【四季感嘆詩】

めい浚明しゅんめい殿で相違ないだろうか」


 何だかいつもと逆だな、と浚明は思った。


 いつ訪れても人の気配が薄く、仄暗い闇に満たされている宮廷書庫室の片隅。


 蒼鈴そうりんを訪ねてやってきた浚明は、向けられた言葉に答えることも忘れて目をしばたたかせている。


「えっ、と……?」


 今浚明が対峙している相手は、蒼鈴ではない。


 見覚えのない、一人の青年だった。


 人の気配を感じた浚明が『ここで人の気配を感じるならば、相手は恐らく蒼鈴殿だろう』と思い込んで覗き込んだ書架の先にいたのが彼だ。予想していなかった姿に思わず浚明がひるんだ時にはバッチリ相手と視線が合っていて、何やら作業中であったらしい彼はわざわざ手を止めてまで浚明に向き直っている。


 ──俺の名前を把握しているということは、蒼鈴殿の関係者、ということで間違いはなさそうだが……


 歳の頃は、浚明よりも下、蒼鈴よりも上といったところか。


 肩につかない長さで適当に切られた髪は、この国では中々見かけない明るい色合いをしているように思える。恐らく瞳も同じ色だろう。


 確か蒼鈴の祖父である未榻みとう甜珪てんけいは赤銅色の髪と瞳をしており、その特徴を継いだ次男の家系も明るい髪と瞳をしているという話だ。目の前にいる彼が蒼鈴の血縁であるならば、彼が祖父と似たような色彩を帯びていてもおかしくはない。


 浚明を見上げてくる視線には、少し険を感じた。恐らく敵意があるわけではなく、元々の顔立ちが少しキツめなのだろう。さらにそこにキリリと引き締まった厳しい表情を載せているせいで、彼の周囲だけ空気がピシリと背筋を正しているような緊張を感じる。そんな立ち姿が、蒼鈴とよく似ていた。


 何より。


 ──青揃えの出仕着。


 浚明よりも小柄だが鍛えられていると分かる体は、上級官吏のものだと思われる出仕着に包まれている。薄闇の中だが、先日同じ薄闇の中で蒼鈴が纏う『青』を見たばかりだ。記憶の中にある色と比較してみれば、彼の出仕着が蒼鈴と同じ色合いの『青』であることは推測がつく。


 先日行動をともにした胡吊祇うつりぎ本家次期当主最有力候補・玲伯れいはくが纏う『青』よりも鮮やかな色目。蒼鈴はその色を指して『祖母から許された青』と言っていた。


 ──ここまでのことを総合すれば、蒼鈴殿の御身内であることは確実なんだろうが……


 職業柄、浚明は得体の知れない人物を相手に気軽に正体を明かすことかできない。いきなり向けられた問いに何と答えるべきなのか、浚明は言葉に詰まっていた。


 ──どうやら書架に資料を収めていたようだが……司書、なのか?


 蒼鈴とよく似た雰囲気。何より赤銅色の髪と瞳という特徴的な容姿は、蒼鈴の祖父である未榻甜珪書庫大師の代名詞でもある。蒼鈴の父である未榻瑶珪ようけい書庫長は蒼鈴と同じく黒髪黒眼ではあるが、蒼鈴の兄に当たる人物が赤銅色の髪や瞳を持っていてもおかしくはない。


 ──いや、でも『未榻の名乗りを許された司書は、わたくしと書庫長だけ』とも蒼鈴殿は言っていたような……


「……ああ、悪いな。こちらが先に身を明かすべきだった」


 ジッと浚明を見上げていた青年は、パシッ、パシパシと目をしばたたかせると重々しく口を開いた。


 思わぬ言葉に浚明が同じように目を瞬かせた時には、青年はキレのある動きで両手を重ね、軽く浚明に頭を下げている。


「俺は未榻蒼鈴の縁者だ。いつも蒼鈴が世話になっている」


 司書というには機敏すぎるその動きに、浚明はさらに目をみはった。文官を名乗られるよりも武官を名乗られた方が得心が行く身のこなしに、御史台ぎょしだい隠密監査官として磨いた浚明の直感がチリチリと違和感を訴えている。


「今日は蒼鈴と瑶珪ようけいの代理でこの書庫を預かっていた。貴殿に関することは、日頃蒼鈴から話に聞いている」


 ──とはいえ、言葉から嘘の響きは感じないんだよな。


 何やら不思議な青年だった。浚明の直感は違和感を訴えているのに、言葉も態度もどこまでも裏表がない。浚明に相対する彼は、どこまでも真っ直ぐだ。


 ──未榻の家には、娘である蒼鈴殿の他に、確か息子が二人いるはず。


 色々と疑問点はあるが、見た目の印象から言えば兄か従兄いとこかといったところだろう。少なくとも、容姿の共通点と装束から見て、親類という部分は信用しても良さそうだ。


「その……確かに俺が、茗浚明です。こちらこそ、蒼鈴殿には世話になりっぱなしで」


 浚明はぎこちなく言葉を返すと、青年に一礼した。浚明の礼を受けた青年は、再び軽く浚明へ頭を下げる。


「その……失礼ですが、蒼鈴殿の兄君、なのでしょうか?」


 張り詰めた空気に厳しい表情、腹の底から発声される低い声は近寄りがたい雰囲気を作り上げているが、話してみれば無闇やたらに圧を振りまくような人物ではない。


 ならば少し踏み込んだ発言も許されるだろうかと、浚明はソロリと問いを口にした。その言葉を受けた青年は、キョトンとした顔で浚明を見つめ返す。


「……兄」


 さらに数拍置いてから呟いた青年は、なぜかチラリと自分の装束に視線を落とした。鏡があったら自分の顔をまじまじと見つめていそうな雰囲気だ。


「なるほど? そう見えるのか」


 ──ん? 兄ではないのか?


 予想と違った反応に、浚明はどう話を展開させるべきかと頭を悩ませる。


 だが浚明が答えを導き出すよりも、青年が重々しく、だがどこか軽やかに言葉を紡ぐ方が早かった。


「では、今はそういうことにしておこう」


 ──今は? そういうことに?


 つまり、どういうことなのか。


 蒼鈴とはまた違った読めなさ加減に、浚明は首を傾げ続けるしかない。


「それで? 浚明殿の本日の用件は何だったのだろうか」


 浚明が混乱している間に、話の主導権は完全に青年に握られていた。それを取り戻そうと思うこともなければ、そのことに危機感を抱くこともない自分が、浚明には少し不思議だった。


 ──良くないことであるはずなんだがな、御史台の人間としては。


「蒼鈴だったら、しばらく戻ってくる気配はないが」

「ああ、いえ。明確な用事があったわけではないのです」


 わずかに眉尻を下げた青年に、浚明は慌てて手を振った。


「ただ、少し手が空きまして。前回も、前々回も、手を貸してもらったのに、そういえばろくに礼も言えてなかったと気付いたものでしたから」


 その言葉は、半分が本当で、半分が嘘だ。


 暇というのは事実。礼を言えていなかったと思い立ったというのも事実。


 だが同時に、蒼鈴に……というよりも『宮廷書庫室』に探りを入れたいと考えた、という下心が多分に含まれている。


 ──どうにも、薔薇そうび殿でんのことがあってから、宮廷内の空気が不自然に不穏なんだよな。


『お前、しばらく謹慎な』


 その空気の流れに浚明が気を揉んでいるのは、先日唐突に突きつけられた沙汰があったからなのかもしれない。


『お前の素性が後宮筋に割れた。しばらく潜って身を隠した方がいい』


 御史台執務室の奥にある、大夫執務室でのことだった。


 珍しく執務室に呼びつけられた浚明が顔を出すと、書類から顔も上げないまま、大夫は開口一番にそう告げた。


 謹慎期限は今のところ決まっていない。ほとぼりが冷めたら大夫から連絡を入れる。


 指定された潜伏先は、御史台が持っている隠れ家ではなく、大夫が個人的に所有している隠れ家だった。


 大夫から浚明への指示はそれだけで、他に説明らしい説明もされないまま、浚明は執務室から追い出されてしまった。その足で指定された隠れ家に出向き、すでに数日が過ぎている。


 ──いずれはこうなるかもしれないとは思っていたが……


 どうにも、引っかかる。このまま大人しく沙汰に従うのは良くないと、浚明の直感がささやきかけてくる。


 仮にも御史台隠密監査官を拝命している浚明の直感だ。ことに嫌な予感はよく当たる。このまま無視するわけにはいかなかった。


 結果、浚明は謹慎中の身でありながら、人目を忍んで密やかに書庫室までやってきた、というわけである。


「礼、か」


 謹慎を言いつけられた身、さらに言えば命の危機も見え隠れしている状態で、のんびりと蒼鈴の帰りを待つのは得策とは言えない。とはいえ、出直すことも難しい。


 そう頭を悩ませていると、ポツリと目の前の青年が声をこぼした。浚明が青年に意識を向け直すと、青年も青年で何事かを思案しているのが分かる。


「浚明殿、その礼の返し先は、蒼鈴個人に限定されているのか?」

「え?」


 そんな青年が、不意に浚明に問いを向けた。考えてもいなかった問いかけに、浚明は思わず間抜けな声をこぼす。


 そんな浚明に何を思ったのか、青年は改めて浚明を見上げると重々しい口調で問いを重ねた。


「もしも礼の返し先が『蒼鈴個人』ではなく『宮廷書庫室』であるならば。少し、俺のに付き合ってもらうことはできないだろうか?」

「はぁ……構いませんが」


 そもそも思い返せば、浚明が蒼鈴と知り合った経緯は『華玉かぎょく問答集もんどうしゅう』を求めて宮廷書庫室に立ち入ったことに行き当たる。蒼鈴の助力を総括して『宮廷書庫室からの助力』と拡大解釈すれば、礼の返し先は蒼鈴個人に限定する必要性はないだろう。


 何より、浚明は先の二件で蒼鈴と蒼鈴の血縁に多分に世話になった。蒼鈴が身内を大切に思っていることも知っている。そんな蒼鈴の身内からの頼み事に応えることは、十分『蒼鈴への恩返し』になるだろう。


「その前にひとつ、お訊ねしても良いですか?」


 曖昧ながらも青年の提案に是と答えた浚明は、問うには少々遅かったとも言える質問を口にした。


「貴方様のことは、何とお呼びすれば?」


『蒼鈴の兄なのか』という問いに『今はそういうことにしておこう』と答えたということは、青年は正確に言うと蒼鈴の兄ではないのだろう。だが青年は己の素性について浚明に詳しく説明しようという素振りを見せない。


 ならばどのように扱えばよいのか、という内容を言外に含んだ問いだった。その意味を汲み取ることができたのか否か、青年は一度キョトリと目を瞬かせてから一瞬だけ気まずそうに宙へ視線を流す。


 だがそんな時間は長くは続かなかった。


「……旺供おうきょう


 ポツリと呟いた青年は、再び浚明を見据えると、その響きを確かめるように今度は強くその名を口にした。


「旺供、と、呼んでくれ」

うけたまわりました」


 ──有名な書家の名前と同じだが……


 青年が口にした名前から浚明がとっさに連想したのは、玻麗で最も高名と言っても良い、百年ほど前に活躍した書家の名前だった。


 はく旺供。


 『書聖』と称される彼の作品は、この玻麗王宮の宝物庫にも数多所蔵されている。同じ『書』を領分とする存在ものとして、『古今東西奇書凡書の収蔵』を目的としている玻麗書庫室と縁があるとも言える名前だ。


 ──偽名なのか、本名なのか、微妙なところだな。


 この流れからしてほぼ偽名だろう、というのが浚明の直感だ。しかしそこをツッコむほど、浚明も空気が読めないわけではない。


「それで、旺供殿が言う『探し物』とは?」

「ああ」


 サラリと流した浚明が話の続きを促すと、青年……旺供の瞳がスッと温度を下げた。


「行方不明になった書を、ともに探してくれないだろうか」

「書?」

「ああ。実を言うと瑶珪と蒼鈴が出払っているのも、その書の捜索のためなんだが」


 身を翻した旺供は、書架の森の中を進みながら、肩越しに振り返って浚明に言葉を投げる。


「『四季感嘆詩』という書を、浚明殿は御存知だろうか?」

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