ひとりじゃなかった
文月みつか
ひとりじゃなかった
怖い話というほどのものではないのですが。
昔、夏休みに祖母の家に帰省したときの話です。
祖母の家は田舎の端っこ、山の中と言っていいような場所にありました。元大工だったという祖父が建てた小さな家で、祖母はそこにひとりで暮らしていました。寂しいところでしたから、私たちが訪れると祖母はとても喜びました。
住むには不便なところでしたが、余暇に遊びに行くぶんには楽しいところでした。草刈りが行き届かず雑草が生い茂っている庭や畑も、住居と別に造ったため風呂場やトイレに入るには一度外に出る必要があるところでさえも、非日常的で特別感がありました。
しかし、夜にトイレに行きたくなったときだけは厄介でした。真っ暗な外へ、ひとりで出なければならなかったからです。
その日、私は少し怖いのを我慢してひとりで用を足しに外へ出ました。たしか9歳ぐらいでした。寝小便をするには恥ずかしい年頃です。
素早く用事を済ませ寝床に戻ろうとしたのですが、ふと散歩でもしてみるかという気になりました。一難去ったことで気が大きくなっていたのかもしれません。
私は山道に出ました。
外灯などほとんどありませんでしたが、月が明るくて自分の影が見えるほどでした。
虫や蛙がそこら中で鳴いていました。
しばらく歩くと水の流れる音が聞こえて、私はそちらに足を向けました。
舗装された道路のわきの、ちょっとした草原。池というには小さい水たまりがあって、土が剥き出しになっている山の斜面からちょろちょろと水が注いでいました。
好奇心にかられ、私は水たまりに近づきました。
のぞきこんでみると、月と私の影が映りこんでいました。それから、もう一つ影が映っていました。
あれっと思って後ろを振り返ってみても、誰もいません。再び水面を見ると、たしかに誰か、それも大人ぐらいある大きめの影が私の隣にいるのです。
私は影に向かって手を振りました。すると、影も少し遅れて手を振りました。
不思議と怖さはありませんでした。未知の友人に出会ったような気分です。
影どうしでじゃんけんをしてみたり、ハイタッチをしてみたり。意思疎通ができる相手でした。影はしゃべることはできないようで、しきりに何かジェスチャーで伝えようとしていました。頭の上に両手で三角形を作り、矢印のようなシルエット。それから、トントンと何かをたたくような動作。影は繰り返し同じ動きをしましたが、私にはそれが何を表すのかよくわかりませんでした。
そのとき、ふいに遠くから私の名前を呼ぶ声が聞こえ、私は驚いて小さく飛び上がりました。声は繰り返し何度も私を呼びます。冷静になって聞くと、それは私の父の声だとわかりました。私が布団から抜け出したまま戻ってこないことに気がつき、心配して探しに来たようです。間もなく懐中電灯のまぶしい光とともに父が現れました。
こんな時間に何をしているんだと、父は私を叱りました。私は水たまりを指さし、そこに誰かがいると訴えました。父は懐中電灯で水面を照らしましたが、特に変わった様子はなかったようで、もう遅いのだから早く戻ろうと私の手を引きました。父の手は少し冷たく、私の手をしっかりとつかんでいました。口調からは怒っているように感じたのですが、心の内では私が見つかって安堵していたようです。私はもう一度影にさよならと手を振りたいのをあきらめ、父とあの小さな家に戻りました。
これで私の不思議な体験の話は終わりです。特に後日談などはありません。
しかし、あの影の正体についていろいろと想像することはありました。私にはどうしてもあの影が悪いものには思えなかったのです。むしろ、友好的に感じていました。
水面に映ったとき、しきりに影がジェスチャーで伝えようとしていたことはなんだったのか。三角の矢印のようなシルエットと、何かを打ちつけるような動作。
もしかしてあの影は、祖父だったのではないか?
そう閃いたとき、私は妙に納得しました。
三角のシルエットは矢印ではなく、屋根のついた家で、それをトントンと叩いて釘を打ちつける大工さんを表わしていたのではないか。つまり、祖母が暮らしているあの小さな家を建てた人物、祖父のことを示していたのではないかと。
きっと祖父は、幼い私が夜中にひとりで遠くへ行ってしまわないように、あの水辺で足止めをしてくれたのです。
私はひとりで夜の冒険をしていたわけではありませんでした。そしてきっと祖母も。あの家にひとり寂しく暮らしていると思っていましたが、姿は見えずともそばには祖父がいたのでしょう。
真相はたしかめようがありませんが、もしもそうだったらいいなと、祖母が他界した今でも思います。
ひとりじゃなかった 文月みつか @natsu73
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