丸めて捨てただけなら良かった

陽澄すずめ

丸めて捨てただけなら良かった

『次はもっと頑張れよ』


 お父さんの言葉が、ぐるぐる頭の中を回っている。

 誰もいない公園で、僕は一人ブランコに腰かけて、ただひたすらぼうっとしていた。

 一緒に持ち出してきた、筒の形に丸めた画用紙を、少し広げてはまた閉じる。


 僕の絵が市民展で銀賞を獲った。

 そのことを、先生も友達も褒めてくれた。

 絵を描くのは好きだった。この絵は、本当に丁寧に描いた。空の色の重なり方とか、影の濃さとか、自分なりに工夫した。ちょうど今みたいな夕焼け空だ。

 銀賞という結果には、正直ちょっと悔しさもあったけど、賞をもらえて嬉しかった。

 もっと頑張ろうと思った。


 だけど。


『次はもっと頑張れよ』


 お父さんは僕の絵も見ず、銀賞ということだけを聞いて、そう言った。

 テストで九十五点を取った時のように叱られはしなかったけど、褒めてくれることもなかった。

 その途端、膨らんでいた気持ちがすっかりしぼんでしまったんだ。


 分かっている。もうすぐ中学受験だから、絵のことなんかどうでもいいんだって。

 僕がテストで百点を取り続けてさえいれば、お父さんは何も言わない。

 だから、絵のことなんか——


「あっ、やっぱり! ねぇ、何してるの?」


 声をかけられて顔を上げると、同じクラスの佐藤さんが目の前にいた。


「私、ピアノ教室の帰りで。通りがかったら、ブランコに乗ってる後ろ姿が見えたから。こんなとこで一人で、どうしたの?」

「……別に」

「その手に持ってるやつ何?」

「いいだろ、何でもないよ」

「ちょっと見せてよ」

「何でもないって言ってるだろ」


 僕は画用紙をぐちゃぐちゃに丸めて、ブランコの横にあった屑かごに投げ捨てた。


「うそっ、何してるのっ」


 佐藤さんは屑かごからそれを拾い上げると、止める間もなく広げた。


「あ、この絵! 銀賞だったやつだよね? どうして捨てたの?」


 うるさいな。

 僕はだんまりを決め込んだ。


「でも良かった。しわを伸ばせば、ちゃんとまっすぐになるよ。この絵、すごいよね。どうやったらこんなふうに描けるの?」


 佐藤さんの声が、きんきんと耳に突き刺さる。


「やっぱり努力してる人は違うなぁ。何日も居残りして、すっごく丁寧に描いてたよね」

「……なんで、そのこと知ってるの」

「えっ? あ、あのね、いつも見てたから……一生懸命に描いてるとこ……」


 えへへ、と恥ずかしそうに佐藤さんは笑う。


「私、好きだなぁ、この絵。夕焼けの空の色とか、本当に綺麗だもん」


 その瞬間、カッと頭に血が上った。


「返せよ!」


 僕は佐藤さんから画用紙をひったくり、縁に手をかけて、一気に引き裂いた。

 びりびりと大きな音を立てて、絵は真っ二つになる。


「あっ!」

「こんなもの!」


 半分、さらにもう半分。細切れに千切ったところで、強い風が吹いた。

 僕の絵だったものは、あっという間に飛ばされて、沈んでいく太陽の向こうへ消えてしまった。


 佐藤さんは、真っ赤な顔して僕を睨み付ける。


「な、なんで……なんでそんなことするの?」

「うるさい。もうほっとけよ」

「ひどいよ、こんなの……ひどい……」


 その見開いた目から、大粒の涙がぽろりとこぼれる。


 僕は居ても立っても居られなくなって、その場から逃げ出した。



 自分の部屋に駆け込んで、枕に顔を埋める。

 頭の中が、胸の中が、ぐちゃぐちゃだった。


『やっぱり努力してる人は違うなぁ』


 そんな言葉いらない。


『いつも見てたから……一生懸命に描いてるとこ……』


 お前じゃない。


『私、好きだなぁ、この絵』


 うるさい。うるさい。うるさい。

 何も知らないくせに。


 でも。


『しわを伸ばせば、ちゃんとまっすぐになるよ』


 無理だよ。


『次はもっと頑張れよ』


 もう、無理だ。


 窓の外はもうすっかり暗い。

 だけど、夕焼け空へ散り散りに飛んでいく紙切れと、赤く染まった佐藤さんの泣き顔が、いつまで経っても目に焼き付いていた。



—了—

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

丸めて捨てただけなら良かった 陽澄すずめ @cool_apple_moon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説