6
「なっ、なんなんだ、お前は!!」
トーマスがほとんど悲鳴のように怒号を飛ばし、ロベルトに銃を向けた。やめておいたほうがいいとオリバーが告げる暇はなかった。ロベルトは横へずれながら即座にトーマスの肩を撃ち、叫んで転がった体を蹴ると、初めに撃った横腹の傷を容赦なく踏み付けた。オリバーがちらと視線を送った先で、ミラはがたがたと震えていた。足を撃たれているため逃げも出来ず、背を向けることも恐ろしく、仕方なくその場で震えているしかない様子だった。
「犬を解体してるのは、どこかな?」
ロベルトはにこやかに聞いた。トーマスが黙っていると、ブーツの踵でぐりぐりと傷口を圧迫した。
「ゆっ、ゆるじでぐれっ!」
「ノーノー、謝罪は求めていないんだ。哀れな野良犬を解体しているのはどこだ、って聞いてるんだよ」
「地下! 地下です!」
トーマスではなくミラが叫んだ。ロベルトとオリバーの視線を同時に受けて、ミラは更に震えを大きくしたが、ロベルトは意に介さずにこりと笑った。
「行こうか、オリバー」
猟銃を肩にかけながらロベルトは穏やかに言った。呼ばれると思っておらず、オリバーは一瞬遅れた。
「え、おれも?」
「もちろん。君は僕の犬だ、あのデブ狸が撃ってきたら庇って代わりに撃たれなきゃ」
デブ狸と呼ばれたトーマスは身動きすらできない状態だった。オリバーは頷き、家の壁から離れると、地下に続く階段を指し示した。一度来た時に覚えた場所だった。ロベルトは嬉しそうに目を細め、オリバーの頭をわしわしと撫でてから、地下に続く階段へ向かった。
地下は酷い臭いだった。階段には蓋がしてあったため、開けた瞬間から家自体が腐臭で満ちた。オリバーは手探りで明かりを探してスイッチを押す。
光の元に晒された地下室は、臭い以上に酷かった。犬の毛や皮が散乱し、解体前の野良犬が積んである。ダイナーのゴミに毛が混じっているのは、ここでの処理が甘いからだとオリバーは知った。顔を顰めるオリバーの視界の中で、ロベルトは積まれた犬達へと歩いていった。
「アレス」
ひどく優しい声色に、オリバーは驚いた。アレスと呼ばれた黒い犬は、犬の山の中にいた。ロベルトはアレスを引っ張り出すと抱き抱え、後ろにいるオリバーを見た。オリバーは手首から首輪を外した。
アレスの首に、首輪を返した。滑らかで黒い毛に触れた際に、オリバーははっとして沈んだ面持ちのロベルトの肩を掴んだ。
「ロベルト、アレスはまだ生きてる」
「え?」
「首元、暖かかった。多分脈もある、衰弱してるだけだと思う」
ロベルトの瞳に光が宿った。オリバーは頷き、振り返って他の犬たちに近付いた。ほとんどは生きていた。何か妙だとオリバーが思った瞬間に、ロベルトが呟いた。
「恐らく、マリファナだよ」
マリファナ。オリバーの鸚鵡返しに、ロベルトは溜め息を返した。
「ここの農場、別の敷地でマリファナを育ててる。それが怪しいと思ってはじめから疑ってはいたんだよ」
「だろうな、だからおれが、ここに取り入るように仕向けたんだろ」
「その通りだよ、賢いねオリバー。……ここの夫妻は栽培したマリファナを使って、犬を昏倒させて連れ込んだんじゃないかな。なんにせよクソ野郎だよ生きてる価値がない、僕はだから犬しか好きになれないんだ」
遠い目をするロベルトに、オリバーはなんとも言えない感情に襲われる。しかしそれを探っている暇はない。
オリバーの意図をわかっているようにロベルトは頷いて、急いで階段を登り始める。
「他の犬は今の僕たちじゃどうしようもない、警察にでも任せよう。まずはアレスだ。行こう、オリバー」
「ああ、落ち着ける場所にでも行って、マリファナを食わされてるなら吐かせねえと……」
会話は発砲音が遮った。先を歩いていたロベルトは身を捻り、腕の中のアレスと、後ろにいたオリバーを庇った。オリバーが声を出せずにいる間に、ロベルトはその場に蹲った。肩からは赤い血が滲んでいた。
撃ったのはミラだった。トーマスは失血死しており、倒れ伏す姿の足だけが扉の向こうに見えていた。ミラは亡き夫の銃を握り直し、銃口をロベルトに向け直した。オリバーはほとんど無意識に、射線の間に割り込んだ。
「オリバー……」
呻くようにロベルトが呼んだ。ミラは震えながらも、一発撃った。弾は外れて後ろの壁を抉った。もう一発撃ったがまた外れ、オリバーは動かないままロベルトを庇い続けた。
オリバー、行け。ロベルトが小さく、でもはっきりとした声で言った。オリバーは断りかけてから、汲み取った。オリバーはロベルトの犬だった。
ミラが引き金を引いた。その瞬間にオリバーは走った。銃弾は腕の肉を削ったが止まらなかった。ミラの手を蹴り、音を立てて落ちた銃を踏み付けて、後ろに向けて滑らせた。床を滑った銃はロベルトの手前で止まった。オリバーは振り向かないまま、真横へと飛び退いた。
「いい子だ、オリバー……礼は明日以降にたっぷりするよ」
銃を拾ったロベルトは立て続けに二発撃った。銃弾はミラの頭と首を抉り、一瞬にして命は終わった。ごとりと伏せたミラの下にはゆっくりと血溜まりが広がっていった。
硝煙と血の臭いに、腐った肉の咽せ返るような臭いが混じって、家の中を埋め尽くした。騒ぎに起きた牛が鳴き、同胞を恋しがるよう遠くで犬が吠えていた。
農場には警察が入り、保守的で排他的な田舎町は、初めて大々的な記事になってネットニュースに載せられた。とんでもない過疎の地だが、報道局もやってきた。トーマスとミラ夫妻が既に事切れていたため詳細が分からず、事件はほとんどが憶測で語られていた。農場との繋がりがあったダイナーは連日対応に追われて常にクローズの札がかかっている。
オリバーはこれらを森の奥で知った。ロベルトのスマートフォンを不慣れな手つきで弄りながら、いくつものニュースサイトを往復した。
分からない単語は都度問い掛けた。ロベルトはアレスの手当をしながらも、オリバーに単語と文法をちゃんと教えた。
「スクールに行けないのは仕方がないからね。自宅学習だって悪いものじゃないよ、僕が教えれば問題はない。ね、アレス」
バウ、とそれなりに元気にアレスは答える。黒い毛並みは艶やかで、食わされていたマリファナを吐いた後は、みるみる調子を取り戻した。
アレスは初め見慣れないオリバーに唸ったが、ロベルトが諌めて紹介すれば大人しくなった。オリバーの匂いを嗅ぎ、一日小屋で共に過ごせば、ほとんど犬なのだと理解した。アレスは賢い犬だった。自分よりも余程頭がいいとオリバーは思った。
アレスもだが、ロベルトの怪我も大したことがなく、もう随分と回復した。ロベルトは着弾の精度を自分で測り、問題なく狙い通りに当たると確認したところで、そろそろ発つとオリバーに言った。
「そうか……」
オリバーは少し、いやかなり、寂しさを覚えた。しかし引き留めるものでもない。結局、この男のことはよく分からないままだった。分かるのは直ぐに撃ってくること、その腕が恐ろしく確かなこと、ミネストローネがうまいこと、アレスだけではなく犬という種族を愛してるということ。
農場の地下にいた犬は、息があった数匹は助かった。警察が保護し、然るべき機関で治療した。そのニュースを見たロベルトの心底ほっとした顔を、オリバーはこの先ずっと忘れないと心に誓った。
ロベルト、アレスと共に、小屋を出た。陽が落ちて森は暗かったが、夜の間に移動するとロベルトは言う。自身の黒髪も、アレスの黒い毛並みも、夜に紛れるには最適だと、そう付け加えてから小屋の前に佇んでいるオリバーを見た。
そして不思議そうに首を捻った。
「どうしたの、オリバー。早く行くよ。夜の間にデンバー方向へ行ってしまいたいんだ。なるべく都市の方にね。そのあとはユタ州がいいな、見てみたいんだよ、塩で有名なボンネビル・ソルトフラッツを」
オリバーは数秒止まった。両親に何も言ってないし、ベティにも野良犬達にも別れを告げていない、ここまで考えてから、この考えはついていくことが前提の考えだと気が付いた。
オリバーの葛藤に気が付かないまま、ロベルトは笑った。それから素早く銃を構えて、
「早くしろ、オリバー。ここに埋まっていきたいか?」
出会い頭と同じように流暢に脅した。
オリバーは閉口しながら手を上げた。同時に「行くよ、ロベルト」と返事をした。
満足そうに銃を下ろしたロベルトは、足元のアレスの背を撫でてから、恐々近付いてきたオリバーの頭を撫でた。
「安心して。僕は犬には優しいんだよ」
おれには厳しいじゃねえかとオリバーは思ったが、言わないまま歩き出し、ふっと故郷の町の方向を見た。
保守的で、排他的で、クソみたいな田舎町。オリバーは野良犬達に心の中で別れを告げて、楽しそうに森を進んでいく一人と一匹の後を追い掛けた。なんだか偽物の家族のようだと思ったが、オリバーは存外嬉しかった。
犬の遠吠えがひとつ、見送るように尾を引いた。それもやがては途切れてしまい、森には沈黙が訪れた。
後の消息は誰も知らない。
アンダードッグ 草森ゆき @kusakuitai
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