雨よ降れ
柊
雨よ降れ
六月の雨は、幼かったあの日を思い出す。
紺色の雨合羽と紺色の長靴、そして学校用の黄色い傘。
ザアザアと雨が降る中、私は買ってもらったばかりの雨具を身につけて家の前の水たまりで遊んでいた。
家の周りは田んぼに囲まれ、人気は無い。代わりに蛙の大合唱で、私は思わず蛙の歌を口ずさむ。
その頃の私は小学校に上がったばかり。お祝いに叔母さんから雨具一式買い揃えてもらった事が嬉しくて仕方がない。雨よ降れとまで願って、念願の雨具を身につけ一人浮かれて遊んだのだ。
家の前の道路。アスファルトの轍にできた大きな大きな水溜り。
丁度、くるぶしまでズッポリと水に浸かるものだから、水を蹴ると盛大な水飛沫が舞い上がる。ビシャン、バシャン、と大袈裟に大股で歩いて飛沫を立てる。
それが意味もなく面白い。
しかし、三十分も遊べば飽きてくる。
何より、盛大な水飛沫のせいで、長靴は中までビシャビシャだった。
最後の一回、ともう一度右足を大きく上げて、バシャン――と水飛沫をあげると、私は満足して水溜まりを抜け出した。
一歩進む度に長靴の中に入り込んだ水が、中の素材に染み込み、更には濡れた靴下と混ざりあって、ぐちゃぐちゃ、ぐちゅぐちゅと音を立てる。
まあ、それも面白い。いつもと違う音、違う感触が楽しいのだ。
気分良く、私が家に入ろうとした、その時。
ゲコゲコ――
雨蛙が一匹、私の前に現れた。
玄関の軒下の前で、私をじいっと見つめている。
私は、珍しくもない緑のお客を真似して、敷地の塀から玄関まで続いている石模様のタイルを飛石の要領で、ぴょんぴょんと飛んでいく。
最後の一個を飛び越して、大きくジャンプ!
蛙の隣に着地すると、私は得意げな顔で緑のお客の顔を覗き込んだ。
蛙は何も言わない、何を考えているとも分からない四角い目で、私をじいっと見つめるだけ。
雨宿りだろうか、私は傘を閉じて蛙を横目に玄関を開けた。
玄関を開けるとガラガラ――と、引き戸の音が家に響く。その音を聞きつけたのか、慌てて玄関までかけてくる音がする。
「しおり待って!」
バスタオルを抱えた、母だ。上らないで!と私を静止する為に慌てている。それもそうだ、私の足はぐちゅぐちゅと小さく呻き声をあげたままなのだ。
「まず外で……」
と、言いかけて母は固まった。
ゲコッ――
いつの間にか、開いたままの玄関からぴょんぴょんと飛び跳ねるお客が入り込んだのだ。
「き……きゃあああぁぁぁ!!!」
母は蛙が大嫌いだった。
仕方がない私が捕まえなければ、と蛙に手を伸ばすも、ヒョイ、ヒョイと逃げられる。そうしているうちに、蛙は上り
その時の母の様子と言ったら、驚き、後退り、青ざめて、忙しい事この上ない。足が上手く上がらないが、逃げようとはしている。なんとか足を上げて、一歩後ろへと下がった丁度その時。
移動した蛙と母の足が丁度重なっていた。
ぐちゃり――
そう大きな音ではないが、私の耳にもはっきりと聞こえた潰れる音に、私は思わず口をへの字に曲げる。
「うわぁ」
私は母の足を見て思わずその感触が自分の事の様に、ゾゾゾっと伝わる。
母は、素足だった。
母の足の下、哀れ蛙の姿はきっと……まあ、そこは言うまでもないだろう。
雨よ降れ 柊 @Hi-ragi_000
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