ある夏の日の思い出

ある夏の日の思い出

 あれは、私が小学生五年生の頃だったでしょうか。

 

 お盆といえば、父の実家である祖父母の家で過ごす事が毎年の恒例行事だった我が家。

 私は、あの家が苦手でした。


 山間の村としか言いようがない、三百六十度見回しても、山、山、山。

 青々として自然満ち溢れ、静かな良い場所ではあると思います。まあ、当時小学生だった私には、何も無いとしか思えない場所だったのですけれどね。

 

 古き良きと言えば聞こえは良いが、子供から見れば古臭い。キッチンは土間、お風呂は薪、しかもトイレはボットン便所ときた。

 面白がるなんて通り越して、うんざりしてはいたのですが、優しい祖父母の事は大好きだった為、行かないと言う選択肢だけはありませんでした。


 何も無いとは言っても、祖父母の家の裏には小川があり、タモを使って魚を乱獲し、徒歩一分もあれば、さらに深い山に入れるので木を蹴ってカブトムシを捕まえる。

 なんだかんだで、二つ下の弟を連れ回して楽しんでいたと思います。


 ただ、問題は夜。

 祖父母の家は昔ながらの平屋で、玄関と土間は梁がそのまま見える造りになっています。高い天井を見上げれば、灯りの届かないそこは、妙に薄暗く感じました。

 土間には豆電球が一個だけ。ほんのりとした橙色が小さく辺りを照らしますが、広い土間を照らすには物足りません。

 

 それの何が問題かと言えば、トイレと風呂へと行くには、一旦薄暗い土間を抜けなければならなかったと言う事なのです。


 もう本当にこれが嫌で嫌で、しかもその先のトイレもボットン便所と思うと本当に憂鬱でした。

 しかし、生理現象を抑える術はありません。

 仕方なく、「別にトイレに行きたく無い」と言う弟を無理やり引きずって、トイレの外で待たせるなんて事をよくやっていました。



 そして、その夏、祖父母の家に泊まる最後の日。

 最悪な事に、私は夜中にトイレに行きたくなってしまいました。

 真っ暗な部屋の中、右隣で寝ていた母を起こそうと揺らしますが、全く目を覚ましてはくれません。

 左隣は弟で、弟を跨いでもう一つ隣で眠っている父を起こそうとしましたが、矢張り起きません。


 こうなったらと、私は弟を頼りました。弟は怖いと言う感覚が薄いのか強がっているのか、「姉ちゃんは怖がりだな」と言って、何だかんだで着いてきてくれるのです。


「ねえ、起きて」


 少し弟をゆすってみると、うーんと唸って目を擦っていました。


「ごめん、トイレ行きたいの」

「……ええぇ」


 顔は暗くて見えませんが、きっととんでもなく嫌な顔をしていた事でしょう。それでも、もぞもぞ動いてゆっくりと起き上がりました。

 

「……姉ちゃん、上は見るなよ」


 その時、弟の言葉の意味は深く考えていませんでした。上、と言えば土間の事だろうとは思いましたが、私に見上げる度胸なんてどうせ無いですからね。


 二人で寝室を抜け出して、静まり返った居間を通り過ぎると、土間に辿り着きます。土間と居間の境目は1m程度の段差が有ります。居間の端っこに座って、誰のか分からない下履きを適当に履くと、私は弟の手を引っ張って足早に歩きました。


 そうしてトイレに辿り着くと、安堵の息を漏らして中に入りました。

 その間も弟文句言わずに待っていて、私がトイレから出てくると、手を繋いでくれました。なんだかんだ言って優しいし頼りになります。


 ですが、今度は弟が私の手を引っ張りました。あまりに急で驚きましたが、やっぱり弟も怖かったのだろうと少しばかり微笑ましく思えました。

 

 なんだかんだで余裕だな、と図太くも考えていた時、丁度、土間の真ん中辺りだったでしょうか。


 ギギィ――と、木が軋む音が頭上から響きました。一回だけなら、ただの家鳴りで済ますでしょう。ですが、


 ギギ、ギギィ、ギギ、ギギィ――一定間隔で音が続くのです。

 まるで梁に重みがかかっているような……。

 私達の足は止まっていました。さっさと通り抜けるだけ、ですが、足が思うように動かないのです。

 私は思わず弟の名前を呼ぼうとしましたが、弟が私の口を塞ぎました。私の眼前で指立て、静かにと小さく言いました。


 弟の手を握る力が強くなり、ゆっくりとですが動き始めました。

 音は続いたままです。私達は、ゆっくり、ゆっくりと歩きました。そして、なんとか居間に辿りつくと、緊張からか下履きを足に引っ掛けて落としてしまったのです。


 トスン――と小さな音ではあったと思います。でも、音が鳴った瞬間に、それまで鳴っていた木が軋む音が消えたのです。


 ぐちゃ――


 何かが落ちた……いや、潰れた?水音が混じった、何かが、暗闇の中でもぞもぞと蠢いている。

 私は、何故だか目が離せなくなっていました。怖くて、居間側に腰掛け、足を土間に放り出したまま怖くて震えながら固まっていたのです。


 ズズッ、ズズッ――と、何かがもがいている……いや、近づいていたのでしょうか。

 そして、投げ出されていた私の右脚に、冷やりと何かが触れた。


「ひっ……」


 ガタガタと口が震え思う様に声は出ません。私は必死で後ろに下がろうと手に力を入れようとした時、手を再び掴まれ引っ張られました。


「姉ちゃん!」


 私は弟に引っ張られ立ち上がると、二人で寝室に逃げ込み、そのまま襖を閉め二人でタオルケットに丸まりました。


 その時には、もう何も音はしていなかったと思います。それでも恐怖は続き、弟に手を握って貰わねば目を瞑るのも怖かったのをよく覚えています。


 その後、知らない間に眠っていたのか、気づけば朝でした。

 あれ程、安堵した朝日なかったと思います。


 居間へ行くと、弟が土間で梁の部分を見上げていました。

 私も釣られて見上げますが、何となく寒々とした空間があるだけです。


「ねえ、あそこに何がいたの?」

「ぐちゃぐちゃの……」


 そこまで言いかけて、弟はやっぱやめたと口を閉ざしました。


 

 祖父母が亡くなり、あの家が取り壊された今でも弟は何が見えたのか、教えてはくれません。

 弟にとっても忘れたい何かだったんだと思うようにしています。

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