「……と、いう形に落ち着いたそうです」


 瑶珪ようけいは話を締めくくると、母譲りと言われる顔にそっと苦笑を載せた。


「我が娘ながら、毎度解決が拳頼みなのは、どうなんでしょうかね」

薔薇そうび殿でん様をそのまま放置しておくわけにはいかねぇだろ。どこで保護したんだ」


 そんな瑶珪にチラリと視線を投げたその人は、そっけなく返している間も外出用の装束を剥ぎ取る手を休めようとはしない。どこか恐々としていながらもくようなその仕草からは、当人が装束を早く脱ぎ去りたくて仕方がないと痛切に願っている内心が透けて見えている。


「ひとまず絽棗ろそう殿でんに連れていって保護を願ったそうです。本人の力量とやる気次第では書庫室への引き抜きを検討したいとも言ってましたけども」


 そこまで口にして言葉を切ると、一瞬だけ相手は装束を剥ぎ取る手を止めた。再びチラリと流された視線から察するに、反対するつもりはないのだろう。


 ついでにその視線の中に『そうなったら諸々お前が手配しろ』という指示もあると汲み取った瑶珪は、何も言うことなく軽く肩をすくめる。フスーッと漏れた呼気の音だけで、相手には『やれやれ、仕方がないですねぇ』という内心は伝わっているはずだ。


 同時に意識を切り替えた瑶珪は、わずかに声音を落とすと話の矛先を変えた。


「まだ黒幕がいますね」


 瑶珪は薔薇殿灑珠れいじゅから直に話を聞いたわけではない。取り急ぎの差配をして後宮から引き上げてきた蒼鈴そうりんから報告を受けただけだ。


 だがそれでも、事態がいまだに解決されていないことだけは分かる。


『時系列順に並べると、おかしいのです』


 今目の前にしている人と同じような雰囲気を醸しながら、だが目の前にいる人よりも豪快に装束を脱ぎ捨てていた瑶珪の末娘は、張り詰めた表情のまま口にしていた。


『灑珠様へ創作の指示を出す書面は、先の一件で御寿頭みすず李潤りじゅん神祇部じんぎぶ尚書しょうしょが捕縛された後も届いていたそうです』


 灑珠が後宮で書き上げた作品は『淡夢たんむ双妃そうひでん』だけではなかった。過去に二作、さらに現在も執筆を強要されており、そのいずれも同じ筆跡の書面による指示の通りに話を作っていたという。


 最後の書面が渡されたのは、三日ほど前。


 現在御寿頭李潤、沙潤さじゅん親子は自邸にて蟄居を命じられている。厳しい監視の目をかいくぐって後宮まで指示書を届けることができる状況ではない。何より先のたくらみを白日の下にさらされた御寿頭は、これ以上不審な動きを取れば最悪家ごと潰される。いかに暴虐を極めた御寿頭であろうとも、その危機的状況を理解できていないとは思えない。


 つまり、薔薇殿ぐるみでの灑珠監禁には、御寿頭に共犯者がいる。


 ──あるいは、御寿頭を実行犯として使うことができる真犯人。


『さて、どこの黒幕だろうか』と、瑶珪は己が把握している情報を思い起こす。


 そんな瑶珪の視線の先では、装束を脱ぎ捨て終わった相手が普段着に袖を通していた。


 いつでも厳しい表情をしているその人は、黙々と着替えている間もその表情を崩そうとはしない。肩につかない長さで適当に切られた赤銅色の髪がサラリとこぼれかかって、その横顔を時折瑶珪の視線から遮っていた。それでも蝋燭の灯りを弾く赤銅色の瞳が、ずっと何かを思案していることを瑶珪は知っている。


 ──私も、この色を受け継ぎたかったなぁ。


 この国では珍しい色合いを引き継いだのは、三兄弟の中で次兄だけだった。この人を象徴する色彩と才能、その両方を持って生まれてきた次兄をうらやんだことがないと言えば嘘になる。


 ──ま、でも根っこの部分で一番似ているのは、間違いなくだとも思ってるけどね。



 そんなことを頭の片隅で思いながら、瑶珪はさらに話題を変えた。


「そういえば、珍しいですね。そんなにきっちり青揃えを着込んで、こんなに遅い時間まで外出とは」


『何かあったのですか?』と、瑶珪は言外に問いかけた。


 時刻はすでに夜半を回っている。『直接大師に報告がしたい』と粘っていた蒼鈴は、努力も虚しく途中で寝落ちてしまった。瑶珪は蒼鈴から『装束一式を返還するために一度胡吊祇うつりぎ本邸に顔を出します』と連絡をもらっていたから、自分が抱えている案件の報告も兼ねて蒼鈴を迎えに顔を出したのだが、結局報告相手が不在にしていて泊まり込むことになってしまった。


ヨウ


 疲労の極地にあった末娘に夜更かしをさせることになった原因を責める気持ちが半分。


 諸方面で切り札と目されている人物の、予定になかった夜半の外出に不安を覚える気持ちが半分。


 それらの感情を柔和な笑みで押し隠した未榻瑶珪書庫長に、その人は前置きもなく端的に言い放った。


絽杏洞ろきょうとうにあった『四季感嘆詩』が姿を消したらしい」

「っ!?」


 予想もしていなかった言葉に驚愕を押し隠すことができず、呼吸が引きる。仮にこんな反応を蒼鈴が瑶珪に見せたら、瑶珪は『まだまだ修行が足りないね』と蒼鈴に笑みかけたことだろう。


 だがそれでも、その名前と起きた出来事に声を我慢できた自分を褒めたいくらいだと瑶珪は思う。


 それくらいに、名が挙げられた書には『宮廷書庫室』が黙っていられないいわくがある。


「だが最大の問題はそれじゃない。それを隠れみのにもうひとつ、マズい物が姿を消した」


 だが誰よりも『四季感嘆詩』への思い入れが強いはずである人物は、あっさりとそれを『些事』だと切って捨てた。


 常ならばあり得ない物言いに瑶珪が目を剥くと、その人は静かに瑶珪を見据える。


「当代皇帝が皇太子であった時代の、後宮業務録が紛失しているという報告があった」

「なっ……!?」

「宝物管理官と殿中省でんちゅうしょう、ついでに内侍省ないじしょうまでもが『四季感嘆詩』の紛失に泡を食ってドタバタしていた間にやられたらしい」


 淡々と、それでいて深々と。そうでありながら雷鳴を連想させる声で、その人は告げた。


「どうやらやつら、死人を蘇らせたいようだな」


 混乱に意識を焼かれながらも、どこかで冷静に思考は回り続けている。


 瑶珪は片手で口元を押さえながら、こぼされた言葉を吟味した。


「つまり、御寿頭の後ろにいた黒幕というのは」

「こんな突拍子もねぇことをできんのは、もうしかいねぇだろうがよ」


 キュッ、と帯を締め終わったその人は、カツンッとかかとを鳴らしながら瑶珪を振り返った。


 その眼光の鋭さから『苛烈な』と評される赤銅色の瞳が、正面から瑶珪を睨み据える。たったそれだけで、瑶珪のみならず世界までもがビッと背筋を正したような気がした。


「あいつらは人道にもとることに手を染めた。それのみならず、『未榻』の領域に手を出した。世事の徒然つれづれになんぞこれっぽっちも興味はねぇが、俺達の領分に手ェ出そうってんなら話は別だ」


 低く厳しい声に、瑶珪は反射的に礼を取る。やろうと思えば宮廷の全てを手玉に取れる瑶珪が、目の前で醸される圧にたたただ無条件で屈伏させられる。


「あの馬鹿は、俺が直々にシバく」


 己の父であり、師であり、上司であった人。


『生ける伝説』と呼ばれ、公私ともに数々の逸話を打ち立てた人。


『未榻』の祖にして、『宮廷書庫室中興の祖』


「未榻甜珪書庫大師の御心のままに」


 その人に、瑶珪は深くこうべを垂れた。

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