですか?」

「できれば」

「……そうですか」


 リドルは頷いた。


「アルバートさん、あなたの渡された白い登録票では、まだ魔物使いテイマー組合ギルドの仕事を自由に受けることはできません」

「知っています」


 アルバートは親切に膝を折って、リドルと視線を合わせてくれた。


「あなたが首から下げているような、緑の登録票が必要なのですよね。受付で説明を聞きました」

「はい。それまでは、ギルドが指定した依頼しか受けられません。薬草採集などで地道に実績を積むか――」

「小型魔物を10体以上、または中型魔物を1体討伐して、実力を見せる」

「はい、そうですね。いわば、白い登録票の間は、魔物使いテイマーとしては仮登録の段階です」


 リドルは言葉を切った。岩山から切り出したようないかつい顔にも、大分、慣れてきた。


「アルバートさん、あなたは見たところ、戦士としてすでにかなりの経験を積んでいらっしゃるようです」

「私はまだ15歳ですが」

「は!?」


 年下という事実に、リドルは生命の神秘を感じた。

 リドルは首を振った。


「そ、それは失礼しました」

「だが、魔物の討伐経験は豊かです。山で、以前から修行をしていましたので」

「で、ですよね。組合ギルドでよく使う採集場所や、魔物が出る位置を案内したいのですが、あなたなら――」

「その案内の間に、魔物を倒して、本登録の条件を満たす可能性もありますね」


 リドルは頷いて、告げた。


「そして、ここからは僕のお願いなのですが」

「どうぞ」

「あなたが戦う姿や、森をいく姿から、僕に勉強させてほしいんです。僕、昔から体力がなくて――【テイム】できた魔物も、小鳥型の小さいやつだけで」


 そこで、リドルの肩に小鳥が戻ってきた。首を傾ける小鳥に、リドルは微笑みかける。

 

「わかりました」


 アルバートは微笑した。頬がかすかに動いただけだが、目つきがほんの少しだけ和らいだようにリドルには思えた。


「では、魔物の狩場に案内を。私の魔物使いテイマー本登録のため、そしてあなたの勉強のために」

「……はい!」


 リドルは笑顔で頷いた。大きく頭を振ったせいか、帽子がずれそうになる。

 慌てて押さえた。中身が見られたら、大変だ。

 二人が歩き出そうとした直後、荒々しい声が聞こえた。


「おい、リドルぅ!」


 リドルはびくっと肩を揺らす。

 目を怒らせた二人の男が前に立っていた。


「新米のくせに、案内かぁ!?」

「ろくな【テイム】でもできないくせに、ヒマでいいなぁ!?」


 リドルは言い返せずに、俯いてしまう。事実であったからだ。

 アルバートが一歩踏み出す。


「リドルさんは私のために、親切に時間を割いてくれました」

「うお!? リドル、お前、いつのまにミノタウルスを【テイム】したのか!?」

「いや、人間か……?」


 アルバートは、鉄板のような胸を張っていった。


「私も、テイマーです」


 証拠を見せましょう。

 いくらか得意げにアルバートは言った。

 地面を強く踏みしめて叫ぶ。


「テェェェェエエイ!!」


 地面が揺れた。近くにあった詰所から衛兵が出て来る。


「なんだ今のは!?」


 アルバートとリドルは、慌ててその場所を逃げ出した。


「今のが、私が会得した【テイム】です」


 絶対違う、と片手で運ばれながらリドルは思った。



     ◆



 リドルとアルバートは魔物が出現する森へ向かった。普段なら息が切れてしまうリドルだったが、アルバートの助言によって、驚くほど体力を温存できている。

 アルバートによれば、リドルは体力を気にするあまりに、探索をする森で意図せずに気を張っていたらしい。その結果、体が常に緊張し、非常に疲れやすい状態だったということだ。

 リドルは心を落ち着けて、腹の底で深く呼吸することを意識する。

 それだけで息があがらず、長く探索を続けることができていた。


「……すごい、こんなに違うなんて」


 アルバートが一緒にいることもあって、いつもより深く森へ入っていた。それでも、リドルは落ち着いたままだ。

 すでに数体の昆虫型魔物を倒している。


「健全な心は健全な肉体に宿るという言葉があります」


 アルバートは態度は紳士的だが、声は低い。隣を歩く青白い狼が、スンスンと鼻を鳴らしていた。


「つまり呼吸で肉体を落ち着かせることで、精神をも落ち着かせることになる。それが、リドルさんが体力を温存できている理由です」

「……なんとなく、わかります」

「つまり、リドルさんにはもともと、これだけ動けるだけの体力がすでに備わっていたということです」


 狼が、励ますように吠えた。

 リドルは苦笑してしまう。今まで、森や迷宮で探索にいそしみ続けたことで、体力がついてきたのかもしれない。

 稼ぎは少なかったが、無駄じゃなかったのだ。


「よかった、です」


 そう言った時、アルバートが足を止めた。狼も歩みを止めて、低く唸る。


「主人、妙な気配だ。森の奥から何かが来る」


 狼の口から、言葉?

 リドルは驚いた。


「しゃ、喋った」

「静かに」


 前方から大量の昆虫型魔物が溢れて来る。

 魔物達は、二人の冒険者を追いかけていた。襲われているのは、さきほどリドルに因縁をつけてきた二人の冒険者である。

 すでにボロボロで、命からがらが逃げてきたという状態だ。


「さっきの!?」

「奥に、でかい昆虫型魔物がいやがったんだぁ!」


 薄暗い森で、時折、赤い甲殻が光に浮き上がる。

 リドルは目をむいた。


「巨大蟻!?」


 アルバートが飛び出した。


「テェエエエエイ!!」


 アルバートが【テイム】と信じる攻撃が、巨大蟻を次々と打ち砕いていく。青い狼も遠吠えをあげた。すると、狼の体が徐々に大きくなっていく。

 やがてそれは、馬車ほどもある巨大な青い狼となった。

 リドルは声をあげてしまう。


「フェ、フェンリル……!?」

「主よ。私と同じように、人間を避けて住処を移した魔物がいたようだな」


 フェンリルの遠吠えによって、次々と狼型魔物が集ってきた。

 伝説の狼型魔物、フェンリル。彼は周囲にある同種の魔物を統べているようだ。


「テェェェェェエエイ!」


 拳で昆虫たちを破砕しながら、アルバートが言った。


「なに!? 【テイム】が効かない!」

「こ、昆虫型魔物は、【テイム】が効きにくいんです!」


 『あとそれは【テイム】じゃない』という言葉を、リドルは飲み込んだ。肩に小鳥が止まり、嘴で西の方角を示す。


「……西に、敵のボスがいるようです!」

「主よ、女王アリがいるはずだ! そいつを倒せば、アリ共は撤退するはずだ。大方、縄張りを広げ、新しい巣をつくるために外へ出てきたのだろう」


 しばらく走る。

 伝説の魔物であるはずのフェンリルは、リドルを快く背中に載せてくれた。

 やがて、巨大な樹の側にたどり着く。数体の巨大蟻に守られた、一際大きなアリが目に飛び込んできた。あれが女王蟻だろう。

 フェンリルが吠えて飛び上がる。大狼に指揮された狼達も、次々とアリに飛びかかった。


「テェェェエエエイ!!」


 アルバートの【テイム】が女王蟻の体が砕いた。


「あ、あれだけの蟻を、ほとんど独りで……」


 大狼にしがみついたまま、唖然とするリドル。


「さすが主だ。このまま魔物の王……帝魔ていまになるのも近い」


 フェンリルが何か言っている。


「特に、新たな同胞もいるようだ」

「!」


 リドルが大狼の背中から降りると、アルバートが近寄ってきた。


「リドルさん、帽子が」

「あっ」


 いつの間にか、帽子がずれていた。そこから――『中身』が見えている。

 リドルが帽子を取る。現れたのは、風に揺れる大きな二つの犬耳だった。豊かな茶髪の中から、ぴょこんと二つの耳が飛び出している。


「僕、獣人族なんです。耳以外はほとんど人と同じなので、隠しながら生きてます」


 リドルは言った。アルバートは目を見張っている。


「それで、街では、実は差別される人種で……」

「も、モフモフ」

「え?」

「テェェェエエエイ!!」


 突然の雄叫びに、リドルはひっくり返ってしまった。それをアルバートに抱き上げられる。


「……私はモフモフと冒険をするために魔物使いテイマーを目指しました。ぜひ、私の仲間になってはもらえませんか?」


 リドルは戸惑いながらも、苦笑して頷いた。とんでもない人のようだが、とにかく強い。そして悪い人でもあるように思えない。


「いいです、けど……」

「主よ。あなたが望む場所を、自在にモフモフをめでられる場所を、ぜひおつくりになるのがいいでしょう」


 大狼の言葉に、アルバートはリドルを地面に下して頷いた。


「モフモフによる、モフモフのための国か……」


 数年後、獣型の魔物を引き連れた、無双の力を持った魔王――別名【帝魔】が君臨することになる。彼は差別された獣人や、仲間とした主にモフモフの魔物を引き連れて、辺境に領地を開拓する。

 それはまた別の物語である。

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