ぼくの中の静かなパーペトレター

高秀恵子

         ⁂

 その老人は火のついた煙草を右手に持ち、もう一方の手にはコンビニのレジ袋を握っている。白いコンビニの袋には派手な色取りの、裸の女の絵の表紙が透けて見える。明輝くんが市立図書館へ向かう途中の公園の前ですれ違った男性の老人である。

(あっ、家のぃじと同じだな)

 明輝くんは小さな怒りを感じてその老人の後ろ姿を睨みつけた後、心の中でチッと舌を打った。

 煙草を持ったまま街や公園を歩くのは県の条例に反しているし、煙草から流れる副流煙は病気の原因になるし、プラごみを削減する今の時代にマイバッグを持たないのも、これ見よがしに不道徳な中身を見せびらかすのも、ついでに新型コロナの流行が未だ収束していないのにマスクをしないのも、全部全部が、明輝くんの持つ倫理観に反している。

(ああいうのがパーペトレターだな)

 パーペトレター。perpetrator。

実行者。ようするに歩く人間地雷。

 いけない、いけない、また怒ってしまったなと、明輝くんは反省する。爺ぃじごときに怒りの気持ちを生み出すのは不生産だと考え直す。それより自分は今日から毎週土曜日は、図書館内にあるカフェレストランでアルバイトをするのだ。

ぼくは勤労少年なのだ、と明輝くんは思う。

 明輝くんは今春から高校1年生になった。

図書館の仕事は高校から紹介された。明輝くんの通う県立東高校では生徒のアルバイトは原則禁止だったが、ここ数年前から学校の推薦する職場でのバイトが可能になった。年末の郵便局での年賀状の整理や、学校がここぞと見込んだ高校生可のバイト先が紹介される。

近年の東高生ひがこうせいは、保護者の収入不安定のためか、夏休み冬休みを含めて概ね70%の生徒が、何だかのアルバイトを体験しているという。

入学早々、明輝くんは市立図書館のカフェレトランのアルバイトに応募した。図書館のカフェレストランは平日は客が食券を自動販売機で買い、食事の配膳下膳はセルフサービスになっている。しかし土・日は子どもを連れた保護者が大勢図書館にやって来る。図書館側も紙芝居や絵本の読み合わせや、簡単な理科実験などのイベントを行ない、ときには映画も上映される。そのため土・日のカフェレストランにはメニューに「お子さまセット」が加わり、広い室内は満員になる。小さな子どもは自分で下膳などもできないのでアルバイト学生が必要だと、バイト先から説明があった。

 バイト採用の面接は市立図書館ではなく、何と高校で行われた。カフェレストラン側の面接官は女性だった。

「毎週土曜日か日曜日に必ず出勤しなければなりません。定期試験の時も休みは取れません」

 カフェレストランの常勤スタッフが説明をした。高校側も明輝くんの入試時の成績などを見て、承諾してくれた。毎週土曜日が、明輝くんのバイトの日に決まった。

 明輝くんがまだ小さな子どもだった頃、両親は共に市内の中堅ホテル勤めだったため、保育園から土・日の図書館に行った。カフェレストランでお子さまセットは食べられなかったものの、ジュースやソフトクリームなどを味わったこともある。時には父方祖父、すなわちしまの爺ぃじに図書館に連れられて、いろいろ美味しいものを食べた記憶もある。そんな思い出のある自分が市立図書館のカフェレストランでバイトをするなんて。

(でも家の爺ぃじと図書館へ行ったこともなかったな)

 家の爺ぃじ、つまり母方祖父の柿本昭平は不愛想だ。若い頃から勤めていた大病院を退職し、明輝くんが物心ついた頃には、親族が営む、障子紙ふすま紙壁紙網戸の製造と張替を業とする株式会社KAKIMOTOで、工員としてバイトをしていた。親族が経営する会社に勤めるのに役職には就かせてもらえず、ベトナム人留学生のバイトと共に、工場の雑用や力仕事をやっていた。 

母方爺ぃじはやがて、あろうことにベトナム人留学生バイトを殴ったかどで数年前に解雇に近い自主退職をした。

 そんな爺ぃじも明輝くんと同じ歳の頃は、立派で真面目な高校生だったらしい。爺ぃじは高卒で大病院の事務員として就職したが、爺ぃじの出身高校はなんと二高、県下で2番の頭のいい高校、すなわち進学校であった。高校進学率が約70%、大学進学率は短大を含め28%の時代であった。戦後のいわゆるベビーブーム世代で新制高校や新制大学の設立が追いつかず、「灰色の受験生活」を送った世代だと聞く。

 爺ぃじは高校時代、制服である濃紺の上下のスーツに同じく濃紺のネクタイを絞めて革製生鞄を持って、その頃は市内を走っていた国鉄のディーゼル機関車に乗って、朝早くから通学していた。あの子は二高生な、と近所の人々から尊敬のまなざしを受けていたらしい。だが大学進学は、高まる学生運動から「大学へ行くとアカになる」という理由で家族親族に止められた。保守的な田舎であった。

 爺ぃじは明輝くんの高校進学先が市内にある県立東高だと知ったとき、

「あそこは昔は農業高校だったな。旧農高か」 

 と軽蔑するように言った。二高と東高なら偏差値では二高は65、東高は59と、差は歴然としている。明輝くんの第一志望校は二高だったのに不合格となり、第二志望の東高に通うことになったのは悔しくて心苦しい。

爺ぃじに負けてしまったのだ。

一時は両親も困ってしまうほど、この入試結果に心を荒らしていた明輝くんであった。

 幸い明輝くんのぉともぁかも東高ひがこう出身だ。さらには2つ年上のぇねまで、東高に通っている。それどころか小学生時代の明輝くんは、年に1度の東高の文化祭の常連だった。

県内では東高はどう思われているのか分からないが、少なくともこの街、この市内では唯一の公立高校だし、入学者は今の東高の方針で全員大学へ行くことになっている。地元市民には「頭のいい子が行く高校な」と思われている。爺ぃじは、どこぞの私立大学の夜学か通信部で学歴を得たらしいが、明輝くんの頑張り次第で爺ぃじ以上の「いい大学」に進学できる可能性は非常に高い。

爺ぃじに負けてたまるか。     

明輝くんの強い思いである。


 明輝くんは、バイトの帰りの図書館近くのバス停で、また怒りの種を見つけてしまった。

 それはレターパック程の大きさの封筒で、大きな文字で「これは無料のDVDではありません」と書いてある。周囲の人々は遠巻きにしてそのDVDらしきものを見ていた。

 明輝くんには、その包みのことを知っていた。なんと自宅に同じものを見つけたことがある。持ち込んだのは爺ぃじであった。

「これは無料のDVDではありませんと書いてあるけど、何なん?」

 と爺ぃじは真面目顔で尋ねる。明輝くんがその封筒の裏側を見ると、露出の多い水着を纏ったふくよかな女性の写真があり、「……嬢引退記念 この包みをご持参下されば今なら格安で、この嬢とうっふ~ん♡できます」と書いてあった。嬢の名前は忘れた。明輝くんは15歳になっていたので大まかなことは理解出来た。

 明輝くんはそのDVDらしきものごと、その封筒を握りつぶした。

「何するな? 潰せとは言うていないな」

爺ぃじはいう。

「こんな不潔なもの、家に持ち込むな! いつかみたいに包丁を見舞ってやろうか、爺ぃじのくせに!」

「年寄りだから分からないから聞いたな」

 その後、明輝くんと爺ぃじは大声で喧嘩をした。そこへ父ぉとが帰って来た。

 父ぉとは、壊れた現物と双方の一方的言い分を聞いて事態を理解できたようだ。

「明輝さんは自分の部屋に行きな。お義父さま、話があります」

 父ぉとは明輝くんの味方をしてくれたようだ。

 明輝くんが階段で父ぉとと爺ぃじのやり取りを聴いていた。

爺ぃじは日本の少子化予防のためにも、そろそろ坊(ぼ)ぅぼに性教育をしたほうがいいと言い訳をする。

「男の子は15歳になったら遊郭で筆おろしをしたなんて、お義父さまの時代の話ではないでしょ」

 父ぉとはそう言う。

 いい気味だと、明輝くんは思う。爺ぃじの年代の者は日本の少子化を憂えるが、その子どものうち7人に1人が相対的貧困にあることを考えない。勝手に責任を持たず性交をし、シングルマザーの貧困の子どもが生まれる。

 ああいうDVDは女性の性の商品化だ。

 現代の学校の倫理教育を受けた明輝くんはそう思う。

 まもなく階下の声は終わり、やがて爺ぃじが外で煙草を吸う臭いがして来た。

 明輝くんは思い出したように、漢方薬の「抑散肝」を飲んだ。


 さて今、目の前にある「これは無料のDVDではありません」をどうすべきか、明輝くんは悩んだ。そのままにして置くのはよくない。しかし自分がそのDVDらしきものに手を伸ばせば周囲の人達は誤解する。

 結局、明輝くんはDVDらしきものが入ったその封筒を放置した。

 そして明輝くんは、自分は爺ぃじに叶わないと感じた。


                   ⁂


「三島由紀夫先生は素晴らしい!」

 東高の登山同好会で知り合った、ゆきおかたけくんはいつもそう言う。行岡くんが明輝くんと友達になりたがったのは、明輝くんの苗字の読みが「ミシマ」のせいもあるだろうと明輝くんは考えている。

「三島先生の本名は平岡ひらおかきみたけなんだよ。僕の名前に似ているだろ? やばいよ。いい感じ。なんか神秘的な縁を感じるじゃん」

 明輝くんは標準語を駆使する行岡くんがまぶしく思えるが、それ以上に『心から敬愛する人』を持っているのが羨ましい。明輝くんは勤勉な両親に少しだけ敬意を持っている。しかし恋にも似た、熱く焦がれ憧れる、青春期特有の人物を持っていない。片思いの女の子もいない。  

 今、話をしている行岡くんは学力も体力もハイスペック生徒だが、所詮は東高の同級生、たかが知れている。行岡くんは三島由紀夫博物館やゆかりの出版社にファンレターを定期的に送るほどの三島由紀夫ファンだ。三島由紀夫は東大出身で大蔵省の官僚でもある。凄い奴だと明輝くんの胸中にもあるが、最期は右翼思想を抱き、割腹自殺をしたことも知っている。というのは三島由紀夫事件の翌々日、1970年11月27日金曜日は友引の日で、街の有力者のご子息の結婚式があった。出席者達は祝辞を述べる傍ら、三島事件の話題で持ち切りになってしまったのだと親戚から聞いた。小さな市の狭い世間の中、出席者に正に「実縞」姓の人が居た。

「実縞さんには僕にとっての三島由紀夫先生のような人はいるの? それとも片思いの女の子とか」

 部活坂と仇名される通学路の歩道で、行岡くんは質問をした。部活坂は2人が在籍する登山同好会の練習場でもある。錘を入れたリュックサックを担いでひたすら部活坂を歩く。

「女の子なぁ……特に気になる女の子もいないよ」

 好きな女の子がいないのが、明輝くんの悩みの1つだ。中学時代に同級生で美少女と目される女の子は若干いた。しかし明輝くんはその女の子達が大きな口を開けて欠伸をする姿をみたら、幻滅し気持ちが冷めた。

 中学時代のことだった。その頃、野球部に明輝くんは在籍していた。ある時、部活時間のさなかに資料を取りに行くよう上級生に命じられ、図書室に行った。そこで明輝くんは目撃した。同学年の女子生徒が、図書室前の階段に座り込んでアイスキャンディーを食べていた。

 中学校ではお菓子の持ち込みが禁止で、階段に座り込むこともマナーに反している。育ち盛りで小腹が空いた生徒は、保健室で売られているカロリーメイトやポカリスウェットを購入して保健室で飲み食いする決まりになっている。女子生徒が食べていたアイスキャンディーは、学校近くの酒屋で買ったのだろう。酒屋では酒だけでなく、つまみになりそうなお菓子や缶詰、さらには子ども目当ての駄菓子まで売っている。

 明輝くんは、その女子生徒を睨みつけ顔をしかめた。女子生徒は明輝くんの蔑視の表情に気付かずで、アイスキャンディーの棒をぺろぺろと舐めていた。

 告げ口をするような明輝くんではないが、数日後に困ったことになった。なんと同じ野球部の男子生徒がそのキャンディー女子を好きなのだと言う。

「実縞さん、協力してくれよな」

 その同級生は必死の様相で明輝くんにキューピット役を頼んできた。

「ぼくはその女の子と口も聞いたこともないなぁ。同じ図書委員だけど」

 明輝くんは例の女子生徒の不良行為を友人に隠して、しかし仲介役を断った。友人はそれでも明輝くんに憧れの女子生徒の話を続けた。明輝くんの心の中に白けた心理が漂った。

 そのうち明輝くんの友人と件の少女とがカップルになって付き合い始めた。友人はその女子生徒と共にアイスキャンディーを嘗めたり、時には保健室で買ったカロリーメイトやポカリスウェットを飲み食いしたりと学校内で飲食デートをやり始めた。

 明輝くんは悲しくなった。自分にはそういう女子生徒、彼女と呼べる女子が居ないことではなく、ちょっとしたことで女子生徒に我慢できない心が我が事ながら憎かった。

 明輝くんは行岡くんにその話をしなかったが、友人が明輝くんの苗字に憧れていることに水を差したくなった。明輝くんは言った。

「ぼくの祖先はなぁ、貧農だったな。百姓仕事の傍ら織物や染料の仕事もしていて、実縞という苗字も染料の名前から取ったな」

 何でも梔子くちなしという黄色い染料の取れる植物が目立つ地域に住んでいたらしい。それを使って縞や格子や絣の、綿と屑繭の混織布を貧農達は作っていた。今は梔子の木はせいぜい庭木や街路樹として残っている。明輝くんの本籍地は実縞町の実縞家になっている。

「昔、ここの市内は天領だったな」

 標準語を話そうとしても方言が出てしまう。明輝くんは自己嫌悪を感じながら話を続けた。

 この市は天領であると同時に天井川が作った内陸の扇状地でもあった。あまり水田農耕向きの土地ではない。江戸時代は粟や芋を食いながら織布や障子紙やふすま紙を作り、それら産物は天領に年貢代わりに納めていた。

この地は県内の綿花栽培の北限地であり、ふすま紙の材料となる雁皮(がんぴ)という植物の生息東限地でもある。江戸時代は桑畑や楮畑と並んで綿花の畑があった。さらに蚊帳を作るために大麻の栽培も盛んだった。キセルで吸うための煙草も畑の輪作に加わっていた。

「大麻に煙草か! ここら辺りの農家は!」

 行岡くんは大いに驚いたが、史実だから仕方がない。明治以降は輸入綿と海外産の麻に押され、大麻と綿の栽培は行われなくなった。養蚕が国から奨励され、製糸工場ができた。綿花と屑繭から作った糸との混織の布地が織られ昔と同様、寝具や野良仕事用として好まれていた。障子紙やふすま紙作りも、農家の内職として盛んに行われていた。今は農地も減り、県の臨海部の工業地帯のベッドタウンに街は変貌した。

「この辺りの元からこの街に暮らしている人の苗字はほとんど、染色や機織りや紙作りに関係した苗字を名乗っているな。麻生とか藍野とか……ぼくの母方の苗字は柿本だけど、柿渋の染料を作っていたらしいな」

「でも凄いね。自分の祖先の話がすらすらと出来るなんて。僕は行岡の苗字の由来なんて知らないよ。喜美武という名前は、僕の婆さんの喜美江と爺さんの武夫から取った名前らしいけど」

 行岡くんは「沼田誠司」という泥臭い名前でインターネット上の小説サイトに自分の書いた短編小説や詩や短歌を載せている。どうして本名を使わないのか、謎だ。

「行岡くんはなぜ文芸部に入らなかったな」

 また方言が出てしまったと後悔しながら部活坂を歩く。

「ここの文芸部は実質は漫画研究会みたいなだからね。時たま短歌や川柳を作って県の総合文化祭に出しているだけ」

 放課後の自由な時間を読書や文芸制作に使わず、登山同好会で活動し、勉強とさらに小説書きをするのは大変じゃないかと、明輝くんは思う。しかし両立をしている行岡くんに、敬意めいた友情は抱いていない。

「三島由紀夫先生がボディビルをやっていたからさ。だから運動部。三島由紀夫先生はボクシングもやっていたよ」

 と、スマホの中の上半身裸の三島由紀夫のモノクロ写真を見せた。

「三島由紀夫先生だって、ワンダーフォーゲルに理解があったんじゃないかな? そういう記録はないけれど」

 一高や二高のような戦前からの伝統のある高校には、ワンダーフォーゲル部や登山部があり、インターハイの登山競技に参加している。が、東高はしていない。東高では公式競技に何だかの形で参加しているのは「部」、そうではないのは「同好会」と区別をしている。

「晴れた日の放課後には重い錘の入ったリュックを背負って部活坂を歩き、雨の日は天気図や地図の読み方を学習し、土曜日の午前は学校内で飯盒を使って旨いものを作り、日曜日はハイキングやピクニックをし、時には写真部や自然科学部と一緒に旅行をするのが、我々の登山同好会です」

 と、高校入学直後に貰った古いチラシにはそう書かれていた。夏休みはインターハイに出場する代わりに小旅行に行く。

「お父さんやお母さんは勉強にうるさいの?」

 行岡くんが尋ねる。

「父さんは一橋大学へ行くなって、言うんだ」

「どうして一橋大学が駄目なの? あっ、そうか!」

 行岡くんは納得したように言う。この地方の方言では語尾にやたら「な」が付く。「行くな」は「行け」という意味の強い命令形だ。

 明輝くんの父ぉとは、G-MARCH(注1)以下日東駒専(注2)以上の学歴を有している。


(注1) G-MARCH 学習院大学・明治大学・青山学院大学・立教大学・中央大学のこと (注2) 日東駒専 日本大学・東洋大学・駒澤大学・専修大学のこと


 それより明輝くんは地元の国公立大学の文系を目指している。地元の手堅い国公立大学に入り、地元の手堅い公務員になるか、地元の手堅い地方銀行や信用金庫に勤めたい。それが明輝くんの夢だ。夢というより自分に似合った等身大の行くべき道だと思う。都会の大学に憧れる気持ちもあるが、このコロナ禍の時代、首都圏の大学へ行くことほど不経済なことはないという感想を持った。物価は高い。バイト先は見つからない。その上授業はオンラインが多いとなると、大学へ行く意義が問われる。爺ぃじの時代は学園紛争が盛んだったので、家の者が大学進学を反対したが、今の世の中だって大学は機能していない。

 明輝くんは自分の理想とする進路が実現すれば、充分に爺ぃじに勝っていると思う。

「行岡さんは、どう?」

 明輝くんは聞いた。

「俺は防衛大学校」

「防大って体育の試験とかあるなん?」

 行岡くんによれば防大は人文社会専攻と理工専攻があり、入試科目数は私学と変わりがなく、小論文が重視される。学費は要らず、給与が貰える。全寮制で体育の授業が座学・実践とも4年間ある。

「僕は三島由紀夫先生の遺志を受け継いで、美しい日本を守りたいんだ」

 行岡くんは熱弁する。防衛大学校の入試―採用試験という―は、競争率が激しい。僕はこの東高で文武両道で合格を目指し、いつかは自衛隊で日本のために働きたい。

 行岡くんの話を聞いて、明輝くんは可笑しくなった。自衛隊は軍隊もどきだが、自然災害が多い日本で泥にまみれて救助活動し、時には鳥インフルエンザや豚熱病の始末までしなければならない。行岡くんの志は美しいが、自分はそんな仕事はやりたくない。

「あっ、駅が近づいたね。そろそろバイバイ」

 行岡くんはそう言った。4月の夜7時は辺りが薄暗くなる。明輝くんは40分ほどの徒歩で東高を通学していた。市内の中堅規模のホテルに勤める両親は、この時間になっても帰っていないことが多い。コロナ禍でホテルの仕事が全くない時期もあったが、今は細々と平常営業をやっている。


                   ⁂


 帰宅するとやはり両親共に帰宅していない。仕事ではなく経営者側との会議があるらしい。高3になる姉ぇねは明輝くんより先に帰宅していた。リビングでは爺ぃじが絨毯の上に直接寝転がっている。新型コロナがまだ終息していないのに爺ぃじは家の中ではマスクをしていない。

 明輝くんは冷蔵庫から母ぁかが前の晩に買ってきたホテルメイドの惣菜を温めてそれを夕食にした。明輝くんの母ぁかは働き者で、朝ご飯は炒り卵と肉そぼろやじゃこ魚の入ったおにぎりを前日の夜中に握り、ついでに豚汁も用意する。さらには高校には生徒食堂があるのに、早朝学習や早朝練習のある明輝くんのための弁当まで用意する。中身は市販のミートボールやソーセージにブロッコリーだの人参のグラッセなどが入っていて、時には焼いた塩鮭や塩鯖などが飯の上に置かれている。母ぁかは休みの日にはその日と、翌日の2日分の手作りの晩飯の料理さえする。母ぁかが充分な努力をしていることは分かるが、明輝くんはときに物足りなさを感じることもあった。

爺ぃじは寝転びながら

「よう火を通してから喰いな。火を通さな食中毒になるでな」

と、いつものことを言う。姉ぇねは爺ぃじにコロナを移さないかと配慮して自分の部屋で夕食を摂っている。

 電子レンジで惣菜を温め即席の味噌汁を作りながら、明輝くんは爺ぃじに味噌汁をぶっかけ、レンジで熱くなった惣菜を投げつけてやりたくなる。明輝くんは3年前の「あの事件」を思い出したからだ。


 そもそも事件が起こった遠因は、姉ぇねの不登校にあったのかもしれない。あるいは昔在った、ソ連という国がスプートニク号を打ち上げたせいかも知れぬ。

姉ぇねは中学生になってから不登校になった。理由はバレーボール部の先輩との軋轢にあった。

 姉ぇねは小学4年生からバレーの部活動を始めていた。父ぉとや母ぁかはほっとした。これで学童保育を卒業して、姉ぇねが自由で自主的な放課後が送れると思ったからだ。

 しかし事態は思わぬ方向に進む。姉ぇねの1つ上の先輩達に性格の悪いのが居て、姉ぇねをいじめた。小学校時代の姉ぇねは、よくあるスポーツものの漫画やアニメのヒロインになった気で健気に耐えた。しかし中学生になっていわゆる自我が目覚める年頃、姉ぇねはいじめに悩むようになった。

 地方の少人数の中学校のバレー部で、姉ぇねはまたそのあくどい先輩と同じになった。  

 姉ぇねは次第に保健室に閉じこもり、やがて学校にも行かなくなった。

 家にいることが多くなった姉ぇねは、手芸やお菓子作りに料理などの趣味に目覚めた。明輝くんが家に帰るとお菓子や夕餉の匂いがするようになった。

 その頃、爺ぃじはKAKIMOTOの工場を辞めていたが、父ぉとと母ぁかはよほど爺ぃじに言い含めたのだろう、爺ぃじは姉ぇねの在宅には口を挟まなかった。

 そのうちKAKIMOTOを退職させられ爺ぃじは暇なので「男性だけのお菓子作り教室」なるものに通い始めた。それまで爺ぃじは「男子は厨房に容喙せず」が口癖で、朝食や夕食を電子レンジで温めることすら嫌がったのだから、これは大きな行動の転換で、父ぉとも母ぁかも驚いた。たぶん爺ぃじなりに姉ぇねを思いやっての行動らしい。やがて家の冷蔵庫の中は手作りのお菓子でいっぱいになった。母ぁかは仏壇に置くお菓子を買う手間が省けたと喜んで言った。柿本のぁば、つまり母方祖母は、母ぁかが短大を卒業した年に、急性心不全で他界した。

「姉ぇね、バレー部を辞めればいいのに」

 ある時、明輝くんは姉ぇねに言った。

「そういう訳にはいかないのな」

姉ぇねは言う。

「私を庇ってくれる友達は皆、バレー部な」

 それに中学校は全員部活に入るのが決まりだが、姉ぇねが入れる部は他になかった。他の運動部に移れば先輩はますます意地悪をするだろうし、文化部は吹奏楽部と競技かるた部があるが、そこも中途入部を受け付けていない。そういう生徒のために《総合文化部》なるものがあったが、その部に入ると周囲から浮き上がる。姉ぇねの不登校は、その意地悪な先輩がバレー部を引退した後も卒業した後も断続的に続いた。

 両親は悩んだ。仕事が忙しいなりに中学校の教師と話し合いの場を持った。


明輝くんを怒らせた「あの事件」が起こったのは、明輝くんが中1の頃、まだ新型コロナがパンデミック状態になる直前の正月だった。

 ホテルの仕事は忙しい。父ぉとも母ぁかも大晦日にも新年にも仕事がある。そんな中で母ぁかは何とか年末の30日に休みを取り、おせち料理の準備をした。

栗きんとんや黒豆の煮物は市販のもので済まし、伊達巻は姉ぇねがロールケーキを作るような要領で手作りをした。母ぁかが張り切って作るのは、「五色」と呼ばれる煮〆である。金時人参に牛蒡や蓮根、椎茸に鞘いんげんの入った、色取りの美しいそれは正月ならではのご馳走だった。母ぁかは他に里芋や大根の煮〆も作り、大鍋に入れ、冷蔵庫で保管した。肉類が入っていないので冷蔵庫に入れれば3ガ日は持つという。

 大晦日は爺ぃじをはじめ、明輝くんや姉ぇねは早めに入浴する。父ぉとと母ぁかが息を切らして帰って来る。その手にはホテル特製の洋風か中華風のおせちがある。爺ぃじも含め、家族全員でホテルのおせちをオードブル代わりにして年越しそばも食べる。それからテレビを見るのだが、母ぁかは家族に背を向けて飯を炊き、ちらし寿司を作る。飯を柿酢とみりんで味を付け、煮〆野菜を刻んだものやかまぼこ、数の子が入った、豪勢なちらし寿司はこの地方の郷土料理で、3が日の間、これを食べる。爺ぃじは「疲れた」と言って、除夜の鐘の音も聞かず自室で寝てしまった。

 正月の朝は家族全員早起きをする。父ぉとも母ぁかもスーツやアフタヌーンドレスで正装している。姉ぇねは十三参りのときに着た、無地の着物に袴姿だ。明輝くんは昨年までの一張羅の子ども用スーツに替えて、中学校の制服にワイシャツを着てネクタイを絞めた。

 お屠蘇の酒の代わりにお屠蘇茶が用意され、味噌仕立ての雑煮もある。

 朝ご飯を食べ終えると母ぁかは留守番役の爺ぃじや姉ぇねに

「お昼ご飯は重箱のおせち料理を食べてな。ちらし寿司もあるな。汁物は最中吸い物が買ってあるな。夜は鍋物で野菜も切って準備しているな。お鍋、皆で一緒に食べるな」

 と言った。父ぉとも母ぁかも仕事に出かける。ホテルでは父ぉとも母ぁかも最初はメイドやベルパーソンなどに従事していたが、今は母ぁかは宿泊部でメイド―ようするに清掃係―を統括する仕事をし、父ぉとは営業部を担当している。ホテルの客には外国人がいるので、時差を考慮して夜間も営業の電話対応をしなくてはならない。だから父ぉとは時々夜勤もする。忙しい身の上だ。

 爺ぃじはネクタイを解き普段着に着替える。そして寝転がってテレビで駅伝なんぞを見ている。明輝くんは服装はそのままで自分の部屋へ行くか、姉の部屋に入る。姉と一緒に盤すごろくという遊びをしたりオセロゲームや百人一首を楽しむ。

 本当に柿本の爺ぃじは孫の遊び相手になってくれない。明輝くんや姉ぇねがもっと小さい頃は、正月でもホテル近くにある保育園に預けられた。ホテルの近くには病院もあり、そこで働く親を持つ何人かの子どもが正月を保育園で過ごしていた。年によっては父方の、実縞の爺ぃじ婆ぁばの所にも泊りがけで遊びに行った。この実縞の爺ぃじは愛嬌のある人で、珍しい盤すごろくという遊びを教えてくれた。近所の神社にも連れて行ってくれて、神社前の屋台のホットドッグや焼きそばなども買ってくれた。

 もっとも高校生になった明輝くんは、この実縞の爺ぃじにも良い印象を持っていない。

 この爺ぃじは市立工、すなわち市立の男子校の工業高校が最終学歴なのだ。工高を卒業した後、県内の大きな工場に就職をした。県の南部は太平洋ベルト地帯に属する工業地帯で、爺ぃじの時代には引く手あまたの就職先があった。婆ぁばは市女つまり市立女子高の家政科出身だ。婆ぁばは卒業後は就職しないで家事手伝いをしていた。婆ぁばは茶道と華道の師範の免状を持っていた。つまり当時の女子の申し分のない教育を授かっていた。ちなみに市立工も市女も今は市内にない。廃校となった。市立工はシルバー・カレッジに、市女は今は県立の特別支援学校の高等部になった。

 そんな爺ぃじ婆ぁば夫妻の子ども、つまり自分の父親や父方叔父が2人とも、県外の私立大学文系の学歴を得たのが、明輝くんは不思議だった。高卒でそんなに給与があの時代はあったのか、それともバブルの時代に金融投資でもしたのか、謎である。明輝くんは父方祖父の愛嬌のいい顔の下に、とんでもないものが隠されているように今は思うようになり、父方祖父も敬遠している。

 盤すごろくや百人一首にも飽き、姉弟はそれぞれの部屋でゲームなり読書なりで遊んでいると、階下の部屋から良い匂いがし始めた。匂いはやがて焦げ臭いものへと変わった。姉弟は不安になり、爺ぃじのいるリビングへと向かった。

 爺ぃじは居眠りをしている。そして火がついたガスコンロには、煮〆の入った鍋が置かれ、既に汁はなくなり焦げていた。目を覚ました爺ぃじは、あわてて鍋に水を入れた。煮〆はけんちん汁のようになった。

 爺ぃじの言い分によると、煮〆は作って2日目に火を通さないと腐ってしまうと言う。

だからガスコンロに火を付けてやった。

「何も悪気があってしたことじゃないな」

 と爺ぃじは弁明する。姉ぇねは泣いた。

 その夜、母ぁかは煮〆を焚き直したが、焦げた不味さは残った。爺ぃじが足した水も残った。爺ぃじはそれでも謝らない。

「爺ぃじを責めたらいけないな。何も言わんでな。男子は厨房に容喙(ようかい)せず時代よりも進歩したなぁ」

 と母ぁかも涙声で言う。明輝くんは怒って怒って、家族全員の鍋物の団欒に加わらなかった。

 翌朝から、けんちん汁とも思えるような煮〆が食卓に並んだ。


父ぉとによれば爺ぃじが「食べ物の腐敗は火を入れると防げる」と思い込んでいるのは、爺ぃじは中学高校時代に家庭科を学べなかったためだと言い訳をする。

「昔、ソ連という国があってな」

 ソ連はスプートニクスという人工衛星を地球で一番早く宇宙に飛ばした。それにはアメリカを始め、世界中の国々が驚いた。もちろん日本も慌てふためき「技術科」という授業を中学生の男子のみに課した。その間、女子は家庭科の授業を受けた。高校では普通科の授業では工業系を学ばない。女子が家庭科の授業を受けている間、男子には武道の授業を施した。

「お父さんや爺ぃじはその世代の教育をうけたな。お父さんの子どもの頃は、男の子は家でトイレの掃除もしなかったな」

 明輝くんは驚いた。学校教育の場で、そのようなジェンダー差別があったとは。それでも父ぉとは今ではトイレと風呂場の掃除を引き受け、爺ぃじはティッシュペーパーやトイレットペーパーを買う役割を受け持っている。もっとも爺ぃじはわざとなのかボケているのか、時々トイレットペーパーを買い忘れることがあるが。

 

 姉ぇねの不登校は、東高に入学したことで改善した。一時は定時制高校や通信制高校への進学も検討されていたらしい。姉ぇねの学業成績は東高に入学してから大いに伸びた。姉ぇねは、部活はバレー部を選ばず、家庭科部に入部し芸術の選択科目は工芸を選択した。

 姉ぇねが入学した頃の東高は、新型コロナの緊急事態制限のため、登校出来ず私学ほどでもないがリモートで授業が行われていた。遠足も文化祭も運動会もない静かな学校生活を、姉ぇねは入学1年目で送った。姉ぇねは今、得意な手芸や工芸を活かせる作業療法士の道を選び、国公立の作業療法科への進学を目指すまでになった。


(爺ぃじが憎い!)

 明輝くんは高校の大学受験用の倫理政経の補習授業で「青年期の心理」について学んだ。

 思春期には、青少年は両親に対して反抗心を抱くという。しかし明輝くんは両親と仲がいい。両親には感謝と尊敬の念すら抱いている。

 明輝くんの反抗心は、親世代を飛び越えてひたすら爺ぃじへと向かっていった。

 

そして爺ぃじは「男性だけのお菓子作り教室」に通い続けている。  

 

                 ⁂

 

 昔の東高の制服は、男子は赤いネクタイが、女子は同じ素材で出来た赤い紐ボウタイが目印だった。紺のブレザーにグレーのズボンまたはラップタイプのキュロットスカートで、赤は情熱を、紺は青春を、そしてグレーは明るい高校生活を意味していた。創立が今から約45年前で、当時は最先端の制服だった。


―お父さんの頃は セーターも合服の

 カーディガンも学校指定のものだったんだ

 今は自由になってよかったね


 昼休み、父ぉとはLINEでそう書いて送る。

 父ぉとは2人の子どもに自分達のことを「お父さん・お母さん」と呼ばせている。子どものことは名前に「さん」付けで呼ぶ。父ぉとは子ども達が小さい頃、「パパ・ママ」と呼ばせたがっていたが、姉ぇねも自分も土地の方言に従って「父ぉと・母ぁか」と呼んだ。「パパ・ママ」は共働きでない、母親がたいていは家にいるような家庭で使う言葉だと、明輝くんは小さな頃から信じていた。姉のことは《姉ぇね》そして末っ子の男の子である明輝くんは『ぉぼ』と呼ばれていた。(ちなみに末妹は『もぅも』という)。

 だが明輝くんが小学5年生の正月に、父ぉとは「これからはお父さん・お母さんと呼びなさい」と急に標準語で宣言した。君達のことも「さん」付けで呼ぶ。他所の人には「父」「母」と言うんだ。「父がおっしゃいました」なんて言ってはいけない。「父が申しました」と謙譲語を使うんだ。父親はそう子ども達を躾けた。

 以降、明輝くんは会話では「お父さん・お母さん」と呼ぶようになった。しかし姉は「姉ぇね」と呼び続けて、もちろん爺ぃじはそのまま「爺ぃじ」と呼ぶ。


―お父さんの頃の東高は 

 1学年が12クラスとか13クラスも

 あったんだもの 

 管理主義教育仕方ないさ 


 明輝くんはそう返事する。父ぉとは『団塊ジュニア世代』。管理主義教育の真っただ中にいた。当時の東高は校則は厳しく、体罰暴言こそなかったものの、朝は校門前で生徒指導が行われた。しかし学内は生徒数が多く落ち着きがない状態だったと、教師から聞いた。今は1学年6クラスである。


―お母さんの頃は靴下はルーズソックスが流行していました。今はどんな靴下を履い       ていますか?

 

 同じく昼休み、母ぁかがLINEに標準語の丁寧体で書いて送る。母ぁかは仕事が暇らしい。

 厳しかった校則は、生徒減少時代に大幅な見直しをされた。今は黒や茶色や紺色、それにグレーやベージュやカーキなど、学校側が認めた「地味な色」ならば、靴下やセーターも、合服のカーディガンもベストも、自由になっている。ただし男子のセーター・カーディガン・ベストはネクタイが映えるVネックと決まっている。ネクタイはぼかし縞の美しい色あいで、女子はピンクグレージュの、無地のリボンボウタイになっている。女子のキュロットスカートは変わらない。自由になった通学鞄はリュックサックが主流で財布やスマホを入れるウェストポーチも欠かせない。東高生(ひがこうせい)達はおしゃれでいわゆる「同調圧力」がなく、思い思いのリュックや靴下やカーディガンを身に着けている。


―靴下は皆 姉ぇと同じく自由なものを履いています。でも私は毎日のネクタイが

 きつくて辛いです。

 

 両親からは自分のことをオフィシャルな場面では『私』と呼べと、高校に入学してから躾けられた。母ぁかのLINEは丁寧語で書かれているので返事の自称は『私』と、明輝くんは書いた。

 中学校の制服は、チェックのズボンやスカカートに紺のブレザーとカッターシャツ、そして男女とも同じ模様が入ったネクタイやボウタイだった。ただしネクタイ等を着用するのは式典のあるときだけで、普段は白の学校指定ポロシャツだった。学校指定の体操服であるジャージを着て通学してもよかった。

 母ぁかは返事する。


―私達の頃の夏服は男女ともベージュの開襟シャツでした。毎日ネクタイで暑くあり  ませんか?

 

 今の夏服は半袖のカッターシャツだ。姉ぇねの夏服を見て、昔に比べて素材が格段によくなったと両親は驚く。高校側は暑いときには4月でもクールビズを推奨し、ノーネクタイ・ノーボウタイでもいいという。しかし根が真面目な明輝くんは暑苦しいがネクタイを絞めている。ネクタイの色がしゃれていて気に入っているのも理由の1つだ。両親の時代と大幅に違うのは、着用は任意の夏用の麻と綿混紡のブレザーがある。上級生達は4月になるとウールの冬用上着は着ないし、半袖シャツすら着用している。1年生にはまだ夏服が届かない。


―暑いけどネクタイ、かっこいいです。

 

母ぁかに返事を書いた。父ぉとからLINEが来た。


―遠足は県立自然公園の予定だね 

 そこは僕達の頃と同じだ 

 1年生は野外でカレーや焼きそばを作って 

 2年生はフィールドアスレチック

 3年はサイクリング 

 それも変わらないんだよね

 

 新型コロナが流行してから生活習慣がいろいろ変わった。忙しい両親とは、度々LINEで連絡をし合っていたが、この頃は以前なら顔を合わせて話をするような内容も、LINEで送られて来る。両親の勤務するホテルが一時期、軽症コロナ患者の宿泊療養施設だったので、家でも顔を合わせて会話をしない。しばし、互いの部屋のドア越しで会話をすることもある。両親はホテルパーソンらしく、子どもに聞かれたくない会話は、昔は英語で、子どもが大きくなった今は中国語で行なう。


―でも学校にとっては3年ぶりの

 野外調理なんだ 

 姉さんが1年のときには遠足はなかったし 去年はカレーや焼きそば作りは

 感染予防を考慮してやらなかったんだ

 

 明輝くんはメールならすらすらと標準語を話せる。

 それにしても行事の多い高校だと明輝くんは呆れる。新学期早々の遠足に6月下旬の土日の文化祭、そして夏休みになれば1年生は臨海合宿が行われる。9月の終わりか10月初めの日曜日には運動会がある。夏休みは部活や補習授業に加え、運動会の練習をする。運動会では1・2年生の男子は集団体操や組体操を、女子は創作ダンスを披露する。


―今年から高校の社会の科目が現代社会から公共という科目に替わるんだね 

 公共 どうかな?

―今年から高校の社会の科目が現代社会から公共という科目に替わったそうですね。   公共、どうですか?

 

 父ぉとと母ぁかから同じ質問が来た。


―まだ始まったばかりでよく分かりません

 

そう答えるしかなかった。


 爺ぃじからはLINEは来ない。爺ぃじはワープロやWordは打てるが、スマホの文字討ちには慣れない。慣れようともしない。


                ⁂


 明輝くんはくじ運が悪い。学級委員はくじ引きで決めたのだが、明輝くんに当たったのは、6月下旬の土・日に開催される文化祭の実行委員だった。

文化祭の出し物はクラス単位・部活単位で行なわれ、クラス発表は教室を使っての展示やアトラクション、ステージは20分の制限時間で歌やダンスや寸劇など。展示・ステージ共に20分以内の映像上映やスライドショーが認められている。クラスに与えられる予算は5万円だ。ステージ・展示ともに、生火・ドライアイス・白熱灯の使用禁止、人間以外の生きた動物の使用禁止、ステージでは水着着用は可だが、教室を使って行なうコスプレは夏の制服並みの肌の露出までにするなど、いろいろ制限がある。過去の事例や他校の文化祭での事故などを参考に、作った決まりらしい。今年は県教育委員会から「カラオケ禁止」「フォークダンス禁止」が加わった。

 文化祭の時に使う素材、段ボールやべニア板、古綿、古着などは地域の工場などから提供がある。だから展示やステージでの飾り道具には困らない。10年程前に、あるクラスが「メイド&執事喫茶」を行なった。そのときに購入したエプロンや白のメイド帽、男子の蝶ネクタイも、大切に保存してある。

 1学年6クラスのうち、展示が3クラス、ステージが2クラス、そして生徒達がもっともやりたがる、お楽しみの飲食模擬店は1クラスだけ、それぞれの学年ごとにあてがわれ、くじ引きで決める。今年は3年ぶりの一般公開で開催される。

 くじ引きの結果、明輝くんのクラスは飲食模擬店となった。

 クラスメイト達は喜んだが、明輝くんの気持ちは暗い。展示やステージなら中学1年の文化祭でなんとか経験があるが、模擬店は全くしたことがない。コロナ禍の影響で上級生達も模擬店の経験がない。ソーシャルディスタンスのため入場制限があり、食材の買い入れは以前のデータを参考に出来ない。     

 そんな中での1年生による模擬店は荷が重い。昨年の模擬店は衛生上の理由もあって業者委託、つまり街の飲食店よって行われたが、今年は校長先生の「これからの高校生は起業家精神を身に付けましょう」の一声で生徒主催になったのだ。

(僕がクラスを引っぱらないと行けないなんて)

 自分の性格を熟知しているだけに、実行委員は自分の器でないと自覚している。同級生達の模擬店に対する志は高い。

(皆の熱意について行けるなん?)

 明輝くんは心配する。


 明輝くんの通う東高は、1日の授業時間は50分×6コマだが、早朝は7時40分から部活の早朝練習や自由参加の早朝学習会や補習授業があり、放課後にも最大7時20分までの部活動や特別授業もある。生徒達の強制下校時間は7時30分だ。明輝くんの放課後は登山同好会の活動と補習授業に、文化祭の実行委員会の仕事が加わった。今日も登山同好会の部活坂歩行を中途で切り上げ、6時過ぎから理科実験室で行われる文化祭実行委員会に出席しなければならなかった。

 明輝くんのクラスは通販の冷凍食品を使った「肉巻きおにぎり」に決まった。生徒会からのアドバイスで栄養のバランスを取るため、野菜ジュースが加わった。それにチョコバナナもやってほしい。冷たいコーヒーやウーロン茶もいい。

 クラスメイト達は本当は手作りの焼きおにぎりをしたがっていた。しかし話し合いで冷凍食品を使うことになった。話し合いは教室の机を輪に並べ、ブレーンストーミング方式で行われた。生徒達は自分が持っているスマホやiPadで情報を検索しながら、ああでもないこうでもないと議論をする。東高では以前は校内でのスマホ利用は禁止で、風紀委員がスマホを朝に預かっていたが、コロナ禍がきっかけで学内のデジタル使用が見直され、今では授業中以外はスマホを自由に使っていい。

担任の教師は同席していたが一切口をはさまない。これはステージや展示のクラスも同様で、時々生徒会文化祭実行委員会からテレビ電話でアドバイスをもらう。東高の教師は高齢で、平均年齢が55歳だと聞く。教師としての最後の生活を、手間のかからない東高の生徒を受け持って骨休めしたがっていると、専ら噂をされている。

 文化祭当日の模擬店は教室ではなく、別棟2階に4つある理科実験室で行なわれる。水場に恵まれ電力の利用制限も高く、換気扇もあり冷凍庫さえある理科実験室は、模擬店を行なうのにふさわしいという理由からだ。文化祭では4つある理科実験室のうち1部屋は、食品衛生責任者の資格を持つ、保護者OBOGによって模擬店が運営される。いわば別棟2階は模擬店通りになる。

 東高の文化祭の模擬店は梅雨の季節に行なわれることもあって、保健所がいろいろな制限を言って来る。食材に卵や牛乳の使用は禁止、生肉生魚もだめ。使えるのは竹輪やソーセージなどの加工品で、客に出す直前に火を入れなければならない。生野菜も刻み青ネギ以外禁止で、野菜にも火を通さなければならない。生で使える果物はバナナとリンゴに限る。一般教室でカフェなどを行ないたいときは「容器に入った市販の飲み物」や「袋や容器に入った市販の菓子やパン」を客に供する。

 明輝くんは保健所の「食材に火を通せば食中毒を予防できる」という考えに対し、(まるで家の爺ぃじと変わんねぇな)と嗤った。

歴代の生徒達はさまざまな工夫をして、焼きおにぎりやカレーライス、焼きそば、タコ焼き、そして牛乳や卵を使わずバナナで風味をつけたパンケーキなどを模擬店に提供して来た。

 だが今回の文化祭はまず3年生が模擬店を経験していない。今年の3年生の模擬店担当のくじを引いたのは男子がほとんどの理工科系クラスだった。メニューに選んだのは綿あめにソースせんべい、アイスクリームなど火を使わない食べ物ばかりだ。ちなみに2年生はサーターアンダギーと、スパムを使った焼きそばという沖縄テーマのメニューになった。

「3年生なのに何のアドバイスも出来なくて申し訳ない」

 と、3年生の実行委員の男子は謝った。

 理科実験室のテーブルは、4人掛けのテーブルが1つになってそれぞれに、ガスバーナーと洗面所のような流し台がついている。文化祭のときにはガスバーナーを撤去して流し台はコロナ禍なので客の手洗い場とする。そしてこれが大切なことなのだが、各テーブルは2人掛けにして、空いているテーブルと椅子に「使用禁止」の札を張った折り紙製の薬玉か造花を置く。調理は一番奥の窓側テーブルで行なう。入り口と出口は別々で入り口側で食券を購入するようにして、調理をする人は直接現金を触らない。

 そんな説明を生徒会の役員がしてくれた。さらに

「今年の文化祭から例年にない試みをします」

 と生徒会の役員は話を続けた。少子化の影響で1学年のクラス数が6クラスに減った。展示が9クラスでステージが6クラス。それでは文化祭全体がしょぼくなる。

そのため前年度の冬から文化系部と話し合ったのだが、今年から全文化系部にはステージと展示の両方に参加してもらう。模擬店担当の実行委員は文化系部の主にステージ部門の進捗状況を調べて、進んでいないようなら発破をかけほしい。

 父ぉと母ぁかが同じ高校出身なので生徒会側が言わんとすることは理解できた。父母の頃なら1学年12~13クラスあり、文化系部の数も多かった。2日しかない文化祭の日程にそれら参加者・参加団体全てをプログラムにぶち込むのに苦労をしたそうだ。今はクラス数が最盛期の半分以下だ。しょぼくなるのは当然だ。

 それにしても吹奏楽部の展示参加なんてどうするのだろう。美術部・工芸部のステージ参加も明輝くんには想像もつかない。

 何から何まで異例づくめで、学校全体が初めての文化祭を行なうのにも似た緊張感があった。


                  ⁂


東高の文化祭には「5つの原則」がある。すなわち「全員参加」「良識の重視」「生徒主体」「授業や高校生活や部活の延長上の内容」そして「地域との交流と地域文化への貢献」である。保健室の先生が東高の2回生出身で、その辺りのことには詳しい。

 文化祭を取り仕切るのは、2年生3年生の生徒会役員と昨年度の冬に選挙で選ばれた、2年生の文化祭実行委員長だ。今年の実行委員長は女生徒だ。6月下旬に文化祭を行なうのは、高校生活に慣れた1年生にも受験を控えた3年生にも参加してもらうためだという。


                   ⁂

 

明輝くんは文化祭に対して悩みがあった。

文化祭のある土曜日は例の図書館のアルバイトは休めないのだ。文化祭の実行委員でありながら当日学校を休む。しかも公欠にはならず私休すなわち欠席扱いとなる。欠席扱いの件は最初のアルバイトを申し込んだ時点で教師から説明を受けていたが、高校の文化祭がこんなに大変だとは予想もしていなかった。

 同級生達にどのような言葉を使って、文化祭当日土曜日の欠席を弁明すればいいのか。

 その上、ゴールデンウイ―クには図書館カフェの臨時のバイトまで予定に入っている。 

 例年、祝祭日の市立図書館は休館することになっていたが、今年は暦の関係で土日平日を含め最大10日間の連休となる。今年はコロナの緊急事態制限がない、久々の大型連休なので子ども向きのイベントを多く企画し、子どもの活字離れ図書館離れを防ぎたいという。市の教育委員会の方針で決まった。

 連休中のバイトのシフトはどうなるのだろう。会ったこともない、頼畑さんという名の2年生の女子が日曜日のバイトに入っていた。 

                                                    

 そんな中、頼畑さんが明輝くんに会いたいと姉ぇねを通じて話があった。頼畑さんは姉ぇねと同じ家庭科部所属だった。


 ゴールデンゴールデンウィーク1週間前にその頼畑さんが昼休みに明輝くんに会いに来た。

 頼畑さんは濃紺のヘアバンドを髪に着けていた。着ているものも校則の範囲内で精一杯のおしゃれをしている。

頼畑さんが何の要件で訪ねてきたかは分かるが、廊下で女生徒と2人きりになるのは照れ臭いし緊張する。

 頼畑さんは明輝くんを見るなり

「ごめんなさい」

 といきなり謝った。

「ゴールデンウィーク中の図書館のバイトは、

実縞さんが全て入ってもらえますか?」

 明輝くんは驚いた。

「理由は?」

「勉強」

 と、頼畑さんは小声で答えた。

 何でも彼女の母親が、塾で行なわれるゴールデンウィーク中の勉強合宿に相談もなしに申し込んだのだという。合宿は4月末の金曜日の「昭和の日」から土日を含めて3日間、そして5月3日の憲法記念日から5月5日の「子どもの日」の3日間行われる。申し訳ないが両方の連休とも、実縞さんがアルバイトを引き受けて下さいな。

 そんな身勝手な、と明輝くんは思った。

 明輝くんは、一瞬なぜか、中学校近所の漫画と参考書しか置いていない、ちいさな書店に「万引きは犯罪です。店長はバイです。犯人はカラダで支払っていただきます」のチラシが貼ってあるのを思い出した。

 バイトを全て引き受けてもいい、その代わり身体を俺に差し出せと、怒りながら思ったが、その思いを口に出さず顔にも出さないように明輝くんは労苦した。

「分かりましたよ。私だってその分、バイト代が入ってきますから」

「本当? うれしいわ!」

 頼畑さんは無邪気に喜んだ。

 件の女生徒が去った後、明輝くんは泣きたい気分になった。連休中の登山同好会は何だかの活動をほぼ毎日行なう予定になっている。

 通常の活動に加え、天井川への沢歩きや近隣の山や公園でのハイキングやピクニック。連休の後半は1泊の旅行もあった。

 明輝くんはそれら全てに参加できなくなる。

明輝くんが図書館のカフェレストランで働いている間、件の頼畑さんは勉強をしている。これは割に合わない、不公平だ。明輝くんは悔しい思いを胸に溜め込み、教室に戻った。涙が出そうな感じすらする。

 その夜、明輝くんは頼畑さんと性的行為をする妄想に耽った。妄想はエスカレートし、半覚醒の空想世界の中で、明輝くんは頼畑さんにあらん限りの暴行を加えた。興奮が高まるほど、暴行は凄惨なものになった。

 男性の性欲中枢は攻撃中枢の近くにあると、明輝くんは学校の保健の授業で習った。明輝くんが頼畑さんに妄想世界で暴行を加えるのはその彼女を罰するためではない、性衝動が高まったからだと、明輝くんは自覚する。

 ぼくはDV夫に、パーペトレターになるのだろうか? 暴行癖があるのなら一生結婚しないで彼女なしで過ごしたほうがいい。明輝くんの性衝動が収まるに連れて、虚しさや哀しみが入れ替わって高まって来た。


                  ⁂


 明輝くんは放課後の登山同好会の活動を早めに切り上げて、駅前の雑居ビルにある心療内科・精神科クリニックへと向かった。明輝くんは中2の頃から心療内科に通院している。きっかけはこれも爺ぃじにあった。


 2年前の4月、新型コロナの緊急事態宣言で不要不急の外出制限が出た。学校すら休みである。両親も仕事がなく家に居た。

 その日、明輝くんはリビングで母ぁかが作った焼き飯を独りで食べていた。料理は母ぁかか姉ぇねが行うが、食べるのは感染予防のため、家族バラバラだった。焼き飯を食べている明輝くんの所に、爺ぃじが不要不急の用事で帰って来た。台湾パイナップルを近くのスーパーへ買いに行ったのだと言う。リビングの隅のキッチンでパイナップルを切りたいと爺ぃじが頼む。

「ぼくはもうすぐ食べ終わるからちょっと待ってて」

 明輝くんはそう言い、焼き飯を流し込むように食った。交代するように爺ぃじがリビングへ入った。

「ねえ爺ぃじ、やかんをコンロにかけているから沸騰したらポットに入れて置いてな」

「合点承知な」

 爺ぃじは確かにそう言った。明輝くんは部屋を出た。

 明輝くんは自室に居たがしばらくしてコーヒーを飲みたくなった。先程のコンロのお湯も沸いているだろう。明輝くんは階段を降りてリビングに入った。

 例によって爺ぃじはリビングの絨毯に寝転がっている。そしてキッチンには火がついたコンロにやかんが置いてある。やかんの中のお湯は無いに等しい状態となっていた。

「爺ぃじ!」

 明輝くんは爺ぃじを起こした。

「家が火事になるな! やかんの火!」

「よう寝てしまったなあ」

 爺ぃじは平然と返事をする。

 明輝くんはさらに爺ぃじの行ないの欠点を見つけ出した。台湾パイナップルを切った包丁をそのまま洗わずに流し台の横に置いてある。パイナップルの皮などはゴミ箱に捨てられてはいたが。

「パイナップル、切って冷蔵庫にいれたな。坊ぅぼもお食べな」

 爺ぃじはのんびりと言う。やかんの件を謝らない。

「爺ぃじ、ひどいな」

 明輝くんは空っぽに近いやかんを爺ぃじに見せた。そして放り出された包丁も握って見せた。

包丁からはパイナップルの汁の滴が落ち、キッチンの床を濡らした。

「お前、何するなん!」

 爺ぃじは明輝くんが手に持つ包丁に逆上し興奮し始めた。そして老人とは信じがたい素早さでキッチンの流し台の下の収納庫から別の包丁を取り出した。明輝くんと爺ぃじは、双方包丁を握ったまま、正しくソーシャルディスタンスで立ち会った。

「お前、爺ぃじを殺す気か! 年寄りだというて、なめるでないな」

明輝くんには、殺意がなかった。が、一方では爺ぃじの日頃の行ないに対する不満は溜まりに溜まっていた。

 爺ぃじと坊ぅぼは、男の坂道を下る者と登りつつある者が、文字通りの真剣勝負で戦うことに、意図せずなった。

 その時、2階から父ぉとと母ぁか、そして姉ぇねが数珠玉のように連なって降りて来てリビングに入った。母ぁかは爺ぃじを後ろから抱き抱え、父ぉとは明輝くんを羽交い絞めにし、姉ぇねがその間に入った。姉ぇねの手にはスマホが握られていた。

 姉ぇねはスマホで何か検索した後、どこかに電話をかけ始めた。爺ぃじも明輝くんも包丁を握ったまま、唖然として立っていた。

「……はい。ドメスティック・バイオレンスの被害を受けている当事者です。……いいえ、夫とか恋人ではありません。祖父とその孫息子が両方とも包丁を振りかざして暴れています。……そちらじゃ相談に乗ってくれないんですか? ドメスティック・バイオレンスって家庭内暴力のことじゃないのですか!」

 スマホの相手は姉ぇねに何か話していた。姉ぇねはスマホを切った。

「爺ぃじのことは介護相談室に、明輝さんのことは児童相談所に相談しろってね」

 姉ぇねがそう言う頃、爺ぃじも明輝くんも包丁をキッチンに置いた。

 父ぉとも母ぁかも、事の成り行きを2人に尋ねなかった。

「包丁はしばらくの間、私が預かります」

 母ぁかはそう宣言した。

 包丁は古いアタッシュケースに収納された。以降はアメリカ大統領が持つ「核のボタン」のごとく、母ぁかは危険物の入ったケースをいつも抱えて歩くようになった。

「これもお母さんが預かります。学校はお休みでしょう?」

 明輝くんが有する野球の金属バッドまで取り上げられた。

「いつかこんなことが起こると思っていたな」

 父ぉとは嘆く。

 事態は緊急を要するものと判断され、爺ぃじは近くの介護相談室に、明輝くんは児童相談所に、それぞれ母ぁかと父ぉとが付き添ってタクシーで連れて行かれた。自家用車を使わなかったのは、父ぉとも興奮して運転できないからだと言った。

 双方の相談所の結論は同じだった。すなわち息子さんの暴力があまりにも酷い場合は緊急的にお祖父さまを老人施設が保護します。しかし今の段階では、息子さんの方の治療が必要でしょう。

児童相談所はさらに手厳しい判断を下した。場合によっては児童心理治療施設に入ってもらいます。施設に入る場合は学校は転校して施設近くの学校に通ってもらいます、と。

既に明輝くんがロールシャッハ検査や描画検査などを受け、結果が出てからの話し合いだった。ちなみに爺ぃじは認知症の検査も心療内科クリニックで受けたらしい。心療内科の診断では、明輝くんは「年齢的なこともあり、攻撃性が高まり行動が衝動的になりやすい」という結果が出ている。爺ぃじは「年齢的なものもあり、怒りの感情をコントロールできない時がある」だった。

「ぼくは転校しないと行けないなん? 学歴に影響はありませんか? 将来就活のときに不利になりませんか?」

 明輝くんは悲し気に児童相談所の相談員に言った。

中学校を短期間転校しました。理由は家庭内暴力への治療のためでした。そんな学歴なら、どこの会社も採用してくれない。公務員試験も落ちる。

「明輝くん」

 中年女性の相談員は呆れたように言う。明輝くんは『明輝くん』と呼ばれるのは耳慣れないので戸惑った。物心ついた頃から明輝くんは保育園でも学校でも「明輝さん」「実縞さん」と呼ばれていたし、学校では仇名(ニックネーム)の使用はいじめにつながるから禁止されていた。ついでに名簿はもちろん男女混合名簿である。明輝くんを明輝くんと呼ぶのは爺ぃじと自分自身ぐらいなものだ。

 相談員は大卒就職者の履歴書の学歴に関しては、中学校のことは記載しなくていいと説明し、話を続けた。

「明輝くんが本気で将来、普通に大学行って普通に就職したいのなら、その性格は治さないとね……今回の事件のパーペトレターは、明輝くん、あなたなのよ。あなたの方から包丁を握ったでしょ?」

「パー……何ですか? それ」

 相談員は答えた。

「パーペトレターは英語で実行者を意味するのよ。有害・違法・不道徳な行為を行なう人を指す言葉なの」

 相談員は傍らのメモ用紙にperpetratorと書いた。どうやら自分は不道徳な行為をする人らしい。

「包丁を持ち出したのは明輝くんが先だし、お祖父さまが包丁を握ってもそれを止めずにいたでしょ?」

「でも家で問題を起こすのはいつも爺ぃじ……祖父の方です。この前だって……」

 明輝くんは思い出すと怒りが込上げて来た。

爺ぃじが不織布のマスクを、電子レンジで消毒しているのを見たからだ。まだ不織布のマスクが不足して、ウレタンマスクや手作りのガーゼマスクを使っていた。

 爺ぃじの行為は他の家人達も問題と感じた。姉ぇねが電子レンジと不織布マスクのメーカーにそれぞれ電話をかけて尋ねた。電子レンジでウイルスの殺菌は可能だが、食品衛生上、感覚的には問題を感じる。場合によっては火災の原因になりかねない。そういう返事だった。  

 それでも爺ぃじはマスクを電子レンジにかける習慣を改めない。明輝くんはしばらくの間、電子レンジで食べ物を温めるのが怖くなった。ホテルが休業中で母ぁかがいつも家にいて電子レンジの世話にならなくてもいいのが幸いだった。

「爺ぃじ……嫌い……家にいないで欲しい」

 相談所の部屋で明輝くんは、衝動に駆られて泣き出した。


 結局、さまざまな話し合いから、明輝くんの施設入所は見送られた。児童心理治療施設がコロナ感染のクラスタ―になっていたことも原因の1つだ。明輝くんと爺ぃじはその代わり心療内科に定期的に通うこととなった。心療内科の医師は老人と思春期の若者にキツい新薬を使うことは避ける判断を下した。代わりに「抑散肝」という名の漢方薬を2人に処方した。

「最近はどうですか? お祖父さまに腹の立つことはありますか?」

 若い男性医が明輝くんに尋ねる。

「学校がとても忙しいせいかしら、祖父のことは考えないようになりました」

 それは良かった、包丁を振り回した時期は緊急事態宣言で欲求不満が溜まっていたのでしょうね。そう担当医は答えた。明輝くんは、件の女生徒を心の中で暴行したことを隠した。担当医は、お祖父さまは最近来院していない、喫煙が一番の精神安定剤だと言っていたと話してくれた。

 心療内科の帰り道、明輝くんは頼畑さんを、妄想世界で犯したことについて考えていた。

 高校の倫理政経の受験用補習講座で、イエス・キリストの「情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである」という言葉を習った。自分は既に暴力男、パーペトレターに成り下がったのだと感じた。

 倫理政経の授業では他に、欲求不満の防衛機制の1つに「投射」というものがあると習った。すなわち自分の短所を他人のものとして見なして非難することだ。ぼくの爺ぃじ嫌いは、ぼくの欠点を爺ぃじに投射しているのだと明輝くんは自覚する。

 この前の心の中の性的暴行事件は何だ。性的欲求不満から来たのだろうか? それとも自分は連休中に遊びも勉強も出来ない不満がああいう形で噴き出したのだろうか? 今後2度と、心の中でああいう行為はしたくない。

 倫理政経の講義では欲求不満の防衛機制として「同一視」という言葉も学んだ。尊敬する人や組織などに自分自身を重ね合わせて自己評価を高めることらしい。行岡くんの三島由紀夫心酔は、この同一視に近い心理だと思う。自分には、同一視の対象の大人もいない。

保健の時間には、思春期の恋愛感情についても学んだ。

「スピッツの『優しいあの子』という歌を覚えていますか? テレビドラマの主題歌にもなりましたねえ。どうして『優しい彼女』『優しいあなた』でなくて『優しいあの子』なのか、不思議でしょ? あの歌の主人公は『優しいあの子』と距離感があります。あの子を遠くから見て、きっと優しい子に違いがないと勝手に理想化しているのです。それは自分が優しい人になりたい思いがそこにあったり、自分が優しくされたい思いもあったりします。皆さんにも覚えがありませんか?」

 そういう恋を明輝くんはしたことがない。いつも女の子の欠点ばかりを見て不満を感じている。自分の心の中には優しさを他人に求める気持ちも、ましてや人に優しくしたい気持ちもない。

これらのこと全てを心療内科の主治医にぶつけたかったが、出来なかった。医師の前では優等生で居たい。そんな思いが明輝くんが正直な気持ちを話すのを引き留めたのだ。


                 ⁂


 行岡くんが薦めてくれた、三島由紀夫の「金閣寺」という小説を読んだ。明輝くんは読書はさして好きではないが、本を読むのが速い。

 明輝くんは小説の文体のあまりの美しさに圧倒された。

 主人公は田舎の僧侶の息子で、父親に「金閣寺ほど美しいものはない」と言われて育つ。

主人公は父親の死後、金閣寺の徒弟となる。金閣寺の老師の援助もあり、大谷大学入学し、金閣寺の跡取りと目されるようになる。

 物語の前半は、思春期らしい異性への目覚めや数少ない友人との関係が中心となっている。

 文体が美しい。金閣寺の屋根の頂を飾る黄金鳳凰のことを『この神秘的な金いろの鳥は、時もつくらず、羽ばたきもせず、自分が鳥であることを忘れてしまったことにちがいなかった。しかしそれが飛ばないようにみえるのはまちがいだ。ほかの鳥が空間を飛ぶのに、この金の鳳凰はかがやく翼をあげて、永遠の時間のなかを飛んでいるのだ』の箇所が印象に残った。主人公が親友ととある寺の見学に行ったとき、美しい振袖姿の女性が着物をはいで乳房を出し、母乳で茶をたてた茶碗に注ぐシーンには仰天した。

 それ以上に共感したのは主人公と老師の対決だった。主人公は老師が芸者らしい女性と道を歩いているのを偶然、目撃する。以降、主人公は老師に反発をし、学業をサボり成績が下がる。とうとう老師から「跡取りにしない」と宣言される。主人公は金閣寺に放火し、自殺も考えたが、燃える金閣寺を見て、煙草を吸いながら「生きようと私は思った」で終わる。

 主人公の心の中にはいつも至高の美としての『金閣寺』がある。小さな夏の花を見ても、美しい人の顔を見ても、「金閣のように美しい」と形容するほどだ。ある女性と肉体関係を持ちそうになった時、金閣寺が現れ、肉体関係は未遂に終わる。

明輝くんの心の中には『金閣寺』がない。

美しいものが胸中に今はない。美を見つけてもすぐに白ける。もし自分に金閣寺に相当する美と出会ったなら『金閣寺』に放火するのだろうか?


 行岡くんが小説「金閣寺」の感想を求めて来た。明輝くんは思うまま、感想を述べた。

 予想に反して行岡くんは怪訝な表情となった。

 行岡くんは言う

「実は……ぼくは三島先生の『金閣寺』が理解できないんだ。前半は実縞さんと同じ感想を持ったよ。だけど後半は老師への反発しか、主人公の胸の中にはないんだ。時は日本が敗戦した頃、主人公は大学で仏教を学んでいる。それなのに主人公は社会のことを考えない。大学生ならもっと日本の在り方を仏教や将来の職である僧侶の立場で考えるべきなんだよ」

 まあ、主人公は金閣寺に放火するような狂人だからね。行岡くんはそう言う。

 明輝くんは驚いた。自分の心の中には『金閣寺』がないだけでなく、日本や社会への真剣な憂いも思いも存在しない。今年の2月24日に起こったロシアによるウクライナ侵攻に対しては、僅かな募金を赤十字に送って済ませ、後はひたすら爺ぃじへの反発と、偏差値と大学での就活のことしか胸中にない。


              ⁂


 幸いなことが起こった。ゴールデンウィークのバイトは、頼畑さんが両親に頼み込んで、後半の塾の講義は受けないこととなった。だから後半の連休は私がバイトに通う。頼畑さんはそう言った。

 ヤッホー。ラッキーだ。明輝くんは喜びのあまり頼畑さんをハグしたいほどになった。

 残りの問題、すなわち文化祭当日土曜日は文化祭を休んでバイトに行くことはどうなるだろう?

 明輝くんは担任教師に、授業終業後の掃除のあとに開かれるショートミーティングの時間に、自分のバイトの件をクラスメイトに話したいと頼んだ。担任教師は簡単に承諾した。

「皆さん。ごめんなさい。私は事情あって文化祭当日の土曜日は、実行委員でありながら欠席をします」

 明輝くんは正直に事情の全てを話した。図書館カフェレストランの事情をまず話した。そして家庭の事情も打ち明けた。両親共にホテル勤務なので、今は家計が苦しいのです。家計が大変なのは皆さまだって一緒です。なのに私は高校文化祭という大切な行事をサボって、お金儲けをするのです。申し訳ないです。そのように話した。

 同級生の中には明らかな不満の表情を示す者もいた。

 同級生の1人が挙手して発言をした。

「勉強や学校行事と、アルバイトを両立するのは大変なことだと思います。実縞さんはこれまで実行委員としてよく頑張ってくれました。ご家庭の事情もあるし、何より働くことは社会人として責任を持つことになります。実縞さんの当日欠席は仕方ありません。土曜日の模擬店は、実縞さんの分も皆で頑張りましょう」

 何人かの生徒が拍手をして賛成の意を示した。別の生徒は言った。

「文化祭当日は、いつもより1時間早く朝の6時半には校門が開きますね。その6時半から図書館バイトに間に合う8時頃まで頑張ってもらえませんか?」

 その発言に多くの生徒が同意の拍手をした。

 ミーティング終了後、1人の男子生徒が近づいて来た。

「図書館のバイトってやばいよ」

 その男子生徒は話を続けた。

「実は俺もそのバイトに応募したんだ。部活の費用を稼ぎたくて。けれど学校の事前面接の選考でダメだって。成績優秀、中学のときは無遅刻無欠席無早退の生徒じゃないと採らないんだって。今、俺は学校に内緒でマックのバイトしているけどどうも勉強や部活と両立できそうじゃなくて、もうすぐバイト辞めるんだ。バイトが続くなんて偉いよ。尊敬しちゃう」

「ありがとう、褒めてくれて」

 いささか不愛想なところのある明輝くんは、それだけの返事をした。

「今日は急ぎの用事があるんだ。じゃ」

 明輝くんはそう言いながらその男子生徒の前を離れた。

 用事があるのは本当だった。今日は補習授業も文化祭実行委員会もないし、登山同好会にも欠席届を出している。明輝くんが向かうのは件の市立図書館だった。


 市立図書館のカフェレストランは、普段は山本さんという名の女性スタッフと市川さんという名の男性スタッフが調理を中心に切り盛りしている。2人の常勤スタッフは仲がいい。親し過ぎている。不倫の関係かと明輝くんは疑っている。

 山本さんはカフェレストランの隅のテーブルの椅子に座っている。広いカフェレストランは平日の昼下がりなのに結構客が居て、コーヒーや軽食を摂っている。

「実縞さん、こんにちは」

 山本さんはそう言う。こちらこそ忙しい中、時間をとっていただいて、そう明輝くんは返事をしながら山本さんの斜め向かいの席に座った。新型コロナ感染予防のために図書館のカフェレストラン各テーブルには、透明なプラスチックで出来た仕切り板が置かれている。コロナ感染が収まれば仕切り板はどうするのだろう。明輝くんは不思議に思っている。

「高校の模擬店の材料の仕入れのことね。私の意見が参考になればいいけど」

 山本さんの方からそう言った。山本さんは明輝くんに尋ねた。

「テーブルは最大で何人までは入れるの?」

「各テーブルは本当は4人掛けだったんですが、新型コロナのせいで2人ずつしか座れません。テーブルは……8つです」

「じゃ、最大16人が座れるのね」

 山田さんは計算を始めた。最大16人で8割埋まるとして滞在時間が15分とすれば13×4で1時間に52人の客の収容が可能です。メニューは肉巻きおにぎりでしたね。1人 1・5本注文するとして約80本、ピーク時が11時から2時までと計算すると……240本、それが2日分だから480本それに予備の分に30本ぐらい注文すれば……」

「ちょっと待って下さい、お客さんはそんなに入りませんよ。他の学年も模擬店するし、OBOG保護者の店もあるし……」

 OBOG保護者の店は今年はコロナ禍を考慮して業者委託に決まったと実行委員長から聞いた。メニューは昨年、一番評判が良かったハンバーガーらしい。

「余った冷凍の肉巻きおにぎりは生徒食堂さんが買い取ってくれるなん?」

「それはそうだけど……余り過ぎると食品ロスになるかもな」

「品切れ状態になるよりも少し余るぐらいの方がいいな。文化祭、来年も行なうでしょ?   

そのことを考えると2時前に売り切れてしまうよりも、余裕を持たせた方がいいと思うな。営業時間は?」

「朝9時から夕方の4時半です。4時がラストオーダーです」

 そう言いながら、模擬店は朝から忙しいらしいと、大学生の先輩からのアドバイスを明輝くんは思い出した。文化祭の朝は6時30分が学校の開門時間で、生徒の中には朝食抜きでやってくる。9時頃にはボリュームの多いメニューを選んで模擬店に足を運ぶ生徒がいる……。

「肉巻きおにぎりの冷凍は、100本入りで2万円近くします。販売価格は光熱水費や人件費は考えなくていいと学校側から言われています」

 東高の文化祭では黒字が出れば、それは来年度の文化祭の予算に回すことになっている。

「他に野菜ジュース、チョコバナナとアイスコーヒーやウーロン茶を出すと聞いたけど」

「はい。その辺りもどの程度、材料を購入するのか分からなくて。飲み物は値段は1杯50円で考えています」

「先程の要領で計算するのよ。たぶん野菜ジュースよりも、ウーロン茶の方が売れると思うな。それより肉巻きおにぎりのお皿はどうするなん?」

「それは3年前の文化祭実行委員会がゴミ削減の見地から、カレーや焼きそば用のアルミの皿を購入しました。全部で千枚以上あると聞いています」

「サーターアンダギーや沖縄風焼きそばのお店とお皿の取り合いになりそうな」

 山田さんはそう言って笑った。山本さんは他にもいろいろ相談に乗ってくれた。山本さんによると、肉巻きおにぎりは元々は宮崎県の名物だったらしい。明輝くんは「南国宮崎名物」と「トロピカルバナナ」を店のコンセプトにし、店名や内装はそれをテーマモチーフにすることでクラスメイトと話し合おうと決めた。

 6時近くなったカフェレストランは、客も帰路の準備をし始め、静かになった。明輝くんは山本さんと市川さんにお礼の挨拶をし、図書館のカフェレストランを後にした。


 図書館の入り口近くで明輝くんは東高の制服を着た、どこかで見かけたことのある男子生徒を見つけた。その男子生徒は朝の登山同好会の練習に時々姿を現わしているし、明輝くんが受けている早朝学習や倫理政経の受験用補習にも参加している。だが名前は思い出せない。

 その男子生徒は

「確かお宅は文化祭実行委員会のミシマさんでしたね」

と、声をかけて来た。


 明輝くんとその男子生徒は図書館のロビーの椅子に腰を掛けた。件の男子生徒は手作りの名刺を明輝くんに見せ

「私は平田庸のぶはるという者です」

 と名乗った。名刺には住所や電話番号、東高の所属クラスに加え、工芸部および登山同好会所属と書いてある。平田くんは工芸部の文化祭ステージ部門の相談に乗ってほしいと言う。人数の少ない工芸部で平田くんはステージ部門の統括係をしている。

 以前、文化祭の実行委員会で工芸部部長は、展示の活動は、普段は七宝焼きやトンボ玉・蜜柑玉など小さな作品が多い、見映えを良くするため、部員全員の共同作業で、農家が使うマルチポリフィルムで作ったバルーンのマスコットや、編んだ竹に和紙を張って作るオブジェを展示する予定だと、言っていた。ステージ部門は皆で縄文式土器を作り、その様子を上映したいらしい。工芸部は新1年生から3年生も含めて4人の少人数の部だ。

「でもその後、私達1年生から郷土の工芸品作りの現場をスライドショーで上映したいという意見が出ました。ところで実縞さん、行岡さんから聞くところによると、障子紙やふすま紙を製造する株式会社KAKIMOTOさんを親類に持っていますね。つきましては……」

「せっかくだけど私の親族の会社は手漉き和紙なんてやってないな。勘違いしないでくれんでな!」

 機械製和紙、それでいいと、平田くんは言う。市の郷土資料室には、昔の手漉き和紙の資料がたくさんある。スライドショーでは、昔の和紙製造過程と現代の和紙製造の現場を比較しながら紹介したいと平田くんは言う。

「工場現場は取材させてくれそう?」

 と平田くんは訊いた。

「KAKIMOTOの定休日は木曜日だな。日曜日には営業担当の人が出社するけど工員は休みなんだ。現場の様子を見物したいというお客さんもいるので、土曜日は工場の見学が出来る…よ」

「土曜日か……見学の時に動画写真部の生徒も一緒に行きますがいいかな?」

 見学の件は工場と相談しないと分からない、まず私の方からKAKIMOTOの親戚に根回しをする。だが土曜日は図書館のアルバイトがあるので同席できない。明輝くんはそう答えた。

「それにしてもKAKIMOTOって凄いなあ。和紙製の畳表も製造しているなんて」

「和紙の畳表は10数年ぐらい前から始めたそうだよ」

 明輝くんは恥ずかし気にそう言った。

 明輝くんが物心ついた頃には家も保育所も和紙製の畳表を使っていた。明輝くんは小学校の林間学校で、始めていぐさ製の畳を知った。

「実縞さんのお父さまお母さまはホテルパーソンだってね。外資系? ホテルの名前がそんな感じがするけど」

 ホテルはバブル経済の頃、市内にあった「松や」や「角や」などの和風の小さな旅館の組合が、「これからは洋式ホテルの時代な」と考え、市を通して誘致したホテルらしい。

 当初は外資系だったが、10年前より県下の大手温泉旅館グループの傘下となった。ホテルなのに、シャワーとユニットバスを使い慣れない田舎の人のため、大きな入浴施設がある。大手温泉旅館グループがそこに目をつけ、ホテルを買収したのだと言われている。詳しい事情は分からないが、外資系ホテルのノウハウと温泉旅館のサービスの両方を、ホテル側は持つことができるようになった。明輝くんは平田くんにそう説明をした。

「ホテルのこと、もっと知りたいなあ」

 平田くんが言う。

 ホテルの周囲にめぼしい観光施設はない。

 そのためホテルの敷地内にテニスコートやプール、スポーツジムを設け、さらに高麗雉やモルモットや兎なんかが居る小動物園、それに乗馬施設まである。ホテルから県下にあるテーマパークや観光地行きの直行バスを、ホテルは所有している。

「でも今はホテル、暇。ホテル内に労働組合が結成されて何とか給料は出ているけど、家計は大変。だからぼくは図書館のアルバイトをしているんだ」

「バイトと部活と勉強の上に文化祭実行委員までやっているなんて凄いじゃん。ぼくも春休みに近所のうどん屋でバイトさせてもらったけど、疲れて疲れて結局辞めたんだ」

 平田くんはそう話した。

「ぼくの名前、変わっているでしょ? 『のぶはる』なんて。ぼくの両親は3代続いた整骨院を経営しているんだ。だから普通に治す、そういう意味で庸治なんて名前になったんだよ」

 1人っ子で他に兄妹はいない。両親はぼくに整骨院を継がせるつもりはない。幸い黒字経営なので、近々に整骨院やマッサージ店を営む株式会社の傘下に入る予定になっている。      

 近所に住んでいる母方祖母は昔、7代続いた仏壇仏具用品の店に嫁いだ。祖父は既に亡く、祖母が店の切り盛りをしているが、祖母が働けなくなれば閉店廃業の予定だ。

 平田くんは、そういう主旨のことを明輝くんに話した。

「子どもの頃の夢は本屋のオヤジ、あるときは印鑑屋のオヤジに憧れていたんだ。どちらも斜陽産業だね」

 他人と群れるのはやや苦手で、独りでコツコツとやる工芸部と登山同好会を部活に選んだ。工芸部では鎌倉彫をやっている。将来は地方公務員になるのが夢だと、平田くんはいう。公務員になりたいなんて、自分と同じだ。明輝くんはそう平田くんに告げた。

「ぼくの親族経営のKAKIMOTOは、いつ解散するか分からない経営状態なのさ。昭和20年代の頃は内職で障子紙やふすま紙を作ってて、県内から戦災で焼けた家からの注文が多かったんだよ。でも、機械製和紙が大量生産されたので内職での和紙作りを止め、親族はこれからは家に洋間が増えると睨んで和紙の他に壁紙の工場を作ったんだ。……だけど今は和室が少なくなったし、壁紙だってこれからの人口減少時代で需要は減るだろうし……ホテルの経営も客が戻って来るかどうか……」

「ようするに斜陽時代なんだよ。ぼく達の未来は」

「いい大学を卒業して有名企業の総合職に採用されても、あちこちに転勤させられるし、公務員なんて国民市民の僕(しもべ)だという理由で残業手当なしで働かされるし、B級C級私立文系大学を卒業すれば地方の中小企業から引っ張りだこの募集があるけど、実態はぼくの親族の株式会社みたいな感じだし……安泰の生活なんて存在しないんだよね」

 明輝くんは諦めた様子でそう語った。

「それにしても大きな図書館だな。こんなに蔵書数の揃った図書館があるなら、学校の図書館なんて必要ないじゃん」

 市外から通学している平田くんは驚く。

 東高の広い図書館は本が極めて少ない。生徒達はこの市立図書館で、あるいは通学途中の大型書店や古本屋で本を入手する。図書館は自習やグループワークのとき利用される。

明輝くんは平田くんとLINEの交換をした。

 思えば東高に入ってから、行岡くん以外の親しい友人はいなかった。明輝くんの性格のせいだけではない。コロナ感染予防の見地から昼食は自分の席での黙食が奨励され、昼休みもソーシャルディスタンスを取っての会話だった。文化祭準備の話をクラスメイトとするものの、腹を割って話をする機会はない。  

 明輝くんは平田くんなら、行岡くんとは違う意味での友達になれそうだと思った。


 明輝くんが自室で勉強をし始めたとき、廊下で爺ぃじが話す声が聞こえた。

「美佐枝さん、遅くなりましたが今月の生活費をお渡しします」

 爺ぃじは年金から、わずかながら光熱水費や朝夕の食事代を母ぁかに生活費として渡しているらしい。わざわざ自分の娘に敬語を使って支払っている。爺ぃじは昼飯は自分でコンビニやスーバーで弁当を買って食べている。母ぁかに遠慮しているのだ。KAKIMOTOに勤めている頃は、会社の給食で昼飯を済ませていた。

 その夜、入浴したとき、白髪が湯舟に浮いているのを明輝くんは発見した。一瞬、爺ぃじに腹を立てたがその気持ちを抑え、明輝くんは浴室用のネットで髪の毛を掬い、風呂場の隅の三角コーナーにその毛を捨てた。

入浴後、スマホを見ると平田くんからLINEが来ていた。


―毎週月曜日の放課後に行なわれる国際倫理Ⅱおよび

 国際倫理Ⅲは1年生でも

 聴講できるんだって

 

 国際倫理は東高の独自科目である。


―マジで?

―受講というのか見学だけ 

 グループワーとかには参加出来ないけど

―んで?


―受講しない? 一緒に


 国際倫理は受験に関係ない。受験科目以外に関心のない明輝くんは


―残念ながら受講しないよ


 と返事に書いた。


             ⁂                                                                   


 昔は一高・二高だけが県内の全域から入学することができた。他の高校は各市町村を併せての学区があり、その学区内の中学校の生徒が、学区内の高校を受験した。高校入試は今のような特別選別もなく、入試は1回だけで第2希望制度もなかった。今は少子化の影響で県内全域が1つの学区になっている。

 こういう流れを受けて、県の教育委員会は、県下の各高校に「特色ある高校」作りを推進している。

 普通科の高校は各高校独自に新たな科目やコースを設置した。例えば二高なら、理数科に特化した理数コースと英語に特化した国際コースが普通科と共に併設されていて、県の高校受験日とは別に独自の選抜試験を行なっている。

 明輝くんの暮らす街から遠い某高には、南海トラフ地震に備えてか、日本で3つ目の「防災環境科」が設置されているし、県下で観光地の多い地域の高校には「国際観光コース」が設けられている。

ちなみに一高には特別コースはない。文系でも数学Ⅲを学ぶ一高は、一高であることだけで「特別な存在」となっている。

 明輝くんの通う東高では、長い間普通科1本だったが、県教育委員会の圧力でもあったのか、学校独自科目として「国際倫理」なる学科が設置された。SDGsを中心に、人権・環境・平和問題を、途上国も含めた地球規模の視点で解決の手段を考えましょうということを学ぶ、そういう教科である。1年次には全員、総合的な探求の授業時間に国際倫理の授業が施され、2年次以降は特別選抜の生徒が国際倫理Ⅱ・Ⅲを学ぶことになっている。一般入学の生徒も希望すれば、成績次第で2年次以降も国際倫理を学習することが可能だ。

 この国際倫理の授業は、一般入学の生徒の受けが悪い。入試に直結しない科目だし、教えるのは1年生の間は担任の、いわば素人が担当する。「LGBTの人権について考えましょう」と言っても、教師の年齢平均が55歳の高校、教師の中にはレズ・ゲイ行為を本心ではふしだらなことと考えている節がある。

 それでも特別選抜の試験を受けて、東高に入学したがる生徒は多いらしい。東高の部活や学校行事に惹かれての入学希望者や、中には受験生活を早めに切り上げたい生徒が特別選抜を選ぶこともあるが、たいていの特別選抜受験者は東高でしか学べない国際倫理の授業を学びたくて、小論文と面接そして内申書の試験を受けて入学する。国際倫理Ⅱ・Ⅲを受講する生徒の中には将来、福祉関係や国際NPOで働く夢を持っている者もいる。

 平田くんは大卒地方公務員を志して、特別選抜入試で東高に入学したのだと、簡単にLINEに書いて寄越した。


―公務員の仕事に国際倫理が関係あんの?

 

明輝くんは即レスした。


―関係は大ありですよ(続く)


 平田くんはそう返事に書いた。近年は日本に長く暮らす外国人が増えた。県下にはブラジル人にベトナム人をはじめ、場所によっては朝鮮民族や台湾出身者がいる。彼ら彼女らは時に差別を受け、時に行政から厳しい扱いをされている。僕はそういう「外国人」への差別をなくしたい。ぼくは将来は公僕として外国人への差別のない世界を作りたい―そういうことを、スマホの場面の色が変わるほどの長さの文章でLINEに書いて来た。

 明輝くんスマホは戸惑った。一見、朴訥に見えた平田くんに、このような現実離れした情熱があったとは。公務員の政治活動は禁じられている。それを知ってか知らずの書き込みなのか。

 平田くんは続けて送ってくる。


―日本に暮らす外国人に援助するのなら語学力が必要です 英語は高校や大学でも勉 

 強しますが、ベトナム語を始め在日ブラジル人の母語であるポルトガル語を学べる

 大学は極めて少ないです でもYouTubeやSNSに今話題のウクライナ語や

 クルド語まで学べるサイトがあります 大学生になれば僕は非英語圏の学生を友人

 に持ち ネットのサイトを通じてそういうマイナーな言語を身に着けたいと思って

 います。


 明輝君はどんな返事を書くべきか悩んだ。平田くんが幼稚で巨大な夢を抱いているのか、もしかすると自分こそが何も考えずに地方公務員の職を希望しているのか。


―立派な目標を持っているのは素晴らしいな。

 夜も遅くなったので私は寝ます 

 その話はいつか学校でしようよ

 

 書き逃げだ。明輝くんは自分の行為に卑怯さを感じたが、仕方がないと思いつつ、かけ忘れていた制服のワイシャツにアイロンをかけた。


                    ⁂


 大型連休が始まる前日の放課後、明輝くんはいつもの倫理政経の補習授業を欠席して、視聴覚教室で行われる文化祭実行委員会の会議に参加した。ノートや配布されたプリントは後で平田くんに見せてもらう予定にした。

生徒会長は会議の冒頭に

「今年の文化祭の催し物は、展示・ステージともに、ウクライナ関連と新型コロナ関連が多いですねぇ」

 と発言した。

 今、印刷したばかりの各クラスの文化祭発表のテーマが書かれたプリントを見ると、確かにその通りだ。

「タイムスリップ・80年前の日本」というタイトルが展示・ステージともにある。偶然の一致なのだそうだ。展示は1年生(平岡くんの居るクラスだ)、ステージは3年生が担当する。今から80年前の日本は昭和17年で、太平洋戦争に突入していた。テーマが重なっても、そのままにすると生徒会長と文化祭実行委員会長は、その企画を認めた。

 展示部門では、「ウクライナ~歴史から料理まで~」というものがあり、明輝くんの姉ぇねのクラスは「新聞記事で読み解くウクライナ戦争」となっている。姉ぇねによれば、自分のクラスは理系で、医療や生活科学に農学部を目指す生徒が多いのだそうだ。できれば国公立大学を目指したい生徒もいて文化祭の展示はなるべく手を抜きたい。そういう裏意図があるのだと姉ぇねは家で話してくれた。

 他に「平和祈念~書道&カリグラフィー~」という展示や「寸劇~新型コロナで入院しちゃった~」という出し物がある。これは新型コロナの入院生活に加えて、体内でのコロナウイルスと免疫細胞の戦いを描く内容だ。さらに展示部門では「勇者よ・新型コロナと戦おう」というタイトルの、お化け屋敷めいた企画もある。

もちろん「果物♡大好き~花から果実への変身~(ドライフルーツ&果物缶詰販します)」や、「オリジナル・ヒップホップダンス」などなどの通常の企画もあるにはあるが。 

 寸劇「アンパンマンin戦場」は痛ましい内容だ。戦争で親をなくした子ども達が悲惨さを訴える。そこへ黒子に支えられた、小太りでマントを羽織った男子生徒が「諸君、あんぱんを食べないか?」と言ってパンを差し出す。子ども達がパンを食べ終えアンパンマンは黒子達に支えられ、再び空を飛ぶが、何者かが討った弾丸に当たり死んでしまう。最後にテレビアニメ「アンパンマン」の歌を全員で歌う。東高文化祭の全員参加精神に則った企画であり、物語もやなせたかし氏の初出の「アンパンマン」を元にしたものらしいが、観客はボランティアや善意の行為をしても殺されるだけ、損だという教訓を受け取りかねない。明輝くんは危惧する。

 ちなみに今年の文化祭のキャッチフレーズは「Reunion(再会)~朋有り、遠方より来たる、亦楽しからずや~」だが、どの出し物もそれを考慮していない。

 視聴覚教室の片隅でパソコンを使って作業していた教師がその時、珍しく口を挟んだ。

「いいじゃないか。そうやってコロナ禍や戦争のトラウマを解消するんだ。ウクライナとロシアの戦闘は君達にとって初めての戦争だからね」

 人生最初の戦争。確かにそうだ。明輝くんは思った。2003年9月11日のテロ事件とそれに続くアメリカ・イラク戦争の頃には自分達は誕生しておらず、それ以前の湾岸戦争もベトナム戦争もキューバ危機も、話に聞いてはいたが、ウクライナ戦争は現在進行形で隣国とそのまた隣国の間で行なわれている。

 もし自分の国が、ああいう状態になれば市民として戦えるのか。話し合いで解決するのか。そもそもウクライナ戦争は東高の文化祭までに解決するのか。何も分からない。いつもは大学受験と大学入学後の就職活動のことしか考えていない明輝くんもさすがに(もし日本で北方領土や尖閣諸島で戦争が起これば、世の中がかなり変わりそうな)と怖くなる。

生徒達はそれぞれもの思いにしばらく耽って沈黙した。

「この学校の文化祭では出し物が決まらないクラスには罰ゲーム的な企画があるそうですね」

 と、ある生徒が質問をした。生徒会長が答えた。

「出し物が決まらなかった場合、ステージ部門では女子は水着姿、男子は水着にランニングシャツで、体操をしてもらいます」

 体操の中身は男子は飛び箱跳びや逆立ちに組体操、女子は平均台演技にダンス、縄跳びなどをやってもらう。学校には運動会で使う、一輪車や竹馬などもあり、20分の持ち時間で全員が参加でき、かつ見ごたえもあるので観客の評判もいい。罰ゲームではなく、最初からこの企画に取り組むクラスも過去にはあった。

展示の部はでは「コンパスと三角定規と長定規だけを使って文様を作り、それに3色の色を使って彩色をしたもの」という絵画をやってもらう。意外にいろいろな作品ができ、こちらも来場者にも好評なのだそうだ。

 今のところ、全学年全クラスの企画テーマは決まったが、もし企画が行き詰った場合は、これら「罰ゲーム系企画」に変更してやってもらう。生徒会長は付け加えた。

 話し合いは文化系部の企画発表へと変わった。明輝くんはメモを見ながら、各文化系部の発表予定企画について話した。

「まずパソコン研究部ですが、例年通りステージ部門でプロジェクトマッピングを行ない、展示部門は『戦争と情報』がテーマになっています。パソ研部からはプロジェクトマッピングの持ち時間が昨年の10分から20分に変更されたので、不満の声も出ています。ESSはステージ部門が例年の英語朗読劇に替えて、東欧民謡を自分達で英語に翻訳したものを歌うことになり、展示部門は『みんな大好き・世界の首相と大統領』を実施します」

 高校生プログラミングコンテストの常連校のパソ研部も、早朝の発声練習「I scream,You scream,We all scream for icecream(私は叫ぶ。あなたは叫ぶ。私達全員がアイスクリームを求めて叫ぶ)」の早口言葉で有名なESSも、どこか今の国際状況を意識した企画となっていることを、明輝くんは感じていた。

「漢研、すなわち漢字研究同好会は、展示は毎年恒例の漢字クイズ・漢字パズルを来場者参加で行ない、同時に『漢字の成り立ち』および『中国と日本の漢字の違い』をパネル展示します。ステージ部門は『小学生にも分かる孔子の生涯』をスライドショー形式でする予定です」

 明輝くんはそう発言しながら、漢研の存在意義を思った。漢研は準会員と本会員から成っている。準会員は週に1回、朝7時40分から8時30分まで開催される漢字学習会に参加できる。特定のテキストはなく、漢字や漢文の学習を自習形式で行なう。運動部の生徒で朝練がある場合、漢研の自主学習を優先させて参加できる特典がある。ただし漢字・漢文以外の学習は禁じられている。もちろん明輝くんは準会員だ。

 正会員は放課後に文化祭向けの漢字パズルや漢字クイズを作成する。クイズ・パズルは、小学生の部・中学生の部・高校生および成人の部に別れていて、お勉強会系の部活動なのに参加する来場者は多く、ときには順番を待つ人で長い列ができる程、人気のある企画だ。

 文化祭後はわずか3~4人の正会員達は、週に1回、ときにお茶とおしゃべりを交え、漢字検定や漢文検定に向けての自習をする。

校長先生が 

「ここの高校の部活はどこも活気があります。漢研のような地味な部ですら、真面目に自主的に活動しています。漢研の生徒の中には漢字研究を通じて中国文化に興味を持ち、毎年必ず1人2人が、中国語を学べる大学へ進学します。本校には入部後、籍だけを置いてサボれる部はありません」

 と、学校見学に来校した中学教師や教育委員会に説明をする。

 中国語を大学で学んで何の役に立つのだろうと、明輝くんは思う。ビジネス関係の中国人なら英会話をマスターし、日本語をしゃべれる人もいる。英語が使えない中国人は、日本風の価値観で言えば、偏差値が低いのだと明輝くんは捉えている。

 明輝くんはそう考えながら、次々と文化系部の文化祭に向けての活動の進捗状況を説明した。

「吹奏楽部と声楽部は、音楽カフェを展示の部でやりたい希望を持っています。ただ、声楽部は所属部員が3年生を含めて5人しかいないのでカフェに替わる企画も検討中です」

 明輝くんは続けた。

「華道部は20分の時間を使い、『菊尽くし』や『花笠音頭』など花にまつわる日舞を行ない、その後、音楽に合わせて花を生ける華道パフォーマンスを行なう予定です」

 華道部の部員達は既にYouTubeなどを参考に、早朝から浴衣を着て練習に励んでいる。

「でも日舞は華道部の日常の活動じゃないでしょ? それなのに踊りを指導者なしで披露するなんて、おかしいわ」

 そういう意見も出た。明輝くんはさらに続けた。

「美術部はステージ部門は何をすべきか未定です。市販の教育用のDVDなどを再編集して、ピカソのゲルニカの解説を上映したいらしいですが……展示部門はヒマワリを題材に油絵や水彩画を展示し、同時に自作の塗り絵や今年度のカレンダーなどの販売も行なう予定です。そして工芸部は……」

 明輝くんは顔が火照るのを感じた。

「ステージ部門は和紙、とりわけ障子紙とふすま紙にスポットを当て、昔の手漉き技法の和紙作りと現代の工場生産された和紙をスライドショーで紹介します。展示部門は未定です」

「工芸部の展示って見映えがしないねぇ。ちゃんと活動をしているのかなぁ」

 そんな批判めいた発言が聞こえた。

 明輝くんは次々と文化系部の現在の状況を説明した。家庭科部は今年は保健所の許可が降りて、手作りのクッキーやパウンドケーキ、市販のプリンなど、そして市販のペットボトルのコーヒー紅茶を磁器やガラス製の食器に入れて、調理実習室隣の洋式作法室でカフェを行なうこと、教室を使っての展示では今年は「家計と保険」をテーマにした研究発表を行なうこと、そしてステージでは動画写真部の協力を得て、「イチゴのショートケーキができるまで」を上映することなど報告をした。

「家庭科部、やばい。やりすぎよ」

「縫いぐるみや手編みの手袋なんかもバザーに出すんだって」

 確かに姉ぇねを見ていると、家庭科部は活動の幅が広いと明輝くんも思う。土曜日の午前中は料理やお菓子作りをし、土曜日に出勤している教師達に提供したり、作った手芸品を福祉施設などに寄贈したり、さらには家庭科の論文コンテストなど向けの研究も行なったりもする。なぜか、男子で家庭科部に入部する者はいない。

「文化祭に協力的ではない部もあります」

 明輝くんは報告した。

「まず茶道部です。保健所から茶道部の喫茶の許可が出ませんでした。そのことに怒って茶道部はステージ・展示ともに参加する意志がないとのことです」

 茶道部のお茶会は来場者からの人気も高い。例年は別棟1階の和式作法室の小部屋の方を使って、部員は浴衣を着て行なうのだが、自分達茶道部は出店出来ないのに、隣の洋式作法室大部屋を使っての家庭科部のカフェには、保健所の許可が出たことに不公平感を感じているようだ。

「3年生は、入学以来、一度も正式なお茶会を経験せずに卒業するのよ。その辛さが実縞さんには分かって?」

 と、茶道部長に随分なじられた。

「それから競技かるた部もステージでの参加を拒んでいます」

 競技かるた部は、毎年の文化祭では、百人一首のかるたに説明書きを添えたような、おざなりの展示を行なっていた。競技かるた部が活躍するのは春の放課後に行なわれる、東高と偏差値レベルが同じぐらいの高校との定期戦で、それは体育館で行われる。双方の学校とも吹奏楽部などの応援が加わり賑やかな行事だ。また競技かるた部は「歌会始」に、短歌を全部員が応募していることで知られている。競技かるた部はどこかプライドが高そうな感じがある。

 そんな競技かるた部が望んだステージ参加は「自分達の試合を生中継で上映する」ことだった。これには動画写真部にとっても放送部とっても難しい企画だった。

 「まあ、文化系部の全てが展示とステージの両方に参加する必要はありません」

生徒会長が発言した。

「ステージの部は換気のための休憩時間も含めて9時から4時半のプログラムになっていて、1ステージ20分で全部で17コマ出演が可能ですが、その内6コマはクラス単位で出演します。文化系部は残り11コマをあてがいます。10分を希望する部は10分で参加しまして大丈夫です」

 生徒会長は続けて説明をした。

「そして教室での展示は、1フロア10部屋の教室がある一般棟2階3階の他に、今は使われていない、渡り廊下でつながった新別棟の3部屋の教室を使います。両方合わせて1フロア13部屋、合計26部屋を文化祭の展示にあてがう予定です。そのうち9室はクラス単位の出演に利用するので、文化系部は最大17室が使えます。もし文化系部が展示に参加しなかった場合は、その教室は生徒会側が使ったり、教員が中学生向けの東高案内に宛がいます」

 なんだそうか。それならパソ研部や和太鼓部は10分のステージ参加をすればいいし、ステージ参加に消極的部はそのままにすればいいのだと、明輝くんは安心した。

 茶道部と競技かるた部の件は、生徒会長と私の方で話し合いますと、文化祭実行委員長は言った。生徒会長からはさらに話があった。

「今年の新1年生から新しい2つの文化系部を設立したいと言う声が上がっています。今は休部扱いになっている自然科学部の再開と、e―スポーツ同好会の設立です」

 生徒会長によると、以前から将来の進路に看護師を希望する生徒達は、保健室の先生がインフォーマルに作った校内サークルに入り、そこで様々な指導—例えば理科の選択教科を始め、補習授業の取り方やどの部活を選ぶべきかまで―を受けていた。保健室の先生は、看護師になりたいのなら国公立大学の4年制の看護学科に限ると、生徒を焚きつけていた。理科数学が苦手な生徒は必死にその勉強をして、赤点を取らないようにと言い、受験向けの倫理政経の補習授業も1年生の内に受けろと指導する。そしてスポーツが苦手な生徒には勉強と両立できそうな運動部や運動系同好会への入部を勧めていた。

 今年はコロナ禍の影響か、看護師志望者が男子生徒を含めていつもの年度の倍以上いた。その生徒達を集めての話し合いのとき、昔この高校にあった自然科学部の話題となった。

 自然科学部は、昔は東高の金看板的な部で、科学の甲子園(注3)の県大会の常連校であり、科学の論文コンテストにも応募し、ときには一高を伍にする活躍もあった。

 しかし、顧問の教師が転勤してからはよい成績が得られず、部員数も減って休部扱いになった。その自然科学部を復活させたいという意見が看護師志望の生徒達からあがった。

 保健室の先生は、部活は授業や補習授業の延長にあるものではないと、一度は自然科学部復活に否定的だったが、生徒の声はより大きく、保健室の先生が顧問の元、自然科学部復活の運びとなった。保健室の先生は生物基礎ぐらいしか指導はできないが、数学・情報をはじめ他の教科は専任の教師がその都度指導することになった。

 

(注3)科学の甲子園 科学技術振興機構主催の科学コンクール。理科・情報・数学の知識を問う「筆記競技」と、同教科関わる実験・実習・考察等の競技によって課題を解決する力を競う「実技競技」から構成される。全国大会は毎年3月に開催される。代表チームは、各都道府県内の高等学校等に所属する1~2年生の6~8名で構成されていることが条件となる。


 明輝くんはそういえば「目指せ!看大」のユニフォームを着てジョギングをする生徒達を見たことがある。 

 e―スポーツ同好会のほうは、新1年生の他、パソコン研究部や文芸部に所属の生徒達が作りたがっていると、生徒会長は説明する。

年配の教師が多いこの高校でe―スポーツ同好会が認められるのか、まだ分からない。が、生徒達の意欲は満々で、自分達で作ったオリジナルのゲームに基づいた世界観をテーマにした展示・ステージの両方で文化祭への出場を望んでいるという。 

 一通りの会議が終わった後、生徒達の雑談が始まった。

「今の校長は文化祭へのやる気のハードルが高いなあ」

 と生徒の1人が言えば

「校長先生はうちの高校の文化祭を、筑波大付属(注4)や東京の国立(くにたち)(注5)並みにしたいらしいよ。うちの学校の偏差値じゃ無理々々」

 という声も上がる。


(注4) 筑波大付属 筑波大学付属高校のこと。文化祭で最も早く、「遊園地のコーヒーカップの乗り物」を生徒手作りで発表したことで有名。文化祭での生徒による手作りのジェットコースターなどアトラクション系出し物の先駆けとなる。東大合格者が多い進学校。 (注5) 東京の国立 東京都立国立高校のこと。「日本一の文化祭」と呼ばれ、3年生の演劇で有名。東大合格者が多い進学校。


「東高でも、数年前に回転シーソーを文化祭でやったな」

 そういう話から、昨年の東高の文化祭へと話題が移った。昨年はコロナ禍のため、保護者来場も禁止して校内でひっそりと文化祭を行なった。出し物は、ゲームの「あつまれどうぶつの森」や人気漫画の「呪術回戦」をテーマにしたものがあったが、半数近くは新型コロナ関連だった。美術部は「叫び~新型コロナと私~」、文芸部は「新型コロナde川柳」、クラス寸劇は「コント・新型コロナあるある」、クラス展示の手作り紙芝居—駄菓子売りと懐かし手作り玩具売りも兼ねた—まで、桃太郎が新型コロナと戦う物語だったという。その他研究発表「コロナウイルスの生物学的研究」や「新型コロナで変化した私達の生活」などなど、当たり前にあったらしい。

保護者の来場すら許されない文化祭は盛り上がりにかけ、生徒達は白けてしまったという。

「一高は今年の文化祭は、飲食関係の模擬店も復活して、例年通りのものをやるそうね」

 一高の文化祭はゴールデンウィーク明けの、金曜日から土・日の3日間行われる。70年代初頭の学生運動の余波を受け、一高や二高の文化祭は大学学園祭の雛形のように、クラス単位ではなく、有志と運動部を含めた部活が中心になって行なう。ことに一高は、野外コンサートや野外の模擬店—女装した男子生徒の喫茶店や、テントを真っ暗にしたお化け屋敷もある―が盛んで、大いに盛り上がる。教室で行なわれる、全部で7つある自然科学系の部活発表はレベルが高い。講堂で行なわれる音楽系の合唱部や吹奏楽部の発表は全国大会参加常連校らしく、聴き応えがある。とりわけ2日目夜のねぶた行進は地域住民からの応援もあり、一高の文化祭はWikipediaにも紹介されるほどである。新入生の歓迎会も兼ねていて、1年生は専らお客さんだ。中学生達は保護者同伴で一高の文化祭を見に来る。

 それに比べて東高はどうだ。小学校3年生以上は保護者同伴なしで見物できるが、やって来るのはその小学生と近隣の暇な老人が多い。過去のアンケート結果のデータでは、他の高校からの入場者は結構いるが、受験を控えた中学生の見物人は多いとは言えない。むろん保護者同伴で来る中学生はいない。時々、着物や背広姿の謎の大人集団を見かけるが。

「中学生は偏差値の低い学校の文化祭、行くのを嫌がるわ。あそこの学校に引き寄せられる。縁起が悪いってね」

「偏差値の高い高校は中学時代にリーダー経験のある生徒が集まるから盛り上がるのさ。言っちゃなんだけど、ぼく達より偏差値の低い高校の文化祭は、去年のぼく達の文化祭以上につまらないし、生徒が参加したがらないらしいよ」

「結局、何ごとでも親や偏差値や遺伝でこの世は決まるんだね。一高の生徒は生まれつき素頭も体力もある生徒の集まりじゃん。俺達はどう背伸びしても一高には勝てねえさ」

 どこかでガタリと音がし何か声が聞こえたが、生徒達は気にせずに話を続けた。

「いわゆる偏差値底辺高は、ヤングケアラーさんや家計のためのバイトで忙しい生徒さんも多くて、部活や文化祭どころじゃないそうよ。私達は恵まれているわ。感謝しなくちゃ」

 そう言った話題から、最近の二高の文化祭は盛り上がりに欠けるという話題になった。

 二高文化祭は一高と対照的にゴールデンウィーク初日から2日間、開催される。が、積極的に参加する生徒や部活が年々少なくなって来ているらしい。

「二高と言えば制服が復活したよね」

 二高の男女ともブレザースーツの制服は、戦後に制定されたもので、一高の学生服・セーラー服に対して、戦後のリベラリズムを体現するものだと言われていた。

 明輝くんは、二高は、爺ぃじの卒業直後に、学生運動の高まりから私服通学の自由を勝ち取ったと、親戚や街の人々からも聞いたことがある。ちなみに、一高には今も特別な式典以外、制服着用の義務はない。私服通学を誇りにしている。

「乗るまい・目立つまい・熱くなるまいの、3まい主義が最近の二高精神らしいよ」

 生徒同士の同調圧力が強く、同じブランドの洋服を着る競争に疲れて、制服復活の運びとなったらしい。今や二高は早朝から放課後まで強制参加の補習授業が行われ、宿題の量も相当ある、厳しい指導の学風になって来た。

 二高の変質は、国際コースと理数系コースを設けたことにあると噂されている。教師の贔屓が特別コースにあり、普通科の生徒達の不満が鬱積し、生徒同士が対立している。その特別コースは3年間も同じ学級なので、人間関係で躓いたらクラスでの居心地が悪くなる。特別・普通科ともに不登校生徒もぼちぼちいるらしい。それでも二高は大学受験の実績はかなり良く、国公立大学の合格者は、東高とは桁違いとまでは行かなくとも、格段に多い。東大合格者が各年に1人いる。

 最近の二高の生徒は放課後の部活も今は盛んでなく、「籍だけを置いておける部」が増えた。吹奏楽部は1年生の新入部員は150人近くいるが、実際に活動しているのは全学年30人程度だという。

「30人って多い方じゃないか? うちの吹奏楽部は20人前後だよ」

「生徒数が違うからね。一高や二高は1学年40人で8クラス。うちは40人6クラスだもの」

「何でも中学生の学力の二極化が進んで、うちの高校レベルの成績の生徒が減っているらしいよ」

「そして東高の未来は生徒減少で廃校処分か」

 生徒達は暗い表情で話す。

「体育館や生徒食堂は数年前からリニューアルしたから、あらましそう決まった訳じゃないと思うけど」

「リニューアルには感謝するよ。でも先にトイレを何とかして欲しかったな。創立45年目なのに、古くなって臭いがきついよ。洋式便器にはなったけれど」

「トイレは校舎を立て直さない限り、臭い問題は解決しないって、ねぇ先生」

 教室の片隅で作業をしていた教師は、いつの間にか席を外していた。

「そろそろ帰ろうか! 明日の予習もあるし」

 生徒会長が言った。生徒達は笑った。

 

 帰路、明輝くんは爺ぃじのことを思った。爺ぃじは話題になった、二高の卒業生だった。

絶対に謝らない爺ぃじは、過去を振り向いての会話はしない。爺ぃじの若い日々のことは、母ぁかや柿本家の親類がもっぱら話す。

爺ぃじの青春時代の内面は、明輝くんは想像するしかない。

(爺ぃじは二高の何部で活躍していたのだろうなん?)

 そもそも爺ぃじが部活に参加していたのかすら分からない。

 爺ぃじだって本当は一高に合格して東京の大学へ行きたかったに違いないと、明輝くんは思う。

 二高の通学服の自由化を、爺ぃじは制服通学を誇りに思っていただけに、きっと複雑な感想を抱いただろうと、爺ぃじの気持ちを想像する。

 明輝くんの思いは、爺ぃじのことから二高へと変わって行った。

 もし二高に合格すれば、国公立大学合格至上主義の下、山のような宿題と強制補習授業に追われ、同好会活動や文化祭の実行委員会にも参加しない青春を送っただろう。厳しい受験競争を乗り越え無事、ハイレベルな国立大学へ入学すると次には就職活動が待っている。有名大手企業に就職しても新入社員のうち3人に1人は3年以内に退職をする時代だ。退職者の中には最初の就職先よりも待遇面で劣る企業に入らざるを得ない者もいるだろう。場合によっては自宅警備員、すなわち無職のニートに成り下がる人もいるに違いない。

(ぼくは東高に入学した方がよかったかなん?)

東高に入学して早々に文化祭の実行委員に選ばれ、1年生の身ながら文化系部との交渉係を任された。

中学時代、明輝くんは一高に入学したかった。一高から旧帝大に入り、やがては何か偉い人になりたかった。人に将来なりたい職業は?と聞かれると、「YouTuber」とか「e―スポーツの選手」と本心を隠して答えてはいたが。

(自分の思い通りの人生を歩むのが仕合せとは限らんな)

 明輝くんはそう考えながら、家路を急いだ。


                 ⁂


「53番の食券をお持ちの方ぁ~きつねうどんが出来ました」

 明輝くんはトレイを持ってそう言う。連休中の図書館のカフェレストランは満員で、普段はセルフサービスで行なうことを、バイトの明輝くんはしなければならない。カフェレカフェレストランの中には小さな子ども達が大勢いて、一般客がきつねうどんを自分のテーブルまで運ぶことすら危険な状態になる。

 配膳下膳の他にコロナ対策用のテーブルの上の仕切り板の消毒もしなければならない。朝9時から夕方は最大7時までの仕事で、公営施設の中のカフェレストランらしく、1時間の休憩と仕事時間延長のときには残業手当がつく。

 仕事のピーク時は11時から2時までの昼飯時で、明輝くんは空腹を抑えて配膳下膳に従事する。1時間の休息時間は、客が少なくなった頃、30分や時には15分単位で取る。図書館のカフェレストランには、いわゆる賄い飯がなく、明輝くんはコンビニで買った菓子パンや惣菜パンを食って空腹をしのぐ。どことなく不経済に明輝くんは感じていた。

「坊ぅぼ、厨房の仕事もやってな!」 

 厨房の常勤スタッフの市川さんが怒鳴る。

明輝くんはフロアの仕事だけでなく、時には厨房に入って食器洗いをする。食器の洗浄は機械がやってくれるが、終わると食器は専用のタオルで拭かなければならない。そのタオルが湿って来ると新しいタオルに替え、濡れたタオルが溜まれば専用の洗濯機で洗い、専用の乾燥機に入れ、乾けばタオルを畳む。これらをフロアの仕事の合間にしなければならない。フロアでは、小さな子どもが食べこぼした食べ物を箒で履く仕事もある。

(図書館のカフェレストランだと思って、なめたらいかんな)

 何よりバイト店員が自分1人なのがキツい。

土曜日には前日どれだけ疲れた日でも、朝の8時50分頃にはユニフォームに着替えて職場に入る。前日の金曜日には倫理政経の補習授業が遅くまであるので、昨日の疲れが朝まで残っている。土曜日の夜はぐったりして、家庭学習の時間が取れない。翌日の日曜日は朝8時半まで寝ている。登山同好会での遠足があるときは、欠席届けを出している。 

 小学校時代から野球部で身体を鍛えていたはずなのに、疲れてたまらないのだ。

(頼畑さんは日曜のバイトでもっと大変な)

 頼畑さんは家庭科部で土曜日午前は料理の日になっている。姉ぇねによると欠席しないで参加しているらしい。そして月曜日は遅刻をせずに登校をする。とてもタフでエネルギッシュだと明輝くんは驚いている。この連休3日間、無遅刻・無欠席でバイトができるだろうか。明輝くんは気にかかる。

「坊ぅぼ、少し暇になったな。お昼休憩、取ってな」

 男性常勤スタッフの市川さんがそういう。時刻は3時半を過ぎている。

「実縞くんだけでなく、あんたも休憩に入りなさいな」

 山田さんがそういう。

 市川さんと明輝くんは厨房の隅で休憩をとる。

「坊ぅぼには感謝してるな。我さんが居ると安心して、お子さまセットをいっぱい売ることができるな」

 市川さんはそう言う。明輝くんが居ると、その分の給与を払わないといけないが、それ以上に明輝くんの働きで土曜日の売り上げを増やすことができる。感謝しているな。

「つまり実縞さんはうちの旦那に搾取されているのな」

 山田さんは遠くからそう言った。

 旦那? 明輝くんは倫理政経の補習授業ではまだマルクスを習っていないので、「搾取」という言葉の意味が分からなかったが、それ以上に山田さんが市川さんを「旦那」と呼んだことが気にかかる。

「失礼しますがお2人は御夫婦でしたか?」

「そうな。同じ職場だから2つも同じ苗字があってはならんと、夫婦別姓になったな」

 夫婦2人で店を持つことが夢だったと、市川さんが語る。図書館なので夜遅くまでの営業はできないが、安定した客がやって来る。

夫婦2人の努力もあって、この図書館カフェレストランに、飲食目的の客筋も多い。何とか黒字営業していると、市川さんは語る。

 夫婦2人の稼ぎだけで、子どもが2人居たとして、2人を県外の私学に通わせることができるのか。それ以上に2人の学歴は? 明輝くんは気にかかる。なんとなく東高出身者ではないことは分かる。言葉の訛りから、この土地の人であろう。高校は今は廃校になった市立高校なのか、もしかすると中卒なのか。

 明輝くんはいつの間にか学歴や収入を秤にして他人を見るようになった。嫌な価値観だと明輝くん自身、思っている。

「あの……店長さん、もしものことですが、私がバイトの日に急に腹痛になったり熱が出たときはどうすればいいですか? もちろんそんなことはないよう気を付けていますが」

「当日欠勤のときは早めに連絡送るな。土・日の自動販売機のお子さまセットやソフトクリームを『売り切れ』表示にするな。どうしても忙しいときは、図書館スタッフに配膳下膳の手伝いを頼むな」

「……バイトって責任重大ですね」

 明輝くんは言った。

 9月末の日曜日は東高の運動会だが、市内の小学校の運動会が前日の土曜日にあり月曜日は休校だ。図書館は小学生のため通常休館の月曜日に開館し、日曜日は休みになる。もう1人の東高のバイトは安心して運動会に参加できる。市川さんはそう語った。

「それより連休中日の5月2日と5月6日はどうするな? ちゃんと学校へ行くかな?」

「もちろん行きます」

 と明輝くんは答えた。連休中の平日である5月2日と5月6日は、東高では「自習の日」になっている。教師は最低限の自習用課題は出すが、自分で勉強したいことをみつけ、自己学習をする。6時限まで授業があり、そのうち1時限は体育で、校庭を走ったり、スクワットや筋トレなどを50分間行なう。学校側は「長時間の自己学習を習慣づけるため」と説明をしている。先輩達の話によると、時々教師が見回りに来るので、寝ている生徒は居ても、私語をしたりふざけている生徒はいない。明輝くんはそう説明をした。

「さすが東高な。賢いなぁ」

 と市川さんは驚く。


              ⁂


 憲法記念日とその翌日の休日は、登山同好会の宿泊を伴う旅行となっている。明輝くんはその旅行を途中で切り上げ、日帰り旅行として参加することに決めた。

「家に75歳を過ぎた祖父がいて……母はホテルで働いていて、連休中の夜は遅く帰って来ます。せめてぼくが夜8時までに帰宅しないと、祖父を独りで置いてけないので……」

 と嘘を言った。母ぁかはホテルの仕事が連休中でも今は暇で早く帰宅するし、姉ぇねは受験を控えて連休中はほぼ家にいる。父ぉとに至っては最近はリモートワークをするようになった。

 明輝くんは旅行へ行くことに自信がなかった。3日間連続の図書館のカフェレストランの仕事があり、5月2日の登校日は体育を含めて6時限の自習となる。5月5日の子どもの日は、さすがの登山同好会も何の予定も入れていないが、翌日6日の登校日はまた自習の日、さらに翌日土曜は図書館のバイトがある。体力よりも精神が持ち堪えられない。

 精神的にタフな人なら何でもないことでも、いつも怒りの袋を抱えている明輝くんはストレスに弱く、意外と軟弱だと自覚している。

 それに連休終了から2週間後には、高校に入学してから1番最初の中間テストがある。明輝くんは少しでも勉強をしたかった。

 もう1つ怖いのは、大人の付き添いのない旅行の「自由」にあった。もちろん禁酒・禁煙・SEXおよびその類似行為禁止の誓約書を書かされたものの、やはり自由が怖い。宿泊先がユースホステルとはいえ、誰かが禁を破って真夜中にこっそりと飲酒などをするかもしれない。SEXおよび類似行為をするかもしれない。そういう状況下で自分は自制できるのか? 女子生徒と一緒に旅行へ行く。つい妄想が明輝くんを襲う。妄想の世界で女の子は、顔を歪ませ恐怖のため泣いている。自分が女の子を喜ばせる妄想ができない。真面目な明輝くんは、ネット配信のAVを見たことはないが、そう妄想する。

(ぼくはサディストの素質があるんかなぁ) 

 と明輝くんは不安に思う。

「自由からの逃走」—そんな文言を受験用倫理政経のテキストで見たことがある。書物の内容までは分からないが。

(ぼくはまだ子どもなんだ。与えられたレールの上を進むのが好きなんだ)

 明輝くんは内省する。そして自由に耐えて、学校行事も部活も学業もファッションまで自発的な一高生を立派だと思う。

登山同好会の会員達は明輝くんの言葉に何の疑問も持たなかった。

「実縞さんって、ヤングケアラーだったのね」

「最初からの独居老人ならともかく、普段は家族と一緒に暮らしている高齢者を夜の8時以降、独りで置いておけないよね」

 口々に会員達は言った。

 徒歩で県境を越えた後、午後4時頃、目的地のユースホステルにたどり着く前に、明輝くんは帰路のバスに乗った。この時間を過ぎるともう、バスはない。

(ごめんな、爺ぃじ。汚い嘘に利用して)

 明輝くんはそう思いながら、新緑が美しいバスの車窓を眺めた。


            ⁂


2022年・共通テスト世界史Bより

冷戦期、ソ連は(ウ)にミサイル基地を建設しようとした。アメリカ合衆国が基地建設に反発して、(ウ)を海上封鎖し、米ソ間で一触即発の危機が発生した。米ソ首脳による交渉の結果、ソ連はミサイル基地の撤去に同意し、衝突が回避された。次の資料はその出来事が起こった翌年、当時のアメリカ大統領が行なった演説である。

(資料は省略)

 問3 前の文章の空欄(ウ)の国の歴史について最も適当なものを、次の➀から④までのうち、1つを選べ

➀北大西洋条約機構(NATO)に加盟をした。②バティスタ政権が打倒された。③フランスから黒人共和国として独立した。④ナセルを指導者とする革命(軍事政権)が独立した。


 連休明けから2週間後、東高では定期テストが行われた。そして1番早く結果が出たのが「公共」だった。その科目の回答解説の後、先に書かれた内容のプリントが配布された。

 教師は言う。

「これは皆さんでも解ける問題です。(ウ)の国は分かりますか? ……そう、キューバです。皆さんテレビなどで一度はキューバ危機の話を聞いたことがあるでしょ? 革命はカストロとチェ・ゲバラが指導者となって起こしました。皆さんの中にはチェ・ゲバラが好きな人がいるでしょう。選択肢を見て行きます。まずキューバはカリブ海にあり『アメリカの裏庭』です。NATOは関係ありませんね。3番の選択肢ですがチェ・ゲバラもカストロも白人ですね、それにフランスも関係ない。選択肢から除外しましょう。4番目のナセル、これもキューバ革命の指導者ではありません。どこの国の人ですか? そうですエジプトです。残りの2番が正解です。しかし皆さん、バティスタを知っていますか? 野球好きな方なら聞いたことある名前です。中南米に多い苗字です。しかしカストロ達が打倒したのが、フルヘンシオ・バティスタ政権であることを知っている人や覚えている人は大変少ないです。バティスタ政権は高校で世界史を習う際、覚える必要のない事柄です」

 公共の教師は「受験は要領」と、黒板に大書きをした。公共の教師は説明を続ける。君達が受ける共通テストでは、公共・政経および公共・倫理のうち1つを選択することになっています。私学受験者の多いこの高校では政経や倫理は本授業ではあまり受験向けのことはしていません。倫理は自分達の生き方を考えるよすがの科目として、反対に政経は社会にでてから必要なことを学ぶ科目として、まあ受験勉強の息抜き科目の扱いです。でも皆さんの中には、国公立大学に進学したい人、いるでしょう。ですから1年2年が学べる受験対策用の倫理政経の補習授業を行なっています。が、この「公共」という科目、共通テストにどんな問題が出るのか、未知の部分多いです。我が校では公共の受験用補習をしない可能性もあります。ですから各自でしっかりと今のうちに勉強して下さい。先程の世界史のような思考回路の問題が出る可能性が高いです。

 公共の教師はさらに続けた。大学入試は、あまたいる入学希望者を落とすための試験です。暗記重視傾向は変わらないです。

 公共の教師がそう言い終わるとき、チャイムがなった。教師は教室を去り、生徒は欠伸をしたり先程返されたテスト用紙をじっくり見たりしていた。

 東高生は驚くほどに定期テストに情熱を注ぐ。まずテスト2週間前から、運動部や文化部の早朝練習開始時間が朝8時になる。生徒の強制下校時間が6時30分になる。日の長い季節の練習時間短縮に反発する運動部員もいるが、多くの生徒は歓迎した。早朝補授業や放課後の補習授業も行われない。生徒の職員室への入室制限が行われ、印刷室には生徒の出入りが禁じられる。

 東高の理想の高校生活とは、部活や学校行事を心の限り楽しむ一方、日頃の授業を大切にし、定期テストで大変よい点数を取り、3年生になれば2学期に行なわれる指定校推薦入学でG―MARCHや関西の関関同立(注6)の合格を勝ち取り、受験が本格化する2月には自動車免許を取ったり、大学に向けての本をのんびりと読む、そんな生活だった。

定期テストは、時に過去の大学入試問題やそれを一部改変した問題が出ることもあるが、入試と違い「落とす」ためのテストではなく「生徒がどの程度、学習を習熟したか」を教師が「調べる」ための問題が中心に出される。稀に大学入試に直結しない、教師の個人的趣味の問題もあるが、大学入試ほどには難問奇問は出ない。


(注6) 関関同立 関西にある私立大学のうち、関西大学・関西学院大学・同志社大学・立命館大学のこと


さて明輝くんはこの定期テスト対策はほどほどの勉強で済ませ、大学受験勉強を続けた。もちろん数学・英語・国語は学年トップ入りをしたが、公共や歴史総合や理科基礎に関しては赤点に全く縁のない成績でありながら、歴史好きや自然科学大好き生徒の成績には及ばない。明輝くんもそれで満足だった。

(でも皆、歴史のことを知っているなあ)

 明輝くんはナセルもカストロもチェ・ゲバラも名前しか知らない。同級生の中には、チェ・ゲバラの死んだ場所すら知っている。

(チェ・ゲバラって何した人なん?)

 きっと高校生や若者達に尊敬されるようなことをした人物であろうと、想像される。

(でもチェ・ゲバラのどこが好きなんだろう)

 休憩中の同級生の会話から、ゲバラと言う人は、アルゼンチン出身なのにキューバへ行き、アフリカのコンゴにも渡り、最期は南米のボリビアで銃を撃たれて死んだ人だと分かった。人生の成功者とは言えない。日本史では坂本龍馬の人気が高いが、この人も暗殺されている。そういう人物のどこがいいのか。

(ぼくには好きな人がいない)

 成功者が好きなのかと問われると、どうもそうではない。世界的大富豪のビル・ゲイツのことをよく知らないうちに、なぜか嫉妬めいた反発心を持ってしまったし、同じく大富豪で民間人で初めて宇宙へ行ったジェフ・ベゾスに憧れる気持ちも毛頭にもない。

(ぼくは小人なのか……)

 例の倫理政経の補習授業で習った用語が頭をかすめる。


                 ⁂


「小人閑居して不善をなす」という故事成語が、中国古典「四書五経」のうちの、その名も「大学」という書籍に書かれている。家の爺ぃじが、またやらかした。自宅の庭の結構大きな木である金柑の木を、家族に無断で切り倒したのだ。この事件は母ぁかを怒らせてしまった。随分と昔から生えている木で母ぁかには思い入れがあった。爺ぃじが切り倒したのには原因がある。柑橘類である金柑の木はアゲハ蝶がやって来て盛んに産卵をする。卵は幼虫となり、この幼虫を餌にするため、春に産卵育児をする雀が沢山やって来る。

 幼虫を食って腹一杯になった雀は糞を落とす。不衛生だ。それが切り倒した理由だった。

「金柑なんぞ庭のを食べなくてもスーパーに行けばもっと旨い品種のものが食えるな」

 爺ぃじはそう言う。母ぁかは

「ここの土地では温州みかんは育たないなん、昔の人はみかんの代わりに金柑をたべたな。そんな記念碑的な木をよくも……」

 確かに庭に果物の木を植えている家は多い。昔、貧農だった頃、果物で空腹を凌いだ時代のなごりらしい。

「それがこのごろ空き家や空き地が増えて、残った果物の木に虫がついて鳥が食ってその糞で街の者が困っとるな。ちゃんと市の広報に書いてあるな。市の広報、読んだかな?」

 爺ぃじは自信を持ってそう言う。母ぁかはよほど不機嫌になって、しばらくの間は食事を一切作ってくれなくなった。今は受験を控えた姉ぇねが、スーパーで鶏卵その他を買って来て、朝飯用のおにぎりと豚汁を作るようにまでなった。昼食は母ぁかが昼飯代として500円玉を渡してくれる。姉ぇねは今年から生徒食堂の新メニューに加わった、「大豆肉&ベジ定食」を、明輝くんは男子生徒に人気の「唐揚げ&龍田定食」を専ら食べている。生徒食堂には予算の関係で、コロナ予防用のパーテーションがない。生徒同士は離れて座り、黙食をし、食べ終わるとすぐに退席をする指導を受けている。

(つまんねえなぁ)

明輝くんはそんな感想を持つ。

 爺ぃじは介護認定を受け、要支援1となった。庭の木を切り倒すほどの力の持ち主のはずが、金柑の木に恨まれてか、急に歩き辛くなっていた。

「介護予防のリハビリ型デイサービスをお勧めします」

 と介護相談室のケアマネージャーから助言を受けた。爺ぃじは理解し、作業療法士の居るデイサービスなら受けてもいいと、承諾した。今では爺ぃじは午前中週3回、デイサービスに通い、室内用歩行訓練機の上を歩いたり、高齢者向けの筋肉トレーニングをしたり、肉体を駆使している。それに加え「男性だけのお菓子作り教室」にも通っているので、不善をなす閑居が減って来た。訓練の日には若い女性の作業療法士が車で送迎をしてくれる。

 姉ぇねによれば、母ぁかは、リハビリ先のスタッフが作業療法士に限ると爺ぃじが言ったとき、「そんな好色な……」と呟いたらしい。理学療法士や柔道整復師は男性の仕事、非力な女性は手先を使う作業療法士が多いのだと、母ぁかは勝手に決めつけて考えている。

 しかし明輝くんは違う感想を持った。爺ぃじは爺ぃじなりに意外にも、姉ぇねの将来の仕事のことを気にかけているのだと想像する。

 作業療法士は割に合わない仕事だなと、明輝くんは感じている。作業療法士の仕事の求人は意外と少ない。今、爺ぃじの通うデイサービスは機械を使ってのトレーニングが中心で、作業療法らしい手工芸療法や園芸療法の知識や経験は生かせない。養成所も少なく姉ぇねは県外の国立大学のリハビリテーション科の受験を第一に考えている。大学入試の競争率は高い。が、就職となると給与は決して高くない。若いうちは最新のリハビリ学を学んだ者として、それなりの就職口はあるが、現場でキャリアを積んで昇給していく仕事ではない。姉ぇねは「女が1人で生きていける収入で充分よ」と言うが、それでいいのだろうか? 姉ぇねの猛勉強ぶりを身近に見ているだけに、心配になる。

 明輝くんは今回の金柑事件で

(庭木とアゲハ蝶の幼虫と小鳥が自然に共生できたらいいなん)

と思った。爺ぃじに腹を立てていない自分に気がついていない。


             ⁂


東高の文化祭の準備は、中間テストを挟んで「中だるみ」状態だ。文化祭の日程は6月18・19日の土日で、同じ企画のものを4月からずっと準備しているためか、「飽き」がくる時期でもある、

 明輝くんの姉ぇねのクラスが行なう展示企画「新聞記事で読み解くウクライナ問題」が危うくなっている。日に日にウクライナ関連の新聞記事が少なくなっている。こういう状態なら例の罰ゲーム企画「コンパスと三角定規と長定規だけで文様を描き、3色だけで彩色する」をやりたいと、実行委員会に相談に来たらしい。

「新型コロナもウクライナ問題もまだ全然解決していません! そういう時期だからこそ、ウクライナと新型コロナをテーマに行なって、来場者を啓蒙しましょう!」

 と実行委員長はその代替企画を却下した。

ステージ部門は、9時から4時半まで、17コマ全てがクラス発表と文化部の出し物で埋まってしまった。教師の中には1コマ2コマ余るだろう、そのときには学校紹介のビデオを流したり教師有志で何かかくし芸をしたがっている者も居たらしい。教室展示の方も26室全部がクラス展示と文化系部展示および生徒会の事務局に当てがわれた。

「実縞さん、君のおかげだよ、ご苦労さま」

 生徒会長は感謝の意を表した。

「でも美術部がまだステージ部門での内容が決まっていません。10分の時間が欲しいとは言ってますが」

「まだプログラムの印刷には間に合うから、大丈夫だよ」

新設部について教職員から、自然科学部は正式な部として参加が認められた。しかしe―スポーツ同好会は新入部員募集のチラシ配布が許可されただけだ。

 文化祭開催を知らせるポスターの絵柄も決まった。問題はそこに載せる文字だった。

●お車でのお越しはご遠慮願います●当日はスリッパまたは上履きをできるだけご持参ねがいます。靴をいれる袋もお忘れなく●飲食は指定した場所でお願いします。調理された食べ物のお持ち帰りは厳禁です●校内は禁酒禁煙です●本校はバリアフリー設計にはなっていません。また乳児のための施設もございません。ご了承下さいませ●小学校2年生以下のお子さまは保護者同伴でお願いします●コロナ感染予防の見地から、必ずマスクの着用をお願いします 

 これらに生徒会と実行委員会は、●本校では現金決済のみとなっています を付け加えるべきか悩んでいる。

「文化祭でキャッシュレス決済?」

「『文化祭』『キャッシュレス』で検索してご覧? 既に何校も電子マネー決済しているわ」

 実行委員長は言う。

 明輝くんは出身中学校近くの酒屋兼駄菓子屋が、電子マネーやクレジットカード可になっているのを思い出した。

 実行委員の1人が会議室に使っている視聴覚教室の隅で、ボーリング風のゲームをやり始めた。500mlの空き缶に砂を詰め、缶にはアクリル絵の具で擬人化されたコロナウイルスが描かれている。中には病気退散の神「アマビエ」の缶もあり、手作りの大きな手まり風のボールをパターで打ち、缶を倒す。文化祭展示・アトラクション企画の道具だ。アマビエの缶を倒すと減点されるルールになっている。他に手作りゴム鉄砲や巨大ルービックキューブ、モグラ叩き風のゲームがあり、もちろんそれらも全てコロナウイルス退治がテーマになっている。良い点数を取った参加者は無料で飴玉が貰える。廊下側の窓にはパネルを置いて、新型コロナ関連の手製のポスターや一コマ漫画で飾る。

 実行委員は

「でも、この分だと文化祭当日は、コロナとウクライナは時代遅れになっているよ。東高文化祭ジンバブエ説を上塗りする仇名が付けられそうな」

「そのジンバブエ説って何なん?」

 明輝くんは質問する。

 新2年生の生徒会長が説明してくれた。

 インターネットのサイトに「高校口コミ掲示板」がある。中学生にとって各高校の情報を得る1つの手段になっている。数年前、中学生が「一高の文化祭に行きたいけれど入場券など必要ですか? お金は何円ぐらい持っていけばいいですか?」の質問に一高の生徒が答えた。「入場券などは要りません。一高の模擬店は価格が良心的で、市販価格よりずっとお安くなっています。中学生なら500円あれば充分でしょう」と解答した。同じ質問が東高にもあった。

 東高側は、入場券は必要なく、小学校3年以上は保護者同伴なしで来場できる、上履は靴袋と一緒にご持参下さいなど書いた。そして「東高の模擬店は各クラス担当の他、保護者OBOGが行なう飲食店や茶道部のお茶会、家庭科部のカフェがあり、さらには生徒食堂では特別メニューがあります。教室展示ではお土産用にお菓子や簡単な玩具も販売しています。お化け展示会やヨーヨー釣りは無料です。バザーでは、たくさんの古本や漫画があなたを待っています。千円ぐらいご用意下さい」と書いてしまった。

 それを見つけた一高生は、「東高はインフレを起こし、文化祭来場に必要なお金が我々一高の2倍になっている! さすが偏差値が低い高校だよね。まるでジンバブエ並み」と ジンバブエに失礼な書き込みをした。ジンバブエはアフリカにある国で、かつてはローデシアという名前の、白人が支配する国だった。1980年、国名はジンバブエに改名され、黒人政権が成立した。ジンバブエの国名は世界文化遺産にも登録されている、大昔の黒人王国の遺跡「グレート・ジンバブエ」に由来する。

「確かにジンバブエではハイパーインフレを起こしたけれど、まるで黒人には自治能力がないみたいな言い方、不愉快です」

 その掲示板ではしばらくの間「東高文化祭ジンバブエ説」で話題が盛り上がった。今でも一高生が東高を揶揄する言葉として使われている。

 もっとも、他の高校は、週休2日制になって以来、平日や土曜日1日だけ文化祭を行なう高校が増え、私学を中心に、来場者は保護者と保護者同伴の中学生のみに限られている学校も多いことから、「ジンバブエでも独立国家を持ててうらやましい」の声もある。  


明輝くんには近頃気になることがある。

 図書館カフェレストランで日曜日にバイトに入っている女子生徒の頼畑さんが、いやに馴れ馴れしい。朝、廊下ですれ違ったなら「おはよう、実縞さん」と挨拶をする。昼間は「こんにちは、実縞さん」だ。1日に2度以上はそういう挨拶をする。挨拶だけでそれ以上の会話はない。

 文化祭実行委員会で文化系部のステージ部門の統括役をする明輝くんに目礼する女生徒はいるが、名前を呼んで挨拶をするのは頼畑さんだけだ。クラスメイトの女子も「おはよう」とか「おつかれさま」としか実縞くんに挨拶をしない。

(困ったな……頼畑さん、ぼくに好意以上の気持ちを持っているな)

 頼畑さんを嫌いではない。身綺麗にお洒落をして、それで校則を破ることはしない。今頃の季節は薄手のカーディガンやベストを何枚か持っていて、靴下と色を合わせている。髪型は都度々々変え、紺のヘアアクセサリーを付け、印象を変えている。マスクはレース模様がある。

(どうしような……)

 明輝くんは高校在学中に、いわゆる「彼女」を作る気持ちはない。ましてやお相手は1つ年上の上級生、来年は受験だ。自分の存在が勉強の妨げにならないか。

 いや、それ以上に頼畑さんは、明輝くんが恐ろしい欲情を持って、心の中で姦淫した女生徒だ。万が一付き合って、自分のDVで酷い目に合わないかと心配する。不安にも思う。

 そんなある日のこと、廊下を歩く明輝くんに、数人の女生徒が呼び止め、明輝くんを取り囲んで来た。

 女生徒達に見覚えはある。美術部の女生徒達だ。中の1人は工芸部の女生徒で、たぶん美術部と兼部しているのだろう。少ない人数ながら美術は女子ばかりで、工芸部は男子の方が多い。

「実縞さん」

 美術部の女生徒がようやく明輝くんに声をかけた。

「文化祭のステージ部門のことでお話しがあるの」

明輝くんは心の中で震えながら、しかし顔は平静を装った。

「実縞さんはふすま紙壁紙のお店のKAKIMOTOのご親戚ですね」

 そうです。と、明輝くんは答えた。

「KAKIMOTOの壁紙の中には自分で絵を描けるタイプのものがあるそうですね。私達はその壁紙をふすま下地に貼って、文化祭のステージで音楽に合わせて、そこに絵を描いてパフォーマンスをしたいのですが、費用はいくらぐらいになりますか? 安く済ませたいのですが……」

 なんだそんなことか。むっとしながらKAKIMOTOに電話をかけた。今は1時を過ぎているから営業の人も昼休みを済ませて応対してくれるだろう。そう思った。

 長い電話交渉の後、明輝くんは言った。

「ふすまの下地が木製の木枠じゃなくて、段ボール製のなら安く済むって。引手や枠が要らないから通常より安くなるそうだよ。それに壁紙貼って、普通の大きさのふすまなら、1枚1万円前後らしいね。詳しくは土曜日にも営業してますから直接ご相談下さいって」

「1枚1万円ねえ……」

 美術部の女生徒の部長は悩んだ様子で明輝くんに話し出した。

「文化祭の美術部の予算は4万円だけど、8万円貸して下さいますか? 完成した絵はメルカリで梱包料・送料込み・1枚3万円で売ります。絵は1日1ステージで2枚描いて2日で4枚。完売で12万円、そのうち梱包料・送料で1万円を差し引いて完売すれば8万円です。絵具とかは自己負担します。なんとか8万円貸してくれますか? 本番の他の練習用に8枚のふすまが必要です」

「ちょっと待って下さいよ」

 明輝くんはスマホで検索する。段ボール製のふすま下地なら、ふすま絵を描いた上から新しいふすま紙を貼って利用できるとKAKIMOTOのサイトにある。

「練習用のふすまはもっと安くなりそうです。それに生徒会からお金を借りることは、文化祭実行委員の会計係と相談しないと分からないので……」

 明輝くんは取りあえずそう説明する。

「では、実行委員会の会計係とKAKIMOTOさんに相談すればいいのですね。分かりました」

 女生徒はそう言う。明輝くんが詳しく話を聞き出すと、美術部の女生徒達は、保護者の承諾を得て、度々自作の絵を、メルカリで販売していたらしい。価格はキャンバス代や絵具代など実費で1枚3000円程で売っていたと言う。文化祭では、数学の教師が黒板で使う、大型のコンパスや三角定規を使って3色で彩色する、一種の現代アートを発表したい。ふすまくらいの大きさのものが舞台映えする。もしお金が借りられなければ、古いベニア板や段ボールを使って、舞台でアートをする。そういうことを女性部長は話した。

 女史生徒が去って行った後、明輝くんは思った。

(あの工芸部と美術部を兼部している女生徒さん、どこに進学するのかな? 美大や芸大への進学は止めてもらいたいな)

 など、お節介なことを思った。どうか美術工芸は趣味の範囲で止めて欲しいと、口も聞いたことのない女子生徒のため、祈った。


 その日が来た。あの頼畑さんが、明輝くんと2人だけで話がしたい旨が、姉ぇねを通じてあった。場所はできれば昼休憩の図書館がいい、という。明輝くんはOKの返事をした。

 指定した日の昼休み、昼食もそこそこに図書館で待った。交際は一切断る返事をするつもりだ。高校時代には男女交際を一切しない、国公立大学を目指す者として能うる限り、勉強時間に注ぎたい。メールでのおしゃべりも一切したくない。そう言おうと決心していた。

「実縞さん、お待たせしました」

 頼畑さんは髪型を変えてやって来た。髪をお団子にまとめ、濃紺のかんざし風のヘアピンを刺している。彼女の勝負髪型なのだと明輝くんは思う。

「早速、用件を話すわ。市立図書館の夏休みのアルバイトのことだけど……」

 今は5月下旬、随分と先の話だと明輝くんは感じた。

「夏休みの間は、子ども達のためのイベントがボランティアの人によって行われるのよ。自習目的の受験生も多いわ。そのためにアルバイトの学生さんを夏休みの平日限定で雇うって話、聞いたことがある?」

 明輝くんは、まだ聞いていないと答えた。

 頼畑さんは話を続けた。

「今、夏休みの平日限定で働きたいって学生さんがもう応募に来たのよ。時間は午前10時から午後4時ぐらいまで。その学生さんは土・日は他のアルバイトをしているから、平日限定なんだって。図書館は毎週月曜日が休館日だけど、その学生さんはもう1日木曜日に休みが欲しいんだって。実縞さんは木曜日のバイトに入りますか?」

「出来れば入ります」。

 明輝くんはどぎまぎしている

 よかった、と言いながら頼畑さんはスマホを取り出してカレンダーを見た。8月11日は図書館は休館するって言ってたわ。7月28日、8月4日、そして8月の18日と25日。1年生は今年は7月27日から29日、臨海合宿があるでしょ? 隔週で入りますか? それとも前半と後半に分けますか?

「そうですね……私は後半に入りたいです」

 明輝くんは平静を装ってそう答えた。

「ありがとう。私、市川店長にそう伝えておくわ」

 では良い夏休みを、ちょっと早過ぎる挨拶だけど。それだけを言って、頼畑さんは席を立ち、図書館から出て行った。

(何なん?)

 女心は不思議なものだ。明輝くんはそう感じた。

 

            ⁂


 平田くんに強引に誘われるようにして、月曜日の午後4時10分から5時40分に開催される国際倫理Ⅱの授業を聴講するはめになった。3年生が受ける国際倫理Ⅲは、5時50分から7時20分と遅い時間帯になる。国際倫理Ⅲ受講者は、それまでの間を図書館で自習することになっている。

その日の国際倫理Ⅱの講師は、外部からの専門家ではなく、1年生の公共担当の社会科教師だ。わざわざ聞く必要のない話だと、明輝くんは勝手に決めつけた。

担当教師はいきなり

「皆さん、スウェーデンとフィンランドがNATO加盟手続きをしていること、知ってますね。そしてNATOに既に加入しているトルコが、スウェーデンとフィンランドの加盟に反対していること、知っていますか?……そうです。スウェーデンとフィンランドはトルコから亡命して来たクルド人を、難民として積極的に受け入れてきました。だがトルコ政府側はクルド人の中にはクルド人労働党に入党している者もいる、クルド人労働党は武装組織だ、難民認定している人々の中からトルコの安全を破壊する武装組織に資金が流れている、そういう理由でスウェーデンなど北欧2カ国の加盟に反対しています。NATO加盟は全員一致が原則です。ところで日本にもクルド人難民や仮放免のクルド人居ますね……そう、ワラビスタン(注7)と呼ばれる人々です……」

 教師は、「仮放免」(注8)の法的な意味の説明や、来日して来た難民の多くが、入国管理局に収容され、充分な医療も受けられないで、2007年以降、入菅施設で死亡した人達は13人に及ぶという内容の話を続けた。明輝くんは、教師の話を聞いているうちに腹が立って来た。



                                           (注7)ワラビスタン 在日クルド人が多い、埼玉県の川口市・蕨市の別称。またはそこに暮らすクルド人のこと (注8)仮放免 不法滞在の外国人に対する法的処遇の1つ。日本国民への法的処理の「仮釈放」に当たる。仮放免の外国人は日本での就労が出来ず、健康保険への加入も不可となっている。移動の自由も妨げられている。


(こんな話はぼく達に何の関係があるなん?)

 そういう話は、将来エリートになる一高生にこそ本来すべきだ、一高生は県内の国公立大学を「駅弁大学」と古い言葉を使って揶揄し、その駅弁大学を受験することすら恥と考える程のエリート意識を持っている。ぼく達は毎年、良くて関関同立やG—MARCH、県内または地方遠方の国公立、たまに早稲田・旧帝に入学する程度の生徒である。

 この高校の卒業生の将来の社会的位置は限られている。ぼく達の力では、どうしようもない問題だ。

 ところがどうだ。隣の席の平田くんも、20数名いる2年生も、真剣に話を聴いている。教師は事前に配布したプリントに沿って難民の話を続けた。一通りの講義が終わると、質疑応答の時間となった。

「先生、難民移民の受け入れや外国人に選挙権を与えることに否定的な考えを持っている人もいます。理由は外国人が選挙権などの権利を持てば、日本人に不利な法律や条例が通過してしまう、また外国人の中には職業的スパイも居て、日本人と友人になるふりをして、酒の席などで日本の産業や政策を聞きつけて活動していると、言います。それらの見解をどう思いますか?」

 これは明輝くんのもう1人の友人である、平岡くんの思想に近いと、明輝くんは思った。明輝くんは平岡くんの意見に宜う気持ちも微塵もなかった。

 教師はその質問に、在日外国人が法律なり条例なりの選挙権を得て、日本人と対立する政策を望んだとき、そのときこそ双方、相手の立場を理解し、民主的に話し合うことが大切だ。スパイ活動については、酒の席での話題程度のことはツイッターなどSNSに既に出ている。職業的なスパイはより高度で触法する手段を用いていると回答した。

「さて皆さん、今の質疑応答も含めて今日の講義で習ったことについて、グループで話し合って下さい。そして残り30分の時間を今日の講義の感想文を書く時間に充てます」

と言った。平田くんと明輝くんは、グループワークには入れない。感想文も書く必要もない。平田くんと明輝くんは目礼をして、退席した。平田くんは配布された資料とノートを整頓しながら言った。

「今日の講義、興味深かったね。来週も受ける?」

「ぼくは……多分、文化祭の仕事がこれから多くなると思うよ。来れるかどうか分からないさ」

「へぇ、ほとんどの部活が週に1回の休部日を、この授業のために月曜日にしているじゃん。実行委員会は月曜も仕事があるの?」

「皆で集まっての会議はないけど……ぼく、土曜日はバイトしているじゃん。そのため在宅ワークみたいなのが溜まって……」

「そうか、それは仕方のないことだね。文化祭の仕事、目一杯頑張ってね」

 平田くんはそう言って、明輝くんから離れた。

(皆が政治に問題意識を持っている……)

 そんな筈はない、部活や遊びと受験勉強に心を追われていて、政治に興味のない生徒のほうが多い。偏差値の低い、底辺校の生徒の中には日本地図を見せると九州を指して「ここが中国ですか?」と、答える者すらいると聞く。

(ぼくだけが遅れているんじゃないな)

 明輝くんは、そう結論をつけた。

 そんな明輝くんに「倫理」「民主主義」の意味を問われる日がやって来た。

                                           

             ⁂



                                              第1体育館は講堂も兼ねていて、文化祭のステージ部門は第1体育館で行われる。ある日、文芸部長から、ステージ部門について実行委員会と相談したいことがあると、連絡があった。

 文芸部は展示部門では、今、話題の「戦争は女の顔をしていない」というノンフィクションと「同志少女よ、銃を取れ」という長編小説の文芸研究という、東高文芸部にしては随分と硬派な内容の企画で参加する。この2冊はどちらも、第二次世界大戦の独ソ戦の、女性兵士が題材となっている。「戦争は女の顔をしていない」の文芸研究は偶然、昨年秋に行なったものだと文芸部長は言う。

舞台のほうは「例えシンギュラリティが来ても」という、文芸部の今は3年生の生徒が昨年に書いたSF小説で、その小説はある小説公募に応募した作品なのだそうだ。 入選結果の発表はないが、20分の上映時間に合わせて大幅に改変し、結末は全く違うものにしたらしい。文芸部の生徒の中に放送部と兼部している者がいて、その生徒から演劇指導を受けたと部長は語る。

 第1体育館では男女のバレー部やバスケットボール部が活発に練習をしていて、明輝くん等はステージの最前列でリハーサルを見ることにした。文芸部のリハーサル前は、書道部がいわゆる「書道パフォーマンス」のリハーサルを行なっていた。全員黒っぽい木綿の着物と袴に赤い襷姿で、髪型も全員がポニーテールだった。リハーサルには紙ではなく、巨大な書道用ホワイトボード、すなわち水で濡らした筆で文字を書くと黒く文字が現れる、そんな道具を使っていた。

 少女達は音楽に合わせて踊るように箒ほどの大きさの筆で何か文字を書いていた。大筆の他に小筆で何か書いている少女も居る。完成するとボードを立てて観客に見せる。そして書いてある文字を大きな声で唄うように読み上げる。ボードには「Reunion~朋有り、遠方より来たる、亦楽しからずや~」という文字が、桜の花とヒマワリの花の絵を背景にして書かれている。少女は文字を読み上げ、ウクライナと日本の間に永遠の友好と平和がありますようにという主旨の詩を続けて詠んだ。

 明輝くんは、どの少女も美しく凛々しく見えた。が、例のごとくあの少女達も家では鼻をほじったり両親に下らぬ我がままを言ったりするんだろうなと考えてしまった。

 書道部の少女達が去った後、文芸部員による20分の劇が始まった。

 いつの時代か分からぬ未来、人間の倫理は、家畜の肉やジビエを食することも、紙で出来た本を読むことさえも、不道徳だと考えるほど向上していた。そういう時代、AIを利用すれば、金利政策も労働者の賃上げも果ては消費税や所得税の税率も、人間が考えるよりも遥かに現実的で且つ、全ての人に公平で優しい政策が立てられるようになった。AIを活用すれば、どの政党も似たような政策しか出せなかった。各政党は、コンピューターが拾い残した、声なき声を集める努力をしたが、全ての人がスマホを持ち電子マネーを使う時代、個人的な意見からお金の流れまで、コンピューターが全部を把握していた。AIの進化によって、政党や議会、さらに民主主義の意義さえ問われる時代となった。若者達は民主主義からAIによる政治を支持していたが、少子化によって人口の多数を占める老人達は、政治思想の左右を問わず、民主政治の継続を望んだ。国会議事堂のセットの周囲を、老人に扮した文芸部員数人が「民主主義を守れ!」と大声で叫び、デモ行進をする。マイクの声が「東大安田講堂が占拠されました」と知らせた後、幕が静かに降りた。

 明輝くんは驚いた。

これは自分が老人になった頃の話ではないか。

 明輝くんは肉や魚が好物とまでは行かなくても肉・魚抜きの食事が何日も続くことを想像すると、耐えられないと思う。世の中にはヴィーガンの若者が増え、この東高にも上級生にヴィーガンがいる。彼女はウールの制服を拒否し、真冬でも麻と木綿の夏用制服を着用し、木綿の下着を重ね着して寒さを凌いでいるという。明輝くんの姉ぇねが生徒食堂の大豆&ベジ定食を食べていることを知ったとき、軽い驚きと怒りの感情を覚えた。書籍は漫画こそスマホで読むが、小説や難しい内容のものは紙に限ると考えている。

(ぼくの中の静かなパーペトレターが老人になると爆発する……いつか爺ぃじみたいに嫌われ、老害扱いされる日が来る……)

 明輝くんは大きな衝撃を感じた。自分もいつか爺ぃじになる……。

 隣にいた、文芸部長が明輝くんに声をかけた。

「ラストのデモ行進の場面、文芸部員だけでは数が足りません。エキストラが欲しいのですが、文化祭文化系部の統括係の実縞さんは、どう思いますか?」

 現実に戻った明輝くんは、実行委員長や生徒会長に相談しないと分かりませんと答え、スマホを取り出して電話を掛けた。明輝くんは先程の演劇の衝撃で、スマホすら憎く思えた。

「生徒会長が全員参加精神に則り、文化祭当日に暇な、野球部員やサッカー部員に声をかけてエキストラになってもらえって」

 と、告げた。文芸部長は安心したように明輝くんに礼を言った。


 明輝くんは、先程の演劇の衝撃が止まぬまま、第1体育館と一般教室棟をつなぐ渡り廊下を歩いていた。近くに保健室の先生が居ることに明輝くんは気が付いた。

「ご苦労さま、実縞さん」

 保健室の先生のほうから明輝くんに労いの言葉をかけた。

「先生も先程のリハーサルをご覧になったのですか?」

「ええ。少しだけ」

 明輝くんの問いに、先生は歩きながら答えた。この暑い時期、運動部の生徒の中に発熱者が出た。熱中症かも知れないしコロナも考えられる。とりあえずアイスノンとポカリスウェットを大量に渡して、顧問の教師が生徒をタクシーで病院まで送り、検査を受けさせ結果が出るまで病院で診てもらう。熱には点滴で対処するでしょう。他の運動部員の体温を測ったが、皆、平熱だった。一時は部活中止を検討したが、換気と水分補給を充分にやれば部活は続けられるだろう。そんなことを保健室の先生は話した。

「タクシー代とかお金はどうなるのですか?」

「取り合えず学校のお金で建て替えて、後で保護者に支払ってもらうわ。どうして?」

「……」

 何事もすぐにお金のことを考える自分に、明輝くん自身呆れた。

「あの劇を観て、私が若い頃書いた、小論文のことを思い出したわ」

 保健室の先生は、1階のロビーに座って、その思い出話を始めた。

 その養護教諭は東高卒業後、県立の看護学校に通い、さらに東京の保健婦学校へ入学した。保健婦学校で「老人保健」という科目も学んだ。そのときの教師によると、老人は産業革命前には経験を積んだ者として社会から尊敬されていた。しかし産業革命後は、老人は新しい科学技術や科学技術が生み出す新しい価値観に着いて行けない者として、社会的弱者と転じたと習った。学期末、「老人から学ぶ意義」をテーマに小論文を書くよう求められた。

「それで私は書いたの。科学が発達しても人間の本質は変わらない。だから新しい科学の成果を人間社会で利用すべきかどうかの正しい結論を、若者の方が正しく出せるとは限らない。やがて老人達の意見に耳を済ませるべき時代がやって来る。現在の初老期の老人達は、敗戦後の時代に民主主義と科学主義の洗礼を受け、社会を復興させた。私達は、もう高齢者を封建的で迷信深いなどという偏見の目で見ては行けないって……自慢話みたいになるかもしれないけれど、私はその小論文で1位の成績を取ったわ」

 そこまで話しだした保健室の先生の、スマホのマナーモードが鳴り始めた。

「変な自慢話をしてごめんなさいね。用事が出来たから……さようなら……」

 保健室の先生はそう言って去っていった。

 残された明輝くんには、とてつもなく巨きな、倫理と民主主義の課題が残された。


  ちなみに発熱した生徒は熱中症と診断され、今は部活に戻っている。


                ⁂


 文化祭が足音を立てて近づいて来る。梅雨時、登山同好会では名物の地図や天気図の読み方の座学が中心になる頃、東高では、屋内プールで水泳の授業を行なう。身体的理由などで水泳の授業を受けられない生徒は、プール上階の第2体育館で卓球やバドミントンの授業を受ける。ことに1年生は7月に臨海合宿があるので、水泳の練習に身が入る。東高のプールは温水プールで、燃料費が高くなる厳寒期以外は、主として水泳部の生徒が放課後に使っている。

 この季節には、教室の後ろ側にステージの大道具や小道具、展示用の展示物が青いビニール袋やシートに包まれて日に日に増え、文化祭ムードが盛り上がる。明輝くんのクラスも、真っ赤な羽根のインコに黒くて黄色い大きな嘴を持つサイチョウなどの南国の鳥達の紙粘土細工や、ハイビスカスの造花などが作られ、いかにも南のリゾート地を感じさせるBGMも準備された。明輝くんは当日の朝、用務員さんにお願いして、校庭の棕櫚の木の葉っぱを貰って来てほしい。そういう計画となった。

 生徒会と実行委員会は、印刷が仕上がったポスターとパンフレットを、どの程度、他所に送るべきか悩んでいる。今年は一般来場者の見物を再開したが、ステージの座席も模擬店の椅子も、ソーシャルディスタンスで入場制限を行なう。来場者が希望する場所に、入場制限で座る座席がない事態を避けたい。だから通年よりもポスターとパンフレットを、郵送することにも制限をかけたい。

 一方、東高には地域の学童保育や老人サークルから、今年は一般者は入場できますか?飲食模擬店はやっていますか?などの電話の問い合わせがかかって来ている。

「結局、中学校と高校は旧学校群の校区の学校だけにパンフとポスター送ることにしたよ。小学校は歩いて来れる範囲。一高と二高には模擬店のチケットも一緒に送ったけどね。学童保育や老人サークルには、電話の問い合わせにだけ答えて、ポスターなどは送っていないんだ」

「今年は二高に茶道部喫茶の招待状を送るかどうか迷わずに済んだね」

 2年生の新・生徒会長が茶化したように言う。

 どういうこと?と明輝くんが尋ねる。2年生の生徒会長が答えた。

「これから話すことはぼく達が体験したことじゃないし、先生が、そのまた先生からの又聞きけど……」

 戦前、一高は旧制第一中学校、二高は第一女学校の歴史を持っている。特に第一女はハイカラで、戦前の割烹―今でいう調理実習―のとき、マヨネーズやクッキーの作り方を習うほどだった。良妻賢母教育に徹する一方、女子大や女子専門学校への進学者も多かった。

そして戦後、新制高校が発足し男女共学となった。が、戦前の校風が長く残っていて、部活では戦前からのワンゲル部や自転車部、乗馬部(地元の乗馬クラブの馬に乗る)が今もあるが、女子だけが入れる筝曲部や茶道部、華道部の活躍が盛んだった。制服もあり、バンカラな校風を誇りとする一高と対照的だった。そんな二高にも70年代初頭、大学紛争の余波がやって来た。制服反対運動が起き、女生徒は進んでジーンズのパンツを履いた。女子の家庭科授業のボイコットや、伝統的な筝曲部や茶道部、華道部への批判が高まり、女生徒達は琴や茶碗や花器への破壊活動を行なった。そのため、二高には今でも茶道部華道部などがない。

 明輝くんは自分の中のパーペトレターが騒ぐのを感じた。暴力が正義の世界なら、自分も大いに暴れただろう。

「学生運動って何なん?」

 明輝くんは尋ねた。

「それは難しい質問ですね。ぼくの知ってる範囲で言いましょう」

 新・生徒会長は言葉を続けた。簡単に言えば、今の平和・環境・人権の運動だったと思えばいい。この県にも米軍基地があり、ベトナム戦争の頃は学生達が基地を取り囲んで反対した。科学技術が未熟だったため、いわゆる「公害」が発生し、若者達は公害企業を攻撃した。人権問題だって、この高校のある街の北西辺りは昔から結核病院や精神病院が多かったでしょ? 60年代前半は、これまで家庭の座敷牢に閉じ込められていた心身障碍者らが、新しく出来た障碍者コロニーに送り込まれた。だがコロニーの環境もまた劣悪で、バリアフリーの概念もなく、障碍者達の移動の自由は妨げられ、社会は偏見の目で障碍者を見ていた。若者達は障碍者と手を組み、コロニー解体運動を行なった。

「何で学生が主体で運動したなん? 普通の市民はどうしていたの?」

 公害や基地の直接の被害者は、運動をした。が、大学進学者が30%に満たない時代、学生は社会的エリートとして住民達や当事者達の指導者になるべきだと考えた。だが、学生の声に耳を傾ける大人はとても少なかった。

 平和・環境・人権。今、学校で大切なこととして教えられていることが、弾圧されていた時代があった。

(その頃、爺ぃじは何をしていたんだろう)

 明輝くんは思った。


                ⁂


 文化祭の準備は、木曜日の授業終了後から行われる。教室から机や椅子が撤去され、体育館も含め、念入りな掃除がなされる。そして金曜日には、教室も模擬店に使う理科実験室も、見違えるほどに飾りつけられる。明輝くんのクラスは、あてがわれた理科実験室に、隣の理科準備室と呼ばれる部屋にある電子レンジを運んだ。冷凍の肉巻きおにぎりは、電子レンジ600Wで3分ほど温めるといい。肉巻きおにぎりは生徒会や実行委員会とも相談をし、500本を注文した。理科実験室だけに使える電力の幅は大きく、レンジを2台利用しても、ブレーカーは落ちない。2年生のサーターアンダギーはゆっくりと自然解凍した後、これも理科実験準備室にあるトースターで温める。

 2年生が戸惑ったのは、沖縄そばとスパムの缶詰で作る焼きそばだった。野菜は1階の調理実習室で刻んだゴーヤとキャベツを使うのだが、火力はプロパンガスを利用する。1年生は遠足のとき、プロパンガスで焼きそばやカレーライス作りを経験するが、今の2年生にはそれがない。家庭でもIHヒーター調理をするのでガスの利用を怖がる生徒もいる。チャッカマンで火を付けることすら躊躇する生徒もいる。しかし東高の全員参加精神に則り、全員が焼きそばを作れないと困る。幸い試食用も含め、材料は多めに購入している。食券を使っての、早速の模擬店が始まった。

2階の廊下は提灯や旗などで飾られ、「模擬店通り」の看板も設置された。明輝くんは1階に足を運んだ。1階の洋風作法室大は姉ぇねも所属した家庭科部のカフェ。暑い季節なのでレモン味のウィークエンドケーキに人気がある。和風作法室大は、来場者の休憩室に、調理自習室は家庭科部や模擬店の準備室に、そして被服実習室はバザー会場に。

 昔、家庭科が女子のみの教科だった時代、この1階は男子は通り辛かったという。ちなみに茶道部は動画写真部の協力で製作した「茶は南方の嘉木なり~中国茶道の世界~」の映像展示を教室で行ない、併せてウーロン茶やジャスミン茶、お茶請け用のナッツ類やドライフルーツを販売することで落ち着いた。

 2階にある、だだっ広い図書館には「関係者以外立入厳禁」の札が掛かっている。

「関係者って?」

 何でも文化祭の雰囲気に乗じて不届きな行ないをする生徒の説教室にも使われるが、それ以上に文化祭にやって来た保護者との面談が臨時で行なわれる部屋でもあるそうな。

 姉ぇねのクラスの「新聞記事で読み解くウクライナ戦争」は、6月17日付の新聞記事『アメリカが19億ドルの追加の軍事支援を行なうこと』や『ロシアのウクライナ侵攻で、原油・小麦などが世界的に価格が上昇し、インフレを起こしている』そして、『ウクライナ侵攻で難民急増、世界で1億人』等の内容のものが、最終的に展示された。以前、明輝くんが国語総合の時間で貰ったプリントの、宮沢賢治の詩「曠原淑女」も、黒板アートで紹介された。姉ぇねのクラス展示は最上級生らしく立派なものとなっていた。

 晴れれば広い中庭を使って、自由な活動を、事前に届ければ行ってもいい。一番人気は生徒会主催の巨大オセロゲームで、これは第3回の文化祭からの伝統行事であるものの、雨天の多い季節、行なわれないことも多い。クラス単位でフォークダンス会を行なったり、人文字を作ったり、模擬店のCM看板を見せたりする。稀にエレキによる演奏や自転車を使った紙芝居も行われるという。


               ⁂

 

東高の文化祭では、個人および有志単位での参加は基本的には禁じられている。その代わり、3学期の最後の日に「余興会」という行事があり、こちらは5分以上40分以内、1人から45人まで、内容はロックやポップスなど軽音楽の他、コント・漫才・落語から演劇やダンス、そして時には日舞や演説、スライドショーや映像まで公演される。参加は無審査で費用は文化祭と違って全て自己負担、古典以外の演技や歌は、必ず1つは自作のオリジナルの作品であることが要求される。

 平行して広い生徒食堂では、アンデパンダン展(無審査の美術展)が開催される。作品は、あらゆる種類の絵画や書道、カリグラフィーから、手芸・工作・工芸に加え、自己主張の強い、あるいは自分で研究したことを発表する壁新聞も展覧される。明輝くんの姉ぇねも2年生のとき、敬愛するメルケル元首相を扱った壁新聞を提出した。余興会とアンデパンダン展共に併せて1人3点までの参加が認められている。3点参加せよの意味ではない。3点以下に抑えろという意味で、参加しない自由もある。

 文化祭とは違い、こちらは一切非公開で保護者の見物も許さない。但し高校の施設を使っての行事なので、「教育委員会のお偉い方」が密かに視察することもあるという。


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 文化祭の日は小雨だった。明輝くんは朝早く登校し、事前にお願いをした用務員から棕櫚の葉を何枚も受け取った。涼し気な美しさを持つ棕櫚の葉は、作り物のハイビスカスや熱帯の鳥達の中に飾られると、一層そこが南国らしさを醸し出す。明輝くんは棕櫚の葉に見守られるようにして、市立図書館へ向かった。

 雨は市立図書館に近づくに連れ、降り方がキツくなって来て傘をさしても足元を始め、全身が濡れた。図書館に着いて高校の制服からバイト先のユニフォームに着替えたものの、予備の靴下と小さなタオル以外は雨天に備えて持ってきていないので、全身が寒かった。

「坊ぅぼ、濡れネズミだな」

 市川夫妻はバスタオルを貸してくれた。

 10時を過ぎても客は来ない。モーニングを食べに来る常連客もいない。雨の降る音が室内まで聞こえる。テレビを観ると、この街は集中豪雨で、ことにこの市営図書館付近はスーパーセルが発生し、雨量が多い。

(文化祭、どうなるなん?)

 スマホの天気予報だと、幸い東高付近は比較的小雨で、断続的に雨が降るという。

 明輝くんは為すすべもなく、客室テーブルの隅に座った。子ども時代の図書館の思い出が蘇ってきた。


 明輝くんは子ども時代が一番幸せだったと思う。過剰な自意識に悩まされることなく、自然体でいられた。小学校に入学し、自分の家が他の家庭と少し違うことを知った。ゴールデンウィークも正月さえ、家族とどこかに遊びに行けない。しかし保育園に続く学童保育では、明輝くんと同じ境遇の子ども達がたくさん居た。正月やゴールデンウィークを家族と一緒に楽しめないのは自分達一家だけではない。そんな安堵感を子どもながらに感じた。

保育士らは子ども達を天井川の川岸や、この図書館へよく連れて行った。図書館には子ども達を楽しませるものがたくさんあった。豊富な絵本。写真の多い子ども向け図鑑。ウォルト・ディズニーやマザー・テレサの子ども向き偉人伝を借りて、学童保育で読み耽った日々。そして土・日にはボランティア指導によるゲームやさまざまな遊び。紙芝居に映画。ボランティアの人達は、牛乳パックやペットボトルを使った科学実験を見せてくれた。

 図書館は、他の小学校の子ども達と友達になれる、貴重な場所でもあった。時々、特別支援学級や支援学校の生徒達と図書館で出会うこともあった。

実縞の爺ぃじや婆ぁばの家で泊りがけ過ごすのも楽しい思い出だった。ことに婆ぁばが自宅にはいないので、実縞の婆ぁばと過ごすのは、とても貴重な体験だった。家の母ぁかも手作りのおやつをときに用意してくれたが、婆ぁばはきれいなクッキーから蓬餅まで何でも作ってくれた。実縞の家に遊びに行くと、いつでも婆ぁばが迎え入れてくれた。  

 不思議なことに、家の爺ぃじも実縞の爺ぃじ婆ぁば夫妻も、正月にお年玉をくれなかった。親戚間で何か取り決めでもあったのか、両家共にお年玉の習慣がなかった。小学校に入学してからお年玉の習慣を知り、ちょっとショックを受けた。それどころか実縞の爺ぃじ婆ぁばの所へ遊びに行くときは、両親から預かった、きれいな封筒に入ったお金を爺ぃじ婆ぁばに渡すのが習慣だった。

 明輝くんはお年玉がなくても平気だった。

必要なものは玩具でも洋服でも両親が買ってくれた。小学校のクラスには、いわゆる「貧困家庭」の子どもがいて、その子達を心からかわいそうだと思った。

父ぉとと母ぁかは正月やゴールデンウィークの代わりに、観光客が少なくなる梅雨時に、土・日を含めた少し長い休暇をとってくれた。土・日には、両親が働くホテルに正装をして泊まりに行った。ホテルには図書館と違った、面白いものや楽しいものがたくさんあった。両親がホテルでマッサージを受けている間、明輝くんは姉ぇねはホテルのキッズルームに預けられた。外資系ホテルのためか、キッズルームには、図書館や学童保育と違った玩具、レゴや知育玩具など海外の玩具が置いてあった。学童保育や図書館には、けん玉やブンブンこま、それにお手玉やおはじきなど、「昔懐かし」系の玩具が多かった。明輝くんは綾取りとお手玉が得意な小学生だった。―そうだ。明輝くんの世代は遊びに男の子向け・女の子向けの区別がなかったのだ。

 ホテルにしては珍しく大浴場があった。ホテルの最上階には洋式レストランがあり、子ども向けのマナー教室もあった。夜は父ぉと達男3人はエキストラベッドも含めた3人部屋で、母ぁかと姉ぇねは2人部屋で休んだ。時には3人部屋の宿泊者が、母ぁかと姉ぇね、そして明輝くんになったこともあった。

 翌日は晴れていればホテルの直行バスに乗って遠くの―今思えば近場の―観光地へ出かけたが、子ども達にはホテルの方が面白かった。ミニ動物園のちいさな可愛い珍しい動物達。そして乗馬体験。何よりも楽しかったのはホテルの大人向けゲーム室で、そこは賭博禁止・18時以降未成年者禁止の部屋だった。が、昼間なら子ども達も保護者同伴で利用できた。4人掛けテーブルはトランプや麻雀が用で、ルーレットやビリヤードもあった。爺ぃじも含め、家族で簡単なトランプ遊びをするのは何ごとにも勝る楽しさがあった。

 小学校3年以降、明輝くんには新しい楽しみが増えた。東高の文化祭の見物に出かけることである。母ぁかから千円札1枚をもらい、徒歩で東高へ行った。

 ステージでは「浦島太郎」をやっていた。高校生にもなって浦島太郎なんてと驚いたが、やはり高校生、海辺や深海のセットは綺麗で、深海には、紙製の美しい熱帯魚や深海魚を、黒子の生徒達がモービルを使って見せてくれた。鯛や鮃の役の女生徒達は、水着の上に薄手のピンクの化繊で作った簡単な衣装に赤い手作りの帯を締め、美しい舞いを踊っていた。

 その次の学園ドラマは、明輝くんにはどこがいいのか分からなかった。周囲の大人達は―高校生も含め―ドラマを観て笑ったり泣いたりしている。早く大人になって分かるようになりたいと、明輝くんは思った。

 サーカスのステージも面白かった。水着姿の女生徒がたくさん、高い平均台の上を、前転をして見せたり目隠しをして歩いていたりする。あんなこと、ぼくには出来るなん?と感動した。

 教室の展示に行くと「喫茶~すずめのお宿~」があった。どうやって作ったのか、竹のレプリカが林立し、大きな笹の枝も飾られている。一部が畳敷きの部屋で、生徒達は揃いの法被を着て雀の仮面をつけている。明輝くんはお茶と大福餅を注文した。お茶はペットボトルに入っているものの、ラベルが貼られる部分には紙と絵具で描いた、「すずめのお宿」の挿し絵が貼られていた。お茶は100円だったが、大福餅は300円もした。竹の皮で包まれていて、中にはコンビニで売られていそうな包装された大福餅が入っていた。少しがっかりしたが、竹の皮が珍しく、大切に持ち帰った。

 「お化けの展示~耐えられますか?この怖さ~」は怖かった。東高では部屋を真っ暗にしたお化け屋敷は禁止されているが、このお化け屋敷は、綿の糸で作った蜘蛛の巣に蜘蛛の作り物があり、不気味な墓場のセットがあった。その中で「妖怪ウォッチ」や「ゲゲゲの鬼太郎」で馴染みの妖怪達がただゲラゲラと激しく笑っている。床を叩きながら笑っている。かえって不気味で怖い。来場者の中には泣いている子どももいる。さすがに妖怪役の生徒は笑い続けることができず、途中で交代するのだが、妖怪にコスプレした生徒達が廊下を歩いていて、ますます怖い。

 華道部の展示も印象に残っている。華道部は普通の生花の他、洋風のフラワーアレンジメントも展示していたが、明輝くんの心を捉えたのは「葉蘭」の展示だった。花のない葉っぱだけの生花だが、葉の大きさや反り方を組み合わせて、3枚から7枚までの葉っぱが10点ほど生けられていていた。どの葉蘭も花器と調和しながら、1つとして同じものがなく、個性を放っていた。その頃の明輝くんは、花を生けた人のことなど想像することなく、ただ素直に葉蘭の美しさに惹かれた。

 漢字研究同好会の漢字のクイズとパズル。自然科学部の展示。一般クラスの縁日と駄菓子売り。居酒屋風の外装内装でスナック菓子や缶飲料を出す店(カラオケ付き)。巨きなルービックキューブや達磨落としや黒髭危機一髪のアトラクション。地理や歴史の展示。ステージでは声楽部の美しいドレスをまとった女生徒の見事な独唱やESSの日本語交じりの英語劇。一般クラスでは、粋に着崩した私服を身に着け踊るKポップ。ギターに合わせて歌う昔のフォークソング。獅子舞や龍舞。理科や国語のスライドショー。そして人気漫画や最新ゲームを素材にしたステージの寸劇に教室でのスタジオパークの数々。

 父ぉとも母ぁかも東高出身だという。自分も早く高校生になって、こんな文化祭をやりたいと思った。早く大人になりたかった。


 明輝くんの大人への第1歩は中学1年生の春、突然やって来た。

 その夜、なにげなくテレビを観ていると、東京の最新のラグジュアリーホテルの様子が紹介されていた。

 そのホテルの部屋の天井はとても高く、間接照明だった。ベッドはクイーンサイズでベッドのスプレッドには純白で地模様の入った生地が使われ、足元のベッドスローは絢爛豪華な布だった。豪奢な生花が飾られ、広い部屋はルームサービスを頼んでも、狭くはならなかった。

(ぼくが泊まったホテルは何なん? エキストラベッドを置くと、部屋で食事もできないほどだったな)

(あんなホテルの掃除をする人は、ベトナム人留学生のバイトやパートのおばさんじゃないなん。誰がするなん?)

 テレビはさらにその部屋を紹介した。大きな仕事用デスクが、部屋のロマンチックな雰囲気を壊さぬような場所に置かれ、Wi-Fiフリーだという。この部屋を常泊するというゲストの自宅マンションも紹介された。ホテルと違って若干家庭的だが、豪華さに置いてはホテルと変わらない。そのゲストの職業は忘れた。

 明輝くんは「上には上がある」という当然のことを知らされたが、父ぉとがホテルマンだけに刺激が強すぎた。これまでたまの贅沢に思っていたホテルとは比較にならない。父ぉとも母ぁかも一生懸命に働いているのに、こんなホテルとは生涯無縁だろう。人生が虚しく感じた。虚しさという感情を、そのテレビ番組で初めて体験した。

 共働きながらも豊かな愛情の両親の元で育った明輝くんの将来の夢の1つは、学童保育の先生になること、できれば障碍児保育の先生になって、自分が楽しんだ放課後を、その子ども達に与えたいと考えていた。もっと小さな頃は、ホテルマンや株式会社KAKIMOTOの社長にもなりたかった。ピアノもろくに習っていないのに、すぎやまこういちや冨田勲みたいなクラシック風の音楽の作曲家に憧れたこともある。

 それらの夢や憧れが一瞬にして崩れた。「格差社会」「二極化」そして「分断」という言葉を子ども心にも聞いて、意味を知っていたが、これほど巨きなものだとは知らなかった。

(ぐずぐずしていると人生の敗北者になって貧乏になり、不幸になる……)

 明輝くんは市外の遠い街にある塾に通い、東高の地位も知った。一番立派なのは、この県内では一高だ。東高など、勉強の出来ない奴が行く所で、部活や遊びに呆けてFラン大学(注9)に入学し、不幸な人生を送るものだと、塾生は噂をする。

 そして一高よりももっとハイレベルな高校など日本にたくさんある。都立だと国立(くにたち)や日比谷、国立だと筑波。しかしそれ以上にレベルが高いのは灘(注10)や開成(注11)だ。それらは小学校中学年の頃から塾に通い猛勉強し、高校2年生の頃には高校3年生の過程を全て終えている。そして東大に百人前後もの合格者を出す。だが人生はもう終わった訳ではない、猛勉強して一高に入り、さらに猛勉強すれば東大入学に間に合う。そんな話を塾生達から聞いた。

「まだ間に合う―」明輝くんは猛烈に勉強を始めた。一方では野球も続けた。それは一高が「文武両道」の高校であり、公立の進学校ながら野球が強いことでも有名だったからだ。地方の少人数の全員野球チームで明輝くんは勉強と両立させながら頑張った。だが優れたピッチャーにも強打者にもなれぬ。

 努力の時間をコロナ禍が奪う。希望通りの練習すらままならなかった。


(注9) Fラン大学 偏差値が低すぎて算出不能、もしくは35近辺の大学の事。就職率は低い。学生は無気力の傾向がある。(注10) 灘 兵庫県神戸市にある、中高一貫の私立男子校の灘中学・高等学校のこと 東大合格者が多い。制服はなく、自由な学風。(注11) 開成 東京都にある、中高一貫の私立男子校の開成中学・高等学校のこと。東大合格者が多い。

 

 勉強面でも努力は実らなかった。小学校時代、父ぉとはあれほど東高自慢をしていたのに、中学生になって明輝くんが東大を目指すようになると、「一橋大学へ行くな」を連発し始めた。父ぉとは東大の難しさを知って、目標ランクを現実的に落としたのだと、明輝くんにはすぐ理解できた。一橋大学も優秀且つ難関で立派な大学だ。今はとにかく勉強することだ。だが理想とする点数は取れなかった。数学と英語こそ満点かそれに近い点数を取る。しかし理科・社会・国語、それに体育と音楽は、5段階絶対評価では5と4を往復する成績だった。酷いのは美術・技術科・家庭科だった。手先の器用さが凡庸な上、担当教師と反りが合わず、3もしくは2の成績だった。他の学業に身を入れ過ぎて、これら3教科の提出物が遅れがちなのも成績不良に拍車をかけた。

 コロナ禍で学校に通えず友人達と切磋琢磨できない頃があり、両親は遠方の塾へ明輝くんを通わせるのに反対した。

「この成績だと公立では一高は無理ですねぇ。二高なら充分です」

 これが学校側の出した結論だった。

 

 「女子」のことも、明輝くんの悩みの1つだった。幼少の頃から男女平等の教育を受けて来た明輝くんにとって、男子の体力と体格が女子のそれを凌駕する頃、明輝くんの心に女性蔑視の念が生まれ始めた。いや、だからこそジェンダーは平等なのだと、心の中のもう1人の明輝くんが引き留める。明輝くんは女子が嫌いになり始めた。だからと言って男子が好きなのではない。コロナ禍がなければ胸を割って話せる友人もいただろうが、中学2年生のときは緊急事態制限による通学禁止、授業が再開されると遠足も体育祭も文化祭もなく、放課後には強制補習授業があり、たくさんの宿題も出た。

 家庭では両親の在宅時間が長くなり、母ぁかや姉ぇねの作る食事を食べたが、家計の事情からか豆腐や食べ慣れない納豆、そして安価な卵のお菜が続いた。家族揃っての食事はコロナ感染予防の観点からしなくなり、それぞれの部屋で食事を摂った。

 明輝くんは誰にも相談できない状態で、思春期を過ごした。世の中の貧しい人を見れば、ああはなりたくないと思い、大金持ちには激しい憎悪と恨みを抱いた。尊敬する人も愛する異性もいなかった。ただ両親と姉には何とか愛情が持てた。


雨天は続く。午後3時頃、市川さんが

「坊ぅぼ、帰りな。もう仕事はないな」と言う。客が来ない間はテーブルの消毒や床磨き、厨房の整理まで仕事をくれたが、暇である。売上もないから、これ以上の時間は明輝くんの時給が出せないのだろう。

明輝くんは徒歩ではなくタクシーで帰宅することにした。着て来た制服はびしょ濡れで職場のユニフォームのままで帰宅することにした。タクシーはなかなかやって来ず、ようやく来た頃には雨は小雨となった。

 クラスのもう1人の文化祭実行委員からLINEが届いた。雨天だが来場者は結構ある。模擬店ではチョコバナナのチョコレートの明日の分が不足した。雨天の中、急いで買い足した。展示もステージもそれなりに盛り上がった。―そんな内容が書いてあった。父ぉとからも連絡があった。文化祭終了後、姉ぇねと一緒に面談がある。帰りには姉ぇねとファミレスで食事をする。明輝さんは、ピザか寿司を出前して、爺ぃじと一緒に喧嘩しないで食事をしてほしい。―そういう主旨のことが書いてあった。

(姉ぇねは、もし国公立のリハビリ学科が無理だったなら、県内の公立大学の教員養成課程の家庭科教師養成課程を受験したい。それと東京の一番偏差値が高い女子大で、家政科全般が学べる学科を受験したい。私立のリハビリ学科は受験も入学もしたくない。作業療法士になれないなら、家政科を学んでそれを活かせる職場に就職したい。そんなことを言っていたな……)

 と明輝くんは思い出した。

 

 自宅にたどり着くと、有ってはならない物をリビングで見つけた。タッパーに入った、文化祭の模擬店の肉巻きおにぎりだった。

『お帰り 坊ぅぼ。坊ぅぼのクラスの肉巻きおにぎりは美味しかった。坊ぅぼもお食べ。レンジでしっかりチンしてな』

 とメモが添えてある。爺ぃじめ、またルール違反をする。調理された食べ物の持ち帰りは禁止なのに。むっとする明輝くんだったが、それを抑えて夕食のことを考えなければならない。ハイカラ好きの爺ぃじはピザが好物だ。しかし自分は高価なものを食べたくない。家には非常食用のレトルト等の食べものがある。使った分、後で補充をして、非常食が古くなる前に食べよう。明輝くんは適当なレトルト食品や缶詰などで夕食を作った。そして爺ぃじを呼んだ。肉巻きおにぎりは冷蔵庫に入れた。

「爺ぃじ。夕食の用意ができたな」

 2階の部屋の爺ぃじに声をかけた。

「すぐ、下の部屋にいくかな」

 と爺ぃじは言った。

  爺ぃじはリビングのテーブルで明輝くんとは斜交いに席を取った。爺ぃじは何もしゃべらず夕食を摂り、すぐに自室に戻った。明輝くんは爺ぃじの跡を追った。肉巻きおにぎりの件で文句を言うためである。爺ぃじは階段を昇りながら何気なく言った。

「坊ぅぼのクラスの肉巻きおにぎり、旨かったな。肉に醤油と砂糖の味がついて、絶品だったな。姉ぇねのクラスの黒板に書いてあったウクライナの詩もよかったな」

 ウクライナの詩? それよりも爺ぃじがなぜ自分達のクラスの発表の場所を知っているのか気になった。爺ぃじは構わず話を続けた。

「こうげんしゅくじょ……日ざしがほのかに降ってくれば/またうらぶれの風も吹く/にわとこやぶのうしろから/二人のおんながのぼって来る/けらを着/粗い縄をまとい/萱草の花のように笑いながら…」

 明輝くんは、爺ぃじが詩を読む声を初めて聞いた。子どもの頃は絵本1つも読んでくれなかった爺ぃじであった。詩は宮沢賢治作の「曠原淑女」だ。スマホで写真を撮れない爺ぃじは、手書きでメモを取ったのだろう。

「鍬を二梃ただしくけらにしばりつけているので/曠原の淑女よ/あなたがたはウクライナの/舞手のようにみえる」

 爺ぃじは続けてこう言った。

「宮沢賢治っていう生徒さん、詩が上手いなぁ」

 どこまで本気か冗談なのか分からぬ爺ぃじである。

「……ねえ爺ぃじ。どうしてぼく達の発表の場所が分かったの?」

「お前らが廊下でウクライナの新聞記事だの肉巻きおにぎりだの、姉ぇねと話ししてたがな。儂は75言うても耳はよう聞こえるな」

(爺ぃじがぼく達に関心を持ってくれた!)

 明輝くんは感動した。明輝くんは爺ぃじに肉巻きおにぎりの持ち帰りのことは叱らずに置いておこう、おにぎりは今夜の内にレンジで温めて食べよう。そう決め自室に戻り、勉強を始めた。父ぉと達は8時頃帰宅した。明輝くんのスマホが鳴った。母ぁかからのLINEである。


―お父さんが東京の本社に栄転することに決まりました。

 お姉さんもあなたも、安心して県外の大学に通うことができます。お父さんは単身

 赴任をします。

 

明輝くんは驚いた。LINEには続きがあった。


―お母さんは更年期障害があり、ホテルの仕事が続くかどうか分かりません。

 パートで働くことになるかも知れません。お祖父さんのこともあるし。

 実縞のお義母さまは、育児に手がかからなくなった頃からパートでふよう内で働い 

 て、あなたのお父さんと叔父さまを大学に進学させる程、働きました。お母さんに

 はそこまで働くスタミナがありません。お母さんのお母さん(柿本の婆ぁばですね)

 は早死にをしました。私は今後は無理しない範囲で働きます。実は明輝さんがバイ

 トをしなくても済むだけの、貯金は充分あります。


 姉ぇねのことは書かれていない。きっと姉ぇねの希望は叶ったのだろう。姉ぇねと父ぉとが家を出て、爺ぃじと母ぁかとの3人暮らしになる。明輝くんは寂しく感じた。

 明輝くんは思い切って母ぁかに聞きたいことを質問しようと思った。口では言えないこともLINEなら書ける。


―お母さん 柿本のお祖父さんは亭主関白でしたか? 

 お母さんのお母さんへのDVとかありましたか?

 

しばらくすると返事が来た。


―DVなんてありません。「男子厨房にようかいせず」の思想を持ち、家事は全く手

 伝わないが、食事や家事などに文句や注文も一切言いませんでした。お父さんと結

 婚して、お父さんに食事に注文を言われて私は驚いたほどです。

 

 少し経ってからLINEの続きが来た。結婚する前の爺ぃじは「フリーセックス主義者」で「遊び人」だったらしい。だが婆ぁばとのお見合い話が出てから禁欲主義者になり、結婚後も浮気は一切しなかった。誰からDV夫なんて言われたのか知らないが、そんなでたらめは信じないでほしい—そういう内容だった。

(ぼくの中のDV男の素質は、遺伝じゃないんだ。ゲイもレズもトランスジェンダーも生まれつきだけど遺伝ではない、突然変異なのだろう。ぼくはぼくの責任で暴力の芽と戦わないといけないのだ)

 明輝くんは、そう感じた。


               ⁂


 明輝くんの両親は共に東高の出身だが、高校時代は学年も違い、顔見知り程度だった。

2人は偶然、同じホテルに就職し、平日のお見合いパーティで、どちらからともなく声をかけ合い知り合った。意気投合した2人はすぐに結婚話となった。しかし母ぁかの家には、妻を亡くした爺ぃじがいる。父ぉとはそれも承諾し、広い田舎の家での3人の生活が始まった。結婚しても、共働きで娘婿がトイレ掃除などを積極的に手伝うことに、爺ぃじは何も言わなかった。やがて子どもが産まれても、爺ぃじは孫の泣き声やいたずらに不満を言わない一方、孫の世話も一切しない老人になった。

 ちなみに東高時代、父ぉとは今は無き声優部と映画研究部に居た。母ぁかは小学生のからやっていた競技かるた部に入部していた。短大に入り、競技かるた部が盛んなのは自分の出身県だけと知り驚いたという。



翌日は打って変わっての晴天だった。しかしこういう日は熱中症を起こしやすい。文化祭当日に特に仕事のない図書委員が、毎年、ペットボトル入りの麦茶とポカリスウェットの売り子になる。きっと図書委員は忙しい想いをするだろうと明輝くんは思う。

 明輝くんは、朝9時から模擬店の仕事をした。肉巻きおにぎりはレンジで簡単に調理できるが、2ℓのペットボトルに入ったアイスコーヒーやウーロン茶を紙コップに移すのが意外と難しい、

(早く体育館でステージを観たい。それから教室の展示も。他の模擬店のものも食べてみたい)

 明輝くんは、はやる心を抑えて売り子に徹した。

「実縞さん、もう交代していいよ」

 と言われ、明輝くんは走り急ぐように体育館へと向かった。ちょうど幕間の換気の時間で、大勢の人達が体育館を出て行く。2年生による寸劇「あんぱんおじさんIN戦場」が終わったところだった。

この寸劇は、昨日のアンケートによると、賛否両論だったという。「内容が悲惨過ぎる」「正義の味方が簡単に死ぬようではこどもに奉仕の精神を教えられない」という意見がある一方、小学生らしい回答者の感想の中には「私も大人になれば、戦争で苦しむ人や貧ぼうな人のためになるしごとをして、あんぱんおばさんになりたいです」等の書き込みも多数あったと聞く。大人からは「私達の世代は、自己犠牲は戦争につながるものとして(特攻隊美化など)、否定的に教えられました。しかし今日の公演を観て、自己犠牲が戦争の抑止につながるものだと認識させられました。素晴らしい劇をありがとうございます」という意見もあったそうだ。

 10分間の換気と休憩が終わり、次のダンス部の演技が始まった。ヒップホップダンスやフラダンス、朝鮮舞踊などなどさまざまなダンスを次々と数人ずつで踊る。最後は3年生を入れ全員10数名による『祈り』というタイトルの創作ダンスが披露された。

 続いてESSによる「英語で聴こう・皆が知らない東欧音楽」。英語による東欧の民謡やポップスがギターやピアノ伴奏で歌われる。

1曲目は「森へいきましょう娘さん」。これはポーランド民謡だという。歌詞の和訳と英訳が、スライドで表示される。「森へ行きましょう娘さん」の原語版は、少女が森へ行き、猟師と恋に落ちる内容だ。当時のポーランドは毛皮の輸出産業が盛んで、猟師は若い娘達の憧れの職業だったと字幕の説明がある。2曲目は原詩はラトビア語の「マリーニャの贈り物」。マリーニャとはラトビア語で愛の女神・母性を意味する。母と「私」とその娘が題材になった、やや難解な歌詞だ。ロシア語版では完全に違う歌詞に差し替えられ「百万本のバラ」というタイトルで世界的ヒットになったと、字幕で説明される。旧東ドイツのポップス「カラーフィルムを忘れたのね」等、何曲か英語に訳した東欧の民謡・ポップスが続いた後、「知っている皆で歌いましょう。『花はどこへ行った』」と司会者が言う。「Where Have All the Flowers Gone~」最近よく耳にする歌だ。聴いて歌っている明輝くんの目にも涙が浮かぶ。

 聞くところによると、声楽部の「何を今さらロシア音楽」の展示は、展示物こそチャイコフスキーやムソルグスキーそしてショスタコーヴィッチらの生涯と作品解説を扱っているが、BGMがクレイジーで、宮川泰作曲でカセットテープを通じて密輸された「恋のバカンス」のロシア語版や、ペレストロイカのソ連で歌われた「ロック調ソ連国歌」、そしてアメリカ製のゲーム音楽「ソビエト・マーチ」などが流れているそうだ。

 次は3年生の寸劇「タイムスリップ・80年前の日本」。主人公はどこか昭和レトロだが、きな臭い街にタイムスリップする。電柱には「護れ日本よ、備えよ『スパイ』に」の標語が貼られている。憲兵や国防婦人会の女性がいる。ジャズ音楽を聴くことも、英語を学ぶことも使うことも禁じられ、大本営がフェイクニュースを流す。インターネットのない時代、反戦主義者は「街頭連絡」の手段を使うが、特高警察のスパイによって主義者達は根こそぎ逮捕される。

 そして突然、背景は照明の灯りで赤くなり、天井からコーンスターチ製の煙と紙粘土製の瓦礫が落ち、舞台セットが黒子によって破壊される。主人公は叫ぶ。「何故だ! 今は昭和17年なのに!」。やがて舞台は暗転し、次には壊れた高層ビルや東京スカイツリーのセットが現れる。主人公の傍にはケロイドの火傷だらけの人が倒れている。主人公は尋ねる。「今は何年ですか?」ケロイド火傷の被災者が「2千…2千……」と言った所で幕が降りる。幕が降りたまま「愛国行進曲」「戦争を知らない子供たち」そしてなぜか「自衛隊へ入ろう」の曲が流れる。たぶん幕の裏では瓦礫やセットを片づけているのだろう。10分間の換気と休憩が放送される。

 

 明輝くん喉が渇いたので、とりあえず生徒食堂へと向かっていった。和太鼓部の展示部門「和太鼓演奏付き・マツケンサンバの盆踊り大会」の曲が聞こえて来る。

 生徒食堂で明輝くんは、居てはならない人物を見つけた。図書館カフェの日曜日のバイトに入っている筈の頼畑さんだ。頼畑さんは男子生徒と一緒にアイスキャンディーを食べている。

「頼畑さん……何でな?」

 明輝くんが怖い声で質問する。頼畑さんは一瞬驚いた顔を見せたが、

「この人が実縞さんよ。バイトの。……実縞さん、今日、私は腰痛がするの。だからバイトは休んだわ。朝一番に市川店長に連絡をしたの。店長は昨日はお客さん来なかったし、例え晴れても、お子さん達はそちらの文化祭へ行くでしょうと言って、休みをくれたわ」

 頼畑さんは平然とそう言う。隣にいる男子が明輝くんに自己紹介をしようとしていたが、明輝くんはステージでのせっかくの感動も忘れて、一般教室棟2階へと向かった。悔しい。侮辱をされた。明輝くんはそこで、一生忘れられないものと出会う。


                ⁂


 そこは工芸部の展示部門の部屋だった。巨きな和紙製の薬玉に色とりどりの和紙製の吹き流しがついた、仙台七夕の賑やかな飾りが4点ほど天井から吊り下げられている。他には青の篠竹を丸棒にしたモービルに、艶やかな着物地を連想させるような、和紙千代紙で作った折り紙細工がたくさん飾られている。窓には剪紙と呼ばれる、刺繍と見間違えるほど複雑な文様の中国の切り紙細工が、茄紺色やお納戸色、柿色の和紙で施され貼られている。

 文化祭で展示物を「吊り下げて飾る」のは難しい。そこで東高では日頃は意識しない存在だが、文化祭向けに天井にフックが付いている。あまり重いものは展示できないので首吊り自殺は不可能ですと、教師から聞いたことがある。先輩生徒達の苦労が偲ばれる。

 明輝くんは、華やかな和紙細工の中に、全く別の美を帯びた、和紙製の大きな飾り物を見つけた。

 それは、純白で厚手の和紙を四つ折りにし、端を張り合わせ、縦に長い長方形の飾り物だった。白い長方形の各面には、複雑な渦巻きを中心とした左右シメントリーの文様が切り紙細工として一面に施され、4面どの面の文様も同じものがない。白い長方形のその飾りの下のほうは、凧の足のような細長い縦向けの切り目が入っている。その上には、ちいさなV字型を逆さまにした一列の切れ目が並んで施され、その逆V字の底の方には、手前または向こう側に折って、切り紙細工と同様に小さな空間を作っている。切り紙細工の切り目の空間の向こうには、純白の和紙生地、または別の切り紙が作った空隙が見え、そのかなたには現実の教室の一部が見られた。

(ぼくの『金閣寺』だ……)

 美しい。美の極致。そんな言葉が浮かんだ。

 そのオブジェの説明書きには「備中神楽の和紙製の白蓋びゃっかいを元にしたオリジナルオブジェ」とあり、渦巻きなどの文様はアイヌ民族、さらに北に住むニブフ民族の伝統的文様を参考にしたと説明書きにあった。白蓋は、岡山県西部の備中地方の神事に利用されているという。

(ぼくの『金閣寺』…だ……)

 いや、金閣寺とは違う、と明輝くんの心の中の明輝くんは言う。金閣寺は時の将軍・足利義満によって作られたが、この白蓋は、楮の栽培に始まり、多くの庶民の手によって作り続けられた。ぼく達の祖先のような庶民達は、白蓋を通して、神への願いと感謝の念を捧げ続けた。そして今回、文化祭のために作られた白蓋の文様は、アイヌ民族、さらに北の民族達が、差別と同化政策の中で護り続けた美なのだ。

 明輝くんは白蓋の下に入ってみた。上部は正方形の白い和紙が、正確に貼られて天井を作っている。その天井の上には、ちいさく切った、正方形の紙がたくさん置かれている。

 明輝くんは、白蓋から、離れようにも離れがたい想いに囚われた。胸がときめき切なくなる。甘美な、初めて感じた感情を味わった。

 数分間、白蓋を眺めて続けていた明輝くんに、平田くんが気付いた。

「どう? 凄いだろう。これ、ぼくたち4人の部員で全て作ったんだ」

 すこし自慢げに説明をする。

「こっちへ来いよ。ぼく達は科学実験もしたんだ」

 平田くんに誘われ、心は白蓋に名残り惜しい気持ちを抱きながら、他の展示も観た。和紙製畳表といぐさ製畳表の耐水性や摩擦への耐久性比べ実験や、障子紙ふすま紙の種類などがパネルや机の上に展示されていた。

「お宅のKAKIMOTOは凄いなぁ。工場の周りの生垣に、人口栽培しにくい雁皮という和紙の材料の木が、生垣に沢山生えているんだね。柿の木もあって、今でも少しだけ柿渋を真夏に作っているんだって」

 パネルには、ふすま紙には紙製のものとレーヨンとマニラ麻で織ったものとがあり、織製ふすま紙の糸には柿渋が防腐・防虫目的で下染めとして使われている、そんな説明書きがあった。

「よかったら、『ふまま紙&障子紙のヒ・ミ・ツの魅力』って冊子あげるよ。実費で1冊20円で売っているんだ」

 平田くんはそう言う。明輝くんは冊子を受け取った。

「平田さん、もしよかったら、この展示のための参考文献とかも教えてくれない?」

 平田くんは、はいどうぞと言って2冊の本を貸してくれた。1冊は紙全般について書かれた本で、もう1冊は和紙についての本だった。

 教室の隅には工芸部員が作ったらしい、茶道用茶碗だの七宝焼きアクセサリーだの鎌倉彫のペンダント、そして小さなガラス玉が置かれている。

「こちらは展示品。売っていないからね」

 平田くんはそういう。

「和紙細工の飾りは? 文化祭終わるとどうなるなん?」

「展示品は今日の3時頃から希望者に無料であげるんだ。あの白蓋だけは神事に使うものだから、神社でお焚き上げしてもらうけどね」

 他の来場者、小さな子ども連れの来場者が入って来て、七夕飾りや折り紙モービルなどに歓声をあげた。じゃあ、ぼくはそろそろ他の展示も観に行くよ。そう挨拶をして明輝くんは教室から出た。

 隣のクラスは「タイムスリップ・80年前の日本」の展示会場で、行岡くんのクラスの展示会場でもある。教室の中には、例のきな臭さとどこかレトロな感じがする、昭和10年代のポスターの模写絵が貼られていた。戦意高揚や節約、防諜などを訴えるもの。どことなく北朝鮮のポスターに似た絵柄のもの。

老人の見物人達がポスターを前に談義に花を咲かせている。

家庭でのケシ栽培を進めるポスターもあり、ケシからモルヒネやヘロインが作られて軍で使用されていたと説明書きにある。

 昭和10年前後のものだという広告の模写絵も興味深い。「銃後の髪を手早くまとめませう」というコピーに、女性が髪をまとめる下手くそな絵が添えられたものは「ポマード」の広告だった。どうやらこの時代は女性も「ポマード」を使っていたのか。「銃後」とハイカラな「ポマード」の言葉の対比が面白い。

「こういうのを描くの、大変だったでしょ?」

 展示物の説明のために控えている、このクラスの女子生徒に明輝くんは話しかけた。女生徒は自費でクラスで作った文化祭向けのTシャツを着て、夏生地の制服のキュロットスカートを穿いている。なんだ、セーラー服にモンペじゃないんだと、明輝くんは思う。

「絵は皆で分担して描いたわ。下絵を描く人とか色を塗る人とか。色塗りが一番大変だったの。ほっぺったのところの色合いを出すのに、何度も試作品を作ったのよ」

 教室の半分は昭和17年(1942年)の日本の戦局を展示していた。昭和17年、日本軍はマニラ・シンガポール・インドネシア・ラングーンを占領。緒戦から半年、まさに怒涛の勢いだった。しかし、6月のミッドウエー海戦が戦局の転回点となる。ミッドウエー海戦の小型で簡素なジオラマも展示されている。ミリタリーオタクでもある、行岡くんの得意気な顔が浮かぶ。

(そう言えばここ最近、行岡くんと特に話はしていないな……)

 文化祭への詰めの準備の多忙さと、登山同好会の活動は、連日雨天のため天気図や地図の読み方の学習会が中心で、あまり登山同好会で2人が会うこともなかった。

「行岡さんは?」

 女史生徒に尋ねる。

「行岡さんは図書館」

 どうやら保護者と面談しているらしい。

 女生徒に軽く挨拶をして、隣の展示教室へ向かった。隣室の展示は、発足したばかりの自然科学部のものだった。

 自然科学部の展示に保健室の先生は、張り切ったらしい。「『カエルの解剖の標本作り』と『校内の生物の研究発表』をしましょう。私がこの高校で3年理系クラスのときの文化祭でやったテーマです。どちらもすぐにできます。カエルを入手した生徒さんは私学の歯科大に合格しましたよ」と生徒を煽ったものの、女生徒が多い新・自然科学部員は生きたカエルを購入して学校へ持って来るのも、解剖するのにも躊躇した。校内の生物研究は、雑草や樹木だけでなく、土中のミミズやオケラの類まで棲息を調べなければならない。女生徒達の頑張りが、今回の展示となっている。

 小学生達が展示物を熱心に見ている。

 カエルの標本を眺めていると、明輝くんのスマホのマナーモードがなった。明輝くんがスマホを見ると、平田くんからのLINEだった。


―実縞さんへ 自然科学部の展示はいかがでしたか? ぼくは登山同好会を退会し

 て、自然科学部に入部します

 

そこまで読んで明輝くんは仰天した。

 すぐに教室から出て、一般棟と新別館棟とをつなぐ廊下にある椅子に座ってLINEの続きを読んだ。


―以前、ぼくは将来は公務員になりたいと言いましたね あれはぼくの本心ではあり

 ません ぼくの公務員として公僕として働きながら 今の日本の法律や条例の範囲

 で外国人と日本人が共生できる社会を作りたいと言ったその気持ちは変わりありま

 せん でもぼくは将来は政治家になりたいのです 公務員として住民や市民の声を

 聞きながら 議会や政党の裏側を見て 自分に合った政党を選び ゆくゆくは公務

 員を退職して 政治家の秘書や政党の専従になり 活躍をしたいのです(続く)

 

 長いLINEはそこで切れた。少し経って続きのLINEが来た。


―そのためにも 少しでもいい 「いい大学」へ入りたい できれば国立大学がいい

 です 

 そのため自然科学部で勉強して理系の成績を上げたい まあ 部活動は授業の延長

 ではないのですが 顧問の先生には「公務員として、防災や環境の調査のノウハウ

 を身に着けたいから」と伝えOKが出ました 工芸部は週に2回 1回1時間以上 

 好きなときに好きなことをすればいいので 週3回 午後遅くとも6時までの自然

 科学部と両立できそうです。来年の文化祭前には ぼくは工芸部に集中したいので 

 自然科学部は休部扱いにしてくれるそうです もちろん朝に行なわれる科学の甲子

 園に向けての朝勉には参加しますが ぼくの科学の甲子園出場は難しいかもしれま

 せんが 工芸部の活動に重きを置きつつ科学の甲子園に向けてガリ勉したいです

 (続く)

 

 ⅬINEは一旦途切れた。


―よかったら 直接会って話をしません? この文化祭の模擬店がいい? それとも

 別の日に?

 

 平田くんのLINEはそこで終わった。

 明輝くんは不思議な気持ちで明輝くんはスマホを眺めた。友人の成長を素直に喜んでいる自分が居た。平田くんとは、期末テストが終わってからの日曜日のいずれの日に、ちょっと他所の喫茶店などで話がしたい。できれば例の図書館のカフェレストランはいかがで? そう返事を書いた。OK テスト後に会いましょう 平田くんから返事が来た。 

 スマホが鳴った。今度は行岡くんからだ。


―こんちは実縞さん

 ちょっと最近は会ってないね 

 よかったら模擬店で何か食べた後 マスクをして話しない?

 模擬店はどこがいい? 

 昨日、肉巻きおにぎりと野菜ジュースをちょうだいしました 

 おいしかった♡♡♡        

 今日は実縞さんの好きな店がいいなあ


―業者委託のハンバーガー 早く食べられるから 時間はいつがいい?

 

 明輝くんは即レスする。平岡くんからは、できるだけ早い時間がいい、いますぐで大丈夫?と返事があった。OK 模擬店通りで待ってますと、返事を送った。


「あのぅ……ぼく、登山同好会辞めようと思うんだ。というより、担任の先生から、防大を目指すのならもっと本格的な部活がいい。陸上競技部とか水泳部のような個人競技で身体を鍛えることをお勧めしますって」

 行岡くんの言葉に少し驚いた。これで登山同好会退会者2人目だ。

「そりゃ、そうだよ。インターハイにも出ない登山同好会はお遊びみたいな活動だもの。……平田さんも登山同好会を退会するって」

「うん。その話、平田さんから聞いた……e―スポ—ツ同好会の会員は、体力低下を防ぐため、いずれかの運動部や運動同好会と兼部するのが条件なんだって。登山同好会にも新入会員が入って、様子が変わるよ」

 行岡くんはそう言う。明輝くんの目には、少し会わないうちに行岡くんの雰囲気が変わったように思えた。

「クラス展示では大張り切りだったね。行岡さん」

 行岡くんは何かを考え込んだ表情をした後、こう言った。

「最近は、司馬遼太郎の本を読んでいるんだ。知ってる? 司馬遼太郎は三島由紀夫先生よりも3つ歳上なんだって。活躍した時期が違うからあまり意識されていないけど」

 明輝くんは司馬遼太郎をネット配信でチラ見したドラマ「竜馬がゆく」でしか知らない。

「坂本龍馬が好きなの?」

 行岡くんは首を横に振った。

「『竜馬がゆく』も少し読んだけど、専ら読むのは『明治という国家』と『昭和という国家』かな? それと『この国の形』とか。詳しくは言えないけど、日本についてのぼくの認識が少し変化したんだ。自衛隊に入って日本を守る意志は変わっていないけど、国民を愛してこその愛国だと思うんだよ」

その「国民」の定義は「法で定める」と日本国憲法に書いてあると、平田くんは言ったことがある。司馬遼太郎は1996年、明輝くんの父ぉとが大学生の頃、死去した。

(父ぉとは司馬遼太郎を読んだことあるなん?)

 明輝くんは思う。行岡くんが話を続けた。

「実縞さんは登山同好会を続けるの? ぼくが退会してもぼくと友達でいてくれようね。よかったら平田さんと3人で余興会とかアンデパンダン展に参加しない?」

 明輝くんはふと、三島由紀夫には「先生」付けで呼ぶのに司馬遼太郎はそうでないことに気付いた。きっと司馬遼太郎は平岡くんの「同一視」の対象ではなく、違う形での心の師匠なのだと明輝くんは思う。

「実縞さん、何か様子がいつもと違うね。誰か文化祭で恋に落ちたの? そういう表情だけど」

 まさか。ぼくのことを一方的に想っていた女の子が別の人と付き合っていて、それですっきりしたんだよ。そう思いつつも明輝くんは、自分の中に「恋」に似た感情が、思慕と憧れの念が、静かに燃えだしているのを自覚した。

「そろそろ退席しようよ。長時間の滞在はいけないからね」

 明輝くんはそう言い、行岡くんもぼくのクラスの展示の解説当番だと言って、2人は別れた。明輝くんも漢研の準会員として、漢研の展示当番がある。明輝くんは思う。

(ぼくの恋……)

 人ならぬ、あの白蓋に、切なさと離れがたい気持ちを抱いている。あの白蓋のように、純白で且つ複雑な美に、それでいていつも庶民のそばに居続けた、あの優しさに、ぼくは憧れている……。

 そう、自分の気持ちを整理した。


                   ⁂


 文化祭は展示・ステージ・模擬店ともに4時30分に終わる。明輝くんのクラスは無事、肉巻きおにぎりを完売できた。それからが閉会式だ。和太鼓部の太鼓と吹奏楽部のファンファーレが鳴り響く。動画写真部が撮影した文化祭の動画の短い動画が上映され、校長先生の挨拶、それに続いて新旧生徒会の引継ぎ式が行われ文化祭は5時に終了となる。生徒はそれ以降が忙しい。体育館の椅子を片づけ敷物にモップを掛けてから畳んで収納する。教室や模擬店の飾りを全て撤去し、椅子や机を元に戻す。その作業は夜8時30分までに終えなければならない。その間にも会計委員は文化祭の出納の計算をしなければならない。校内に点々と置かれた文化祭への協力金募金箱の他、今年の場合は難民救済のための募金活動もしている。各クラス各文化系部の会計担当者も、学校から出た文化祭用援助金と出費した費用などの計算をする。アンケートの回収をし、最終的には翌年の新入生にも分かるように、文化祭で行なったことを、各クラス各文化系部はレポートを7月末以内に提出する必要がある。

 文化祭の後、月曜日と火曜日は休校となり、月曜日は登校禁止となっている。そして期末テスト2週間前の日程となり、部活動などの制限時間が設けられる。1週間の期末テストの後、週明けには球技大会が、翌日には全生徒による校内大掃除と草むしりの作業がある。熱中症予防のため、大量の麦茶とポカリスウェットのやかんが用意され、宿泊設備のある同窓会会館の、男女別のシャワー室が利用できる。球技大会も大掃除も生徒主体で行なわれるが、教師達はテストの採点と1学期の成績表作成などに追われる。それ以降、授業はテストの返却と解答が主な内容の特別時間割になる。

 文化祭の後は運動会の準備体制に入る。すでに運動会実行委員長の選挙は終わり、今年は2年生の男子生徒が実行委員長だ。そして夏休みとなると、部活も補習授業も忙しくなり、1年生の臨海合宿が2泊3日の日程で挟まれている。コロナ感染のない例年には、1・2年生の希望者には50名限定・自己負担で、8日間の真冬のオーストラリアでの語学留学もあった。夏休み中、1・2年女生徒は運動会に披露する創作ダンスの練習を、男子生徒は1年生は集団行動、2年生は組体操の練習をする。3年生男女運動会では、この地に伝わる「豊年踊り」を踊る。これは元々、老若男女で振り付けが違い、全部の振り付けが集まると見ごたえのある踊りになる。

 運動会が終わると東高は静かになる。もちろん部活も授業も活発に行われているが。3年生は受験が本格化し、精神的にも辛い時期が続く。2学期末の球技大会と大掃除が終わり3学期が始まる。日照時間が短くなり運動部の練習が低下するので、1週間、1・2年全員の「耐寒訓練」という名のジョギングが放課後行われる。これは他校のマラソン大会に替えて行われる行事で2年生の耐寒合宿―ようするにスキーやスノーボードの合宿―に向けての訓練にもなる。2月。3年生は受験のため自主登校になり、2年生も合宿のため学校に来ない1週間がある。その間、掃除も部活も1年生だけで行なう。そして学年末の大掃除の後、生徒による余興会とアンデパンダン展がある。こうして東高の1年は終わる。


                   ⁂


 明輝くんは文化祭から帰宅した後、食事もそこそこに、自室で平田くんから借りた、紙と和紙に関する書籍を夢中になって読んだ。

 本を読むのが速い明輝くんは、文化祭による疲れと眠気をコーヒーで紛らわしながら、2冊を一挙に読んだ。「紙」という素材は、凄いものらしい。例えば、象牙の代替品として開発されたバルカナイスドファイバー(FV)という素材は19世紀に発明され、紙パルプを塩化亜鉛濃厚溶液で処理し、紙中の繊維を硬化させて作られ、剣道の防具である胴台などにも使用されていている。ゆえに脱・プラスチックの素材として注目されている。和紙は頑丈で防水性があり、戦時中はゼロ戦の増槽(使い捨ての燃料用タンク。ドロップタンクともいう)に利用されていた。

 もちろん紙にも問題がある。ティッシュペーパーなどは、防水性に優れているが自然分解がし辛く、いわゆる「野糞」をしたときにティッシュを使うと辺りは古いティッシュが残ってしまう。再生紙は製造の際、水を消費しCO2を排出する。印刷されたインクを落とすときに使われる水や廃棄物の問題もある。

 さまざまな長所欠点を踏まえつつ、紙はこれからも重要な素材となるだろう。

 もう1冊の和紙の本には、和紙の頑丈さを利用した、さまざまな応用品が紹介されていた。例えば和紙で作った擬革紙は、油紙や柿渋紙を揉んで油や漆で加工した紙の一種で、明治時代は壁紙として盛んに欧米に輸出されていた。和紙は、吸湿性に優れ、乾きやすく肌触りの良さから、スリッパや靴下、タオルなどの素材として既に実用化されている。

 明輝くんが文化祭で観た白蓋も、その本では紹介されていた。

(紙の研究者……繊維の研究者になりたい。そうして自然に優しく安価で使い勝手のいい、新素材や商品の開発に関わりたい……)

 明輝くんはそんなことを考え始めていた。繊維について学ぶのなら、京都工芸繊維大学と信州大学の繊維学部の名が脳裏を走った。どちらも受験用問題集などで見る名前である。

 明輝くんは「京都工芸繊維大学」「信州大学繊維学部」をネットで調べた。

 どちらの大学ともに国立大学である。理系の大学として、試験科目に数学Ⅲがあり、生物基礎や生物を高校時代に習得する必要がある。文系の大学を出て公務員になることを目標としていた明輝くんは、温暖化ガスによる気象変動によって、多発する異常気象や大災害に備えて「地学基礎」を選択していた。が、東高では地学を選択したものの、後に看護学系の大学などを目指す生徒のために「受験向け生物基礎」の補習授業が放課後に開かれる。

(まだ間に合う……)

 期末テストでは、英語や数学だけでなく、地学基礎や化学基礎の科目にも、力を注ごう。

 そして自然科学部に入部して、科学の甲子園に向けての早朝学習会に出席し、同時に科学がもっと好きになるよう努力をしよう。6月末の夜明けは早い。明輝くんがそれらのことを考え出したときには、夜の4時過ぎで、窓辺は明るくなり始めていた。

 文化祭での疲れもある。月曜日はゆっくり休もう。期末テストが終わればすぐに、進路指導室の教師と話し合おう。

 そう心に決めた明輝くんは、布団に潜り込んだ。


 その日は午前11時過ぎに目が覚めた。スマホを見る。美術部部長からLINEに連絡があり、文化祭で描いたふすま絵(?)は、1枚3万円で即時完売できた。女子高生が文化祭のために描いた抽象画という理由が完売の原因らしい。おめでとう。明輝くんはそうレスを書いた。

(文化祭では各文化系部に負担をかけ過ぎたかな? 高校生総合文化祭も控えているし)

 と、明輝くんは思う。華道部は朝8時からの日舞の練習は、月に2回しかない部会のない華道部にとって、いい思い出になった、10分間の時間なら、来年も華道パフォーマンスをしたいと、華道部の女生徒達に言われた。一方、教師からは、東高の運動部紹介や行事紹介などの展示やスライドショーや動画なども生徒会主催でやって欲しかった、制服の試着会もいいだろうという声があった。

 これらのことは期末テスト後のミーティングで話し合われる。ネットの掲示板には東高の文化祭を揶揄する投稿はない。1件、「ソースせんべいとみかん水の模擬店があったが、食べ物だけでなくヨーヨー釣りや玩具の金魚釣りなどゲーム類も置いてほしかった」という投稿があり、それに対して「ゲームを設置することも一時検討しましたが、新型コロナ予防の観点から、同じ教室での長期滞在につながる恐れがあり、ゲーム企画は実施しませんでした」のレスが早くも書かれている。3年生の理工科クラスの実行委員が書いたのだろう。

 明輝くんの胸には、昨日観た、白蓋の姿とそれへの切なく慕わしい気持ちがまた、蘇った。それと共に白蓋のためなら、京都工芸繊維大学や信州大学繊維学部を目指して勉強をし、合格を勝ち取らねばと、どうしても思ってしまうのである。

(ぼくは気が変になったのかしら)

 白蓋に対する明輝くんの想いは、いわゆるフェティシズムとは違う。性的な興奮は伴わない。「フェティシズム」の意味を検索して調べると、「本来、フェティシズムとは、生命を持たない呪術的な物に対しての崇拝を指し、性欲とは無関係であった」とある。

(呪物的な物ねえ……)

 白蓋は神事に使うもので呪術的な品物だ。

が、明輝くんの気持ちは、崇拝とも違う。

(まあ、とりあえずは今日1日は勉強せずに休んで、明日から期末テストのための勉強を始めるか……)

 そう思い、朝ご飯を食べて、「抑散肝」を飲んで、気が済むまで眠ることにした。

(一高の奴らは偉いなぁ……)

 文化祭を3日間続け、夜にはねぶた行進を行なう。とてもタフだと感心する。

 明輝くんの瞼の裏には、また、白蓋の姿が見えた。写真には納めなかったものの、その姿を鮮明に思い出すことが出来た。


                   ⁂


学期末の球技大会終了後、まだ試験の結果が出ていないのに、明輝くんは進路指導室での進路相談を受けることにした。

 大学入試は私学も含め、年々複雑化しているらしい。そのため東高では、教科や部活を担当しない、進路指導専任の教師がいると聞いたことがある。進路指導部には、中学生を対象とした、高校案内の部門もあり、要するに「入る生徒」「出る生徒」を扱っている。

 相談に乗ってくれたのは、進路指導専従の教師ではなく、明輝くんの学年の化学担当の女性教師だった。簡単な挨拶を済ませると、化学の教師はいきなり

「実縞さん、繊維学部や工芸繊維大学が、何を学ぶ大学なのか、覚悟はできている?」

 と聞いた。

「はい。私は信州大学では化学・材料学科を、京都工芸繊維大学では物質・材料科学域を志しています」

 相談を申し込む際、この2つの大学を選んだのは、文化祭の工芸部の和紙の展示を見て、製紙や繊維に興味を持った、繊維の研究を通じて人と環境に優しい物質・製品の開発研究に携わる研究をしたいと書いた。

「まあまあ合格の答えね。数学の点数がいいから2年生の文系理系選択は理系でも大丈夫だし。だけど文化祭の発表を見物しただけで、その繊維への興味、一生続くと思うの?」

「はい。その辺りは自然科学部に入部して科学を身近なものにしたいと考えています」

「この高校からは、信州の繊維と京都工芸繊維のどちらかには毎年1人、必ず合格の実績はあるわ。でもそのための努力は大変なのよ」

 化学の教師は続けた。両校共に入試科目に数学Ⅲがある。数Ⅲはここの生徒には難しい学科で、週4コマの正規の授業の他、週1回の強制早朝補習があり、金曜日の放課後には4時10分から7時20分までの強制補習授業もある。夏休みは午前か午後の涼しい時間帯に2コマから3コマの強制補習授業が開かれる。しかしそれでもついて行けない生徒が多い。そういう生徒は赤点を取らない範囲で頑張り、数Ⅲがない大学を受験してもらっているが、正規の数Ⅲの予習や復習に追われ、他の教科の勉強ができない生徒もいる。

「だから今年からカリキュラムを変更して、数Ⅲが大学入試で必要な生徒さんの場合は、まず数ⅡBまでの学力を完璧にし、受験のときには数ⅡBまでの数学で満点を取るように指導しているの。優秀な生徒さんは1学期の成績によって、数Ⅲを土曜日の補習で朝8時50分から午後3時30分までの補習授業で、数Ⅲの触りの部分だけ勉強してもらう予定なの。土曜日は自宅学習も含めて数学漬けの状態になるわ。それに加えて国公立大学は共通テストで地理歴史や公民の教科も試験勉強しなくちゃいけないし……2次試験の理科は難しいのよ。あなたの場合は今のところ、数学と英語は満点かそれに近い成績を取っているけど……大丈夫?」

「はい。公民のほうは既に受験向け倫理政経の補習授業を受けています。理科は地学基礎を選択しましたが、間に合うのであれば、受験向け生物の補習も学ぼうと思います」

そう言いながら、ここの高校の教師達はいつ、休暇を取るのだろうと思った。東高生はいわゆる「手のかからない生徒」だが、たまに不登校や、SEXまたはそれに類似する行為を校内で行ない、生活指導部の世話になる生徒もいるらしい。補習授業のない日曜日を、部員全員が参加できる日として、朝8時半開門から6時半閉門まで練習をする運動部もある。顧問は直接の指導はせず、生徒達がDVDや書物を参考に自主的にトレーニングのプログラムを作るが、事故や事件がないように保健室の先生も併せて数人の教師が在校している。

「生物の補習授業の他に、自然科学部に入部して、科学の甲子園向けの自主学習会にも参加する予定らしいね。だけど高校時代はそれで入試を乗り切っても、大学入学後はやって行く自信はあるの? あなたの化学や地学の成績だと、悪くはないけど理科好きの生徒さんの点数ではないわ……まあ、今回の化学はかなりいい点数を取ったけど。科学者になるには努力だけでない、才能やセンスが必要なのよ。今からでも遅くはないけど」

「……もし高校時代に希望する大学に学力が届かなかった場合には、浪人すれば何とか行けますか?」

 教師は即座に

「ここの高校では、旧帝大(注12)および早稲田・慶応義塾以外の大学は、浪人させない方針です。分かる? それ以外の大学の場合、浪人しても学力が伸びないのよ」

 と言う。


(注12) 旧帝大 ここでは京都大学・大阪大学を指す。

 

 化学の教師はさらに付け加えた。信州の繊維も京都工芸繊維の学生は、卒業して就職するのは3割で、残りは全て大学院で研究を続けてから就職する。大学時代、特に大学3年生以降は勉学に追われてアルバイトもできない。家の経済状況は大丈夫ですか? あなたは今、土曜日に図書館のアルバイトをしているけれど、そういう家計状態なら大学院に行くだけの家計の様子が気になる。本当に大丈夫ですか?

(飲食店や新聞配達のバイトをしなくても、パソコン使って在宅ワークなら出来ないかな?)

 明輝くんは、そう思いながら口には出さなかった。

 さらに教師は続けて

「就職して研究生活に入っても、良い研究ができるのは大学院卒からせいぜい40歳ぐらいまでなの。それ以上の年齢になると、脳の力が落ちて優れた結果は出せないわ。研究チームのリーダーになって、人間関係を調整したり、研究倫理に問題はないかの整理をしたりと、それまでと違う能力が求められるの。場合によっては、自分の意に沿わない部門に転属されるのよ。その覚悟はある?」

女性ながら民間企業で働いた後、教員になった化学の教師の言葉には、真実味があった。

「さらに厳しいことを言うわ。理系コースを選択して、もし国公立の理科系大学に合格できなければ私学理科系に入学することになるの。家計の事情で私立理科系に進学できない場合は、いわゆる文転をして私立文科系の大学に進むことになります。学校での理系の勉強と平行して私学文系を受験する場合は……はっきり言うけど、日東駒専や近産佛甲流(注13)の大学辺りになります」

 しばらく沈黙が続く。


(注13) 近産佛甲流 関西にある私学。近畿大学・京都産業大学・佛教大学・甲南大学・龍谷大学のこと。


「……」

 明輝くんは何も言えなかった。

 教師はため息をついた。

「あなた達の世代は偏差値だけで大学を見てマウントを取りたがるけど、偏差値はこれからは当てにならないのよ。生徒さんの成績が2極化していることは知っているよね。昔はいわゆる正常分布だったけど、2極化している時代にはあまり偏差値は参考にならないわ」

化学の教師は最後に、京都伝統工芸大学校のパンフレットを見せてくれた。どうしても行く大学がない場合、ここの和紙工芸専攻で学ぶのもよいかもしれないと言う。

 この大学校なら、明輝くんも知っていた。一時期、姉ぇねがこの学校で竹工芸を学びたい、そしてラオス辺りに行って現地の竹工芸を盛んにし、欧米の人に竹細工の良さを知ってもらいたいと、コロナ禍の海外渡航制限の頃に言っていたことがある。この時代に何て呑気で現実離れしたことをと、当時の明輝くんは思ったが、今となってはその熱意が理解できる。もし志望校叶わず私学文系で願うところにも合格しなければ、伝統工芸大学校で和紙についてもっと深く学んでもいい。

「随分とキツいことを言ったけど、それでも負けん気を出して、できる所まで頑張ってね」

 教師はそう言った。明輝くんは丁寧に挨拶をした後、進路指導室から出て行った。


               ⁂


 自宅での勉強が終わった深夜、明輝くんは「涙くんさよなら」を聴いていた。男女いろいろな歌手がこの歌を歌っている。爺ぃじがよく聴いている、若いがしわがれた声の歌手は誰だろう。

明輝くんはこの歌詞の「涙くん」の部分を「怒りくん」に替えると、今の自分にぴったりとした歌詞だと思った。あの白蓋に恋に似た感情を抱いて以来、怒りや心の中の暴力への衝動が遠のいた。

明輝くんは、ふと気づく。

「ぼく」の恋の相手の「あの娘」を「とっても優しい人」だと歌っている。ああ、「ぼくの彼女はね」とも「ぼくの恋人は」とは歌っていない。「ぼくのあの娘」。きっと片想いでその娘のことを遠くから見て、「優しい人なんだ」と想っているのだ。

 そして「ぼく」は「あの娘」のことを「かわいい人」とか「美しい人」とは歌っていない。「優しい人」と感じている。

(きっと優しい人に、この「ぼく」は憧れているんだ)

 いつか「ぼくのあの娘」が、想像に反して優しくない人だと知る日が来るかも知れない。他人に優しさだけを求めていた自分に不甲斐なさを感じて涙する日も来るかもしれない。だけど「ぼく」はきっと以前よりも成長した心で「涙くん」と再会するだろう。

 この日、明輝くんはYouTubeで、備中神楽・白蓋を検索して観た。その動画では、神職の衣装を着た、2人の男性が白蓋を使った神事を行なっていた。1人は太鼓を叩きながら祝詞を唱えていた。真剣に唱えていた祝詞は、聴く人の体質によってはトランス状態に陥りそうな、迫力と恐怖があった。

もう1人の神職は祝詞に合わせて天井からつるされた白蓋を、紐で引っ張って動かしていた。白蓋には文化祭で観たものとは違い、さまざまな色の吹き流しで装飾されていた。人間が動かしているのに、その激しい動きはまるで白蓋自身がある意志を持って動いているように見えた。恋をする男性が、お淑やかだと思っていた彼女の、別面の快活さを知ってますます恋心が募る気持ちがよく分かった。

白蓋はやがてその天井から白いちいさな紙吹雪を落とし散らし始めた。

(紙の意志……神の意志……)

 白蓋を使った備中神楽は、岡山県出身の江戸時代の国学者の西林国橋が文化・文政年間、神代神楽を加えて完成させたものだとWikipediaに書いてあった。今よりも疫病が多く、飢えや自然災害に成す術がなかった時代、人々は真剣にこの神楽に取り組んだに違いない。

 明輝くんの白蓋への真摯な憧れと切ない想いは、文化祭から2週間以上も経った今も、変わることはない。明輝くんは想う。

 ぼくは人ならぬ物に恋をしている。しかしいつか、この白蓋を具現化したような人物に逢うだろう。純潔で、それでいて人々の悩みな願いを真剣に聴く、心美しい人に。その人は恩師かもしれないし、女性かもしれない。

 ぼくの中の静かなパーペトレターよ。どうかその人に、危害を加えたり不道徳な振る舞いをしないで欲しい。

 怒りくんさよなら。でもいつかはぼくの中の怒りを必要とする日がくるだろう。その日までお休みなさい。怒りくん。

 明輝くんは、「抑散肝」を服用して、そのまま眠った。


           ⁂

 

翌日は終業式となる日曜日の図書館のカフェレストランで、明輝くんは、平田くんと行岡くんと会うことにした。

「……へえ、実縞さんが国立の理系の選択か! 意外だよね。そして登山同好会も退会か」

 行岡くんは語る。

「理系でその選択なら、3年になると野郎ばかりのクラスになるねえ」

「そうでもないと思うよ。数Ⅲ必修のクラスを無くすらしいから、きっとぼくのクラスは看護師希望の女子が多いウハウハクラスになるかもね」

 3人でマスクをしたまま大いに笑った。明輝くんが両親に自分は理系国立大学を志望し、出来れば大学院まで勉強したいと告げたとき、母ぁかの手が震えた。ごめんさない。親戚中誰も本格的な理系進学をしたことがないから驚いたの。母ぁかはそう言った。父ぉとは信州大も京都の大学も名門だ、頑張るな。学費のことは教育ローンもあるし気にせずにと、励ましてくれた。

「そう言えば、キノコの繊維で人工の本物そっくりのレザーを作る話題を、テレビでやってたね。繊維はこれから有望な学問だよ。目の付け所がいいなぁ、実縞くん」

 と平田くんが言い、行岡くんは

「きっと和紙や布に、一生をかけた祖先のDNAがあるんだろう。頑張れよ」

 と励ます。平岡くんは続けて励ます。明輝くんも、もしかすると自分の守護霊が、「紙」と「繊維」へと導いてくれたのだと思う。

行岡くんは続けて言う。

「実縞さんも平田さんも自然科学部に入部か……ぼくを仲間外れにしないでね」

「定期テスト対策なら、ぼく達に任せてな、

なあ実縞さん」

 明輝くんもお冷を飲んだ後、肯いた。

「それより行岡さんは、陸上部と水泳部、どちらに入るの?」

 明輝くんが尋ねる。

「今は両方とも仮入部状態。今は夏だから水泳部のほうが楽しいかなぁ。陸上トレーニングなら水泳部の冬の活動でやっているし。でも陸上部もそれなりに楽しいさ」

「水泳部って、海上自衛隊に入隊するの?」

 行岡くんは、チッチッチと軽く舌打ちをした後、こう言った。

「陸上自衛隊だってさ、台風や集中豪雨の際の出動には水に慣れないとできないさ。自衛隊の陸・海・空のいずれかになるのか、防大2年生になるとき、決めるんだ……進路指導の先生らと話し合って、併願する私立は国際関係が学べる私学にしたんだ。そこから自衛隊幹部養成学校に入るつもり」

しばらく進路の話が続いた後、明輝くんはこう話題を切り出した。

「二高の文化祭が大きく変わるんだって。生徒会に手紙が来てたよ」

 その手紙によると二高の文化祭は、これまでの春実施から、ちょうど東高の運動会の前日辺りの金曜土曜に、来年度から変更される。

1年生は課題曲と決められた曲の範囲での合唱、そして書道や家庭科で習った作品の展示、2年生は担任教師が担当する学科の研究発表、そして1・2年の国際科の生徒による英語朗読劇、同じく1・2年理数科の研究発表。

それらが中心の企画になる。3年生は有志による出場以外は見物人に徹する。模擬店は業者委託。来場者は中学生以上。他の高校からの来場者にはチケットが必要。保護者OBOGおよび教育関係者以外の大人の来場は認めない―そういう感じの文化祭となる。

「完全に受験をする中学生向けの文化祭だね。生徒による模擬店は保護者が不潔がって流行らないらしいんだ、最近の高校文化祭は」

 平田くんが溜め息をつく。行岡くんが言う。

「でも来年の文化祭の案内が届くのが早過ぎない? 文化祭で何かトラブルでもあったの? きっとぼく達に無言の何かを訴えているような感じがするよ、ぼくには」

「生徒会長も文化祭実行委員長も、そういうことを言ってた。部活単位での文化祭参加のことが書かれていないしね。だけど他の学校の文化祭に抗議する訳にはいかないだろう? だから返事に『貴校の自由な文化祭に憧れていた私達には、少し寂しい気持ちもいたします。が、貴校生徒会と教員が話し合っての結論なので、それを尊重します。来年度の貴校文化祭を楽しみにしてます。ご自愛下さいませ』って返事を書いたんだ」

 しばらく沈黙が続く。2高の文化祭の話題から、平田くんの文化祭のクラス参加の裏話の話題へと変わった。

「本当はクラスメイトは、『ばかっこいいぼくらの学校生活』をしたかったんだ。ちょっと流行遅れの企画だけど」

「ばかっこいいって何なん?」

「普通にゴミを捨てればいいところを、前を向いたまま、後ろを振り向かずに空き缶とかをゴミ入れに入れるとか、友達に本や文房具を渡すときも席に座ったまま、前の席の生徒に投げ渡すとか。そういうのばっかりを、CGとかトリックを使わないで撮影する、あれじゃないかい?」

「うん。そう。だけどネットで調べてみると、『ばかっこいい』は、成功させるのには夏休みいっぱいを使って、成功するまで何度も撮影するんだって、NGが多いからね。そこで学園ものドラマを皆で考えて作ったんだ」

 生徒全員でプロットを考えた。内容は「女子生徒に恋をした男子生徒がいる。女子生徒はやがて非行少年グループに誘われ参加する。男子生徒は女子生徒を救うべく、生命懸けで不良グループと対峙し、女子生徒を助け、女子生徒の愛を得る」というものだった。時事問題や名物教師の物真似なども適切に入れて、泣いて笑える作品を目指した。すると担任教師は、こういう企画はありふれている。もっと独自色のあるドラマを作ってくれって言う。それでもクラスメイト一団となってその企画を通したんだ。結局、来場者からの評判はよかったけどね。平田くんはそう語った。

明輝くんは話す。

「最近は文化祭も2極化が進んで、盛んな所遊ばず、学校の部活とか習い事ばかりで大人にいつも指導されていたでしょ? 実行委員長タイプの生徒が少なくなったのも原因らしいって、ネットの記事で読んだことがあるな」

 明輝くんのクラスでは一度、委員を体験した人は、次の委員選出のときに候補から外す。なるべく全員がリーダーになるようにとの配慮だった。

 明輝くんはふと、中学校での学校単位の部活を見直し、地域移行にする政策を思い出した。学校の部活動を廃止する必要があるのか? 文化部系はどうなるのだろう? 

 18歳には選挙権が与えられる世代となった、明輝くんには関心の高い問題だ。

「ねえ、ところでこの3人で余興会やアンデパンダン展への出展、どうする?」

 と、行岡くんが言う。行岡くんは「現代の高校生の国防意識の研究」を発表したいと言い、平田くんは3人いるから共同作業ででっかいオブジェを作らないかと提案する。明輝くんは相変わらず無趣味である。

「3人でコントするとか、どう?」

 おざなりに言った明輝くんの意見に2人は同意した。話が盛り上がりつつあるとき、日曜日バイトの頼畑さんが近づいてきた、明輝くんは、まだどぎまぎする。

「恐れ入ります実縞さま。店内が混雑しているので、コロナ予防の観点からもご退席をお願いします」

 頼畑さんに注意されたので店を出た。

「実縞さんが好きな女子って、さっきのあの娘?」

 2人がそう聞く。

「あの人じゃないよ。あの娘(こ)は彼氏いるし……」

 じゃあ誰だか教えてくれない? 協力するからさ。平田くんや行岡くんの言葉に

「ぼくは高校時代は彼女を作らない予定。片想いの娘(こ)がいても心の奥に潜めるんだ」

と答えた。

(きっとぼくは白蓋への恋を一生他言しないだろう)

 平田くんに勧められて読んだ、大宰治の「斜陽」に、『他の動物にはなくて、人間にだけあるもの、それはひめごと、というものなの』の一文が印象に残っている。

生涯秘密の恋を、15歳で知るなんて、とても幸せなことだと明輝くんは想う。

「じゃあ、明日、学校で会おうね」

 明輝くんは、平田くん達と別れて帰った。

 

          ⁂


明輝くんが帰宅すると、家の中はお菓子を焼いた匂いがしていた。

「あっ、坊ぅぼお帰りなさい」

 爺ぃじがいう。姉ぇねは作業療法科のある大学のオープンキャンパスに行ったらしい。

「坊ぅぼ……明輝さんの誕生日が近いだろう? ケーキを作ってみたな」

 爺ぃじはそう言いながら冷蔵庫からお菓子を出した。爺ぃじはお菓子作りに慣れ、後片付けも床磨きもきれいにするようになった。

「ほれ、このケーキな」

 明輝くんはケーキを見つめる。普通の大きさのホールケーキほどのクッキー生地の上に、カスタードクリームを塗って、その上に白いメレンゲを編み目状にホイップして焼いたケーキだった。そんなケーキを明輝くんはみたことがない。

「爺ぃじのオリジナル・レシピな。6つに分けるな」

 爺ぃじはケーキを乾いたまな板の上に乗せ、生地を6つに分けた。そして小皿2枚を用意し、1枚には1切れを、もう1枚の皿には2枚のケーキを置いた。

 爺ぃじはさらに、インスタントコーヒーで作ったという、冷たいカフェオレをグラスに入れた。皿にはフォークが添えられた。明輝くんは不思議な気持ちで食卓の椅子に座った。

「一緒に食べるかな? それとも自分の部屋で食べるかな?」

「一緒に食べような」

 明輝くんは答える。

 じゃあ、ソーシャルジスタンスを取って黙食して食べるなと爺ぃじは言う。

 明輝くんは先にカフェオレで口の中を潤してから、ケーキを食べた。

 そのケーキのクッキー生地には、ドライアップルとシナモンが入っていた。上に塗ったカスタードクリームにはカラメルで焦がしたアーモンドの味が混じっていた。その上のメレンゲは、微かにレモンの味がした。

(いったい何を目指したケーキなん?)

 不思議な味の組み合わせのケーキを黙って、明輝くんは2枚とも平らげた。

「残りの3切れは、お母さんとお父さんとお姉さんのケーキな。坊ぅぼ……明輝さんは誕生日が近いから、2枚な」

 明輝くんが2枚のケーキを食ってしまっている間、爺ぃじは1枚のケーキをゆっくりと咀嚼していた。

「……爺ぃじのことなら心配いらんな。ちゃあんと肺がん検診にも年に1回は行ってるな。

まだまだ認知症にもならんな。心配せずに坊ぅぼ……明輝さんは明輝さんの好きなことをするな」

 明輝くんは胸から込上げてくる感情を抑えながら言った。

「ありがとう。ごちそうさま。昭平祖父さん」

「16歳の誕生日、おめでとう。明輝さん」

 皿は爺ぃじが洗うから、気を使わんでいいな、早く2階へ上がるなと、爺ぃじは言う。

 明輝くんは自分の気持ちを抑えつつ、自室に入ると、いつものようにテキストとノートを出して勉強を始めた。

(明日の午後から、自然科学部の活動が始まるな……)

 自然科学部は、当面は、基礎固めのために科学の甲子園ジュニア(中学生の部)の 過去問を解くための学習会を行ない、併せて科学論文を書くためのノウハウを学ぶ予定だ。図書館のバイトは2年終わりまで続けよう。そして大人になれば、図書館で簡単な科学実験を子ども達に見せよう。明輝くんは思った。

 受験には関係ないが、国際倫理Ⅱ・Ⅲを来年再来年に受講しようとも考えた。将来、研究者として、倫理が必要な時代きっとが来る。そのときの若者達のためにも、今、勉強できるうちに倫理を学びたい。

(きっと行岡くんも2・3年生の国際倫理Ⅱ・Ⅲを選択するだろう)

 明輝くんは、そう確信している。

 

 間もなくして、外から爺ぃじが煙草を吸う臭いが、部屋のわずかに開いた窓から入ってきた。

 明輝くんは、思い出したように「抑散肝」を服用した。 

(了)

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ぼくの中の静かなパーペトレター 高秀恵子 @sansango9

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